カルマ返上日記10

2014年03月26日 (水) 14 : 14
結局のところ、カルマ返上って何? って世界ですが。
どうして必要か? 
精神世界の指南の中には、「好きなこと、ワクワクすること」をひたすら優先させていくことや、「自分を好きになること、自分を愛すること」の重要性のほうが、結局「精神的な成長」よりも、「カルマに気づいてカルマを超えて行くこと」よりも、もっと今ここにいることの意味・・・のように指南される面もあったりする。
(つまり、人生修行感覚そのものが、まぁいわば「固定観念」のような?^^)


しかしだね。
たしかに、ちょっと思い違いしているところは、あったと思いますね。
これは私個人の話で、万人共通かはわかりませんけれど。


得てして、私たちは、「苦労すること」じたいを美徳あつかいにしてしまうところがあって。
なので、苦労していない=ぜ~んぶそれは「濡れ手に粟」というのか、もろい幸運・・・かのように、揶揄したり、卑下したり。
で、困難を超えること、努力や、苦労して、成長していくこと・・・が、わりといいもののように、たしかにどこかで「教育」されちゃってはいるかもしれない。


あれなんですよね、これって、「的を得ている」ことをしているかどうか? っていう、そもそもの確信みたいなもの・・・が、あるかないか、それだけで、つまり「自分がどう感じるか」だけで、同じことをしていても、変わっちゃうんですよね。
そういう場合は、はた目には「苦労」や「努力」に見えるようなことを本人がしていても、それって本人にとってはjoyなので^^。「わくわく」なので。


あとね・・・やってくる苦労をコンベア式にやり過ごす・・・その展開っていうのは。
一見、受け入れているようで、そうではないんですよね。
「受け入れる」ってやっぱり、今、肯定感持てることだから。
どんな状態であっても。
これって、これこそが「ハートの声」でしかわからないことで、絶対にごまかせない。
まずここなんですよね~。


これに気づくと、「カルマ返上」は決して無意味な人生修行ではない、って思えますし、「自分を大事にすること」とか、「自分が本当にしたいことが何なのか」って展望も、なんとなく見えてはきますよね。
つながってると思いますけどね、やっぱり。
(でもまぁこれもやっぱり個体差というか、魂差っていうのか、「ありようは一様ではないこと」じたいを、受けいれての話になるけれど。。。)


自分自身は、前回までのお話で、そうなの、石に助けてもらって、なんだかテキトーにどつぼにはまりそうになっても、前を向くことができるように、ようやくなってきた・・・っていうのって、だから、そんなに昔のことでもなくて^^。
明らかに変わったと言えることは、すごくシンプルな話ですが、まぁ、「自分が嫌いじゃなくなった」という点において、カルマ返上の道のりの険しさっていうんでしょうか、それが確かにまぁしんどい時もたくさんあったけど、前回の話のように、「すごく楽しい、なんだか」って感じられるようなことも出てきて。


通算でなんだかんだと5年は勤続したブラック会社、営業マン人生以降、私はいったんそれを辞めたんだけど、その時代の貯金が尽きてしまい^^、結局また派遣で営業マンやるようになったんだけど、もうね、その時には、「まえとはぜんぜん違う」自分がいましたよね。
「自分次第でいかようにも」できる世界を、どんどん知っていくことになっていきました。それは、「with石」っていう、つよ~~~い味方を得たこともあって、どちらかというと、スリリングで楽しさ満点の「明日がわからない」世界で。
(その部分は、過去のブログに綿々とつづられていて、繰り返しになっちゃうんで、今ははしょります^^^^。)


ブラック会社時代の営業マン辞めた理由は・・・そうですね~、確かに、ブラックな職場は、前回のお話のように、まぁまぁ面白い展開や、すごくいい人たちと創る環境を経験できたり、楽しくなくない面もあって。
もう少し頑張ろうかな・・・とも思ってもいたんですよ。給料そのものは悪くなかったので。社員を奴隷というか使い捨てにする会社だったんだけど、「いることができるあいだ」に関しては、まぁ、成績さえ出していれば、わりとそういう人間には惜しみないというか、高待遇ではあったので、世間を見回して「今から探してここ以上はないよな~、もっときつくて、もっと待遇悪ければあるかもしれないけど・・・」って思っていた。
それでも辞めようと思って辞めた動機は、やっぱり、同じ営業マン仲間の同士の人々に対する不満なんかはひとつもないし、周りも「なんでやめるの~?」風ではあったんだけど、やはりそれでも、「会社そのもののありよう」に関しては受け入れがたかったんですよ。
なんだろう・・・まぁ、金銭至上主義的な、どっぷり資本主義、物質主義、権威主義、そしてそこで働く人間を駒扱いする、そういう世界。色々な意味で、そういうものへのうんざり感覚があったのも実際で。
また、そういうものに「すがって」でないと生きられない、自身のちっぽけさにもうんざりしていた。
だから、な~んにも、明確な道が用意されているわけではないんだけど、「まぁ、貯金だけはたまったし、今日明日どうなるわけでもないんだから、もう一度、自分のやりたいこと、進みたい道を探したい」的な感じはありましたよね。


そのたまった貯金がその後のプーの2年間弱くらいの期間で、生活費と、「石」に費やされることになり。
まぁ、2年くらいは、ほんとになにもしなくても、毎日毎日好きなことだけして生きられたわけなので。
今思うと、すごい無謀というのか、でも私って、昔から妙なところで気が大きくなってしまうというのか、すごいせこい面もあるわりには、そういう、普通はあんまり人が手放そうとはしない一見はまぁ繋ぎとめていることはできる「定職」みたいなものに関しての執着がね、なんだか薄いんですよ。


これはたぶん、むか~し10年以上勤めた大会社というものを辞めてみて、「辞めればただの人」な世界を実感できたからだと思う。
・・・その時は、あとになって、社会の中においてはいい肩書だったんだあれって・・・って^^やっぱりね、その後、生活のために仕事をしなくてはならない状態になってから、身に染みた面もあったんですよ。辞めなきゃ良かった、と悔やんだりもしてました。
毎月毎月、通っていれば定額の収入がある正社員の世界って、ほんと、ありがたいものなんですよ。そうじゃなくなってみると、それがすごい自分にとっての「不安」へと変わる、それは想像以上でしたよね。


だから、たいていの人は、そういう定職って「辞めないほうがいいよ」って言いますよね。辞めたほうがいい、というか、まぁそのようなことを暗に指南するのはスピリチュアル方面のなんやかんやだけで、現実世界では、まず「安定」って好まれますから。


だから、そういう不安のようなものを抱えることになった以降、色々な壁にぶつかりながら、作詞家やらアゲハ嬢やら営業マンやら、いろいろ経験してきた自分でしたけれど、「なんのために、人生こんなことになってるんだろう?」っていうことを、つまり、真面目に自分に向き合う世界、を知るためには、たぶんどうしても必要なステージだったんだろうと思うし、すべて通り過ぎてきてみると、「こっちで良かったな」って、「今」感じることはできますよね。


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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