お客様からいただくメールなどで感じることですが
ポジティブな内容もネガティブな内容も
「全部、私にもあるな~」
ということを感じます(笑)
偉そうなことをお伝えしている時もあるのですが
それは、自分に向けても、同じことが言えるんだよなぁ…
と思うことも
多々あるのです(笑)
だから、お伝えできることもあるし、経験してきたから、言えることもあるわけですが、今なお、「まだそれ、私自身も、完全に達観しきっているというわけでもないよね、実は」みたいなことも、ありますよ
基本この世は
「自分の写し鏡」
なので自分にないものは寄ってこない
そして自分にあるものが映し出される世界なので
「縁」のあるお客様は
ある意味みなさんほとんど、どこかしら、「私にもあるある」の部分をお持ちです
「この人、私だ」…と思う、感じることが、多いですよ
これは昔、営業マンをやっていた頃に、当時、営業マン同士でよく話していたことですが
お客様の雰囲気で、「誰が、どの営業マンの、お客様なのかが、わかる」のような(笑)
「なんか、営業マンごとに、お客様タイプがぜんぜん違うんだけど、そのお客様タイプにはどこか共通項があって、それは、その営業マンにも通じるものがある、雰囲気が似ている感じ」なのです
年齢や性別等を超えて、なんとな~く、「雰囲気」として、同じ匂いがする(笑)いわゆる、表面的なその人を形成する社会的パーツは、ばらばらなんだけど、「なんか似てる」という感じ
ほんとうに、そういう「傾向」というのがあったのですw
縁ってそういうものなんだね…ってよく話していました
当時、各営業マンのお客様を一斉にご招待した六本木でのパーティーというのが開催された時には、「はっきり」とその傾向がw わかりました(笑)なんか、行動傾向も似てるし、変わった面白い営業マンのお客様は、やっぱりちょっと行動が風変わりだったしw
のちにスピリチュアルブームというものが始まり、よくそういう界隈で言われていたような、「あなたが引き寄せている」的な話も
だから、納得できますよ
でも人間は、「良い縁」のほうは嬉しいんですが、「嫌な縁」「悪い縁」に感じられるほうは、「自分の中にそれがある」って認めたくない(笑)んですけどね

なので、今もきっと、PSWのお客様は、そういうことなんだな…ということは、感じてはいますよ
でね、昔、PSWの石アクセ販売始めてから
よく思っていたことで、これは、今も思っていることですが
「どうして、こんな、素晴らしい人々ばかりなんだろう」と思うことが、ものすごく多かったんです。
「石、いらないよね?(人生の改善点とかなくない?)」みたいな(笑)
そういうお客様に恵まれている自分…
ということは、それは「私の中にもそれがあるから」ってw なんかどうしても思えない…(笑)
私には、過ぎた、お客様がた…
そう思うことも、とても多いです
でも、「自分」なのだと思うと
そういうみなさんが、お客様である自分が…お客様に恵まれている自分が…素直に、嬉しいです
ありがとうございます

お客様からは
「え、そんな、奇跡みたいなことって、本当にあるんだ…」
という、それは、普通にはなかなかない、成功事例ですよね~というお話をいただいくこともあれば
「でも考えてみると、成功の規模としてはこの世的にちっさいけれど、まぁ、自分もそうなんだよな…そういう経験してきてるよな(石でw)だから人に石をおすすめしているんだし☆」
ということもありますし
「え、そんな、酷い状態なんだね…それはいったいどうすればそうじゃなくなるんだろうなぁ…」
のような話も
「でもそれ、私も、すごく似てるんだよね、状況としては、実は同じだよなぁ」
というようなこともあります

なので、
私も、「過去とのリンクを手放しきってはいない」ですし
いつも「未来にリンク」して、ワクワク今を生きる、みたいなわけでもないのですよ(笑)
気がかりなこと、解決できていないこと(私が思うようにはこの先解決の見通しがぜんぜんたたないことで、たぶん、私が思うようには生きているうちは解決しないのかもしれないな、とも思えるようなこと)そういうものがありつつ、今をとりあえず生きています
このへんはとても難しいです
自分のことなんだけど、自分のことじゃない(相手があること)であったりすると

同じ相手があることであっても
ものすごくスムーズに運んでいくことと
そうではないことと
それがあるんです
自分が変われば、世界が変わることが、嘘じゃないことは、はっきりわかるのに(笑)
自分を変えようとはしてくれない(そういうふうに、私の目からは映ってしまう)そういう人はやっぱり変わらなかったりするのも事実です
少しずつ少しずつはそれでも変わってきている部分もあるのですけれどね
そこに感謝するしかないのかなぁ…とかw
なんていうんでしょう、自分の表面的自我は、やっぱり「なんでこういう選択を自分は過去にしたのかなぁ」のようなw過去の自分の未熟さの後悔も出てくることもあるにはあるんですよ
今の自分だったら、確実に、選ばなかったな…
と、今は思えてしまう選択というものを
過去に思いっきりしてきている(笑。つまり、取り返しのつかない大失敗をしてきている)
それが、自分の人生を、かたちづくってきた
その部分というのは
時間を巻き戻して、変えることはできないのです
なので、「今が、幸福だな」と思える自分になってくると
もう変えられないこと、変更不能なやってきたことについては、変更不能であることにも、直面し
そこの部分の過去とリンクし続けてしまうこともありますね
その果実が目の前にいたりすると(笑)
まぁ、「どうしたらいいんだろうな…」という、いかんともしがたい分厚い障壁
のようなものも、まぁ、感じることは感じるんですよね

同じ相手があることでも
そして同じ相手の中にもいくつも階層があり
相手の中の「神」とリンクすることで(自分の自我の感情と相手の自我の感情のリンクではない)
スムーズに運んでいくことがある(それがいわば「神意」というか、相互にとって最適最善の高次ロードですので)
こちらの事例を増やすようにして
(努力は本当に必要ですけれど…「感情の障壁」というものをひたすら祓わなければできない…そして「自分(エゴ)がなんとかしよう」とそれを癒やすことは不可能なのです…そこからはむしろ「人間的努力をしない」それこそ「高次におまかせ」する部分ですから)
そこにいつもリンクしていくことが
これから先も、とても大事なのかもしれないと
そんなふうに感じます
ポジティブな内容もネガティブな内容も
「全部、私にもあるな~」
ということを感じます(笑)
偉そうなことをお伝えしている時もあるのですが
それは、自分に向けても、同じことが言えるんだよなぁ…
と思うことも
多々あるのです(笑)
だから、お伝えできることもあるし、経験してきたから、言えることもあるわけですが、今なお、「まだそれ、私自身も、完全に達観しきっているというわけでもないよね、実は」みたいなことも、ありますよ
基本この世は
「自分の写し鏡」
なので自分にないものは寄ってこない
そして自分にあるものが映し出される世界なので
「縁」のあるお客様は
ある意味みなさんほとんど、どこかしら、「私にもあるある」の部分をお持ちです
「この人、私だ」…と思う、感じることが、多いですよ
これは昔、営業マンをやっていた頃に、当時、営業マン同士でよく話していたことですが
お客様の雰囲気で、「誰が、どの営業マンの、お客様なのかが、わかる」のような(笑)
「なんか、営業マンごとに、お客様タイプがぜんぜん違うんだけど、そのお客様タイプにはどこか共通項があって、それは、その営業マンにも通じるものがある、雰囲気が似ている感じ」なのです
年齢や性別等を超えて、なんとな~く、「雰囲気」として、同じ匂いがする(笑)いわゆる、表面的なその人を形成する社会的パーツは、ばらばらなんだけど、「なんか似てる」という感じ
ほんとうに、そういう「傾向」というのがあったのですw
縁ってそういうものなんだね…ってよく話していました
当時、各営業マンのお客様を一斉にご招待した六本木でのパーティーというのが開催された時には、「はっきり」とその傾向がw わかりました(笑)なんか、行動傾向も似てるし、変わった面白い営業マンのお客様は、やっぱりちょっと行動が風変わりだったしw
のちにスピリチュアルブームというものが始まり、よくそういう界隈で言われていたような、「あなたが引き寄せている」的な話も
だから、納得できますよ
でも人間は、「良い縁」のほうは嬉しいんですが、「嫌な縁」「悪い縁」に感じられるほうは、「自分の中にそれがある」って認めたくない(笑)んですけどね

なので、今もきっと、PSWのお客様は、そういうことなんだな…ということは、感じてはいますよ
でね、昔、PSWの石アクセ販売始めてから
よく思っていたことで、これは、今も思っていることですが
「どうして、こんな、素晴らしい人々ばかりなんだろう」と思うことが、ものすごく多かったんです。
「石、いらないよね?(人生の改善点とかなくない?)」みたいな(笑)
そういうお客様に恵まれている自分…
ということは、それは「私の中にもそれがあるから」ってw なんかどうしても思えない…(笑)
私には、過ぎた、お客様がた…
そう思うことも、とても多いです
でも、「自分」なのだと思うと
そういうみなさんが、お客様である自分が…お客様に恵まれている自分が…素直に、嬉しいです
ありがとうございます

お客様からは
「え、そんな、奇跡みたいなことって、本当にあるんだ…」
という、それは、普通にはなかなかない、成功事例ですよね~というお話をいただいくこともあれば
「でも考えてみると、成功の規模としてはこの世的にちっさいけれど、まぁ、自分もそうなんだよな…そういう経験してきてるよな(石でw)だから人に石をおすすめしているんだし☆」
ということもありますし
「え、そんな、酷い状態なんだね…それはいったいどうすればそうじゃなくなるんだろうなぁ…」
のような話も
「でもそれ、私も、すごく似てるんだよね、状況としては、実は同じだよなぁ」
というようなこともあります

なので、
私も、「過去とのリンクを手放しきってはいない」ですし
いつも「未来にリンク」して、ワクワク今を生きる、みたいなわけでもないのですよ(笑)
気がかりなこと、解決できていないこと(私が思うようにはこの先解決の見通しがぜんぜんたたないことで、たぶん、私が思うようには生きているうちは解決しないのかもしれないな、とも思えるようなこと)そういうものがありつつ、今をとりあえず生きています
このへんはとても難しいです
自分のことなんだけど、自分のことじゃない(相手があること)であったりすると

同じ相手があることであっても
ものすごくスムーズに運んでいくことと
そうではないことと
それがあるんです
自分が変われば、世界が変わることが、嘘じゃないことは、はっきりわかるのに(笑)
自分を変えようとはしてくれない(そういうふうに、私の目からは映ってしまう)そういう人はやっぱり変わらなかったりするのも事実です
少しずつ少しずつはそれでも変わってきている部分もあるのですけれどね
そこに感謝するしかないのかなぁ…とかw
なんていうんでしょう、自分の表面的自我は、やっぱり「なんでこういう選択を自分は過去にしたのかなぁ」のようなw過去の自分の未熟さの後悔も出てくることもあるにはあるんですよ
今の自分だったら、確実に、選ばなかったな…
と、今は思えてしまう選択というものを
過去に思いっきりしてきている(笑。つまり、取り返しのつかない大失敗をしてきている)
それが、自分の人生を、かたちづくってきた
その部分というのは
時間を巻き戻して、変えることはできないのです
なので、「今が、幸福だな」と思える自分になってくると
もう変えられないこと、変更不能なやってきたことについては、変更不能であることにも、直面し
そこの部分の過去とリンクし続けてしまうこともありますね
その果実が目の前にいたりすると(笑)
まぁ、「どうしたらいいんだろうな…」という、いかんともしがたい分厚い障壁
のようなものも、まぁ、感じることは感じるんですよね

同じ相手があることでも
そして同じ相手の中にもいくつも階層があり
相手の中の「神」とリンクすることで(自分の自我の感情と相手の自我の感情のリンクではない)
スムーズに運んでいくことがある(それがいわば「神意」というか、相互にとって最適最善の高次ロードですので)
こちらの事例を増やすようにして
(努力は本当に必要ですけれど…「感情の障壁」というものをひたすら祓わなければできない…そして「自分(エゴ)がなんとかしよう」とそれを癒やすことは不可能なのです…そこからはむしろ「人間的努力をしない」それこそ「高次におまかせ」する部分ですから)
そこにいつもリンクしていくことが
これから先も、とても大事なのかもしれないと
そんなふうに感じます

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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