
ハイパーシーンです。
鉱物名はエンスタタイト。和名は頑火輝石。
パイロクシーン輝石グループの一種で、マグネシウム、鉄、珪酸からなる鉱物。
鉄分の割合で、違う見た目の鉱物になるのですが、鉄分の割合が10%から30%のものがブロンザイト(古銅輝石)、30%以上のものがハイパーシーン(紫蘇輝石)となります。
太陽系がつくられた頃の古い隕石、コンドライト(石鉄隕石)からも見つかる鉱物組成を持っているのが、このハイパーシーンやブロンザイトだそうです。

今現在このハイパーシーンという呼び名は俗称となっており、鉱物名のエンスタタイトが実際の正式名称のようですが、ハイパーシーン(ハイパースシーン)の名前が広く知れ渡ってしまっているためか、今でもこの呼名で流通しています。
うっすらピンクにも紫色にも見える表面のシラー効果と艶感が美しい石で、ブラックスター(ダイオプサイド)やブラックスターサファイアのスター効果のようにも見えます。

こういった見た目からも彷彿されるエネルギーは、やはり男性性的なポジティブエネルギーの強い石でして、広く流通する意味としては「リーダーシップの石」というものがあります。
ブロンザイトとも共通しますが、礼節の石。
純粋な正義感を持ちつづけたい人が身につけると効果的とされる鉱物で、かかわる人たちに、敬意を持って接することができ、誠実さと潔癖さで行動するところから、深い信頼を得ることができるといわれているそうです。
肉体レベルでは体内のミネラルバランスを調整し、化膿や炎症、細菌感染を防ぐ力があると言われています。

非常にいい石なので、もっと女性にも(笑)ウケるべきではないかと^^私個人は思うところなのですが、あれなんですよね、「リーダーシップの石」と聞いてしまうと、人の上に立つとか人を指導し導いていくとか、杓子定規に、そういうリーダー的立場を持っていない人にとって、リーダシップって必要ないな、と思わせてしまうところがあるのかもしれないのですが。
ハイパーシーンが促すリーダー的素養というのは、みずからの行動に対する責任感覚のようなもの。
「ちょっとくらいいいかな」みたいなズルとか甘えとか手抜きとか。
人間、ふとした隙にこういうものが出てきますが。
自分が大事にしている世界においては、そこを自分に厳しくなれることは、とても大切で、そのひとつひとつの行動の積み重ねそのものが、その人を創っていくことを考えると、とても大事ですよね。
(ちなみにこれは、どうでもいい世界といったら語弊ありますが、まぁそれほど自分にとって大きな位置づけでもない世界においての、ぞんぶんに手抜きというのは、私はアリだと考えるクチです。料理は極力カンタンにとか^^。でもレトルト的カンタンさではないですよ。とてもシンプルなだけです。うちは実は人間よりもわんちゃん手作りごはんのほうが具だくさんだったりする笑える家庭でございます。すべてにパーフェクトであろうとする必要はなし、大事なところだけ押さえてればいいわけで)
この世では、リーダーだけがこの自分に厳しく、をやらなきゃいけない、なんてことはなくて(笑)万人にあってしかるべき素養とも言えますし、これからの時代は、各個人個人が、「ジブンがジブンを率いるリーダーシップ」という感覚がより必要になってくるのではないだろうか…とも感じますので、ハイパーシーンのようなタイプのエネルギーの石が持つ役割というのは、今後もやっぱり必要だし、「自分が自分を好きになる、認める」という意味でも大切かなと感じます。
(但しこの「自分に厳しく」は、後述にもありますが、単なる善悪基準とか世のため人のためだけではなく、どちらかというと「自分が自分に嘘をついていない状態のための厳しさ」のほうが近いような気がします)

甘々スピリチュアル方面では(笑)「そんなに頑張らなくていいんだよ」や「もっと自分が自分を認めようよ」という、めいっぱい頑張っている人へ「少し楽になりましょう」と促す、そういう楽なメンタルを推奨する向きもあるのですが、これは…「楽」の意味が違いまして。
”人に認められるため”や”世間が決めたというような一般的、平均、水準”や、そういったものに届いていないことを他者比較して自己卑下したり、そういうものを目標に、または上回る、そのために頑張る…といったような頑張りは、次第に疲労を過剰に生み出すことがあります(自分に正直に生きていない状態とも言えるので)。
こういう「何のために頑張っているのか」という実際の本心ではないところの頑張り方をしている人へ、ちょっと一休みして、自分を見つめ直しましょうよ、というお誘いのような挨拶だと思います。
楽=なんにもしないこと、なんにもしない人であり続けること、のような(笑)ぐうたら推奨みたいにも捉えてしまいかねない「あなたはあなたのままでいいんだよ、頑張らなくていいんだよ」の世界なのですが^^、心の底から「それが自分の存在意義だ」と言い切れる人なら別ですけれど、たいていは居心地だんだん悪くなってくるんじゃないかという気がしますし、「なにかできることないかな」と、自分にできることやしたいことを探し始めるのではないかなと思います。
たとえそれがやりたいことが「ただ遊んでるだけ」だったとしても(笑)それでも、その遊びの中でさえ、ここは真剣になるところ…みたいなところでいい加減なことをして妥協したりするのは気持ち悪かったりしますよね?
ハイパーシーンは、そういう気持ち悪さの先の顛末を知っている石なんじゃないかなと思います(笑)。
まぁ、太陽系がつくられた頃の隕石と共通する素材でもある石ということですからね。
宇宙をつくった存在は手抜きはしたがらないものなのではないでしょうか(笑)。
ハイパーシーンは、その抜かりのなさをフォローしてくれるエネルギーの石ということです。

その昔。
私が二足わらじでこの仕事を軌道に乗せていくための無理のない流れを手伝ってくれた石、ハイパーシーン。
最初は昼夜馬車馬のように仕事する三年間でしたが、それでもその「昼側」の営業マン仕事は…営業なのに精神的にめっちゃ楽ちんノルマなし営業という、当時私が宇宙にリクエストしていた「石アクセサリづくりをしたいから、時間的精神的拘束感負担感が薄い楽なバイトみたいな仕事でありながら、それだけで生活成り立たせるためには分不相応でもいいから高時給じゃないと月収高くないと絶対にダメ」…という、ものすごいムシの良い「ないものねだり」の世界を叶えてくれた石がハイパーシーン(笑)。
(石の仕事は、石の仕事の範囲だけで回したかったので、石の仕事の売り上げは生活のためではなく、そちらだけで独立採算状態でやっていけるようにと考えていましたし、なので逆に、本業の仕事で得た金銭、家計のほうから石に使う金銭を持ち出すという展開が始まったら、潔く石アクセサリづくりの仕事はやめようとも思っていました)
私は、石のために自分の人生時間を有効に使いたかったので(ただ楽をしたかったというわけではなくて「ここだけはまったく心がブレなかった」のです)、ハイパーシーンはそんな嘘のような現実展開を手伝ってくれたのだろうと思います。
(宇宙は”常識的に人と同じように生きなさい”と貴方様に強制していないのよ…ということは、自分が自分に正直に生きだすとわかってきますし、それなのに結果としては、どんどん自分にも周りにも良い流れ良い現実となっていくものですよ)
そういう、善悪はともかく(善悪目線を持ち出す、他人の顔色を伺う、それやってたらまずできなかったことなので)「自分に正直な生き方」の実現のために、いくらでもあなたを現実的に支援する助っ人。それがハイパーシーンなんじゃないかな、と言えそうです。

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カテゴリ : 石の意味
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