自分が昨日、前述の「普通の人」に、影響受けてたな~、と感じるところ
この「いたしかたない」という台詞(笑)
かのクレアボヤントさんて、これが「口癖」だったwww
スピに関わると(というよりも、あたしたちが無意識に刷り込まれてきた「宗教」です。日本人は無宗教ということになってるんですが、各方面でwwwこの「いたしかたない」を幼少から刷り込まれ、現在に至りますから)
この「いたしかたない」を受け入れつつ、いかに乗り越えるのか
そういうかなり「無理目」で強引なwwwワールド展開へのチャレンジとなるわけです
ただね、「そのくらい、自分がなんとかする、自分ならできる」という方向へ行くので
それはそれで「なせばなる」世界は創造できるんですよwww

自分は幼少期からこの「無理目で理不尽なこの世」にw
「神様ご先祖様に国に社会に人に感謝」を宗教強要(笑)されてwww育ちましたから
いつも「感謝できない自分」というアンビバレンスの中を生きることに(大人に「強要」されると、子どもは逆を行きますので)
とはいえ、そんな不満だらけの感情でいながら
今、振り返ってみると、まぁまぁ信じられないレベルに「守られていたのかしら」とは言えるんです
それを「感謝」というのであればwww「近目には」感謝ではあったんですよ
幼少期は、どう振り返ってみても「虐められ条件対象」を肌で敏感に感じる(笑)虐められ候補生のようなタイプでした
それは、小学生、中学生になっても、その危機感www「根」は常にあったのですが
幼少期は、幼稚園では、たまたまの近所の幼馴染の男の子が守ってくれました
小学生では「一応勉強ができたから」守られました(笑。でも周囲には「不人気」を肌で感じていました)
中学生では…おそらく在日だったのであろう(笑)のちにヤクザ幹部となったらしい(爆笑)男の子や、実の弟の存在にwww守られました
高校生では…意図はしていませんでしたが、「野球部の一員」という「名札」に守られました
(こう考えると、なんだかんだと「異性に守られてる率」が高かったんですねwww「女性性」なんてぜんぜんないと思ってたけどwwwむっちゃ、子供時代に使い果たしてるやんかwww)
中学生以降ではね、もう、人間社会の不文律、社会性が顕れてくるんです
「クラスで目立つ子」とか「強そうな男の子」「運動神経のいいポジティブ男子は、なんだかんだと好印象」とか
あたしは、そういう人間社会に賛同している感性の人ではなかったんだけど(むしろ本当は反発していた)
自分が「かかわる」となると(笑)なんだかんだといって…「運ばれていく」のも「相手に目をつけられていく」のも、常にそっち路線だったので
カンタンに言うと、「自分の実力ではない、他人の看板」とでもいうのかwww
意外と…そういうものの「傘下」に位置することで虐められずに済んだ、ってことなんだろうな…ということはわかっていたのです
(それどころか、中高校生くらいになると、もうその看板で「級友から好かれる」だとかが始まるんですよ。中学生あたりがいちばんキツかったですよね。中1中2くらいはなんとかその「強い男の子」に嫌われてない(笑)ポジションを維持し、息切れてきた中3でw「みんなのアイドル」のような当時はむっちゃ可愛い男の子だった(今はただの猿w)実弟が同じ学校に登場してきてくれて「そのお姉さん」というポジでw守られたのです。ジャニタレレベルではありませんがwでもジャニも色々だから「仮にジャニあたりにいてもおかしくなかった」くらいのクォリティはあったかな。当時GOファンだったんだからwそそのかしてジャニ事務所に弟入れようとかwそういう知恵が働かなくて、ホント良かったですよwww(そこには全然思い至らなかったでしたね、不思議と。たぶん私は基本、自分が利を得るために自分じゃないものを利用するwそれが好みじゃなかったから。それがもうそこに出てたんでしょうねw)確かにみんなが「可愛い」って言ってると可愛いんですよ。当時の同級生とかマジ、すっごい弟を可愛がってて(身内以上に他人のほうが高評価)「あんな可愛い弟がいて羨ましい」とかw言われてて、自分はその彼の人ウケのいい存在感のおこぼれで生き延びたな…っていう意識はひしひしと当時あったにはあったんですよね。あれですよ、記事にもしてるけどうちは父親が美形は美形だったから、一応その片鱗くらいは弟とかには子供時代は造作の意味であったんでしょうね(今はないですw)。「容姿やキャラが人にウケる」世界はこうやって自分は常に身近に見てきているわけですよ、自分の身内でwwwだから、美形な容姿がいい人間への「かしずき感覚、崇める感覚」それじたいは「ない」んです。でも「容姿&キャラが人に好まれるとお得なんだな」って世界も見てきてるので(笑)そこは否定はしないんですが、日本人の場合ちょっと「過剰に」容姿信仰の世界が何十年展開してきていたんだな…ということには、ずっと気づいていませんでした。私が容姿のプライオリティそこまで重要視に走らなかったのは、「それを持ってる」人が必ずしも浮かばれてるwってわけじゃない世界も間近で見てきたのもありますし、その美形の父が生涯人間の容姿の是非を語ったことがない(笑)という、容姿以外の部分でのドコンプレックス人間でもあったからなんだろうな、とは思いますね。彼が人間の容姿を褒めたり貶しているのを一度も聞いたことも見たことがなかったですからwww本当は何をどう思っていたのかまでは知りません。でも知らないけど、生前一度だけあたしのことを「可愛い」と言っていたことがあるから、「容姿じゃない基準」なことは確実ですwww)
そして、自動的に、ベルトコンベアに乗せられて大企業オーエルの世界で、今度は「エリートさんたちの世界」だったんですからね
見る人から見れば、「立ち回りの上手い」人そのものですよwwwwww
でも、立ち回りがうまかった(確かに合わせるところは合わせてたと思うけど)その意識はなくて、「流れ」だったし、私の感情からするとむしろそれらは「いたしかたなく」だったんですよねwww
だからそこいらあたりまでの人生では、大打撃コンプレックスを生み出すような酷いトラウマ経験もほとんどなく「カバル社会だからこそ(笑)助かってたんだな~」とは、今でも思ってますよ
(もしそういう頃に、心身脆弱だったあたしが、人間社会特有の負の経験、周りの人からはっきりと嫌われ否定されるリンチのような針の筵の集団虐めとか、そういう目に遭っていたら、間違いなくもう生きてなかったんじゃないだろうか…という気もします)
今の時代でしたら、そういう頃の自分単体だけ考えると、どう考えても、嫌われる、虐められ対象だったと思うんです
ブサイクでそもそも本当は「陰キャ」なのに(笑)で、別に、男子ウケするような「女の子らしい」性格ではなく(「女の子は将来嫁に行け洗脳」にはもう子供の時から抵抗してましたからw)、「どっかでこの世になじめない」のですからwww総スカンの目にあってたって、ぜんぜんおかしくないはずなのにwww
そこはなんでだったんだろう? とは思ってたんです
(まぁ、良い言い方をすれば、「ラッキー」「守られていた」なのでしょうけれど、私自身は「高次計画」は感じますよ。将来のこの時のためにwwwみなさんにお話できる(笑)要素を、すべて経験の中にちりばめられ見つけてきた感はありますのでwww)

だからね
その過去生レベルの(笑)頃までの自分には、「劣等感」は常にあったんです
自分のちからで輝いていない人
上述にもあるけど、他人を利用したくない(笑)はずなのに、結局のところは「看板」「誰か優位性のある人の庇護、ご威光」そこに依存している自分
自分じゃないものに頼ってる、そうしないと生きられない自分
その仕上げが大企業社員(笑)
そういう自分がいたたまれなくてwww
(世の中ではこういう人を「中二病」とか、そう呼ぶわけよ。言えば「でも世の中ってそういう「持ちつ持たれつ」でしょ~? ”みんなそうだよ”」とかwそうなるでしょう?(笑)。しかも、世の中のだいたいの人はおそらく「看板」「ラベル」優位性ポジション、良い条件を持てば持つほど、むしろ喜ぶんでしょう? じゃなかったな、自分は。長くなるから省くけど)
とはいえ、その最初の大企業だって11年もいたわけで、ず~っとず~っと閉塞感の中にいたってわけじゃなくて
”一応””みんな”の和の中にはいたし(笑)会社の子たちといっしょにコンサート行ったり(笑)飲みにいったりカラオケ行ったりテニスやスキーや旅行、温泉(笑)いっぱしの普通の人レベルのことはしていましたしね
それでも、ず~っと、「ここじゃない」「これじゃない」って
別に不幸じゃないし、今の人達から見れば、ああいう時代を経てきた昭和人は相当恵まれていたのだろうと思うし
それでもね…
な~~~んか、変な焦りというか、「これをし続けることじゃない」っていう感覚は自分にはずっとあり続けていたよね
(でもね、当時、ほんっと~~~に、風邪を引きやすくて、身体弱かった(笑)んですよwwwいっつも薬飲んでた(それがいけなかったということなんだけど)。だからね、「会社を辞めたら、病気になった時どうしよう」という「社畜特有の恐れ」とか(笑)実際、10年ぬるま湯に浸かってると、当時もうそのメンタルは持ってましたよ。「毎年の健康診断」がいいものだと(笑)思ってたんだからwww(医療洗脳に浸かってました。だからそういう世界に居続けたらコロナ脳だったよ、きっとw)大企業社員とかが職域接種(笑)その社畜メンタルwwwまぁ、自分が経験してきたことがあるからわかるよね。毒ワクチン強制と会社やめる、いづらくなる、その天秤で「毒注射を取る人たち」というwwwカイシャインで雇われで、その「肩書身分」が自動的に給料保証になる生活10年20年30年としてきた人たちは、「自分の命がそれイコール」そうなっちゃうんですよね。こういう時「いたしかたない」という台詞を使うわけですよ、当事者は)
ほんとうの「等身大」が始まったのは、ほんとうに、大企業オーエルをやめてからの世界
自分にとっては、そこまでの人生は、「過去生」そのもの(笑)と今も思えるんです

普通の人たちが「受け入れさせられる」
いたしかたない、っていう言葉
私は、「自称普通の人」ということらしいクレアボヤントさんのようなタイプの
確かにどこにでもいそうな感じの人、というタイプの人に、あまりかかわったことがありませんでした
そして私自身
自分の等身大を始めてからwwwヤバいくらいに「いたしかたない」ことのオンパレード人生に直面経験
それを経てきましたから
「普通の人たち」が、眩しくて、みなさんが大人に見えていましたし
自分はなんてお子様だったのだろうと
「小さなことへの感謝」が、ほんとうに、感謝ができなかった自分でしたのに、それが湧いてくる世界があること
それを知りましたし
そうやって生きることへの肯定感覚も生まれてきましたし
日本人が無意識に刷り込まれている(笑)というよりも、これはもう「DNA特性だね」と思えるようなwww
そういう世界への「肯定感」も、生まれていくようになっていたわけです
「自分は普通の人で良かったな」そう心から思えるようになっていきました

でもそれは
「見せかけの平和」でしたよね
スピ業界では、常に常に「内なる」を言いますし、実際に、それは本当なんです
内側からそれはやってきます
自分が変わると、他人も変わります
その経験もしてきました
しかし、個人個人は、その「内なる世界」を拡大していく
その方法しかなく
「世の中まるごと」には及ばない
そして「普通の人」は、それを、人生とおして、肌感覚で小さい頃からわかってしまっている道程しか生きていない人がほとんどなので
「いたしかたない」って言うしかなくなってしまってきた
その連続が、今までの人間社会、日本人の社会だったんですよ
ちなみにね、子供の頃、「みんなのアイドル」になって人間の世界に馴染めない姉を救ってくれた(笑)当時、人ウケの良かった弟は、父親の暴力に遭ってきた人だから。決して、「いいことばかり」じゃなかった人なのよ。そして、今は彼はそれを「敎育だった」って、あれはあれであって良かったことだったんだ、として肯定することで、自己を保っているし、むしろ今はもういないからw「父を好き」みたいになってるよね
(子どもの時に大人の暴力に遭ってきた経験ある人はそうなりやすい。一方的に暴力を振るう相手を「肯定」することで、自己肯定するんだよ。それが、ジャニにカマ掘られてきた、性暴力に遭ってきたジャニタレの子たちでもあるよね。それを被害当事者が「これはあって良かったこと」って肯定しなければ、相手を好きにならなければ、自己の存在が揺らぐんだよね。だから、なくならなかったのよ、50年も。そして、「悪魔教の子どもたち」も、それなんだよね。彼ら自身も暴力で教育されている。それでも、親を愛している、親に認めてもらおうと頑張るわけですよ。だから、エンタメとかで一応「それなり」のスターになってきたのよ、彼ら)
なんで暴力に遭っていたか、理由は「勉強ができなかったから」が主な理由だったかと記憶している
「オトコは跡取り」きっと期待していたんじゃないの。勉強は姉二人はできたから、自分の子なんだから頭が良くて当たり前なんだwって理屈よ。自分に似て喜べるのは「アタマの良さ(学校の勉強ができる)」そこだけwwwたぶん容姿じゃなくてw学校の勉強ができたことが、父自身の若い頃の糧だったんじゃないのかな。そして「当たり前」にオトコだけは将来のために大学出そうとか父なりの将来構想とか期待があったのでしょう。勝手な理由よね。
(でも学校の勉強はできなかったけど、いちばん地頭がいい、と言えたのはw弟だったと思うけどねwwwそして、勉強はできなかったけれど、勉強のできる姉よりも「先生にもかわいがられてる」っていうwwwありゃ何だったんだろう、と思うわ。学年違うのに(笑)あたしの周辺の先生たちも「詞音の弟」って弟の話をするんだよ。やっぱアイドルwだったよな.。家で暴力振るわれてる、家が恐怖の場所だったから。学校が彼にとっての天性を生きる救いの場所だったんだろうね。ジャニタレの子たちといっしょ(笑)やんw彼らもステージの上で大勢の女の子たちにキャ~って喜んでもらえる。それが「救い」だったんじゃないのかな。父が弟への暴力をやめたのはね、成長して「力が逆転」した時から。彼は父をこてんぱんに殴り倒したんだよね。そこからやめたw本当に見事に。まぁ、「恐怖支配」の立場逆転、ってことね。弟はね子どもの時に、父が「外」で見せるチキンっぷりに気がついてたらしい。「この人って本当はチキンなんだ」っていうのを発見した時に怖くなくなったんだって。だから力で勝った以降は、何一つ言われなくなった。でもそれで無事に問題が解決したのか? っていえばそうではない。心の傷って相手に勝った、打ち負かした、とかそういうことで癒えてはいないんだな、っていうことは、見てるとわかるよ)
これから、人間の社会からは
この「いたしかたない」が消えていきます
いたしかたない、と諦める必要のない、子どもたちが生まれてこれる世界となっていきます
だけど、今を生きる人間が、この「いたしかない」が口癖になってしまっていれば
人間は、「いたしかたない世界」を、創造していくのです(人間には創造力がありますので)
「いたしかたない」を回避できた状態(笑)だけがwww人間の幸福…きっと、それはそれで歪な(笑)偏った人々だらけにもなってしまう
本当は全員が、いたしかたなくない人になること、それは「実現できない理想」ではなかったことを、これから知る
誰かを犠牲にして成り立つ社会は、「私たちがそれを終わらせる」ためにここにいるのだと思います
今までの人間社会は、たぶん、わたしたちを「鍛える」筋トレのような役割そのものはしていたとは思います
今までの世界を生きてきた私たち自身の意識を
「いたしかたない」から卒業させていきましょう
この「いたしかたない」という台詞(笑)
かのクレアボヤントさんて、これが「口癖」だったwww
スピに関わると(というよりも、あたしたちが無意識に刷り込まれてきた「宗教」です。日本人は無宗教ということになってるんですが、各方面でwwwこの「いたしかたない」を幼少から刷り込まれ、現在に至りますから)
この「いたしかたない」を受け入れつつ、いかに乗り越えるのか
そういうかなり「無理目」で強引なwwwワールド展開へのチャレンジとなるわけです
ただね、「そのくらい、自分がなんとかする、自分ならできる」という方向へ行くので
それはそれで「なせばなる」世界は創造できるんですよwww

自分は幼少期からこの「無理目で理不尽なこの世」にw
「神様ご先祖様に国に社会に人に感謝」を宗教強要(笑)されてwww育ちましたから
いつも「感謝できない自分」というアンビバレンスの中を生きることに(大人に「強要」されると、子どもは逆を行きますので)
とはいえ、そんな不満だらけの感情でいながら
今、振り返ってみると、まぁまぁ信じられないレベルに「守られていたのかしら」とは言えるんです
それを「感謝」というのであればwww「近目には」感謝ではあったんですよ
幼少期は、どう振り返ってみても「虐められ条件対象」を肌で敏感に感じる(笑)虐められ候補生のようなタイプでした
それは、小学生、中学生になっても、その危機感www「根」は常にあったのですが
幼少期は、幼稚園では、たまたまの近所の幼馴染の男の子が守ってくれました
小学生では「一応勉強ができたから」守られました(笑。でも周囲には「不人気」を肌で感じていました)
中学生では…おそらく在日だったのであろう(笑)のちにヤクザ幹部となったらしい(爆笑)男の子や、実の弟の存在にwww守られました
高校生では…意図はしていませんでしたが、「野球部の一員」という「名札」に守られました
(こう考えると、なんだかんだと「異性に守られてる率」が高かったんですねwww「女性性」なんてぜんぜんないと思ってたけどwwwむっちゃ、子供時代に使い果たしてるやんかwww)
中学生以降ではね、もう、人間社会の不文律、社会性が顕れてくるんです
「クラスで目立つ子」とか「強そうな男の子」「運動神経のいいポジティブ男子は、なんだかんだと好印象」とか
あたしは、そういう人間社会に賛同している感性の人ではなかったんだけど(むしろ本当は反発していた)
自分が「かかわる」となると(笑)なんだかんだといって…「運ばれていく」のも「相手に目をつけられていく」のも、常にそっち路線だったので
カンタンに言うと、「自分の実力ではない、他人の看板」とでもいうのかwww
意外と…そういうものの「傘下」に位置することで虐められずに済んだ、ってことなんだろうな…ということはわかっていたのです
(それどころか、中高校生くらいになると、もうその看板で「級友から好かれる」だとかが始まるんですよ。中学生あたりがいちばんキツかったですよね。中1中2くらいはなんとかその「強い男の子」に嫌われてない(笑)ポジションを維持し、息切れてきた中3でw「みんなのアイドル」のような当時はむっちゃ可愛い男の子だった(今はただの猿w)実弟が同じ学校に登場してきてくれて「そのお姉さん」というポジでw守られたのです。ジャニタレレベルではありませんがwでもジャニも色々だから「仮にジャニあたりにいてもおかしくなかった」くらいのクォリティはあったかな。当時GOファンだったんだからwそそのかしてジャニ事務所に弟入れようとかwそういう知恵が働かなくて、ホント良かったですよwww(そこには全然思い至らなかったでしたね、不思議と。たぶん私は基本、自分が利を得るために自分じゃないものを利用するwそれが好みじゃなかったから。それがもうそこに出てたんでしょうねw)確かにみんなが「可愛い」って言ってると可愛いんですよ。当時の同級生とかマジ、すっごい弟を可愛がってて(身内以上に他人のほうが高評価)「あんな可愛い弟がいて羨ましい」とかw言われてて、自分はその彼の人ウケのいい存在感のおこぼれで生き延びたな…っていう意識はひしひしと当時あったにはあったんですよね。あれですよ、記事にもしてるけどうちは父親が美形は美形だったから、一応その片鱗くらいは弟とかには子供時代は造作の意味であったんでしょうね(今はないですw)。「容姿やキャラが人にウケる」世界はこうやって自分は常に身近に見てきているわけですよ、自分の身内でwwwだから、美形な容姿がいい人間への「かしずき感覚、崇める感覚」それじたいは「ない」んです。でも「容姿&キャラが人に好まれるとお得なんだな」って世界も見てきてるので(笑)そこは否定はしないんですが、日本人の場合ちょっと「過剰に」容姿信仰の世界が何十年展開してきていたんだな…ということには、ずっと気づいていませんでした。私が容姿のプライオリティそこまで重要視に走らなかったのは、「それを持ってる」人が必ずしも浮かばれてるwってわけじゃない世界も間近で見てきたのもありますし、その美形の父が生涯人間の容姿の是非を語ったことがない(笑)という、容姿以外の部分でのドコンプレックス人間でもあったからなんだろうな、とは思いますね。彼が人間の容姿を褒めたり貶しているのを一度も聞いたことも見たことがなかったですからwww本当は何をどう思っていたのかまでは知りません。でも知らないけど、生前一度だけあたしのことを「可愛い」と言っていたことがあるから、「容姿じゃない基準」なことは確実ですwww)
そして、自動的に、ベルトコンベアに乗せられて大企業オーエルの世界で、今度は「エリートさんたちの世界」だったんですからね
見る人から見れば、「立ち回りの上手い」人そのものですよwwwwww
でも、立ち回りがうまかった(確かに合わせるところは合わせてたと思うけど)その意識はなくて、「流れ」だったし、私の感情からするとむしろそれらは「いたしかたなく」だったんですよねwww
だからそこいらあたりまでの人生では、大打撃コンプレックスを生み出すような酷いトラウマ経験もほとんどなく「カバル社会だからこそ(笑)助かってたんだな~」とは、今でも思ってますよ
(もしそういう頃に、心身脆弱だったあたしが、人間社会特有の負の経験、周りの人からはっきりと嫌われ否定されるリンチのような針の筵の集団虐めとか、そういう目に遭っていたら、間違いなくもう生きてなかったんじゃないだろうか…という気もします)
今の時代でしたら、そういう頃の自分単体だけ考えると、どう考えても、嫌われる、虐められ対象だったと思うんです
ブサイクでそもそも本当は「陰キャ」なのに(笑)で、別に、男子ウケするような「女の子らしい」性格ではなく(「女の子は将来嫁に行け洗脳」にはもう子供の時から抵抗してましたからw)、「どっかでこの世になじめない」のですからwww総スカンの目にあってたって、ぜんぜんおかしくないはずなのにwww
そこはなんでだったんだろう? とは思ってたんです
(まぁ、良い言い方をすれば、「ラッキー」「守られていた」なのでしょうけれど、私自身は「高次計画」は感じますよ。将来のこの時のためにwwwみなさんにお話できる(笑)要素を、すべて経験の中にちりばめられ見つけてきた感はありますのでwww)

だからね
その過去生レベルの(笑)頃までの自分には、「劣等感」は常にあったんです
自分のちからで輝いていない人
上述にもあるけど、他人を利用したくない(笑)はずなのに、結局のところは「看板」「誰か優位性のある人の庇護、ご威光」そこに依存している自分
自分じゃないものに頼ってる、そうしないと生きられない自分
その仕上げが大企業社員(笑)
そういう自分がいたたまれなくてwww
(世の中ではこういう人を「中二病」とか、そう呼ぶわけよ。言えば「でも世の中ってそういう「持ちつ持たれつ」でしょ~? ”みんなそうだよ”」とかwそうなるでしょう?(笑)。しかも、世の中のだいたいの人はおそらく「看板」「ラベル」優位性ポジション、良い条件を持てば持つほど、むしろ喜ぶんでしょう? じゃなかったな、自分は。長くなるから省くけど)
とはいえ、その最初の大企業だって11年もいたわけで、ず~っとず~っと閉塞感の中にいたってわけじゃなくて
”一応””みんな”の和の中にはいたし(笑)会社の子たちといっしょにコンサート行ったり(笑)飲みにいったりカラオケ行ったりテニスやスキーや旅行、温泉(笑)いっぱしの普通の人レベルのことはしていましたしね
それでも、ず~っと、「ここじゃない」「これじゃない」って
別に不幸じゃないし、今の人達から見れば、ああいう時代を経てきた昭和人は相当恵まれていたのだろうと思うし
それでもね…
な~~~んか、変な焦りというか、「これをし続けることじゃない」っていう感覚は自分にはずっとあり続けていたよね
(でもね、当時、ほんっと~~~に、風邪を引きやすくて、身体弱かった(笑)んですよwwwいっつも薬飲んでた(それがいけなかったということなんだけど)。だからね、「会社を辞めたら、病気になった時どうしよう」という「社畜特有の恐れ」とか(笑)実際、10年ぬるま湯に浸かってると、当時もうそのメンタルは持ってましたよ。「毎年の健康診断」がいいものだと(笑)思ってたんだからwww(医療洗脳に浸かってました。だからそういう世界に居続けたらコロナ脳だったよ、きっとw)大企業社員とかが職域接種(笑)その社畜メンタルwwwまぁ、自分が経験してきたことがあるからわかるよね。毒ワクチン強制と会社やめる、いづらくなる、その天秤で「毒注射を取る人たち」というwwwカイシャインで雇われで、その「肩書身分」が自動的に給料保証になる生活10年20年30年としてきた人たちは、「自分の命がそれイコール」そうなっちゃうんですよね。こういう時「いたしかたない」という台詞を使うわけですよ、当事者は)
ほんとうの「等身大」が始まったのは、ほんとうに、大企業オーエルをやめてからの世界
自分にとっては、そこまでの人生は、「過去生」そのもの(笑)と今も思えるんです

普通の人たちが「受け入れさせられる」
いたしかたない、っていう言葉
私は、「自称普通の人」ということらしいクレアボヤントさんのようなタイプの
確かにどこにでもいそうな感じの人、というタイプの人に、あまりかかわったことがありませんでした
そして私自身
自分の等身大を始めてからwwwヤバいくらいに「いたしかたない」ことのオンパレード人生に直面経験
それを経てきましたから
「普通の人たち」が、眩しくて、みなさんが大人に見えていましたし
自分はなんてお子様だったのだろうと
「小さなことへの感謝」が、ほんとうに、感謝ができなかった自分でしたのに、それが湧いてくる世界があること
それを知りましたし
そうやって生きることへの肯定感覚も生まれてきましたし
日本人が無意識に刷り込まれている(笑)というよりも、これはもう「DNA特性だね」と思えるようなwww
そういう世界への「肯定感」も、生まれていくようになっていたわけです
「自分は普通の人で良かったな」そう心から思えるようになっていきました

でもそれは
「見せかけの平和」でしたよね
スピ業界では、常に常に「内なる」を言いますし、実際に、それは本当なんです
内側からそれはやってきます
自分が変わると、他人も変わります
その経験もしてきました
しかし、個人個人は、その「内なる世界」を拡大していく
その方法しかなく
「世の中まるごと」には及ばない
そして「普通の人」は、それを、人生とおして、肌感覚で小さい頃からわかってしまっている道程しか生きていない人がほとんどなので
「いたしかたない」って言うしかなくなってしまってきた
その連続が、今までの人間社会、日本人の社会だったんですよ
ちなみにね、子供の頃、「みんなのアイドル」になって人間の世界に馴染めない姉を救ってくれた(笑)当時、人ウケの良かった弟は、父親の暴力に遭ってきた人だから。決して、「いいことばかり」じゃなかった人なのよ。そして、今は彼はそれを「敎育だった」って、あれはあれであって良かったことだったんだ、として肯定することで、自己を保っているし、むしろ今はもういないからw「父を好き」みたいになってるよね
(子どもの時に大人の暴力に遭ってきた経験ある人はそうなりやすい。一方的に暴力を振るう相手を「肯定」することで、自己肯定するんだよ。それが、ジャニにカマ掘られてきた、性暴力に遭ってきたジャニタレの子たちでもあるよね。それを被害当事者が「これはあって良かったこと」って肯定しなければ、相手を好きにならなければ、自己の存在が揺らぐんだよね。だから、なくならなかったのよ、50年も。そして、「悪魔教の子どもたち」も、それなんだよね。彼ら自身も暴力で教育されている。それでも、親を愛している、親に認めてもらおうと頑張るわけですよ。だから、エンタメとかで一応「それなり」のスターになってきたのよ、彼ら)
なんで暴力に遭っていたか、理由は「勉強ができなかったから」が主な理由だったかと記憶している
「オトコは跡取り」きっと期待していたんじゃないの。勉強は姉二人はできたから、自分の子なんだから頭が良くて当たり前なんだwって理屈よ。自分に似て喜べるのは「アタマの良さ(学校の勉強ができる)」そこだけwwwたぶん容姿じゃなくてw学校の勉強ができたことが、父自身の若い頃の糧だったんじゃないのかな。そして「当たり前」にオトコだけは将来のために大学出そうとか父なりの将来構想とか期待があったのでしょう。勝手な理由よね。
(でも学校の勉強はできなかったけど、いちばん地頭がいい、と言えたのはw弟だったと思うけどねwwwそして、勉強はできなかったけれど、勉強のできる姉よりも「先生にもかわいがられてる」っていうwwwありゃ何だったんだろう、と思うわ。学年違うのに(笑)あたしの周辺の先生たちも「詞音の弟」って弟の話をするんだよ。やっぱアイドルwだったよな.。家で暴力振るわれてる、家が恐怖の場所だったから。学校が彼にとっての天性を生きる救いの場所だったんだろうね。ジャニタレの子たちといっしょ(笑)やんw彼らもステージの上で大勢の女の子たちにキャ~って喜んでもらえる。それが「救い」だったんじゃないのかな。父が弟への暴力をやめたのはね、成長して「力が逆転」した時から。彼は父をこてんぱんに殴り倒したんだよね。そこからやめたw本当に見事に。まぁ、「恐怖支配」の立場逆転、ってことね。弟はね子どもの時に、父が「外」で見せるチキンっぷりに気がついてたらしい。「この人って本当はチキンなんだ」っていうのを発見した時に怖くなくなったんだって。だから力で勝った以降は、何一つ言われなくなった。でもそれで無事に問題が解決したのか? っていえばそうではない。心の傷って相手に勝った、打ち負かした、とかそういうことで癒えてはいないんだな、っていうことは、見てるとわかるよ)
これから、人間の社会からは
この「いたしかたない」が消えていきます
いたしかたない、と諦める必要のない、子どもたちが生まれてこれる世界となっていきます
だけど、今を生きる人間が、この「いたしかない」が口癖になってしまっていれば
人間は、「いたしかたない世界」を、創造していくのです(人間には創造力がありますので)
「いたしかたない」を回避できた状態(笑)だけがwww人間の幸福…きっと、それはそれで歪な(笑)偏った人々だらけにもなってしまう
本当は全員が、いたしかたなくない人になること、それは「実現できない理想」ではなかったことを、これから知る
誰かを犠牲にして成り立つ社会は、「私たちがそれを終わらせる」ためにここにいるのだと思います
今までの人間社会は、たぶん、わたしたちを「鍛える」筋トレのような役割そのものはしていたとは思います
今までの世界を生きてきた私たち自身の意識を
「いたしかたない」から卒業させていきましょう

この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする
カテゴリ : PSW制作室
follow links
FB page
Google+Go to top of page