カルマ返上日記11

2014年03月27日 (木) 12 : 30
ブラック会社時代の話って、書いているうちに色んなことが走馬灯のように思い出されてきて^^。
話が前後しちゃうけど、人間関係で悩むどなたかのご参考になれば。


ブラック会社時代、約5年のうち、4年弱は私は不動産金融商品の営業マンでした。
この期間は、ほんとそれまでの人生でやったこともなかった、人間相手の営業という、たぶん「どれでも無条件に選んでいいなら、自分が嫌だと思うことは全部しなくていい」なら、絶対に選びたくなかったであろう系統の職業だと思う。
お金を扱うこと、それも資産運用なんていう、この世でいちばん自分自身が葛藤を憶える類の仕事、あんど、それなりの小金もち~お金持ちっていう、それまでの自分がいわゆるあらぬ嫉妬やへたすると軽蔑を覚えてしまっていたような人種相手に、お客様、ってことでしたからね。


でもこの仕事のおかげで、そういった私の「かたより」の是正が見事にされていったんだと感じます。
世の中を自分の目線という一方向だけからしか見ていなかったこと。
そして、どこでどうそうなっていったのかはわからないけれど、いわゆるお金もちへの偏見。(要するに自分が持っていないものを持っている人々への僻みですよね^^)
それがたくさんのお金持ちのお客様に「愛されて」私は本当にこの仕事で変容しちゃいました^^。
私が持っていた偏見のようなもの・・・いったいなんだったんだ? と、自分のばかばかばか、って恥ずかしくなるくらい、ほんと、変わりましたよね。


もうそれだけでも、じゅうぶん、経験の価値があったと思います。


そして残りの一年ちょっとは、マンション販売の営業マン。
私はこの仕事で、「人間関係」と俗に言われる、人が多いに悩み苦しむ原因ともなる世界を学んだのかな、って思います。
金融商品やっていた頃は、同じ営業マン同士のチームワークというよりは、どちらかというと、「個人の手腕」がやはり決め手であったと思うし、より、対お客様という世界が濃厚だったわけなんですが、マンションという物質をご案内する・・・その場合、お金は万国共通の価値観というか、お金そのものに個性はありませんけれど、物質の場合は個性があるわけで。
もう、ぜんぜん違うものです、同じ「なにかを人様に買っていただく」世界であっても。

つまり、「いちから誰かに教えてもらうこと」を必要としていました。


私はこの部分で最初はたいへん苦戦したのです。
営業の仕事を始めてから、ものすごく肩にチカラが入っていて、当時はそういう「プロ意識」ってものは、「ヒトに教わるものではなく、自分自身が学び掴んでいくもの」みたいな^^エラソウな意識を持っていたぶん、やはり、まったく畑が変わっても、同じ意識で行こうとしていたのです。


当然うまくいくはずがありませんでした。
成績は上がらず、このままだと、来年には首が待っているな・・・と諦めかかってもいました。
「営業マン失格の烙印を押されて、この会社を去ることになるのか・・・」と、ただでさえ、「好きではない会社」に落第認定されて、駄目人間、使えない人間扱いで放り出されるのかもしれない、っていう恐れというより怒り、いわば「自分のプライド」でしょうか^^、そういうものが煮えたぎってもいたし、ほんと、あのままでしたら、首を待たずにおかしくなっていたかもしれませんね。


そういう日々を半年以上、過ごしていたんですが、救いの手というものは顕れるんですね。
大きな組織編制というか、それまでのやり方が変わり、現場が変わり、いわゆる「上司も変わる」ことになりました。
実は私は、配置された現場の上司が・・・・ほんっとうに嫌いというか^^苦手だったのです。それまでの人生の中でこの時期ほど、「自分はツイテない」と感じさせられる時期がなかったくらいに、いわゆる「顔を見るのも嫌」系^^でしたよね。
こんなに上司というのがイヤだった経験ってあったかなぁ? と思うくらい、接していてしんどかったんですね。(でもその理由も今ならわかりますけどね)


あたらしい環境となり、ここで自分は目覚めたのでした。(ブルーレースもこっからですね^^)
あたらしい組織編制では、たしか営業マンって50人以上いたと思うんですが、それをひとりの上司が全員の営業マンを統括するという体制になりまして。


こうなると、まぁ、ふつう部下がやることは、「この上司に気に入られること」というのが^^「生き残り手段」ということになるわけなんですが、気に入られようにもですね、まずそもそも「成績」という点で、その時点での自分は「この人だめよね」状態でしたし、それに私がなによりもこの世で苦手だったことは、「ヒトに媚を売ること」でした。
人に媚を売ってまで、自分が生き残ろうとする・・・もうそういう「人間の泥臭さ」の中で生きることそのものが、苦痛でしょうがなかったわけですから。


だから、媚を売るのではなくて、私が思いついたことは、この新しい上司の方にとって、なにが嬉しいこととなるか? 助けとなるか? という部分、それを実行することにしました。
このアイディアは、考えたんじゃなくて「ふってきた」んです^^。たぶん、ガイドさんからの提案だったんだろうと思います。
それは、「名札をつけること」でした。
モデルルームでつける名札を、私はカイシャのオフィスの中でつけることにしたのです。

いきなり50人以上の部下を持って、なにが困るか苦労するかって。
そりゃ、そのひとりひとりの名前を覚えることじゃないだろうか、って思ったんですよ。呼ぶにしても、いちいちたぶん座席表かなにかで確認しながら、になっちゃうでしょうし、でもその座席にかならずその名前の人が座っているというわけでもありませんから、たぶん彼は、顔には出してませんでしたが、「呼び間違っちゃったら恥ずかしいよな」とか思いながら、けっこう大変だったんじゃないかと。


この、「名札をつける」というたったそれだけの「思いつき」から、私のそれまでの世界の様相はどんどん変わっていくことになりました。
その新しい上司は、私の「下の名前」を「ちゃん付け」で^^呼ぶようになり、私を「成績がとれそうな物件」へ配置し(これは過去のどっかの記事でも書いたと思われます)、その物件でいっしょに働いた営業マンの方から、私はマンション営業の極意的なものを、「いちから教わる」ことになったのでした(その方は、教えているつもりはなかったと思われますが、いわゆる「シェア系」の方だったのでした。今思い出しても、その会社の中に自分がいた期間の中で、私にとって筆頭の「先輩」だったと思います。実は、私が辞めたあとに、わざわざ「送別会」を開いてくれたのもこの方だったり。)。
そしてふたりでいっしょにその物件を売り切り、私は駄目営業マンの汚名を返上することに成功し、その後は、前記事でお話しした「天使だらけの現場」へと移行したわけです。

今思うと、苦しかった時期も、楽しかった時期も、「どちらも必要」だったと思います。

そして感じることは、よく言われる精神世界の「わくわく」というのは、なにも、自分の好みの世界の中に限定しなくても、つまり自分のやりたいことの世界の中にしかそれがない、というのではなくて、自分次第で、展開できる世界だということ。
この「自分次第」も、結局は、「自分本位」だと^^だめなんですけどね。
(それは好きなことを仕事にしていてさえ、そうです)


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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