ブレスレットのご感想をいただきました17

2014年07月10日 (木) 02 : 21
前回お伝えしていた「ご感想」ってまんせータイプばっかり、というのが定番なんだけど、という話。まぁ普通はそもそも、そういうご意見ご感想をやっぱり伝えたくなるものが人情なのだろうと。
しかし、そうじゃない場合だってあるんです。
そりゃそうですよね。
「詞音の作るブレス、自分にはなんか合わないんだよね・・・」っていうことを、わざわざ本人宛にメールしてくださる奇特な方は、そういらっしゃいませんから。
お金使ってブレスレットを買ってくださって、あ~失敗した~~~自分には合わない~~~と思えば、普通なら、人は黙ってそこを離れて行くのがオチでしょう。
私は色々なタイプの愛をいただいている幸せ者なのだろうと感じます。
そんな稀有なタイプのメール、掲載の許可をいただいていますので、掲載させていただきます。


(転載ここから)

お久しぶりです。○○○です。
一か月近く連絡できずに、申し訳ありません。


ところで、話は変わりますが、身勝手な私の感覚なのですが、聞いていただけますか。


私は10月25日生まれで蠍座なのですが、昔から友達のグループには水瓶座の人が過去何人かいました。でも最初は仲がいいのですが、必ず水瓶座の人とは喧嘩になったり、何かのきっかけでずっと友達でいることができません。


そして水瓶座と関係のあるストーンも・・・なぜか親しみを持てないのです。

神崎様はたしか前にブログで蠍座ストーンは手をつけにくい・・・・といったようなことを書かれていたかと思うのですが、おそらくその感覚に近いのかと思います。

神崎様から何度かブレスレットを購入しているのですが、何かが違うのです。(私が自分に見合ってないブレスを選んでいるのかもしれませんが^^;)



ブログのみなさんの感想を読む限り、確実に神崎様の作ったブレスレットにはエネルギーがあります。私もブレスレットが届いたその日にはそう感じます。でも身に着けて数日経つと、なぜか違和感を感じてしまう・・・・私の為に作られているものではない気がしてしまうのです。

それは水瓶座と蠍座だから、というのではなく神崎様と私が違いすぎるせいかもしれませんし、なんとも言えませんが・・・神崎様は神聖な存在だと思います。私は精進が足りないのでしょう。それも関係しているのかもしれません。最近神崎様のブログを読んでも次元が違いすぎるのか、ついていけないのです。


私は、上には行けない人間です。高次元というのでしょうか、次の世には行けないと思います。例えば、ノアの箱舟には乗れず水に飲まれて死ぬほうの人間です、おそらく。

とはいえ、今、一生懸命日本の神話について興味本位で勉強中です。神社には昔から興味があるので、祝詞なんかも読もうかと思っています。でも肉があれば肉を食べ、白米を食べ、白砂糖を使い・・・・到底穢れなど払えそうにもないのですけど。


ちなみに穢れていてはブレスレットはしてはいけないのでしょうか。意味はないのでしょうか。他のブレスレットを購入されている皆さんは穢れのない人たちなのでしょうか。


これを読んで気を悪くされたなら本当に申し訳ないです。

今はオーダーブレスは作っていないのでしょうか?

もしオーダーブレスが再開されたならば、そのときに購入したいと思います。

身勝手なことばかり言って申し訳ありません。

長文読んでいただきありがとうございました。

神崎様の更なるご活躍を、陰ながらお祈り申し上げます。

(転載ここまで)


こちらのメールの掲載をご承諾いただいたメールに、以下のようなご心配というのか、ご返信をいただいておりまして。


(転載ここから)

ただ、ひとつ間違わないでほしいのは、私は神崎様のブレスレットや神崎様が作るものに対して批判しているわけではなくて、私自身が劣っているから合わないのだろうという点です。神崎様批判のように捉えられたらファンの方にどんな言われようをされるか^^; ブログが炎上してしまいます(笑)

(転載ここまで)


これね~。「炎上」って。
このブログが炎上とかツイッターが炎上とか。
時々、耳にする、インターネットの匿名性の世界でのよろしくない部分ですけれど。。。

でもね。
それに対して、「炎上って・・・どこで何が炎上するの? それでしたら、うちは心配無用ですよ。だってうち別にそういうコミュニティじゃないし。コメント機能もつけてないし。私には、その手の「お取り巻き」さんたちが、そもそも不在じゃないですか~^^。」というような感じで、ご返事させていただいて。


つまり「神崎さんのファンたちに猛反撃される恐れ」ってのが^^そもそも、「幻想」。

ネット世界の負の部分知り過ぎて賢くなっていると、きっとこういう先回り、先走りした恐怖感からくる想像で、言い訳したり、予防線張ることに疲れちゃったり、身動きできなくなる人も多いんじゃないだろうか、って気がしますね。
ネットに限らず、リアルのほうの世界でも、やっぱりそうね。


今一度みなさん、「まだ起こっていないマイナス現象」を想像して、それに対する恐怖心で立ち往生していたり、思考がそこにがんじがらめになっていないかどうか、っていうこと・・・日常的に、知らず知らずのうちに、誰にとっても、その囚われの世界って存在していると思います。
ぜひチェックしてみてくださいね。


そうなのよね~。
ミクシィとかが流行っていた時も、とうとうその手のコミュ作りに精を出すことはしなかったし、ツイッターとかフェイスブックとかもやってない。
な~んにも「集客活動」に手を出してない^^んですよん、自分。
単純に、面倒くさがり屋なだけ、というのもあったんですけれど、もともと私、交友関係の広さとか友人の多さみたいなものが、それほど「人間としての付加価値」のバロメーターにならないことが、わかっていたからっていうのも、あるのかな。


友達が少ない、もしくは、友達がいない。人付き合いが下手。苦手。
お昼はひとりでゴハン食べる。
なんか、ぼっち大学生のこととか、それがまるでネガティブなことのように、ネット上でニュースになっていたり。
大学生に限らず、社会人になっても、職場でぼっち昼休み、ぼっちゴハンの方もいらっしゃるかもしれないけれど。


それ、・・・嬉しくない? 私だったら嬉しい。
だってさ、お昼休みって「休み」なんだから、自分のしたいようにしたいじゃ~ないですか。
放っといてもらえる、って最高に贅沢よ♪
私にとってはむかぁあしの20代の会社事務員時代に、「昼ゴハンを同期の女子と食べるしきたり、定番昼休みのありよう」は、そりゃもう長年、苦痛でしかなかったから。
有給取る、って言っちゃ~、いついつ休むから、とかさ、あらかじめ言っといてあげなきゃいけなかったり(人数多いうちはそうでもなかったんだけど、どんどん嫁に行ったり同期が退職していって人数減ってきてからは、尚更で。ちょうメンドウだった)なんか、仲間というよりは、「お昼休みをひとりで過ごしているように、まわりに見られないための、頭数」っていう感じ? 


だからね~、年月経て、営業マンになってから・・・外回り営業のぼっちごはんタイムに毎日至福の時を感じて^^、鋭気を養っていたのよ、私。
で、たま~~に、ごくたまに、昼時に会社にいる時は、事務の御嬢さんたちとかといっしょにゴハン食べたりして。たまにだから楽しいの、そういうのが。普段聞けない会社の中の話を聞けるのが新鮮で楽しいと思えたけど、毎日だったら^^あれはやっぱりちょっと苦痛だったかな、きっと。


自分は本当にひとりぼっちが嫌なのか?
それとも、「まわりの人から、あの人ってひとりぼっちなんだ~、って見られること」が嫌なだけで、別にひとりぼっちそのものはそれほど苦にしていないんじゃないのか?
たいてい・・・後者なんじゃないでしょうか。
ひとりで電車に乗ってどっか行ったり、そういうのは苦じゃないと感じられる人なら、ひとりゴハンもたぶん苦じゃないと思いますよ~。
だいたい、通学、通勤、基本小学生の集団登校じゃありませんから^^ひとりで行けるよね? ひとりで会社行くのは寂しい、つらい、っていう人も・・・まぁ、なかにはいらっしゃるかもしれませんけど(世の中には、いつ、いかなる時も、ひとりになることを極端に恐れるタイプの方もいないわけではないので)そうなるともうそれは、別のモンダイというか。
なのになんで、「ぼっちゴハン」が嫌だとつらいと感じるのか、って、それは「まわりの目」への意識がそうさせているだけ、というのは歴然ですよね。
つまりは「こういうふうに人に見られるのではないか」という人目を気にする自分の思いが創り上げている世界。
スピで言う「人目気にするな~、人に左右されるな~、我が道行け~」はこのことね。
たとえばなんらかの、その人に良かれの他人様の進言ですとかアドバイスですとか、なにもかもを「ヒトに左右されてはならない」とごっちゃにして、今度は「我が道教」のみに邁進しすぎちゃうのもどうか、って面もありますから、このへんはもう、バランス良く行ってください♪


その、「まわりにどう見られるか」的な発想から、ほんと、そろそろ出ましょうよ。
一事が万事じゃないけれど、なにかこう、自分の中から出てくるものではない、しきたりとか、世間体とか、人の評判とか、まぁ、ものさしを、外側の権威とか、人数の多いもん勝ちの多数決とか、誰が言いだしたかわからない常識とかに、常に照らし合わせる必要は、ぜんぜんないんですよ。
その「見えているまわり」は、あなたの世界のすべてじゃないんだよ・・・ってことに、気づいたもん勝ち♪ だと思う。



話がそれまくりましたが。


うちのブレスが合わない、って、そりゃそういう方も多いだろうと思います。
もし万人にパワーストーン・ワークスのブレスレットが合うのなら、、、この国には、そもそも一億人以上の人が住んでいて、その中でネット環境にある方すべてが、顧客としての対象となっていただけるはずなんですが、そうなっていないのですから。


そうならないのは。
まずそもそも、「石ブレスなんて、したいか?」っていう部分で、この条件でだいぶそぎ落とされてしまいます^^。ここから外れれば、まずもう「合わない」カテゴリ行きとなりますよね。


で、石ブレス好きであれば、全員に合うのか? と言えば。
それも違うでしょう。
人には、それぞれ好みもあればご事情というものがありますよね。
「詞音ちゃん、ブログはまぁまぁ面白いんだけど、大きい石のブレスとかちょっと気が引けるし、メタフィジカルな水晶とかお値段も高くて、自分にはちょっと・・・それに比べると、どこどこさんのアクセなら、自分にはいいのかな~、そっちはお値段もお安いし~。ブログだけ参考にさせてもらおうっと」みたいな感じのかたも、いなくもなさそうですよね^^。
値段で選ぶと、石ブレスってどこでも売ってるし、価格もピンキリだから、まぁその点でのプライオリティはそういう方にとってはうちは低くなりそう。


まぁ・・・難しいですよね。振り向いてくれない人を振り向かせるのは^^。
こういうのは、昔、外回り営業していた頃にもよく思ってました。
そのくらい、人間というのは、純粋に複数のものを比較してみたり頭使っているようでも、実はその人の「思い込み」「決めつけ」の信念の世界で(私が如実に垣間見たそれは食品業界でしたが)自動的に動いている部分もあることはあります。
よっぽどでなければ、その、「ヒトの信念の変更」は行われません。
(食品業界では「棚の定番商品」となることの付加価値を熟知しておりますので、棚取り合戦繰り広げてますが、そうそうモノ好きなお店さん、あたらしいモノにトライすることを拒まないお店さんじゃない限りは・・・なかなか、どんなすごい付加価値が商品そのものにあろうと、既存の棚商品と入れ替えていただくのは困難でしたよ~。そのくらい人間は「制約、固定」を好み「あたらしい可能性の世界」を嫌うのです。爬虫類脳の創り上げた恐怖信仰の世界展開です^^)
そして、その「思い込み」「決めつけ」はどこから生まれてきているのかというと・・・じゃ~ん。もともとは、社会的な洗脳イメージ、コマーシャル、外側世界の影響。これがほぼ大半なのです。
それでも、誰もが、そんな風には思っておらず。
「私ってこういうヒト。こういう好み。」って、自分の価値感からの判断、選択だと思っていらっしゃいます。


これは、個人的に私が感じる感覚ですが。
うちの石アクセサリを好んで手にしてくださる方、その方にとっての良さを見出して、継続してリピートしてくださる方々は・・・。
なんとな~く、この洗脳の世界のあやしさからは、独立されている方が多い、つまり「ご自身のハートの声のほうに正直になっている、ご自身のハートの声を優先し尊重して行動している」そういう印象があります。
もしくは、前回のお客様の声「16」でお伝えしような、「ハイアーセルフさんの後押しで、なんだか知らないけど、それほど自分の好みというわけでもないのに、つい、買ってしまった・・・・なんでだ?」みたいな^^ケースも、実はすごく多そう。(つまり顕在意識の信念部分とかなりギャップのある選択を、なぜかしてしまう・・・という、そのことじたいの面白みを^^怖いモノみたさに見出しておられるかのような感じ?)


この世ではそもそも、自分のハートが喜ぶ声を聞こうだなんて、そういう人の方がやっぱり人口数としては圧倒的に少ないと思われますので・・・。


「ハートの声が気になりだしたら、パワーストーン・ワークスへ是非お越しください」
(←あ、これ、なんかのキャッチフレーズになりそう、使えそうだな^^。)


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カテゴリ :  お客様の声
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