石の意味~ジェダイト(硬玉翡翠)~

2018年07月23日 (月) 22 : 09


ジェダイトとは、硬玉翡翠のことです。
ジェダイトは、パイロクシーン「輝石」グループに属した鉱物で、軟玉にはネフライトという石があり、硬玉、軟玉、総称でジェードと言う総称で呼ばれています。
一般的には翡翠といえば、こちらの硬玉翡翠のことになります。

ミャンマー産のものが宝飾用としていちばん数多く流通していますが、日本でも糸魚川翡翠など過去には産出されていた石ですが、今現在は国の天然記念物として採掘が禁止になっています。日本はわりとすでに取り尽くして採掘ができなくなって閉山した乙女鉱山などもそうですが、水晶大国でもあったり、実際は世界中に分布する多種鉱物の宝庫であったりしますよ。火山国特有の構造ですね。
(だから日本の国石は過去には水晶、という認識があったかと思うのですが、これはいわゆる公的機関が認定したものではなく「日本は水晶の国」って、なんとな~~~くの共通認識で言われていた世界であったようです。私個人的には、こういう”なんとな~く受け入れられていく、強いられているわけではないのにそう認知されていく”的世界のほうが、レムリアっぽい(笑)話なので、個人的には日本の国石は水晶、っていうほうが馴染む気はします^^)

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翡翠というのは、地球がまだ今の五大陸状態に形作られる以前の大陸形成の超大陸(パンゲア)から大陸が形成され、海底地殻と大陸地殻がせめぎ合うプレートテクトニクス理論の構造の中、そのプレートの沈み込む地帯にできた”熱いミネラルのスープ”のポケットの中で形成された鉱物(翡翠は結晶構造のない岩石)と言われている説があるそうです(実際はどのようにして翡翠じたいができあがるのか、今でも謎が多いんだそうですよ)。
この時にオンファサイト(オンファス輝石)やコスモクロア、アクチノライト(緑閃石)などの鉱物、チタン、クロムなどが混ざって、翡翠の緑、青、紫、黒などの多色の翡翠岩石となる…という説があるようで、翡翠の本来の色というのは「白」が混じりけのない翡翠と言えるのですが、翡翠を取り巻く天然石市場においては、鮮やかなエメラルドグリーンカラーの翡翠がもっとも希少宝石として好まれ高額で流通しています。

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この、翡翠を顕す呼び名でもある「ジェード」という呼び名が曲者で、「〇〇ジェード」という販売名のついた石が確かに過去には多かった印象がありますが、日本で天然石がブームとなって10年以上経過して感じる印象ですが、それらの翡翠のネーミングを模造したタイプの○○ジェード系の石は、ほぼ着色クォーツアイトなのですけれど、そういったタイプの石を翡翠だと言って販売するような天然石ショップじたい、そういうのは天然石が欲しい人にはもう売れませんから(笑)、普通の石屋はもうあんまりそのへんを取り揃えることじたいをしていませんし、日本の天然石屋がうちも含めてそうですが、それを翡翠と呼んで販売することじたい、まずないと思います。
そのくらいは、安心していただいても(笑)大丈夫だと思います(モルダバイトのニセモノの話なんかもそうですが、天然石ショップを謳って石専門で商いを展開している場合、そのあたりは死活問題だと思いますから)

但し、アクセサリーパーツなどの方面(有名どころでは喜○製作所など)では、天然石ビーズもスワロやベネチアン、チェコグラス、などなどヨーロピアングラスを始めとする、アクセサリー用として制作製造されている人口ビーズと同列の、ひとつの装飾品としての位置づけで天然石ビーズなどを扱っている傾向があります。
こういったショップでは、そういったカラフルなクォーツァイトビーズや粉砕ターコイスを固めた練ターコイスなど、アクセサリ素材として、なくなってしまったわけではなく、流通そのものはなくなっていませんし、アクセサリ素材としてそういった石が活用されることじたいは、私はむしろ嫌いではないです。そういうものを使用している場合、使用者が石名などに無頓着であれば、ジェードと単純に表記されていることもあるとは思います。できればその場合、”クォーツァイト”である注釈があるほうが親切ですけれど、まぁ、単にアクセ素材という認識で、買う側もそこをとくに喜にせず細かいことを求めていないなら、それもいいんじゃないでしょうか(そもそもクォーツァイトじたい^^しっかり「持ち主の変容をスムーズにすることを助ける」石だったりしますから(笑)「翡翠ではないから価値がないただの石」というわけでもない話ですし)。

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ということで、話を翡翠に戻します。
ジェダイト(硬玉翡翠)というのは、東洋においての石の歴史の中で、特別に珍重される場面の多かった石、という立ち位置に常にある石ですね。
日本でも、縄文時代に勾玉として使用されていた歴史があり、まだ魂の曇りのなかったこの時代、つまり神界との意思疎通ができていた頃のこの時代に、翡翠を使っていたという意味からも、意味深い石だなー、と思わされます。
独特の質感を持った石で、そういった歴史的背景の特別な意味を持つわりには誰にでも馴染む石の代表格でもあると思います。
これは、現代社会のわれわれは…ある種、人間の展開してきた人類歴史の総決算的な遺伝子は誰でも持っていますから、昔は(とくに古事記とかそういうような系統)そうやって、特別な財力や権力を持つ人々にとっての嗜好品ていうか^^、宝となっている歴史もあるのですが、それ以前の縄文時代では、高次スマホでしたから(笑)。で、この縄文時代のゴイスなところはですね…それらが、「私物」じゃなかったんです^^。信じられますか? 「これは私の願掛けした翡翠ブレスよ触らないで!」の、邪気を避ける世界じゃなかったのよ(笑)。「みんなで使いまわししていた」痕跡があるそうで、遺跡からわかることは、そういった大切なものは共同の置き場みたいなところがあったそうで、そういう場所からまとまって出てくるそうなんですよね。まぁ、「あなたは私、私はあなた」がきっと普通に通用していた時代の話なので、これを無理やり(笑)今の現実社会へ持ってこようとしちゃったのが、過去のスピブームの「ワンネス」の世界のいち面、ではあるのだけど(笑)。ちょっと無理がありますね。縄文人はおそらくそれぞれが認め合うことが当たり前にできていて、各々の尊厳があるのが当然ながら、その上で個々が自立した役目をはたす、依存や優劣の
意識じたいがない社会だったと思うので。現代人にはやはり、縄文時代そのままをモデルケースにするのは難しいと思います。でも、日本人にはなんとかDNA的に受け継がれているところはありますよね。公共の場、公道だから綺麗にする汚さないとか、誰に言われなくてもそれをやる精神はなんとかまだ残っているように思えますもの。これは決して学校でそう習ったから、ではないはずですよ)

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一般的に翡翠に言われている意味は、持ち主に五徳を授けるなど、いかにもな東洋風解説ですとか、お守り石的なものが多いです。
この「五徳」については、「五つの徳目。仁・義・礼・智・信。あるいは温・良・恭・倹・譲。また,五行(ごぎよう)(木・火・土・金・水)の徳など」「〔孫子 始計〕武将が意を用いるべき五つの徳目。知・信・仁・勇・厳」…といった解説があります。東洋的な礼節、人としてのありかた、よく言われる「徳をつむ」という話がありますが、徳積みというのは「隠れたところで行われてこそ」的な発想も、このあたりの東洋的思想を背景にするところがあると思いますね。

現代社会では、「隠れたところで徳を積みましょう」という話が、どれだけ人のハートを掴むことができるのか(笑)大変ビミョウな時代になってきているような気がしますが^^、これはあれですよ、「私がこれだけやりました」を「アピールしない」”謙遜”という美徳がある日本人にとっては、そこそこ過去には通用した世界なのかな~的な考え方ではあるのですが、へたすると、「ず~~~~っと隠したまま」になってく人もいそうな気がします(笑)。

というより、「私は隠れて徳を積んでいる意識」は時に自己犠牲精神に拍車をかけることもあり、…「それは徳とは言わない。むしろそれだと、単なる”我慢”にしかなっておらず、むしろ、本人にとっても周囲にとっても、ひとつも徳も得もない」展開を生みがちになることも多いような気もしないでもないです。
(そういう人…ほんっとに、多いですよね…。あのね、こういうのはお金のブロックなんかともけっこう関係していて、自分自身の発展、向上を求めることは良くない、お金を得ようとすることは人から何かを奪う行為で、”人のため”にはならない、とかね。それから「和」というのも、なんだろう、完璧な現実的平等性みたいなもの、それだと思っちゃってる理想があったり、なかなかですね…徳が徳に結びつかない事態に陥っているようなケースも多いかもしれませんね。)

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自己を客観視する力を授け、忍耐力を養う。など言われる翡翠なのですが、これは周りの環境に対しての我慢力とか(笑)「おまえは辛抱が足りない、努力が足りない」と言われたから、忍耐力をつけたいとか、そういうことでお選びになられるのは、まぁそれはそれで致し方ないセレクト動機でもあるかな、とは思うのですが。
仮にそうであっても、いいと思いますよ(笑)。
私個人などはですね…自分自身を、ひじょうに「感謝の足りない人間である」と自認していて(笑)、苦に弱く、すぐに愚痴を言い出す…そういう自分自身の、忍耐力のなさ、継続力のなさ、というものを変えたいな、というよりも、変えないとマズイと(笑)気がついて、そこにこの翡翠がものすごく寄与してくれる石であることを実感しましたから。
昔、パワーストーンワークスの黎明期に、糸魚川翡翠もそうですが、うちのラインナップによく翡翠が使われていたのは、何よりも^^作り手にとって、必要と言えた石だったから、っていう側面もあるわけなんですよ。
だって、そんな忍耐力もない愚痴っぽい人間が、「私、高次のなにかに繋がって石アクセサリを作ってま~す」なんて(笑)とてもじゃないけど言えないよね^^。
いえ別に、そう言いたくて(笑)高次に繋がりたいとか^^そんなわけではありませんよ。そう言ったほうが商売上便利だな、というのはわかるけど(笑)。
(ちなみに、忍耐力がなくても愚痴っぽくても、クレアボヤンスだとかリーディングだとか、そういった能力などの開発、開花とは別物です。人格的におかしくても(笑)人に観えないものが見えたり感じたりとかの能力などは、ある人にはありますし、後天的にも訓練できるところだと思います。ここは切り離して考えてもいいところです。人徳がなければ人間として立派でなければ霊能者やヒーラーになれないってことでもないです。要は素質と反復、積み重ねの習慣のようなものです。むしろ、人徳や人間としての立派さも、これが正解みたいなものは年々希薄になっていってはいますし、それを「善悪の範疇」ですとか「残してきた功績」だとかの評価基準みたいなもので求めだすとむしろそれは囚われや劣等感の温床になっていきます)

なんで忍耐力つけたいの? の、ハートの動機があるのがいいですよ。
しぶしぶ、いやいや、ですとか、人に好かれるためとか(笑)そうじゃなくて。
忍耐力というのも、「自分がいったいなんのために忍耐しているのか」が本人がわかっていない忍耐の世界は、本人自身も周囲も蝕んでいくことになりますからね。

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実はその人が展開しているその人の現実世界というのは、やっぱり、その人がつくっているわけです。
もちろん、地球上、世界上、日本国上、すべての現実ではありませんよ。
安倍ちゃんには安倍ちゃんのつくりたい世界があるんでしょうから(笑)それをやるためにあのかたは総理大臣の椅子は死守したいんでしょうから、そういうレベルの現実をひっくるめたこの世すべての現実まで、すべて私がつくっているのか? というわけではありません。

しかし、その人その人が選ぶ仕事、職業、選ぶ恋人、結婚相手、友人、人間関係、住まい、学び、食べるもの、着るもの、近年ですと目には観えませんが大変大切な「情報」…などなど、必ずその人がセレクトしてきている、大小の事柄があるはずです。

そして、なによりもその人がセレクトする上で、重要なものがありますが。
それが、「思考の中身」と「思考の傾向」です。
実はここが、実際に、その人の現実を形成していく…ことは、おわかりいただけるでしょうか。
そしてこれは、残念ながら、本人以外には誰もそこを触ることも改造することもできません…が、この世はわりと洗脳装置そのものは多いので(笑)実際は無意識下をコントロールされていることじたいは、ままありまして、そういったこの世的洗脳も影響する「思考の中身」「思考の傾向」じたいが、その人の高次ガイダンスをさえぎってしまっていることがままありまして。
でもこれも、そう「気づけば」外していくことが可能です。

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自分が創造している現実である…とわかった場合に、必要になるのが、自己を客観視する能力であったり、忍耐力であったり、自他に対しての慈悲心という広い心であったり、的確にものごとを判断できる判断力であったり、状況の観えない背景を察する能力であったり、先を読む想像力であったり、柔軟にものごとを捉えることができる受容力が必要だったりしますし、なによりも、ただ目の前に起こっていることだけに一喜一憂してそれで終わることのない洞察力、学習力、気づいただけで終わらせずにそれを自己の糧として取り入れていく実践力…などなどが、生きていく際に必要です。

翡翠というのは、そういった、一筋縄ではいかない、そう単純な話でもない、人間社会の中で人が生きるにあたり、結局のところはもっとも、「自分も、あなたも、いい感じ」の落としどころへ現実展開を持っていくための、深い叡智へとその人が出会うための、この世における必要な素地形成能力を用意する、そのサポートをしてくれる石だと思います。
そのための「精神的落ち着き」であったり、「機転」であったり、ひらめきなどに寄与してくれる石でもあります。
(なので、翡翠の一般的に伝わる意味として、「商談の時にいい石」というような言われなどもあります)

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なので翡翠はわりと、てきと~なちゃらい安直な願望実現(これ身につけたら宝くじが当たって恋人ができて結婚できて何もかもうまくいって人生ウハウハに♪ みたいな^^占い雑誌の裏表紙で売られてるようなパワーストーン系の広告に「ほんとうかな」と心を動かされるような)を望んでいるような、おちゃらけた気持ちの人には向かない石です、という感じでも、いわれてもいます(笑)。

まぁ、向かないかもしれないけれど、もしかすると、そんな人であっても(笑)、仮にそんな人であっても、地に足の着いた人間になることを促す可能性を秘めた石かもしれません。
何より、そんなちゃらい夢みたいなことを、過去の今までに、私自身、ひとつも願わなかったのか? と言えば^^、正直そんなことありませんから(笑)。
誰だって、濡れ手に粟のとんとん拍子、自動的に大幸運♪ の世界を味わいたいですよね。
そういう人にこそ、翡翠はあってもいいかもね。
それが決して、単に棚からぼたもちな幸運ということでもなく、「その人に合った幸運の世界」がこの世に存在することを、教えてくれる石、それが翡翠ですから。 


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カテゴリ :  石の意味
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