ロシアンフェナカイト(AZOZEO)、卸元にあった最後の一連ビーズを仕入れました(笑)。
結局、パワーストーンワークスが2年がかりでしょうか、全部で6連のロシアンフェナカイトビーズを仕入れる…ということになりました。
まさかこんなことになろうとは夢にも考えておりませんでした。
2年がかりで仕入れた石…(それはとてもじゃないが予算的に一度に全部買えなかったからですけど)。
足掛け何年も何度も何度も仕入れしている同じ種類の石というのなら他にもたくさんあるので、とくにこれに限ったことではないのですけれど、ロシアンフェナカイトに関しては、当初から「よそでは買えない石ブレス」ってずっと言ってましたが、本当にそうなってしまいました。ラスト一連ビーズも待っててくれたのね…という感じがします。ご縁ですね。
こちらで、最後の、ロシアンフェナカイトオンリーブレスをお作りする予定でおります。
二点お作りできますので、ご希望の方がいらっしゃるようでしたら、しばらくお待ち下さいませ。
(今月は新作はお休みですけれど、ロシアンフェナカイトブレスは今月中にご用意するかもしれません)

ロシアンフェナカイト。
私自身は、この「2年がかり」の日々で、ロシアンフェナカイト以降、大きく変わった部分もあり。
しかし昨日の話じゃないけれど、「愛」とか言われると、う~ん。そこのところは「自分が変わる、変わらない」以上の何かがありますね(笑)。
人は変えられない…のではなく、正確には、「自分が表面的に思う、こうなったらいいのに、のようには変えられない」ということでしょうか。
いい面では、そういう部分に、自分自身が振り回されることがほとんどなくなった…という面はあります。
ものすごく満足、というわけではないけれど(笑)少なくとも、振り回されないメンタルになれた、というだけで、内面ヘブンリーを維持できています。で、内面ヘブンリーが維持できると、外面ヘブンリーもまぁ、つられて顕れてくるところはあります。
そしてそういう自分の内面ヘブンリーを維持しようとすることじたいにおいて、自分を責めないこと…に、ようやく慣れることができた、という感があります。
これ、意味わかりますかね…?
たとえば、傍に何かで落ち込んでいるネガティブ感情にまみれきっている人間がいたとして。
その場合、赤の他人ならば、そっと離れるだの関わらないだのという選択肢もありますが、そうでない赤の他人じゃない場合って(笑)そういうことするのって「非情な人」ぽいですよね?(笑) で、相手に非情な人と思われたくない(特に、相手のことを思う気持ちがあれば)から、自分もそのネガティブに同調する…「いっしょに不幸のどツボを肯定することが愛」って(笑)感じにやらかすことがあるのです。まぁ、同じ気持ちをわかちあう、つもりな気持ちというのかな。
でも私はこれをやめることにしたのです。
意味ないことに気がついたというか、そもそも、「私は人に感化されて、自分自身にその要因が直接ないことにおいて、自分がネガティブになっている場合ではないのだ」ということが、わかってきたからです。
いっしょにネガティブになる、同調することで、たしかに相手は一瞬なぐさめられるのかもしれません。
また、そういうことを期待しているかもしれません。世を儚んでいっしょに死のうの心中みたいなものなのですよ、こういうのは要するに。
でもその期待には応えないことにしたのです(笑)。
石に出会ってからの私は、ずっとそうですね、なんとなく。
自分への自己責任て…きっとこういうこともあるのではないでしょうかね。
自分を幸せにするのは自分なので。
石と同調するようになってからの自分は、そういう意味で、自分の感情に自分が責任を持つことを、石たちに教えられてきました。
だからおそらく少なくとも、私の方から「ネガティブの応酬」を仕掛けてしまう確率じたいは、だいぶ減ったと思います。
今現在まで、この仕事が、おかげさまで、一所帯が生きていけるレベルとなり、それを維持できているのも、こういう要因も大きいと思います。目には観えないのですが(笑)こういう仕事に限らず、なんであれ「内面ヘブンリー」の維持ができることは、その人の生産性をアップし、良い流れを創造していきますよ。
で、私は長いこと、それでも時々「なんで自分ばっかり」的な自己犠牲のように感じてしまう感覚とか、それをそう感じる自分を責めたり、こちらが”尽くしている”みたいな感じのことを相手はとくにそう受け取ってはいない、当たり前だと思っているんだな…ということに何度も何度も失望したり(笑)など、時としてそういうのが出てくる、なかなか手放しきれない、そういうものを持ちつつの長年であったことも実際のところではあったんですけれど。
これは要するに、裏側に「こんなにしてあげているのに、してあげたのに、私はこんなに苦労しているのに、反応はソレなんだ」という、「してあげた見返り期待」があるからそうなるわけです。感謝、ねぎらいを求めているわけですよ^^。
でも、そういうのもなくなりましたね。
ロシアンフェナカイト以降は、ほんとうに、それらがなくなった…、どんどん極小になっていったんですよね。
以前は、あんなにあった、そういう負の感情たちはいったいどこに行ったのか?(笑)
ロシアンフェナカイトに限らずですが、「ハイオクターブストーン群」の仕事というのは、そういうことなんだと思います。
なくなってみると、どうしてそういうことに感情の無駄遣いをしていたのか、謎です。
振動数が高いこと=いいこと、
とするスピ風潮もありますが、そこに本人が素直に同調できるのであれば、ハイオクターブストーン群がお薦めなのは、こういうことでもあります。
私の場合は、ですが、実際の現実そのものじたいは、だから、それほど以前と大きく変わったか、といえば、激変はしてはいないのですが、私自身の意識が大きく変わったので、苦だと思っていたことが苦じゃなくなっている、大変が大変じゃなくなっている「自分にならできること」という通常感覚になってしまった…ということです。

あ、私は、愛する人がいるとかそもそもそれは三次元世界では面倒くさいことなんだよ、って(笑)お伝えしていましたけれど、愛する人がいる、また、愛する人がいた、と言える人生はいいものだと思いますので、そこに消極的にならないでくださいね。
貴方様が出会うたいていの人間は、素晴らしい存在だと思います(全員とは言いません^^。でも実際に素晴らしい人はこの世には決して少なくない…ということも、私は石に出会ってから、すごく感じるようになりました)。
苦しいことがあっても、いいものです。
なので、どんどん、恋愛とかもしてください。出会いを怖がらず、出会ってください。
男女の恋愛通じて知る「愛のようなもの」も、愛の片鱗です。
自分を育てる愛^^という点で…愛のムチになる場合もありますが^^。
恋愛を通過して、結婚などをするも良し、結婚しないも良し、フリンとかも(笑)よりメンドウではあるけれど、必ずしもいけない、ということではないですよ。
(私がフリンをお薦めしない点があるとしたら、道徳的に、とかそういうことではなくて、法律的に圧倒的に妻子ある人の側の家族よりもフリン女子のほうが全敗レベルで弱いからですよ。全敗です。どのような非道で非情なヨメ子供であろうと(笑)「こんな家族では彼が可愛そう」とフリン女子が彼に情を寄せようと、この世においてはフリン女子のほうが極道扱いでございますよ。ここは現行覆せませんので。仮にフリン恋がのちに結婚に繋がっても相手に子供がいたりだと一生関わりますよ、相続時なども。そのへんすべて受け入れられる「ええ、私が横取りして悪うございましたよ」と仮に生涯悪者扱いとなり続けても言える大きな度量、強さなどなどが必要ですよ。場合によっては意図せず人からの大きな恨みを買います。味方は彼だけ…なんてロマンチックな歯の浮いたところに頼れるのも恋愛感情に支配されているあいだだけの話ですからね。そこいらへんよく考えて、どんな火の粉がかかろうともそれでもこの人しかいない、と言い切れるレベル、実際に実地でそう行動できるレベルの人間である必要があります。場合によっては、その肝心の相手すらな~んも味方にならない時もあると思うからね。それすらアテにしない自律している人ならいいと思うわ)
好きな相手なのに、メンドウを避けるために、無理やりその恋愛をやめるとか。
苦しくてつらいから、やめる、諦める。
そういうのがのちのちに、執着やら後悔やらになったりもするわけですから。
苦しくてつらいけど、突き進む。そうありましょう。本当に自分にとって大事な相手なら。ですけれど。
相手次第、と、相手のありかたに依存するのではなく。
自分が愛せる相手なら、なんであろうとそうならば、それが今、やれることです。
仮に、突き進んでみたけど、結果、やっぱりサヨウナラになったわ、ということであっても、進むのが怖くて気持ちを抑えてなんらかの言い訳つけて逃げちゃった…そのジ・エンドの場合とは、雲泥の違いがそこにはありますから。
自分がどうしたいのか? に、正直にあってください。

…と言っている私ですが、で、「愛してますか?」と聞かれて(笑)、う~~~ん…これは愛というのかなんというのか…ですけどね~。
めんどくせ~人だな(笑)というのが、まずありまして。
愛なのか愛着なのか。不思議と、それでも、どうも心底嫌いにならない(笑)んですよね。ここが不思議です。
最初からそうでしたが、いっしょにいることが苦じゃない緊張しない相手(私にとっては)ではあります。
過去には、生家の家族相手にも緊張の日々(笑)な人間でしたから、そういう点では、私にとってはですが、私が私でいられる場所の大事な”空気”の存在とも言えます。
そういう人は…実際にはそんなに大勢はおりませんので、その点では希少性が(笑)高いですよね(石のように言うな、と^^)。
(でもときど~き、緊張というか、ものすごく心を閉ざされることもあるので^^(たいていは本人の自爆の失敗などから)そういう時はこちらへの相手の態度も酷いですから、かかわらずに”嵐が過ぎ去るのを待つ”術を憶えました)
ただ、それだけに、ず~っと以前は、彼の存在じたいに依存というか、自分のありかたを決めてしまっている、縛られていると感じていたこともありました。
恋愛においてはありがちですが、物事の価値観的なところも、彼尺度を基準にすることを楽しい、知らなかった自分の発見と感じている時は良かったのでしょうけれど、そうではない場合の自分がいることの否定にも繋がり、そこに気づいてからは、そういう自分がとても嫌でした(笑)。当たり前ですよね。
石に出会ってから。
そこらへんが、どんどんどんどん。徐々に徐々に。自分は変わっていったと思います。
でも、一足飛びの変化ではないです。徐々に、徐々に、ですよ。
徐々に徐々に、自分単品であっても(笑)自分に自信が身についていきました。
石との出会い…すなわち高次に繋がる世界との出会いは強力でした(笑)。
仮に、彼にぜんぜん認められていない自分であったとしても(笑)それがまったく気にならない。
そんな世界が自分にあるなんて。ということも、私にとっては、石との出会いは、ダブル、トリプルの、オドロキワールドでもあったのです。
過去のスピ系だと、こういう感じで離縁に(笑)進む、片方が”覚醒めた”とか言って、それまでのパートナーに対して「この人は違う」と言い出してしまうケースも、ある人にはあったのではないでしょうか。
それはそれで、オトナ同士のお約束の手続きをちゃんと踏んでの、相互に納得したお別れなら、それでもいいのだろうと思います。
うちはまだ、私自身も、彼も、きっとそこまでスマートなオトナじゃない(年齢はいいオトナですが)のだろうと思います^^。
私にとってはもしかしたら、一生、めんどくさいままの人かもしれません。
そして、彼がわかってほしいのかもしれないことを、私は一生わかってあげられないのかもしれません。
もしそうだとしても。いたしかたないかな。というくらいに、自分をごまかさずに自分に正直なかたちで、これからどのくらいの期間が残されているのかはわかりませんが、自分に無理せず、それを愛というのであれば、愛みたいなものを発揮できるようにしたいかな思っています(でもたぶん、それが直接の相手の好みのありかたじゃないんだろうから^^困ってるんですけどね~)。
いいんですよ。
私は私で、後悔のないように、相手に対して自分ができることを無理せずにやるだけですから。
もうそこには気負いはないですね。
結局、パワーストーンワークスが2年がかりでしょうか、全部で6連のロシアンフェナカイトビーズを仕入れる…ということになりました。
まさかこんなことになろうとは夢にも考えておりませんでした。
2年がかりで仕入れた石…(それはとてもじゃないが予算的に一度に全部買えなかったからですけど)。
足掛け何年も何度も何度も仕入れしている同じ種類の石というのなら他にもたくさんあるので、とくにこれに限ったことではないのですけれど、ロシアンフェナカイトに関しては、当初から「よそでは買えない石ブレス」ってずっと言ってましたが、本当にそうなってしまいました。ラスト一連ビーズも待っててくれたのね…という感じがします。ご縁ですね。
こちらで、最後の、ロシアンフェナカイトオンリーブレスをお作りする予定でおります。
二点お作りできますので、ご希望の方がいらっしゃるようでしたら、しばらくお待ち下さいませ。
(今月は新作はお休みですけれど、ロシアンフェナカイトブレスは今月中にご用意するかもしれません)

ロシアンフェナカイト。
私自身は、この「2年がかり」の日々で、ロシアンフェナカイト以降、大きく変わった部分もあり。
しかし昨日の話じゃないけれど、「愛」とか言われると、う~ん。そこのところは「自分が変わる、変わらない」以上の何かがありますね(笑)。
人は変えられない…のではなく、正確には、「自分が表面的に思う、こうなったらいいのに、のようには変えられない」ということでしょうか。
いい面では、そういう部分に、自分自身が振り回されることがほとんどなくなった…という面はあります。
ものすごく満足、というわけではないけれど(笑)少なくとも、振り回されないメンタルになれた、というだけで、内面ヘブンリーを維持できています。で、内面ヘブンリーが維持できると、外面ヘブンリーもまぁ、つられて顕れてくるところはあります。
そしてそういう自分の内面ヘブンリーを維持しようとすることじたいにおいて、自分を責めないこと…に、ようやく慣れることができた、という感があります。
これ、意味わかりますかね…?
たとえば、傍に何かで落ち込んでいるネガティブ感情にまみれきっている人間がいたとして。
その場合、赤の他人ならば、そっと離れるだの関わらないだのという選択肢もありますが、そうでない赤の他人じゃない場合って(笑)そういうことするのって「非情な人」ぽいですよね?(笑) で、相手に非情な人と思われたくない(特に、相手のことを思う気持ちがあれば)から、自分もそのネガティブに同調する…「いっしょに不幸のどツボを肯定することが愛」って(笑)感じにやらかすことがあるのです。まぁ、同じ気持ちをわかちあう、つもりな気持ちというのかな。
でも私はこれをやめることにしたのです。
意味ないことに気がついたというか、そもそも、「私は人に感化されて、自分自身にその要因が直接ないことにおいて、自分がネガティブになっている場合ではないのだ」ということが、わかってきたからです。
いっしょにネガティブになる、同調することで、たしかに相手は一瞬なぐさめられるのかもしれません。
また、そういうことを期待しているかもしれません。世を儚んでいっしょに死のうの心中みたいなものなのですよ、こういうのは要するに。
でもその期待には応えないことにしたのです(笑)。
石に出会ってからの私は、ずっとそうですね、なんとなく。
自分への自己責任て…きっとこういうこともあるのではないでしょうかね。
自分を幸せにするのは自分なので。
石と同調するようになってからの自分は、そういう意味で、自分の感情に自分が責任を持つことを、石たちに教えられてきました。
だからおそらく少なくとも、私の方から「ネガティブの応酬」を仕掛けてしまう確率じたいは、だいぶ減ったと思います。
今現在まで、この仕事が、おかげさまで、一所帯が生きていけるレベルとなり、それを維持できているのも、こういう要因も大きいと思います。目には観えないのですが(笑)こういう仕事に限らず、なんであれ「内面ヘブンリー」の維持ができることは、その人の生産性をアップし、良い流れを創造していきますよ。
で、私は長いこと、それでも時々「なんで自分ばっかり」的な自己犠牲のように感じてしまう感覚とか、それをそう感じる自分を責めたり、こちらが”尽くしている”みたいな感じのことを相手はとくにそう受け取ってはいない、当たり前だと思っているんだな…ということに何度も何度も失望したり(笑)など、時としてそういうのが出てくる、なかなか手放しきれない、そういうものを持ちつつの長年であったことも実際のところではあったんですけれど。
これは要するに、裏側に「こんなにしてあげているのに、してあげたのに、私はこんなに苦労しているのに、反応はソレなんだ」という、「してあげた見返り期待」があるからそうなるわけです。感謝、ねぎらいを求めているわけですよ^^。
でも、そういうのもなくなりましたね。
ロシアンフェナカイト以降は、ほんとうに、それらがなくなった…、どんどん極小になっていったんですよね。
以前は、あんなにあった、そういう負の感情たちはいったいどこに行ったのか?(笑)
ロシアンフェナカイトに限らずですが、「ハイオクターブストーン群」の仕事というのは、そういうことなんだと思います。
なくなってみると、どうしてそういうことに感情の無駄遣いをしていたのか、謎です。
振動数が高いこと=いいこと、
とするスピ風潮もありますが、そこに本人が素直に同調できるのであれば、ハイオクターブストーン群がお薦めなのは、こういうことでもあります。
私の場合は、ですが、実際の現実そのものじたいは、だから、それほど以前と大きく変わったか、といえば、激変はしてはいないのですが、私自身の意識が大きく変わったので、苦だと思っていたことが苦じゃなくなっている、大変が大変じゃなくなっている「自分にならできること」という通常感覚になってしまった…ということです。

あ、私は、愛する人がいるとかそもそもそれは三次元世界では面倒くさいことなんだよ、って(笑)お伝えしていましたけれど、愛する人がいる、また、愛する人がいた、と言える人生はいいものだと思いますので、そこに消極的にならないでくださいね。
貴方様が出会うたいていの人間は、素晴らしい存在だと思います(全員とは言いません^^。でも実際に素晴らしい人はこの世には決して少なくない…ということも、私は石に出会ってから、すごく感じるようになりました)。
苦しいことがあっても、いいものです。
なので、どんどん、恋愛とかもしてください。出会いを怖がらず、出会ってください。
男女の恋愛通じて知る「愛のようなもの」も、愛の片鱗です。
自分を育てる愛^^という点で…愛のムチになる場合もありますが^^。
恋愛を通過して、結婚などをするも良し、結婚しないも良し、フリンとかも(笑)よりメンドウではあるけれど、必ずしもいけない、ということではないですよ。
(私がフリンをお薦めしない点があるとしたら、道徳的に、とかそういうことではなくて、法律的に圧倒的に妻子ある人の側の家族よりもフリン女子のほうが全敗レベルで弱いからですよ。全敗です。どのような非道で非情なヨメ子供であろうと(笑)「こんな家族では彼が可愛そう」とフリン女子が彼に情を寄せようと、この世においてはフリン女子のほうが極道扱いでございますよ。ここは現行覆せませんので。仮にフリン恋がのちに結婚に繋がっても相手に子供がいたりだと一生関わりますよ、相続時なども。そのへんすべて受け入れられる「ええ、私が横取りして悪うございましたよ」と仮に生涯悪者扱いとなり続けても言える大きな度量、強さなどなどが必要ですよ。場合によっては意図せず人からの大きな恨みを買います。味方は彼だけ…なんてロマンチックな歯の浮いたところに頼れるのも恋愛感情に支配されているあいだだけの話ですからね。そこいらへんよく考えて、どんな火の粉がかかろうともそれでもこの人しかいない、と言い切れるレベル、実際に実地でそう行動できるレベルの人間である必要があります。場合によっては、その肝心の相手すらな~んも味方にならない時もあると思うからね。それすらアテにしない自律している人ならいいと思うわ)
好きな相手なのに、メンドウを避けるために、無理やりその恋愛をやめるとか。
苦しくてつらいから、やめる、諦める。
そういうのがのちのちに、執着やら後悔やらになったりもするわけですから。
苦しくてつらいけど、突き進む。そうありましょう。本当に自分にとって大事な相手なら。ですけれど。
相手次第、と、相手のありかたに依存するのではなく。
自分が愛せる相手なら、なんであろうとそうならば、それが今、やれることです。
仮に、突き進んでみたけど、結果、やっぱりサヨウナラになったわ、ということであっても、進むのが怖くて気持ちを抑えてなんらかの言い訳つけて逃げちゃった…そのジ・エンドの場合とは、雲泥の違いがそこにはありますから。
自分がどうしたいのか? に、正直にあってください。

…と言っている私ですが、で、「愛してますか?」と聞かれて(笑)、う~~~ん…これは愛というのかなんというのか…ですけどね~。
めんどくせ~人だな(笑)というのが、まずありまして。
愛なのか愛着なのか。不思議と、それでも、どうも心底嫌いにならない(笑)んですよね。ここが不思議です。
最初からそうでしたが、いっしょにいることが苦じゃない緊張しない相手(私にとっては)ではあります。
過去には、生家の家族相手にも緊張の日々(笑)な人間でしたから、そういう点では、私にとってはですが、私が私でいられる場所の大事な”空気”の存在とも言えます。
そういう人は…実際にはそんなに大勢はおりませんので、その点では希少性が(笑)高いですよね(石のように言うな、と^^)。
(でもときど~き、緊張というか、ものすごく心を閉ざされることもあるので^^(たいていは本人の自爆の失敗などから)そういう時はこちらへの相手の態度も酷いですから、かかわらずに”嵐が過ぎ去るのを待つ”術を憶えました)
ただ、それだけに、ず~っと以前は、彼の存在じたいに依存というか、自分のありかたを決めてしまっている、縛られていると感じていたこともありました。
恋愛においてはありがちですが、物事の価値観的なところも、彼尺度を基準にすることを楽しい、知らなかった自分の発見と感じている時は良かったのでしょうけれど、そうではない場合の自分がいることの否定にも繋がり、そこに気づいてからは、そういう自分がとても嫌でした(笑)。当たり前ですよね。
石に出会ってから。
そこらへんが、どんどんどんどん。徐々に徐々に。自分は変わっていったと思います。
でも、一足飛びの変化ではないです。徐々に、徐々に、ですよ。
徐々に徐々に、自分単品であっても(笑)自分に自信が身についていきました。
石との出会い…すなわち高次に繋がる世界との出会いは強力でした(笑)。
仮に、彼にぜんぜん認められていない自分であったとしても(笑)それがまったく気にならない。
そんな世界が自分にあるなんて。ということも、私にとっては、石との出会いは、ダブル、トリプルの、オドロキワールドでもあったのです。
過去のスピ系だと、こういう感じで離縁に(笑)進む、片方が”覚醒めた”とか言って、それまでのパートナーに対して「この人は違う」と言い出してしまうケースも、ある人にはあったのではないでしょうか。
それはそれで、オトナ同士のお約束の手続きをちゃんと踏んでの、相互に納得したお別れなら、それでもいいのだろうと思います。
うちはまだ、私自身も、彼も、きっとそこまでスマートなオトナじゃない(年齢はいいオトナですが)のだろうと思います^^。
私にとってはもしかしたら、一生、めんどくさいままの人かもしれません。
そして、彼がわかってほしいのかもしれないことを、私は一生わかってあげられないのかもしれません。
もしそうだとしても。いたしかたないかな。というくらいに、自分をごまかさずに自分に正直なかたちで、これからどのくらいの期間が残されているのかはわかりませんが、自分に無理せず、それを愛というのであれば、愛みたいなものを発揮できるようにしたいかな思っています(でもたぶん、それが直接の相手の好みのありかたじゃないんだろうから^^困ってるんですけどね~)。
いいんですよ。
私は私で、後悔のないように、相手に対して自分ができることを無理せずにやるだけですから。
もうそこには気負いはないですね。

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カテゴリ : PSW制作室
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