ということで、人間関係が大事に繋がるのね…

2018年12月17日 (月) 21 : 39
昨日の記事を読まれた方がどう思われるか、というのもありますが、
まぁ、現実世界は(外部環境は)そんなふうに進行しているところ。

私自身は、いい意味で捉えれば、さまざまなことに対して「いたしかたない」という諦めのいいタイプ(笑)に成長してきてしまっている(いいのか悪いのかはともかくなんですが)ところもあって、現実世界における状態のよろしくない時に、そこに見いだせる数少ない美点、利点を発見しようとするスピリチュアル特技(笑)を、長きに渡って、それこそ「石に手伝ってもらって」その部分を身に着けてきてしまった…というようなところもあるので、まぁ、嫌は嫌だけどしょうがないかな、っていうふうにも思っているわけですが。

問題は…ふふふ、もう一名ですよ(笑)。

「自分の言っていたとおりにしていれば、間違いなかったのに」

という、そうなんですよ、こちらはもう「ぐうのねも出やしない」その主張に対して、返す言葉もないわけです^^。

「自分の言っていたとおりにしていれば、こうならなかった」という相手の行動しだい、相手が行動しなければ実現しない世界を経験する側の人の胸中というのは、そういうふうに人を動かせなかったことの悔しさとか、相手を非難する気持ちとか、色々生み出しますので。あんまりいいものじゃありません。

(だから世のおとうさんたちっていうのは、そういうリアクション受けるのが嫌なので(笑)「妻のいいなり」な男性がおおいんじゃないでしょうか^^。「はいはい、あなたの言ったとおりにしておきましたよ」と、そこで発生する相手の感情の責任を相手になげられますからね。ただこれも、やりすぎちゃうと、相手次第の世界ばかりを受け入れる、自分の選択を諦めていることで生じる自分の感情に責任を持つことには変わりませんので、「自分にとってどうでもいいこと」で譲りまくれば後悔ないんじゃないでしょうかね。私はなるべくそうしているつもりです。で、けっこう私には「どうでもいいこと」がそれなりに多いので^^、まぁ、なんとかなってるところもありますけれど…)

だから、そこは素直に謝りました^^。
私が間違っていました、ということで。
(この人は、昔からそうなんですが、こと、不動産系に関しては、不思議とどっかの部分で「勘がいい」ところがあって、実は住むところに関しては、常にこの人の「勘」で決めてきたところがありまして。以前にも、他で契約する予定を直前でやめて、彼が探し出したのが実はここの地だったりしますし。もともと敏感な人なので、いわば「目に見えないところの場の感じの良さ」に対しては、鼻が効くところがあるわけです。実績があるので私もその部分は信頼しています^^)

あとはどのくらい工事の音がうるさいのか、前をふさぐ来年から建設予定の建物の工事日程などをちゃんと確認し、その対応をどうするか…などなど、そこを業者にちゃんと聞いておけ、と言われているので(笑)そのようにしようと思います。
(BOSEの安眠イヤフォンというスグレモノをたまたま発見したので(笑)これは安眠用なんだけど、日中してもけっこういいんじゃない? 買ってあげるよ、とお薦めしているところです^^。私も自分用を買おうかな。問題はうちのワンちゃんです…あの建設現場の「キーン」みたいなドリル系の工事音が大の苦手なんですよ…これは仮に7階に住んでいたとしてもやはり同じことなので、どう対策しようかと思っているところです…)



その昔、猫の額のとなりの角地を買わなかった父は(笑)おそらく、言葉にはひとことも出しませんでしたが(自分の愚かさを認めることになるからね)自分がアホだった、と言葉に出して認めることが嫌だったのでしょう。

そしてきっと「だから不動産屋さんが薦めてくれていた”角地もいっしょに買ったほうがいい”のアドバイスを聞くべきだったのよ」ということをあとからすごすご認めても、もう遅いし、それを認めれば、家族一同に責められるんじゃないかと思っていたかどうかは知りませんが、まぁ、たぶん色々内心後悔もしていたのかもしれません。

家族一同は別に、”言っても聞かない人”ってことをわかっているので、そういうことを直接父を責めるとかはしていなかったですよ。別の見方をすると…”父に対して、言いたいことが言えない、言っても自分の希望が通らない”という、とてもいびつな構造をしていた家族形態であったのです。

まぁ、考えてみると凄いといえば凄いのですが、家売却したお金の使いみちを、すべて自分一人で好きなよ~に采配し、好きなよ~に家を建て、好きなよ~にバブル株を買い…欲しかったお金の方は株価暴落ですってんてんとなり大損しながら家族のことは二の次三の次で生きて、最後は、そんな「一銭も老後資金を妻に残さなかった」のに、その妻に「お父さんありがとう」と神言葉を言ってもらいながら死んでいった(笑)そりゃ「自分は幸福だった、満足だ」と最後に言えただろうし(実際、言ってたみたいだし)幸福な人生だよな~、誰にも文句を言われず、誤ちの類を正すサジェスチョンもされず、でも内心、「家族みんな心のどっかで我慢することを覚えさせちゃった」という(笑)…まぁ、今でしたらですね、”トンデモ系”とも言える、まさに”昭和の家族スタイル”をつくりあげていた世界がそこにあったと思います…。



さて、今の私は、そういった感じの「我慢スタイル」から、概ね脱却はできているものの…
ともすると、父的な、唯我独尊スタイルに陥りかねない、そういうところもあるのかなと思っています。

自分の好きなよ~に生きようとする人がハマりやすい落とし穴でもあります。

その、「自分の好きなよ~」が、ハートの声と同調していれば、それが「自分に関わる人をないがしろにすること」であるわけがありませんので(笑)ほんっとうに心の声に素直であるならば、まぁ、「いさかい」的なことは、苦境でも起こってきません。

わたしはこれも、経験しています。
実際、私がこの仕事を始めた頃…二足わらじの頃…その後もしばらく…
正直、うちは昔よりもビンボだったかと(笑)思います^^。
でもいさかいって、お金のこととかでもそうだし…ほとんどありませんでしたし。
(人間というのは、多少、金銭の自由度が上がってきた時に、それらを起こしやすくもなってくるところもあるようにも思いますね。ビンボだとさ、ない袖は触れないわけだから^^協力するしかないわけじゃない?)

それと同様に、自分の非を認めない認めたくないというのもあるし、自分の価値観にそぐわない部分で、相手を内心非難している…という「いさかい状態」も、たくさん経験してきました。
(これはたいてい、私が心弱くなっている時、将来の不安を自分でどうすることもできなかった時期…つまり「石に出会う以前」の頃は、それが頻繁にあったと思います。。。石の仕事をするようになってから、私の中の「依存心」「被害者意識」といったような、それら不安や恐れによる責任転嫁を引き起こす要素が消えていったので、人のせいにする、人を頼る、依頼心がなくなり、それといっしょに恐れ、不安の類が消えていったのです。私が「心から自分のやりたいことをしようね」とよくお伝えするのは、人間は、「やらされていることをする」のと「自分が自発的にやろうとやりたいことをする」のとでは雲泥の違いがある、こういう部分もあります…)



どっちが居心地がいいか? といえば、当たり前ですが(笑)いさかいのないほうです^^。

で、私の場合は、この「いさかい」がひっじょうに苦手でもあります。
そして、実は私の場合はですが、幼少期から関わってきたそういう人々とのあいだで、「我慢をしてきた部分」があったとしたら、自分のやりたいことができなかったとかそんなことというよりも(これをそうやって”人のせい”にしているあいだは、どっちみちできないのです)、この、人間同士のエゴから生ずる、人間が自分の主張を通そうとする時に生じるいさかいのエネルギーというのが、どちらかというと、耐える耐えないの話ではなく…嫌で受け付けないものした。
なんで仲良くできないのか。家族を思いやるとかそういう感覚が欠けているのか。

上記の”昭和の家族スタイル”の時も、いさかいは年中あったのです。
誰もがただ我慢を強いられて仮面をかぶっていたというわけではなく…激しい性格の人もいましたので、家族内でのぶつかり度合いも凄い家ではありまして^^、でも、最終的に誰も父を越えられない、きっとそれはどこかで「誰かの庇護とか愛とかを求めてしまう弱さ」もあって、そうなっていたんじゃないかと思います。
(母くらいの世代の女性なんかだとリコンして女手一つで…みたいなこととか考えられなかっただろうし、結婚が永久就職だと思ってた人々だと思うから、そんなことより我慢を選びますよね。まぁ、母の場合はただ我慢していたというよりは始末の悪いことに(笑)「父のことがなんだかんだ言って好きだった」みたいなところがあるようです。びっくりしますが(笑)まぁ、その気持もわからないではありません。父は純粋な面もたくさん持っている人ではありましたし、不思議と家の外ではわりとほうぼうで人に愛されている(笑)感じの人でしたからね。今は熟年離婚というのも多いそうですが(笑)まぁこれも無理して離婚しなくてもね、いずれどっちか先に死ぬわけだし^^…とはいえ、きっと介護とかさ^^愛もないのにしなきゃいけなくなる可能性はそれで避けられるから、その選択したい女性も多いんでしょうね。私が知ってた熟年マダムも離婚したくてしょうがなくて自力で別居に踏み切ってたもんなぁ…もうその年からいいじゃん、と他人には言えるけど、本人は「あの人との関わりをこの世に残して死にたくない」というレベルだからね^^…むしろ、そんなこと言ってると「来世、また関わることになる」わけなんですが^^、まぁ、そのくらいに、人間同士の関わりは…さらっとはしていない面があるのね)

私が、独立して、なんといっても「自由度」をまず感じたのは、いさかいがないこと、の凄さというのでしょうか(笑)。
今は「ないほうだな」と感じます。
上記にありますように、あった時もあります。
石に出会わなければ、今でもあったと思います。
同じ人とけっこう長きに渡りいっしょにいますが、その長くいる過程の中でも、変容し続けているところです。

まぁ、自分はここを大事にしなくてはな、という意識をもう少し持ってもいいのかもしれませんし(笑)相手を尊重しているつもりなんだけど、尊重がし足りないところもあるように思います。
そういう、自分が生まれ育ち経験してきた「家族間」でそのやりかたをあまり身につけてきていない(反面教師として学んできてはいるけど)ことを、自分でしなければいけない…(だから、「親」って大事なんですよ…親の生き方、あり方、それが子供のスキルとして自然に身につきます。ほんとにそう思いますので、「親」となっておられる方はその経験を「今」大事にね)

今現在、日本人の、独身、単身者割合ってものすごく増えているけれど…。
私達が思っている以上に、結婚などの本質を、見抜いている人が多いので(笑)そうなってるところもあるのかな、とは思いますね^^。だまされないぞ、と(笑)。
(まぁ、そのくらい、”パーフェクトな幸せを絵に描いたような愛に満ち溢れたファミリー”の幻想っぷりを、肌で感じちゃう経験をしてきている人の割合もそこそこ多いのだろう…それを本人が自覚しているかしていないかはわかりませんが、無自覚に、独りを選ぶ人が増えている背景にはそういうのもあるかなとは思いますね…ひとりを選んでいるつもりはなくて、パートナーを探している、っていう人でも、なんかそういう潜在的なブロックあるんじゃないのかな、って気がします…でも、人生をそういうふうに諦める必要はないですよ。反面教師を知っているからこそ、同じ間違いをしない、という選択も人間には可能だから、そこに生まれてそういう経験してきている、っていう人も多いのよ)



人生って、そんなに長くないですよ。

今20代くらいの方にとっては、すごく長そうに見えているかもしれませんけど。

けっこう、あっというまです。

けっこうあっというまなのに…

じゅうぶんに、関わる人も、自分も、良い感じでその人生を進め充実させることができているのかというと、意外とはかないもの(笑)というか、「浅いところを行ったり来たり」してしまう期間なんかも長くなっていたりもします。

それもやっぱり人それぞれなので。

”世間一般の幸福像”とかは、関係ありません。

「自分の課題」をまず見極めていく(それがガイドの声、ガイド指南だったりします)その上での人間関係の良さに能動的にみずから関わっていくことが、きっと良いのだろうということですね。

おいら、ワークショップ受ける必要あるのかしら?(笑)ここまで自分でわかってて。

(…というのが人間の「驕り」というやつなんですよね。「私はもうわかってる」…そこを、今一歩、あと少し、良くすること。それだけでも人生、快挙なのよ。それを助けてくれるのが、石にしかり、この世ではやっぱり第三者である「他の人」だったりもするのよ^^)


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カテゴリ :  高次ガイダンス
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