こちらは、だいぶ以前のブレスになりますが、「インナーチャイルドの癒し」というブレスレットのことを、思い出してくださって、ご感想を送ってくださいました。
掲載の許可をいただきましたので、掲載させていただきます♪
(転載ここから)
(転載ここまで)
「綺麗だから」「好きだから」の言葉どおり、彼女はいつも、うちのとっておきブレスに目を付けてくださっていますが^^、そんな方が、意識的に反応して思い起こしてメールにしてくださったのが、「インナーチャイルドの癒し」だったわけですが。
石は、その持ち主さん本人が本当にそのエネルギーに「正直に」コミットしていこう、という時以外は「モノ」なんですよね。
この「正直に」というのは、顕在的な意識、思い、願い、というよりは、「心のニーズ」のことです。ハートの願いのほうが、アタマで考えた願いの威力よりも、エネルギー的な強弱で言えば「強い」ので、優先されて実現するんですよ。
だから、きっとよくある話なんだろうと思うけれど、「合う」「合わない」や、「効いた」「効かない」、「わかる」「わからない」の世界も、枕詞に「今は」がつくと思います。
「わかりたいのに、自分にはわからない」ということもあるし、「特にわからないけど、綺麗だから好きだし、いいや~」で、私はかまわないと思います。
いずれその意味を知る時に(生きてるうちとは限らないというのもミソ^^ですけれど)すべてが必然であったことを、知覚していただくことになるんじゃないでしょうか。
もちろん、制作者のエゴ的な部分では、「ひぇえええ、わからないのに、あんなスゴイものを欲しいと感じて手になさるのか~~~」のような^^純粋な驚きを隠せないところもあったりする時もあるんですが(汗)、私はですね、うちの石アクセサリというのは、ご本人様の表面的なエゴの下、奥深くにある「ハートに住まう」その方のハイヤーセルフさんに向けて、アピールしているモノなんだろうなという認識もあります^^。
そうでないと説明がつかないことが、よく発生していますので。
なので、ご本人様によくわからなくても、その方のハイヤーさんのほうの要請なんだろうな、という理解をよくしています。
(実際にやりとりをさせていただくと、その感がより増しますよね)
ハイヤーセルフさんは、誰よりも、その方の、味方ですから。
そこから来る声が、クリアに聞こえなくても、「なんでかそう感じる」世界、その経験が起きやすいのも、石の世界の特徴(三次元世界エリアでは、より物質を超えた世界展開がしやすい)かと思います。
みなさん、ご自身がご自身の欲求とか物欲とか^^好みや財政事情、もろもろの条件下のもと、そういうもので、ご購入を決定いただいて手にしてくださっているとは思うのですが、中には、「なんでだろう」「なんで欲しいと思ったんだろう」ってあとから感じたり、そういうこともあるかもしれません。
そういう時に、石のチカラなんてわからないのに、なんで欲しいと思うのだろう、というモノを欲しがってしまう物欲そのものに呵責の感覚や、なにかに守って欲しいと頼ってしまうような依存心をいけないものとしてマイナス感情を抱いちゃうこともあるかもしれませんし。
(一部の精神世界では、「モノ」を持つことをいけないもののように扱う面もありますし、それは「お金」に関してもそうですよね・・・この話は長くなるので、また別の機会に)
>パワーストーンの効果って霊の存在に似てる気がします。
>私には霊能力はない。だから見えない。でも、見えないからないのかと言うと、見える>という人もいる。私には霊という存在があるという証明も、ないという証明もできない。
私も、「霊」って見えません。
とくに「四次元低層系(幽界)」については、コミットがないです。
一般的に言われる「霊」というのは、ほとんどがこの「幽界」の存在のことだそうで、こっち一辺倒を、あの世とか霊の世界(=怖そうな場所)と広められてしまいがちなのですが、この手の人を怖がらせる系の階層も一部あるようですが、それは四次元の低層と言われる、いわゆる「浮かばれない霊」という名前のとおり、重い波動で上昇できない霊で、実はそこはこの三次元により近いネガティブ波動領域であるため、生きている人間にコミットしやすいから、霊障だとかそういうこともあるわけなのですが、「ポジティブな人間」にはとりつくしまがないため、ひたすら、ちょっと弱気になっている、ネガティブ意識を継続して保持している人を探して、かかわろうとするんですね。
いわばそれも、四次元低層の存在にとっては、自己実現なわけなのだろうと思います。
そのくらい、スピリットの世界というものは、自己を表現し、他と融合しようとする世界・・・という、「表現、存在、ありようがそのまま」の世界である・・・別の意味で、それを教えてくれている事象なのだと感じます。
なので、そういったネガティブな領域のスピリットだけが地上に関わろうとしているのではなく、当然ですが、より「高次の領域」のスピリットも、私たちとのコミットをしています。
「かかわろう」という意味では、いずれも同じだと思います。
方向性がぜんぜん違うだけで、つまり、どっちの方向性が好みなのか、という点で、もしネガティブはいやじゃ、ポジティブな愛の世界のほうが断然いい!! のであれば、この三次元においては、かなりしんどいですが、低次元の表現者として使われるのではなく、高次元の表現者として、そこにコミットできる自分自身を創り上げて行くくらいの「努力」はやっぱり必要かな、と感じます。
あるという「証明」ないという「証明」、私はできれば、その「証明」をしていきたい立場にあった人間ですが、私一人がそれを「証明」することは無理なので^^今は証明したいと思っていないし、私自身も、証明を求めてはおりません。
(証明、証拠、事実・・・そういうものがあることと、また、それぞれが個々に、ハートの真実に目覚めて、善く生きよう、自己を変容させよう、という、誰にも依存できない、これは神様にも宇宙にもお願いできない、「自身の正直な思いの発露」とは、またベツモノだからです。「思い」はいかなる存在にも他者に対して強制することはできませんから、「これが真実だよ」と提示されて、人間の思いが自動的に真実に沿ってすぐに切り替わることができるのならば、そもそもこの三次元世界がある意味もありませんよね。)
掲載の許可をいただきましたので、掲載させていただきます♪
(転載ここから)
私には石の力を感じることが出来ません。
こちらのブレスを買うのは、単純に石が綺麗で好きだからです。
そんな私ですが思い返すと、ってことがあったので書きます。
いつもお世話になっている神崎さまにはつまらないメールになるだろうと思います。
私の親はメールで愚痴ったような親です。
多分、親も仕事が忙しくて、子育てに専念できない、それ故だと思います。
私は人に自分の作ったものを見せるのが苦手です。
それが小学校の夏休みの宿題でもです。
料理を他人に振る舞うなどもってのほか。
だから、両親は私が料理が出来ないと思ってます。
他人に評価されるのがだめなんです。
親に、適材適所で褒められなかったためじゃないかと思います。
そんな私が東京で13年やっていたのがDTPという仕事です。
もともとMacが好きで、Macを使った仕事がしたくて、結果DTPに流れ着きました。
DTPという仕事は、私がついた当初はデザイナーさんの指示通りに紙面をデータ化していく仕事でした。
時がたつにつれ、細分化されていた仕事がDTPというものでデザインから作らなくてはいけないものになりました。
私は人に作品を見せるのが苦手です。
当然の成り行きなんでしょう。精神を病みました。
屋久島に来て、東京にいた頃に比べて処方される薬が少なくなりました。
これは私の症状が良くなったわけではなく、単純に徳洲会(選挙で話題になりましたよね)の閉鎖的な環境のもと、処方される薬に制限ができ、かわりに新しい薬が処方されました。
この薬が妙にリアルな夢を見せるんです。
目覚めるたびに、早く東京に帰らなくちゃ、仕事にもどらなくちゃ、と毎日のように思ってました。
パワーストーンの効果って霊の存在に似てる気がします。
私には霊能力はない。だから見えない。でも、見えないからないのかと言うと、見えるという人もいる。私には霊という存在があるという証明も、ないという証明もできない。
セレスタイトには安眠効果があると以前ネットで見て、東京にいた時にはちょっと大きい結晶体を枕元に置いてました。
インナーチャイルドの癒しを入手して、これは普段使いするとまずい、セレスタイトが入ってるから寝る時に付けよう、となりました。
気がつくと、このブレスを付けて寝ていると、リアルな悪夢で東京にいかなきゃ、ってことがなくなりました。
慌ててブログのメールフォームから送る内容でもないんですが、一応、実際効果はあるんだ、と自分で確認したので。
なんだか、神崎さまにはすべて吐き出したくなるんです。
受け止める側も大変ですよね…。ごめんなさい。
そろそろ月末のアクセサリ制作にかかる時期かと思います。天候もなんだかはっきりしないのでご自愛ください。
(転載ここまで)
「綺麗だから」「好きだから」の言葉どおり、彼女はいつも、うちのとっておきブレスに目を付けてくださっていますが^^、そんな方が、意識的に反応して思い起こしてメールにしてくださったのが、「インナーチャイルドの癒し」だったわけですが。
石は、その持ち主さん本人が本当にそのエネルギーに「正直に」コミットしていこう、という時以外は「モノ」なんですよね。
この「正直に」というのは、顕在的な意識、思い、願い、というよりは、「心のニーズ」のことです。ハートの願いのほうが、アタマで考えた願いの威力よりも、エネルギー的な強弱で言えば「強い」ので、優先されて実現するんですよ。
だから、きっとよくある話なんだろうと思うけれど、「合う」「合わない」や、「効いた」「効かない」、「わかる」「わからない」の世界も、枕詞に「今は」がつくと思います。
「わかりたいのに、自分にはわからない」ということもあるし、「特にわからないけど、綺麗だから好きだし、いいや~」で、私はかまわないと思います。
いずれその意味を知る時に(生きてるうちとは限らないというのもミソ^^ですけれど)すべてが必然であったことを、知覚していただくことになるんじゃないでしょうか。
もちろん、制作者のエゴ的な部分では、「ひぇえええ、わからないのに、あんなスゴイものを欲しいと感じて手になさるのか~~~」のような^^純粋な驚きを隠せないところもあったりする時もあるんですが(汗)、私はですね、うちの石アクセサリというのは、ご本人様の表面的なエゴの下、奥深くにある「ハートに住まう」その方のハイヤーセルフさんに向けて、アピールしているモノなんだろうなという認識もあります^^。
そうでないと説明がつかないことが、よく発生していますので。
なので、ご本人様によくわからなくても、その方のハイヤーさんのほうの要請なんだろうな、という理解をよくしています。
(実際にやりとりをさせていただくと、その感がより増しますよね)
ハイヤーセルフさんは、誰よりも、その方の、味方ですから。
そこから来る声が、クリアに聞こえなくても、「なんでかそう感じる」世界、その経験が起きやすいのも、石の世界の特徴(三次元世界エリアでは、より物質を超えた世界展開がしやすい)かと思います。
みなさん、ご自身がご自身の欲求とか物欲とか^^好みや財政事情、もろもろの条件下のもと、そういうもので、ご購入を決定いただいて手にしてくださっているとは思うのですが、中には、「なんでだろう」「なんで欲しいと思ったんだろう」ってあとから感じたり、そういうこともあるかもしれません。
そういう時に、石のチカラなんてわからないのに、なんで欲しいと思うのだろう、というモノを欲しがってしまう物欲そのものに呵責の感覚や、なにかに守って欲しいと頼ってしまうような依存心をいけないものとしてマイナス感情を抱いちゃうこともあるかもしれませんし。
(一部の精神世界では、「モノ」を持つことをいけないもののように扱う面もありますし、それは「お金」に関してもそうですよね・・・この話は長くなるので、また別の機会に)
>パワーストーンの効果って霊の存在に似てる気がします。
>私には霊能力はない。だから見えない。でも、見えないからないのかと言うと、見える>という人もいる。私には霊という存在があるという証明も、ないという証明もできない。
私も、「霊」って見えません。
とくに「四次元低層系(幽界)」については、コミットがないです。
一般的に言われる「霊」というのは、ほとんどがこの「幽界」の存在のことだそうで、こっち一辺倒を、あの世とか霊の世界(=怖そうな場所)と広められてしまいがちなのですが、この手の人を怖がらせる系の階層も一部あるようですが、それは四次元の低層と言われる、いわゆる「浮かばれない霊」という名前のとおり、重い波動で上昇できない霊で、実はそこはこの三次元により近いネガティブ波動領域であるため、生きている人間にコミットしやすいから、霊障だとかそういうこともあるわけなのですが、「ポジティブな人間」にはとりつくしまがないため、ひたすら、ちょっと弱気になっている、ネガティブ意識を継続して保持している人を探して、かかわろうとするんですね。
いわばそれも、四次元低層の存在にとっては、自己実現なわけなのだろうと思います。
そのくらい、スピリットの世界というものは、自己を表現し、他と融合しようとする世界・・・という、「表現、存在、ありようがそのまま」の世界である・・・別の意味で、それを教えてくれている事象なのだと感じます。
なので、そういったネガティブな領域のスピリットだけが地上に関わろうとしているのではなく、当然ですが、より「高次の領域」のスピリットも、私たちとのコミットをしています。
「かかわろう」という意味では、いずれも同じだと思います。
方向性がぜんぜん違うだけで、つまり、どっちの方向性が好みなのか、という点で、もしネガティブはいやじゃ、ポジティブな愛の世界のほうが断然いい!! のであれば、この三次元においては、かなりしんどいですが、低次元の表現者として使われるのではなく、高次元の表現者として、そこにコミットできる自分自身を創り上げて行くくらいの「努力」はやっぱり必要かな、と感じます。
あるという「証明」ないという「証明」、私はできれば、その「証明」をしていきたい立場にあった人間ですが、私一人がそれを「証明」することは無理なので^^今は証明したいと思っていないし、私自身も、証明を求めてはおりません。
(証明、証拠、事実・・・そういうものがあることと、また、それぞれが個々に、ハートの真実に目覚めて、善く生きよう、自己を変容させよう、という、誰にも依存できない、これは神様にも宇宙にもお願いできない、「自身の正直な思いの発露」とは、またベツモノだからです。「思い」はいかなる存在にも他者に対して強制することはできませんから、「これが真実だよ」と提示されて、人間の思いが自動的に真実に沿ってすぐに切り替わることができるのならば、そもそもこの三次元世界がある意味もありませんよね。)

この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする
カテゴリ : お客様の声
follow links
FB page
Google+Go to top of page