要は、TPOっていうんでしょうか。
その時々で、また、人によって「自分を取り戻すための石」は違うと思います。
ただそういうこと言ってると、「あらゆる石を持たなきゃいけない」みたいにキョーハクするんかい?! となってしまいそうなんですが、いや、まぁそんなの「石などなくても自分を取り戻せるヒトのほうが、世の中にはだんぜん多い」「自分を取り戻すのに、必要なモノやコトは人それぞれ」ですので、まぁ、気軽に聞き流してください。
「自分を取り戻す」って、そもそも、どういう場合を言うのでしょうか。
自信をなくして凹んでいる。
どうしてもやる気が出ない。
なんだか楽しいと思えることがない。
なんとなーく、まわりからの疎外感を感じる。
いつもビンボーで困ってる。
未来を想像したくない。自分の未来に悲観している。
自分なんて、なんの才能もない。
自分自身が価値がある人間と思えない。
・・・と、想像できるネガティブ感情を拾い出してみましたが、こんな気持でいっぱいな時が常態でいると、「それが自分本来の姿」だと、自分で自分を誤解してしまうのですが、私が思うに、「自分を取り戻す」っていうのは、単純に、これらの「思い」に支配される自分の心の掃除作業のこと、なんだと思います。
今、私は営業の仕事をしているのですが、営業というジョブ形態の宿命に、「数字」というものがあります。そうです、いやーないやーな、ノルマです。
営業マンは、そのノルマという数字に翻弄され、一喜一憂する生態を持った生き物。
このノルマ、数字という生き物は、学生時代にいくら勉強ができようと、第6チャクラが活性化しようと、そうそう自分に都合のよい姿となって現れる時ばかりが続くわけではありません。
百発百中の営業マンなど、この世には存在しません。それは、アタマで分かっている。
だから営業マンに限らず、自分の能力向上、運気向上のために、人は努力します。
でも、さまざまな「なんたら活性化」を試みたり、即席ノウハウ本を読んでその気になってみても、時間がたてばほとんどの人が、結局は「元の自分」に戻ってしまうような感覚があるのではないでしょうか。
そういった運、不運の波は、あって当然。
そして、いくら「あって当然」とアタマで理解していても、いったん「不運の波」のドツボにハマルと、それが永遠に続くのではないだろうか・・・と思えるくらいの、救い難いネガティブな靄に覆われてしまうことだってあります。
実は私もこれにハマッていた自分に、気がつきました。
病み上がりの身体で出勤し、また仕事に復帰して気がついたのですが、なにやら、同僚の営業マンのみなさん全員が、「絶好調」だったのです。揃いも揃って、私以外全員です。絶不調の体調から復帰した私を待っていた空気は、我も我もと、今までにない過去最高の数字の好調の波に湧く営業マンたちが醸し出す明るい空気でした。
そして、私はといえば。
体調の悪さに追い討ちをかけるように、ツキに見放され、絶好調に湧く人たちの中で、自己ワーストの営業成績を更新することに。
こういう時、人は焦り、焦れば焦るほど「自分を見失い」ます。
そして、「幸運」の神を必死で探すのです。
こんな時に「選びがちなパワーストーン」は。
そうです、ありがちな、チャンスを呼ぶ石だの、勝負に勝つ石だの、となります。
私は、ボーッと考えました。
そして何気なく選んだアクセサリーのラインナップが、ブラックアクアオーラ、ファルコンズアイ、ショールトルマリン、レインボーオブシディアン、アメジスト、フローライト、そして、スギライト、でした。
「運もなにも、まずは“自分を取り戻す”のだ。」
そう思いました。
この中には、いわゆる一般的に言われる「幸運を呼ぶ系」の石はありません。
しいて言えば、ファルコンズアイがそれにあたるかもしれませんが、それは言動と行動が伴っている場合において、という但書き付ですね。
そして、スギライトを実感しましたねー。
スギライトという石は、「次元を変える石」です。
次元を変えるのは、モノの見方が変わることで容易なのだ、という経験をさせてくれる石だと思います。
スギライトをGoogleイメージで検索
どんなふうに変わったのか。
なぜか、こう思えたのです。無理矢理にでなく。
「まわりのみんながみんな成績を上げている中で、ダントツにうだつのあがらないビリっケツという経験を満喫しよう。」
よく考えてみると、こういう経験は、そうなりたいと思っても、なかなかできるものでもありません。たいてい営業マンたちの成績というのは、上から下までばらつきがあるもので、そこそこの数字をあげる人間がいちばん多くなるというものですが、全員4割バッターの中で、1割台のプレイヤーがたったひとり、そして、その「極端に打てない一人」を自分が経験することなど、そうあるものでもないのです。
その、ミジメさ、情けなさという空気に、楽しんで浸る。
これは、とても面白い感情でした。
そして、それが心底「なんか、面白いなぁ」と思えた自分を待っていたのは、振り返ってみれば、「ことごとくラッキー」な数字でした。
一日で、三日分を取り戻したのでした。
あら不思議。
「現実」までもが、一転したのでした。
この話で、私が何をお話したいのかというと、「無理矢理、ポジティブ思考」になりましょう、それが運を好転させるコツですよ、ということではありません。
それよりも、ネガもポジも関係ない「自分を取り戻す」コツを経験できる楽しさ、それをイシは教えてくれる、イシのチカラを引き出そうと思えば、おそらく誰でも朝飯前なのだ、ということをお伝えしたかったのでした。
なんだ、結局色々な石を持て、っちゅうんかい、とがっかりしないでね。
ただ、色々持ってると、色々面白い経験ができるのは、私の場合はホントの話です。
その時々で、また、人によって「自分を取り戻すための石」は違うと思います。
ただそういうこと言ってると、「あらゆる石を持たなきゃいけない」みたいにキョーハクするんかい?! となってしまいそうなんですが、いや、まぁそんなの「石などなくても自分を取り戻せるヒトのほうが、世の中にはだんぜん多い」「自分を取り戻すのに、必要なモノやコトは人それぞれ」ですので、まぁ、気軽に聞き流してください。
「自分を取り戻す」って、そもそも、どういう場合を言うのでしょうか。
自信をなくして凹んでいる。
どうしてもやる気が出ない。
なんだか楽しいと思えることがない。
なんとなーく、まわりからの疎外感を感じる。
いつもビンボーで困ってる。
未来を想像したくない。自分の未来に悲観している。
自分なんて、なんの才能もない。
自分自身が価値がある人間と思えない。
・・・と、想像できるネガティブ感情を拾い出してみましたが、こんな気持でいっぱいな時が常態でいると、「それが自分本来の姿」だと、自分で自分を誤解してしまうのですが、私が思うに、「自分を取り戻す」っていうのは、単純に、これらの「思い」に支配される自分の心の掃除作業のこと、なんだと思います。
今、私は営業の仕事をしているのですが、営業というジョブ形態の宿命に、「数字」というものがあります。そうです、いやーないやーな、ノルマです。
営業マンは、そのノルマという数字に翻弄され、一喜一憂する生態を持った生き物。
このノルマ、数字という生き物は、学生時代にいくら勉強ができようと、第6チャクラが活性化しようと、そうそう自分に都合のよい姿となって現れる時ばかりが続くわけではありません。
百発百中の営業マンなど、この世には存在しません。それは、アタマで分かっている。
だから営業マンに限らず、自分の能力向上、運気向上のために、人は努力します。
でも、さまざまな「なんたら活性化」を試みたり、即席ノウハウ本を読んでその気になってみても、時間がたてばほとんどの人が、結局は「元の自分」に戻ってしまうような感覚があるのではないでしょうか。
そういった運、不運の波は、あって当然。
そして、いくら「あって当然」とアタマで理解していても、いったん「不運の波」のドツボにハマルと、それが永遠に続くのではないだろうか・・・と思えるくらいの、救い難いネガティブな靄に覆われてしまうことだってあります。
実は私もこれにハマッていた自分に、気がつきました。
病み上がりの身体で出勤し、また仕事に復帰して気がついたのですが、なにやら、同僚の営業マンのみなさん全員が、「絶好調」だったのです。揃いも揃って、私以外全員です。絶不調の体調から復帰した私を待っていた空気は、我も我もと、今までにない過去最高の数字の好調の波に湧く営業マンたちが醸し出す明るい空気でした。
そして、私はといえば。
体調の悪さに追い討ちをかけるように、ツキに見放され、絶好調に湧く人たちの中で、自己ワーストの営業成績を更新することに。
こういう時、人は焦り、焦れば焦るほど「自分を見失い」ます。
そして、「幸運」の神を必死で探すのです。
こんな時に「選びがちなパワーストーン」は。
そうです、ありがちな、チャンスを呼ぶ石だの、勝負に勝つ石だの、となります。
私は、ボーッと考えました。
そして何気なく選んだアクセサリーのラインナップが、ブラックアクアオーラ、ファルコンズアイ、ショールトルマリン、レインボーオブシディアン、アメジスト、フローライト、そして、スギライト、でした。
「運もなにも、まずは“自分を取り戻す”のだ。」
そう思いました。
この中には、いわゆる一般的に言われる「幸運を呼ぶ系」の石はありません。
しいて言えば、ファルコンズアイがそれにあたるかもしれませんが、それは言動と行動が伴っている場合において、という但書き付ですね。
そして、スギライトを実感しましたねー。
スギライトという石は、「次元を変える石」です。
次元を変えるのは、モノの見方が変わることで容易なのだ、という経験をさせてくれる石だと思います。
スギライトをGoogleイメージで検索
どんなふうに変わったのか。
なぜか、こう思えたのです。無理矢理にでなく。
「まわりのみんながみんな成績を上げている中で、ダントツにうだつのあがらないビリっケツという経験を満喫しよう。」
よく考えてみると、こういう経験は、そうなりたいと思っても、なかなかできるものでもありません。たいてい営業マンたちの成績というのは、上から下までばらつきがあるもので、そこそこの数字をあげる人間がいちばん多くなるというものですが、全員4割バッターの中で、1割台のプレイヤーがたったひとり、そして、その「極端に打てない一人」を自分が経験することなど、そうあるものでもないのです。
その、ミジメさ、情けなさという空気に、楽しんで浸る。
これは、とても面白い感情でした。
そして、それが心底「なんか、面白いなぁ」と思えた自分を待っていたのは、振り返ってみれば、「ことごとくラッキー」な数字でした。
一日で、三日分を取り戻したのでした。
あら不思議。
「現実」までもが、一転したのでした。
この話で、私が何をお話したいのかというと、「無理矢理、ポジティブ思考」になりましょう、それが運を好転させるコツですよ、ということではありません。
それよりも、ネガもポジも関係ない「自分を取り戻す」コツを経験できる楽しさ、それをイシは教えてくれる、イシのチカラを引き出そうと思えば、おそらく誰でも朝飯前なのだ、ということをお伝えしたかったのでした。
なんだ、結局色々な石を持て、っちゅうんかい、とがっかりしないでね。
ただ、色々持ってると、色々面白い経験ができるのは、私の場合はホントの話です。

この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする
カテゴリ : 敗者復活stone
follow links
FB page
Google+Go to top of page