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副業か、専業か

2020年10月10日 (土) 00 : 00
これは、FC2ブログの、「Celestie.jp」さんの「スピリチュアルな仕事をする上での収入の目安」という記事中の、Himarayaラジオという音源を聞いて、思ったことです

私はあんまり、スピリチュアルな仕事をしたい方との接点、交流がないため(ないんですよw)

「ほんとうにこういう人っているのかな(これを聞きたいという需要ってあるのかな)」

と懐疑的なところはあるのですけれど

えっと、懐疑的というのは、

スピリチャルな仕事をしたい、みたいな人って、そんなにいるのだろうか?

(「あなたにもできる!」っていう広告はあるけどね、昔から。そういう広告にそそのかされて(笑)私にもできるかも…と足を踏み入れる人はわりと多いのかもしれないですね)

昔から、そこがず~っと懐疑的

あと、2番めの「副業の場合は何を目標にすればいい?」だとかね

これはHimarayaラジオを聞いてみて欲しいですね、スピ仕事をしている人も、そうでない人も、とくに2番めのほう(笑)




私自身、最初は兼業でしたし

兼業じゃなきゃ当然生活できませんでしたし、そもそも、「これが本業になる」なんて、夢にも思ってませんでしたので

「すべては流れです」

の結果、こうなっているだけなんで

だから、始めた当初は、兼業とか副業とか、なんていうんだろう…それを「自分がどっちにしたい」とかそういうキボウだの夢だのじたいが、なかったんですよ

かっこよく言ってしまえば…というより、実際そうだったんだけど

「目の前のことをやってきただけ」なんですわ…
将来のこととか「自分に合ってる合ってない、成功するか失敗するか」まで、そういう時、考えませんよね

ただ、もしかするとですが

「ず~っと兼業だったことを想定した場合」には、もしかすると、今はもうやってなかったかも(笑)しれないですw

そもそも、もともと、ブログの更新じたいをそんなにしていたわけではないので

ネタも尽きて(笑)創作意欲も年々フェードアウトしていくことになったかもしれません

なにしろ、もともとの性分としては、面倒くさがりやなんですから(笑)

他に仕事があれば、まぁ、エネルギーのリソースそっちにとられるわけですから

兼業は相当本人の情熱の燃料や馬力が必要だと思います
(私も、過去の馬車馬2足わらじ時代(笑)あれを今やれと言われたらwもう絶対できません。あの馬車馬生活3年はまさにあの3年だからできたことだと感じます)

なので

これは個人的な感覚ですけれど

私の場合は、「専業となることで、これをやっていくことが当然の立場へ追い込まれる」みたいな(笑)高次の誘導っていうか

そういうのがあったことを感じます

それをやるまえから勝手に、重圧だとか不安だとか、色々言い訳つけて、「自分がやってて楽なのはどっちか?」だとか、そういうふうに、「選んでるつもり」なのかもしれないんですが

こういうのは、

「じぶんのエゴのモチベーションやら夢がどうとか」

の世界ではない(笑)気がします



と、言いながら(笑)

あんまりいないとは思うけれど

「スピリチュアルな仕事がしたい」という方が、ここ読んでる方の中にいらっしゃるのでしたら

「したいんならやればいいのでわ」ということです

誰も止めません

有り難いことに、現代は建前上、生まれながらの身分制度はない時代(笑)職業選択の自由がある時代なのですから、そこを利用しましょう

それだけでも、なんて有り難い時代に生きているのか、ということ

「あなたのやりたいことを」なんて、明治や大正の人、もっと進んで昭和、平成の人々でさえも(笑)「あなたのやりたいこと」に目を塞いで生きてきた人がほとんどの中で(「平成の人」は、さすがに意識進化して、やりたいことをやっている方は、増えていますが)

「自分のやりたいことを見つけている」「自分にはやりたいことがある」と言える、もう、それだけで、その人はものすごい輝きの中にいるのです



で、専業がいいのか兼業がいいのか、なんて

そうなってみてから考えてみてください(つか、考えなくていいです)

決して、自分で、あんまりその「理由」に関与しないほうがいいような気がします

専業がいい人でしたら、流れとしてそうなっていくし

兼業がいい人でしたら、兼業でやっていけると思いますし

そうそう、そのHimarayaラジオの中にあるように、「専業の人をやっかむ感情から、兼業の自分を美化する」とか(笑)

つまり金銭的なこととか、そこに費やせる時間の自由度とかですけれどね

そういう、ぐちゃぐちゃっとしたものが、兼業の場合、隠されたり、美化されたりすることは、あるのかもしれません

「私は自分の生活のためにやっているわけではないから、私はお金に綺麗な心が維持できている素晴らしいヒーラー」

とか言われるよりは

私個人は、(もし私がヒーリングを受ける客の立場ならですけれど)

「しっかりお金とってもらって、がっつりヒーリング効果を得たい、相手が自分の問題を解決できるプロであること」

のほうが、優先されるかな、と思いますから

相手が、専業、兼業、とかは、関係ないです

それよりも、その道で、有能な人であることを、当たり前に望みます

(心の綺麗度合いすらも(笑)関係ないかも…というか、それは本人が自分でそう思っていても、人からはそう見えないかもしれませんし)

なので、自分自身も、「この道で、有能な人であること」をベーシックに当たり前に、そうあろうとしています



ただ、これは、印象として(あくまで、私が感じることです)

専業の人は、それを、自身が生きる生計の柱として日々取り組んでいるぶん、雑味はない気はします

専業は、プロ度が、自動的に、高くならざるを得ない、そういう土俵に立ってるということ

だから、これも個人的には…ですけれど

「専業になったがために、失敗したんだけど」みたいな感じに見受けられる人を、私自身は、見たことがありません

FC2ブログのスピカテ(笑)なんかだとw(とても狭い範囲の話ですがw)

「私と同時期くらいにスタートしているよなぁこの人…」

みたいなところって、ほぼみなさん、続いてきているような感じにも見えます

(中には消えていってる人もいるんですが、そのほとんどが、むしろ「兼業」「片手間」「仕事じゃない」っぽいような人々かなと)

まぁ、おそらくですけどね

「東大を出たことがない人間が、東大出た人をディスることはできない」と言われるように(笑)

その立場に立ったことがないと、わからないことというのがあるので

専業になったことがない人が、色々理由つけて、専業に反感を感じののしる(笑)みたいなのは、そもそも無理があると思いますし

土俵が違う世界を相手に自己肯定する虚しさ、それを隠しているのかもしれません


少なくとも、「私は生活関係ないからお金に綺麗云々」は(笑)そうですね~こういう考え方で「スピ仕事は金とっちゃいけない」「金とる人は心が汚い」「無償奉仕であるべき」そして、そういう「他者に無償の施しをすることが素晴らしい」とされてきた「洗脳」があることに、気づいたほうがいいですよね
(そういった人間の慈善心を利用して募金ピンはねしている慈善団体(笑)なんかもこの世にあることとか、ご存知でしょう? 赤のつく団体とかさ。善人ヅラというのは便利なものなのよ。それだけで、他者へ「良く見せる演出が可能」だからね)

これ、実はスピリチュアル以前に、単なる「お金は汚いもの、お金を稼ごうとする人は卑しい人」というw世界的歴史的な多くの人類への刷り込み、洗脳に利用されているだけなんですよね。
とくにスピリチュアル部門は、代表として「そうあるべき見本」のようにされてきたところがあり、よくそれは霊能者の欲うんちゃら、とか、そういう欲があると能力が低下するとか、宗教団体の腐敗ですとかね、「堕落」「脅し」のブロックがあるのですけれど。
おそらくですが、「聖書の悪用」というか、それこそが時の権力者への権力一極集中を維持していくため、「ホンモノにオモテに出てきてもらっては困る」ために、スピリチュアルは慈善事業、施し、そしてマイナーであるべき、を「常識化」していったのではないかしらと。
相手をマイナーで貧乏のままにしておけば(笑)この世ではホンモノだろうと何もできないじゃないですかw
まぁ、私には、そんなふうに、想像されます。
(そういう意味では、トランプ大統領が出てこれる基盤をつくった、アメリカ的な拝金主義、成功主義、のようなものがあったからこそ、お金持ってる正しい心の人が権力者として出てくることが可能になったんですよね。話はズレますけどw)

このブロックがあると、「仕事として、他者の役に立つこと」が、この世でとてもしづらくなるし、向上心向学心すら持ちづらくなるし、な~んにも展開できなくなることに、気づいてください。

そもそも、「困っていないから私は専業の人みたいに生活のためにやらなくていいお金を必要としないハートが綺麗な人」…とか、相当入り組んじゃっていますが(笑)、まぁ、そういう感じの考え方しちゃうのも、過去に自分にも近いものはあったので、わかるんですよ。
「生活のためにお金を稼ぐために仕事をしなくていいチュプじゃない自分」を呪っていた(笑)時代は、「趣味で天然石アクセサリを作って売るおこずかい稼ぎでいい程度ののんびりお気楽スピ主婦になりたいな~羨ましいな~」って(笑)うっすら私もそう思ってしまう時も、昔はちょっとだけ、白状するとありましたからね。(今はこの囚われは、綺麗サッパリ消えました)

でもさ、そういう人が自分は生活のためにお金を稼がなくていいから、って自分が思い込んでる背景には、必ず、それを支えてくれている、生活を成り立たせるために稼いできて食わしてくれている人が、世帯の中にいるからこそなのよ。
だから、もし、お金を稼ぐことが「卑しいこと」であるなら、そう思ってる人の生活を維持するために稼いできてくれている人の仕事も、卑しいことで、卑しいこと担当として、それを自分じゃない家族に押し付けて、自分は綺麗で純粋なまま(笑)楽している…みたいなことにもなりませんかね?(たぶんね…そこまでは考えてないと思うw そして、「自分ちに入ってくる金は正しい金、正当な金」と思いたいのが人間。だから、当たり前に決められた「給料」なら気兼ねなく、人はもらうでしょう? 仮に会社が赤字で火の車だろうと社長が首釣ろうと。私は相応の仕事をできていませんから給料はもらえません、なんて自己申告する会社員なんて(笑)まずいないですよね)

ちなみに、「自分の仕事が好きな人」は、お金が余っていても、仕事します。

むしろ、お金のあるなしではなく、だんだん”お金が関係なくなる””お金じゃないな”の経験の段階が出てくるのは、お金がついてくるようになってから…みたいなところも、真実としてあるわけなのですよ。

お金のために仕事をしなくなるんですよね。これ、表現するの難しいなぁ、とても。
「お金のための我慢の仕事」の経験が長くなっている人(そういうのが何十年単位だったりとか、それしかしたことないとか)にこれを説明するのは、非常に困難かもしれない。
でも「それわかるぅ」って方もそれなりにいらっしゃると思います。

(ブラック企業で(笑)この脳内麻薬を打たれてしまい、お金がついてこなくても、会社にひたすら吸い上げられてる場合でも、ワーカホリックを喜びとする人々もいるんだけどねw でも「仕事をすることを好きになること」そのものはいいことなので。そういう人はブラック職場経験が次に自分が何かをする時に生きると思うよ。)

むしろですね「私は生活のために稼がなくていい」って考え方をしちゃう人は、微妙に、「仕事=我慢」「仕事=大変」「お金を稼ぐことって嫌なこと」というのか、うまくいえませんが、お金が「生活に直結する重要ポジションであること」をむしろすごく意識しちゃってるからそう思うわけだし、なのに「受取拒否(笑)」もしているしw
この考え方をしていると、自分への責任逃れにも言い訳にも使えるし。
エネルギー的に、詰まっていきそうな感じありますよね。
あ~、まぁ、だから、兼業、片手間、仕事じゃない、って思ってる人って、行き詰まっていくところがあるのかもしれません。
(上述しているけれど、FC2ブログスピカテで年月経つと消えていってる感があるのは、そういう人々の傾向があり、仕事として専業でやっていってるぽい面子で消えていってる人はほとんど見受けられません。なかには「心が綺麗な無償奉仕」(笑)っぽい、まぁそういう人出てきたりするんだけど、続かなくなってますよね、見てると)



私自身は過去に、オーエルと兼業でやることもできたんだけど、会社をわざわざ辞めて作詞家を目指し(笑)それで作詞家になることはなったり

そういうクチなので

もともとの好みとしては、自分が志すことは、それ一本で成り立っていくことじたいを好んでいるだけの話なのかもしれないですけれどね

ただ、兼業でできる人というのは「色々できるマルチな人」「マルチな世界を持つことで、その人自身がバランシングされて活かされる人」とも言えるのかな? とも思うので

今後私もまたそういうマルチを目指す気持ちになる可能性だってないわけじゃないですから

別のことを始める時も来るかもしれないですし

その時はスピリチュアルな別のことに手を広げるというよりは、リアル系にしたいかも? とは思ってるところはありますw

この世では、うさんくさいスピ稼業よりも(笑)リアル事業のほうがwまぁ、やっぱり直接社会参加してるっぽい実感はあるのかもしれないのと、名刺としてはそっちのほうが遥かに便利ですよ(笑)
これは時代はこれから変われど、まだしばらくそうなんじゃないかな…スピ稼業の地位は、まず当分は上がることはない日陰者ですから(笑)そこは覚悟したほうがいいですよ、やりたい人は…

それと、「人に喜んでもらいたい、人を助けたい、人に感謝されたい」みたいな感情も、不要とは言わないけれど、あなたのその感情の満足度を満たすためのスピ稼業、そこが自分がそれをやりたいモチベーションの比重として相当高いということでしたら、やめたほうがいいと思いますね
(その自分に湧いてるモチベーションがあろうとなかろうと、仕事として一定水準以上ができる能力が大事、仕事とはそういうことでもあるので。モチベーションありきで「やりたいことジプシー」をしているだけなら、そこを見直すのもありですよ)

あと、「本当は自分の感情としてはやりたくないんだけど、その能力が自分にあるから、悩んでる」みたいな話は聞いたことがあるんですが(笑)、私はこういうこと言うスピ稼業志願の人は…これって、スピリチュアルじゃなくても、「はぁ?」なんですよ。
別に、能力がある人がすべてオリンピック出場するわけではないじゃないですか? その人の意志でしょう?
嫌ならやらなければいい、それだけの話ですから。
芸能人も、歌うたいも、役者も、みんなそうですよ。
スカウトされた、とかいう「演出」は多々あるけれど、ほぼほぼすべて「自分で志願」ですよ。「他推薦のほうが聞こえがいい」から、そういう演出があるだけ。
どんな職業も、その人が、これをやろう、っていう意志と意図から始まっているはずです。
そういう感覚って、いわゆるシンデレラ・ストーリー的な、「人に担がれて、始めることになった…」を演出したい言い訳なんじゃないかと思うのよ。失敗した時の言い訳になるからね。「嫌だったんだけど、自分にはその能力があって、人に望まれていたから」って言ってれば、自分で決めたことじゃないから、って、うまくいかなくても言い訳し続けることができるからね。
(これは、スピリチュアル稼業や、仕事選びだけの話じゃなくて。「嫌だったんだけど…○○だったから」のこの「嫌」を枕詞にしつつも、それをやっている、それを選んだ事実があるなら、それはその人の選択なので。言い訳はやめて、なんであろうと、その責任を引き受けしっかり向き合い、全力で成功させましょう。必ず成功ポイントはあるのです)



さはさながら。

リアル系を始めれば、そうしたら、私もまた「兼業スピリチュアル」ですから(笑)

ただ、その時は

「やってみようかな」という興味とか、そういう流れで、そうなっていくんじゃないかな、って感じがします






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カテゴリ :  PSW制作室
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