2016年5月のチラ見♪(予告)です。其の一(ブラックトルマリンアゼツライト、ブラックアゼツライト、マスターシャーマナイト、フェナカイト )

2016年05月24日 (火) 19 : 27


こちらが17日の記事でも、前回記事でも「フェナ匹敵、光ズンドコグラウンディング黒ブレス」とお伝えしていた「これ、ちょっと凄い石なんだけど」なニューフェイス、ブラックトルマリンアゼツライトをカップリングしているお品の一部でございます。
ご用意しているお写真では、5枚目以降に出てくる、地味な石です。



なにがどう凄いのか、っていうと、光が身体を瞬間に貫通、っていうのかしら^^、すべてのネガティブなブロックを瞬時に洗い流していっちゃうような石…それがブラックアゼツライトの特性というのでしょうか。
ディレクトリカードにもそんなようなことは書かれてはいるのですが、そんなこと言われても^^、三次元目線では「まさかぁ」と普通は確実に失笑するしかありませんよね。

たぶんね、ヘブンの石を仕入れて販売している石屋さんは、卸店小売店含め、日本国内では大なり小なり、数多くありますけれど、このディレクトリカードに書かれている記述を真に受けて仕入れている販売店がいったいどれだけあるかわかりませんが、この石に関しては、エネルギーわかる人ならたぶん、あれば買い占めたくなる^^(フェナカイトと同じ)タイプの石だなと思いますね。小さくても凄い威力なところも、性質として似ています。
そのうち、フェナカイトがどこもひっぱりだこでなくなっていっちゃったように、ブラックトルマリンアゼツライトもそうなるかもしれません。(私も^^今回のお品制作で仕入れ分は使いきっているので、ストックビーズ分を追加仕入れしちゃいましたよ^^。てくらい、常備石にしたい石だと思いますね)



見た目は残念ながら^^透明感のないホワイトアゼツライトに黒のショールが混じる、三次元的には、品質の劣るブラックトルマリンinクォーツな見た目…とも言えます。(透明水晶母体に太い黒針が入る、お写真のブラックトルマリンinクォーツも併用しているバージョンもありますが、見た目だけでしたら、こういうブラックトルマリンinクォーツのほうが美しいです)
それだけに、エネルギー分かる人にしか付加価値は見いだせない石かもしれませんが、フェナカイト同様に、通常石のエネルギーとかよくわかんない、とか言っている人にも、え? なんかこの石は凄くね、って、石のエナジーわかるきっかけになりえる石かもしれません。



それとあらためて、ブラックアゼツライトの凄さが引き出されることにもなったかな、な気がします。
この石は次元を突破…というか、次元の壁を壁ではないものであることを認識させる石ですね。高次元通路を開通させる下ごしらえと、ここ三次元においてそれができるアンカー役として、ホワイトアゼツライトを補佐する両輪として出現した黒石なんだな、ということはわかっていたような気にはなっていましたが^^わかりました。



天使がうようよいる^^光の領域があたしの本質のいるところ~♪ ぜんぜん知らなかったよソレ、なんて言いながら、作る石アクセサリは黒石カップリング。なんなのだぁ、このパワーストーンワークスの作り手はよぉ、っていう黒石オンナ^^というのが、この仕事を始めた初期の頃から領分なところがありましたが。
三次元領域においては、残念ですが^^丸腰では、光の通り道にすんなりふわふわなんて行けませんのよ。



自分だけは特別な美しい穢れ無き人生~~~♪ なんて言える人は、地上には皆無ですよ。
ゴミなネガティブ感情やエゴ、コンプレックス、思い込み、自信のなさ、自信過剰、傲慢、疑い、恐れ、他者との比較、嫉妬、無知、怠惰、臆病、過信、否定、もろもろあって当たり前。
捨てたって捨てたって、人間として生きてる限り、それだけでゴミは出てくる。
物質肉体は、その乗り物をセレクトして生きているあいだは、絶対に無視できない愛しい乗り物ですが、「なんか人より性能劣ってる…ああいう見た目が良かったのになぁ…溜息」みたいな残念な自分が自分を愛せないハートのブロックやコンプレックスを生み出すファーストマターにさえなることもありますし、個性としての目に見えない性質、性格、能力もそういう要因などからも複合的に生まれてきますので、必ずしも「本質」の路線でなんて生きていない人間がほとんどです。



見えない世界は「普段は見えない」し、仮に見えてそれがあることがわかったり、そのエナジーが感じられたって、それでも、ふだん認識できる肉体の居場所が三次元領域である限りは、三次元領域でのやることがあるから、今ここに私たちはいます。
三次元にいながらにして高次ガイダンスに繋がっていることは、とても大事なことだけど、その下ごしらえは自らがこっちでしなけりゃならんのです。
一般的に黒の石はプロテクション、として言われますが、そもそもなんのためにプロテクションが必要なんだよ、ってところもあったりします。なんとなく、自分が居る世界をそりゃまるで悪いもののように否定しているから、そこから自分だけを防御し救い出そうとするわけ? というような^^一見「我良し世界」でもいいのかよ、そんなに自分が大事なのかよ、他はそんなに悪いんかい? というエゴにも見える時があります。



この考え方じたいが実はブロックかな、ということなんですよね。
三次元の有り様、この限定された運命があるかのような世界にずっと死ぬまで諦めて同調していかなければならない、横並びで、みんなで不幸にならなきゃ、抜け駆けはずるい^^のような、みんなと違う「自己浄化」や「高い意識へのシフト」そのものを否定する発想、見えないわからない自分の無知を維持し「幻想の大勢いるように見える世間の”みんな”」と同化していることが安心という思い込み、その幻想の「悪平等」を自分に強いているのが結局他でもない自分自身(誰にも強いられているわけではないのです、実際には。世間とか常識とか普通は、とか、みんなは、とか、ソレどこにいるの? って探してみると、別にどこにもいないことがわかりませんか?)、ということに気づくと、自分を守ろう高めようという行動が単に臆病やワガママではなく、むしろ自分だけではなく広い世界を良くしていくことを実現できるための、まわりまわって結局は自分以外に対する勇気ある奉仕行動ともなるのだ、と気付けますし、それを石に手伝ってもらおうとすることが、弱虫というわけではない^^とわかると思いますね。


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カテゴリ :  チラ見♪
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