カルマ返上日記9

2014年03月22日 (土) 05 : 43
前回のカルマ返上日記では、営業マン時代を「テキトー・ロード」と振り返ることができているのは、やっぱりそれがいわば「過去を癒すことができた(多少)」結果だから・・・とも言えるのかな、って気がします。


当事者でいる渦中は、実際のところほんと、テキトーにしかやれないんだけど、「テキトーじゃなく確実にやれる方法」ってもの、セオリーってものがない「営業」という仕事に慣れるのは、そりゃまぁ苦痛でしたし、終わりがない、区切りがない、ずっと数字を追いかけなきゃいけない日々というのは、それが不得手で苦手であればもう生き地獄^^みたいな世界でもありますよね。
営業職ってたぶん今でもあんまり人がやりたがらない嫌われ職業の筆頭なんじゃないだろうか、って思うけれど^^、あれですよ、まぁ「自分がココロからそう言える、好きなモノ、お薦めなモノ」を人に薦めるのでない限り・・・単純にたしかにまぁ、苦痛な面もないわけではないですね。
もし、営業という仕事をやってみようかとトライされるのであれば・・・まぁできれば、自分がココロからそう言えると感じる、そういうものが先にありき、の営業というのは楽しい♪ ですよ。(だって、私は石をお薦めするのは楽しいですから^^)
でも、そういうわけではなくても、楽しい、っていう場合もあります。
その場が楽しければ、自然に仕事ってどっかで楽しくなっていくところがあるんです。


それでも事務仕事の人はいいよな~こういうしんどさないんだよな~・・・みたいな「隣りの畑が青く見える」の心境も当時はやっぱり感じることも時々ありましたね。
でもね、営業の世界の事務の御嬢さんたちというのはね、けっこう大変なんですよね。お客さんから電話とかかかってくるじゃないですか。彼女たちはどんなに自分が忙しくしていても、そういうのに愛想よく出たりしなきゃいけないわけ。「だれそれさんのお客さんを怒らせてしまった」だとか、そういう事態を作れないわけ。
成績としては営業マンの手柄、営業マンに金銭的インセンティブがいくだけなんだけど、彼女たちのそういった気遣い、サポートあっての世界なわけなんですよ。自分の給料にはカンケイないんだし、って、それこそテキトーにやりたいところを、すご~く優しく丁寧にやってくれるのよ。
なんかね~、優秀なそういうお嬢さんたちにも恵まれていたな~、って、色んな人の助けがあって、創られていた世界だったんだな、って感じますよね。


そういう時代に感じていたことは、けっこうね、ブラックな^^職場って、なんだかんだ言って、全員ではないけれど、いい人もちらほら集まるというか、人間の心優しい面が顕れるところもあって、わりと捨てたもんじゃないところもあるんですよ。
カイシャの仕打ちがひどいぶん^^、その手の助け合いっていうか、思いやりとか連帯感も生まれたりもする・・・こともあるのね。
まぁなかには自分の営業成績のことしか考えない営業マンっていうのもいるんだけど、比率的には、そういう人はなんとなく少なかった気がする。


その手の経験は、事務仕事だけしていた時代にはあまり自分には見えてなかった、人間の世界の臨場感というのか、人の懐の奥深さや、その反対の狭さ、色々触れることができたのは、財産というか、いい経験だったと思う。
自分の損得だけでモノを考える人、そうじゃない人、いろいろ、そういう面が、けっこう露骨に顕れる世界だったし、また他ならぬ自分自身のそういった面を知る世界でもあったと思う。


私はそういう当時に限らず、あんまり会社とかで「みんな仲良く」が前提として押し付けられてるみたいな感じは好みではなかったんだけど、なんだろう、みんな仲良くではなくて、「みんな好成績」って世界は、すごく嬉しかったし楽しかったでしたね。
一応、営業の世界って競争なんだけど、やっぱりね・・・誰かが犠牲になっていくような順列の世界を作る、そこに加担する状態は、たとえ自分がその犠牲者当事者ではなくても、ものすごく心が痛むのね。だから、自然に、みんなで成績上げようよ、それは可能だよ、っていう空気が当たり前にある現場に初めて出会った時には、もうかなりびっくりというか、ハートが開きましたね^^。
こぼれていく人がいないの。それこそ、テキトーに、ちょっとこっそり助け舟出してあげたり、出してもらったり。
仲良くするのが義務、みたいな押し付けじゃなくて、自然に仲良くなるような環境。
自分がこういう方法でうまくいったよ~、っていうことを、惜しげもなくシェアする世界。
いわばみんな数字の上でライバルなんだけど、結局ね、営業成績って、中でお互いが誰かの足をひっぱるだとか、そういうことで自分の成績が上がる・・・みたいな程度の低いレベルだと、それほど上がらないんですよ。
それよりも、実は全体のレベル、スキルを全員があげることを考える、みんながなんとなく前向きになれる空気を作る・・・のほうが、結局、個人個人の成功率そのものも上がるんですよね。
そういう現場に恵まれた時は、嫌な会社も嫌じゃなかったし、けっこう長時間労働なのに、それでも楽しかったでしたよ。
(たしかこの頃は、恥を忍びながら^^こっそりとブルーレースなんて、身に着けてたんじゃなかったかなぁ。なんで恥を忍びながら、なのかというと、当時は「パワーストーン身に着けてる」・・・みたいな感じを、人に知られるのは恥ずかしい、そういうの子供みたいに信じてるなんてオマエ恥ずかしいぜ、というような感覚があった時代・・・石ブレスだとかがまったく市民権なかった時代だったんですよ(今もないのかもしれないけど^^)。ええ、あたくしの目的は当然ブルーレースですから「人間関係良好」ですってば。それだけに知れたらはずかちい・・・って感覚があったんですよね、なんか。)


あ~、今思ったんだけど、いわゆる精神世界でいうところの「シェア」っていうの、この感じだといいと思うんですよね。
教えを乞う人と教える人。そういうお互いの立場限定の感覚ではないんですよ。
その両方を、みんながそれぞれやるから、くるくる入れ替わるから、シェアって言える。誰かだけがエライとか教え続けるとか、そういうんじゃないの。
そして誰かだけに「責任」が押し付けられたり、わりを食ったりもしない。
順番とか便宜上の序列的なものも、なんとなくだいたいそれなら納得できる・・・っていうスタイルが採用されていて、これも限定ではなく流動的だから、最初からの「決めつけ、レッテル」だとか、やり方のうまい人声の大きい人の意見で序列が決定づけられてるわけじゃなくて、機会そのものは平等感があって。
で、みんなが強要されてではなく、進んでそうしたくなって自分のものを差し出す・・・なぜなら、そこに「あげちゃったら自分のぶんが減ってしまう」っていう、みみっちい感覚がないから。
自分が苦労して作った資料なんかを、「使えそうなら勝手に使っていいからね~どうぞ~」とか、「え? いいの?」って思うことばっかりだった。
なんであんなにみんな天使みたいにやさしかったんだろう?
しかもですね・・・よその現場だとそうじゃなかった人まで、そこではやっぱり感化されちゃうのか、自然にそうなっていってる姿を見た時に、やはり目に見えないけれど、「空気」の大事さを感じましたよね。
もちろん私自身ももともとネガティブ代表みたいな性格だったのに、ネガティブなことをそこでは言わなくなってましたもんね。


なんだ、あたしは、アセンション世界モデルを^^あのブラック企業在籍期間の中で、ひととき垣間見てきていたのか。
今気が付きましたね~。だから、その現場の時は楽しかったんですね。
カルマ返上もやっぱり悪くないな、って感じますね。
そうなの、カルマというのは怖いモノ嫌なモノだけがブーメランでかえってくる世界のことではないんですよ。
ブーメランは、心地よいこと素敵なこと自他にとってのいいこともブーメランなんですよね。


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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