W杯を振り返る

2006年06月24日 (土) 00 : 30
なんてタイトルで日記をブログに上げている人も多いんだろうなー、と思いつつ。
でも、振り返るもなにも、「あっという間に」終わってしまいましたからね。
現在感じることは、ヘタに「ああしてれば」「ここがこうだったら」という、惜しい要素がほとんど見当たらない3試合だっただけに、まー、さっぱりしたものなのではないでしょうか。

やはり、「勝てる時に勝つ」ことができなかったへたれ試合の初戦、オーストラリア戦がすべてだったのでしょう。6分間のあいだに、3得点を許し、ひっくり返される、という。
逆の立場から見れば、「6分で3得点することは可能なのだ」ということですが、日本代表は、それを学び切れずに、第2戦、第3戦へと続いていったわけです。
試合を重ねるごとに、状況はより困難に難しいものになっていき、ブラジルには、終わってみれば、4得点を献上。ロナウドの記録までプレゼントしちゃいましたし。

これは、まんま、神様からのメッセージなのだと思いました。

今、やれることを、すぐやる。必ずやる。なぜなら、今やれることは、今しかやる時がないからです。
その大切さ。
アタマではいろいろ「やらなきゃ」って思っていても、人間って、先延ばしにしたり、状況のせいにして、できない理由探しばっかりする。
でも、できるんですよね、ホントは。やろうとしていないんです、心底。

それと、これは、ものすごーく彼らを見ていて感じたことなのですが、
「自分はこれだけのことをやってきた」とか、
「自分はこんな思いを過去にしたぶん、いい思いをするべきなのだ」
的な発想は、そろそろ、手放すべき「時節」なんでしょうね。

日本代表になるために経験してきた緊張感や研鑚も、その日本代表として、存分のチカラを発揮できてこそのもの。
4年前に日韓の時に出られなかった、中村選手の身体の不調や、最後に怪我をして途中リタイアした高原選手。
彼らはいわゆる「悔しい思い」を跳ね返し、その「借り」を返してもらわんばかりの、並々ならぬ思いが、この大会にはあったと思います。
しかし、存分に自分の力を発揮する間もなく、結果、また「悔い」を残す結果を得た。

「悔しさをバネに」「ライバルに負けないように」とか、よく言われることですが、これは、途中まではいいんです。
でも、それって、キリがない世界なんですね、実は。

努力とか、生真面目さとか、取り組む姿勢とか、もちろん大事なことなんだけど、(そして、日本という国は、どうもそこを高く評価する傾向がありますし)それは、実は「自分がそうしたくてしている」のでなければ、あんまり意味がないのだと思います。

ブラジル戦の前日の話なのですが、ちょうど、職場の同僚と話をしていて、このことに繋がる実感を得ていたので、余計にそう感じました。

私以外の同僚の営業マンは、すべて男性なのですが、あれですねー、日本人男性っていうのは、本当におばかがつくほど生真面目というかなんというか、彼らは、派遣労働契約に謳われている、「休憩時間一時間」というものを、みなさんほとんど取っていない、のですよ。よくよく話を聞いてみると。
10分、とか、15分くらいしか休んでいないそうだし、外回りのシゴトだけに、休憩といっても、お茶できる店とかがないことも理由ではあるのだけれど、とにかく、ずーっと、その時間を返上して動き続けているらしい。

でもね、それって、「そうすることが楽しくて、そうしたいから」している、というよりは、明らかに「ここまで努力しているという既成事実」をつくるべく行為、そんな感じに私には見えるわけです。
仮に、数字が上がっていなくても、「ここまで自分は努力はしているのです」という痕跡を作っておく、というような。

私は、休憩できる店がちかくになければ、少し遠くてもファミレスとかファストフード店まで行きますし、その往復にかかる時間は、「休憩分」としてカウントしません。
だから、合計1時間半くらいは、自分の休憩のために時間を割いているし、且つ、常に道の途中で小休止も入れている点を考えると、なるほど、自分が他の人たちよりもいつも「足を運ぶ、まわる訪問件数」が圧倒的に少なかった理由が分かりました。

でも、営業成績は? というと、そういう休みを返上して働く彼らよりも、私の方が上なのです。
時間換算、訪問件数にすると、明らかに私のほうが確率論に反した行動をしているにもかかわらず、です。分母が小さい分、いわゆる契約率で言えば、倍くらいの確率になる。

私は、基本的に「数字を追う」ということをしないように、心がけています。
数字は「追うと逃げる」からです。
低調な時の自分を振り返ると、心のどこかで「数字を追って、焦る」自分がいました。
数字は追っちゃいかんのです。「ついてくる」ものなのです。

だから、「数打てば当たる」の、この国の「営業スタイル」には、基本的にずーっと疑問を抱きつつ、そこになるべく迎合しない、自分スタイルでやれるように、うまーく立ち回ることをしています。けっこう、これって疲れるんですけどね。
そういう、猪突盲進とか、頑張っている姿勢を見せることって、日本の会社とか組織はなぜか評価するし、そこに合わせてしまえばラクなのかもしれないのですが、たぶん、それはしない、というより「できない」のです。
言われたとおりのやりたくないことをやっても、それは数字には結びつかないことを、私の潜在意識が知っていますし。
(でも、このシゴト、実は今月いっぱいで辞めることにしました。派遣先には「どうして~?続けてよー」と、残念がっていただきましたが、私的には、「もうここで学ぶことはないな」という思いと、今後このシゴトで食べていく気合いはないからです。)

W杯の日本代表のサッカーを見ていて、
「創造力の欠如」が、どこからもたらされるのか、と思った時、この、「努力だの、頑張りだの、反骨心だの、組織からの評価だの、まわりの期待だの」というものが与えてくれるモチベーションとか、パワーでは、やはり限りがあるのだな、ということを確信しました。

神様ジーコの言う、「自分で考える」創造的なサッカー。
神様は、神様を通して、口酸っぱく教えてくれていたのです。

ブラジル戦終了後、
「負けるときは、負けるがよいぞ。」ひつくの神の言葉がふっと浮かびました。
今回のW杯に関しては、一部の「アカシックが読める方の預言」などでは、日本は大躍進する、という予定などもありました。
そういう未来の選択も、あったはずなのでしょう。
しかし、今、そんな「奇跡」を私たち日本人に見せても、おそらく、ただ奢り高ぶるだけ。本当のプロ意識とは何か? というテーマをまた曖昧にしたまま、浮かれ、喜んで、お終いだったはず。
これで良かったのだと思います。


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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