
一般的にはあまり売っていないレア・ストーン、モーシッシ。
グリーンの発色と質感が翡翠によく似ておりますが、翡翠ではありません。
ミャンマー北部のマウシットシット渓谷のみで産出される希少石です。
「豊かな想像力と感受性を養い、持つ者に知恵を授けてくれる石、精神や肉体、周りの環境なども含め全てのバランスを正し、穏やかで慈愛に満ちた心になれるように導く石。皮膚の病気や治療、循環器や血管などの不調の改善にも用いられ、また毛髪の成長を促す力もあるとされている。」…というような「意味」なんかもあるそうです。
モーシッシは、やっぱりこの「命名」が、この石を言い得ている感じがします。
コスモクロア、宇宙緑輝石。
翡翠系の鉱物で、「宇宙」のネーミングが付与されるという時点で、何か違うぞ、というワクワクが発生します(笑)。
優れた内観の石、ということでもあるのですが。宇宙というのは(見た目の星空の宇宙ではなく)ハートから繋がっていく場所なんだということを、私はこの石で実感していた(あとから思うとですが)と思いますので。

私にとってのモーシッシは、過去の出会いに遡るんですが、「ほどよい人生の諦め」を(笑)最初に教えてくれた石…。
え!! 諦めちゃうの?! それってパワーないじゃん!! そんなのって、パワストじゃないのでは?!
…って話になって、そんな石やだわ~って思わせちゃうかもしれませんけど(笑)。
はい。人生、「諦めるところは諦める」ところから、あなたの真価が発生し始めるのです。
努力や綺麗事では物理的に変えようのないものは、さっさと諦める(ここで自分の「運」も^^巻き添えにして諦めないでね。時々、それを率先して諦めているかのような人も多いです。石はそういう人には成果出してくれるのに時間かかりますので)。
「適者生存」の流れはここから始まります。
願いを叶えるのがパワーストーン、っていう石の解釈をし続ける夢を持つ人には、手厳しい、耳を塞ぎたくなるような話かもしれませんが、「どう考えても今の自分にはこの選択肢しかないわよね」という、悲しい客観性を持つ必要のある時…というものが、人生にはたびたび訪れます。
夢も希望もない話ですが(笑)「あなたは何にでもなれる」というのは、三歳児にママンが語りかける呪文としては有効なのかもしれませんが、いいオトナになったら、どう頑張ったって、今の瞬間、今の現実世界において自分の得手不得手もそうですが、「できること、できないこと」という線引があることが、はっきりわかってきます。
たとえばですが、職業などが顕著な話ですが、「年齢制限」や「経験」「要○○資格」「要普通免許」とか(笑)ものすごい「条件」だらけだったりしますし、「年齢制限なし経験不問」なんて(笑)確実にブラックだろう…という世の中の常識を思うと、腰が引けてしまいますけれど、さすがにですね、いい年をしてくると、「20代ってわけじゃないからそりゃもうこれは無理よね~」みたいな、自分の選択肢から外れていく職業とかわんさかあるわけなんですよ。
以前、求人雑誌とか見ていて、昔の自分でしたらね、やっぱり「このトシでまだ職なんて探してる自分…」というその時点でもう、どん底感、最低感、自己卑下、自己嫌悪、ありとあらゆるネガティブ感のデパート状態で(笑)みずからの人生を、オール否定に走っていたんじゃないかな、と思うのですけれど。
モーシッシは、「そんな現実的には相当ダメぽでやばい自分」であり、「自分はいい年したオトナと言える年代になったのに、世間の人のようには何も持っていない」客観的に見るとかなりマズイ状態と言えてもいた(笑)そういう自分を、それでも、いたしかたなく「ま、いっか。」と受け入れる(…と言っていますが^^実際にはいたしかたなく受け入れた、という感じではなかったですよ。ごく自然に納得できた感じ)、そして、「私は今とくに何にも見た目は持っていないはずなんだけど、ものすごく幸福で満たされた存在と、おめでたくも感じてしまうのはなぜなんだろう?」という^^ハートの中がきらっきらな世界を連れてきてくれた石。

ようするに「ハートがひらく」「ハートが満たされている」ってこういうことなのか…
というのを、体験させてくれた石。ということだったのだろうな、と思います。
(実際に、初モーシッシアクセを身に着けている時に、「肉眼では普通は見えないであろうもの」が、見えているような感じの経験をしていますし。いわゆるスピリチュアルの人が言う「光りに包まれている」感じですとか(笑)。今思うと、ものすごくピュアに(笑)石のエネジーと同調していたからこそ^^の経験だったんだな~、と感じます)
モーシッシは、その人その人の、その人にしか体験できないであろう「宇宙視点」をもたらすハートのゲートを開いて、あたかも三歳児に「あなたなら何でもできる何にでもなれるわよ」と、それが最も良い教育法と知ったからつぶやいてみてる三次元ママンのようでありながら(笑)「但し、それが”無謀”とも言える、”何でも”ではないことへの納得感」と、「自分にはできないことへフォーカスすることの愚かさ(時間のムダづかいでもあります)」も、やんわりと諭してくれる(感情レベルの癒やし)、「そもそも、そんなに悪くないんじゃない? 今だって。今、自分が”できている””素直に幸福感を感じること”へ素直に目を向けて行動する」という、当たり前のポジティブ感と、それをどんな時も全肯定してくれる母のようでもあります。

モーシッシは、ストーンフリークの人は知っている石だと思いますが、一般的な石好きさんレベルではあまり有名ではない石です。(「翡翠」なら誰でも知っているでしょうけれど、「モーシッシ」って言ったら「何それ」と言われるレベル)
いわゆる知る人ぞ知るの類のモーシッシ、実に高次の側はよくご存知の、潜在的にその人を豊かにしていく素養、本人レベルの充足の世界を知る(これが知識ではなく知恵)、そこに波長が敏感に合うタイミングにいる方に、語りかけてくる石なのかもしれません。
本人にとっての「ほど良さ」を知ることが、実は、「豊かさ」への道としては、最短ルートですから。
但しこの「ほど良さ」は、世間基準のことではありません。
ここが紛らわしく、また私たちがそれを三次元トラップとしてはまりやすく、本来の自分とは離れた感情を掻き立てられやすい部分でして。(なのではたから見ると「おかしい」レベルが、実はもっともその人にとってのジャストであったり(笑)することもあります。ここを本人が認めないことには、進めないのも実際のところなのです)
解釈として「セーブする方向」は敗北を促されることだと思っている人には、妥協や勝敗という先入観から離れてみる視点とも言えますし、また、その人の実力以下潜在能力以下の状態において、そこに甘んじる言い訳として(笑)この、「ほど良さ」というものを無理やり自分を納得させる理由にしてしまう人にとっては、この石に鼓舞されて「まだまだ」と背中を押されることもあるかもしれません。
「モーシッシの良いところ」はそういった人間の表面上の感情の都合などを越えた次元レベルを動かしてくれるところだと思います。こういうところが、パワストなのです。
(「豊かな想像力と感受性を養い、持つ者に知恵を授けてくれる石、精神や肉体、周りの環境なども含め全てのバランスを正し、穏やかで慈愛に満ちた心になれるように導く石。皮膚の病気や治療、循環器や血管などの不調の改善にも用いられ、また毛髪の成長を促す力もあるとされている。」…というような「意味」どおりの経験^^とも言えますが、このモーシッシの特性を引き出してくれる他の石とのカップリングの妙^^というのもあったかなと思います)
私にとっては、もうずいぶん昔の話になりますが、創業当時、自転車操業の石アクセサリ屋の世界を展開しながら^^、石が石を連れて来てくれた、自分にとっての最初の「ご褒美石」との出会い、それがモーシッシであったとも感じます。

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カテゴリ : 石の意味
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