現在の状況は…1億総「岩戸隠れ要請」みたいなものでしょうかね(笑)
みなさん、アマテラちゃんになっているところなのです(笑)
アマテラちゃんは、自分の意志で「もうこの世が嫌だ」と岩戸隠れしたわけですが(それが従来からの引き籠もりちゃんたちでもあり)古事記においては、まぁ、いわば、「まわりの策略に騙されて」外に出ることになったわけです
結果オーライではありますけれど(笑)アマテラちゃんは、「外の様子に好奇心をそそられ」そして、騙されて(「嘘も方便」はここから)自分の真の姿、「鏡で自分の姿を見る」ことになり、あなたがいないと困ると、自分が求められていること、自分の重要な役割を認識し、引きこもっていてごめんなさい…と、外に出て仕事することになりました
今回の岩戸隠れは、「騙されて外に出ることになる」のか、「自らスタンバイして出ていくか」
人によって、マチマチかもしれません
岩戸開きが楽しみです



私もそろそろ、岩戸隠れしようと思います
仕事体制に入ります(笑)
「再販リクエスト」も、ちらほらと、いただいております。
ありがとうございます!!
再販リクエストでは、「黒石カップリング」が人氣のようです(笑)
人が、精神的に「自立」していくために、直、ダイレクトに有効感があるのが、黒の石ではあります。
自立志向の方が、PSWのお客様、読者様がたには、多いのかもしれませんね。
(今月はここで打ち止めとなると思われますが、5月以降も、「再販リクエスト」は受け付けておりますので、お気軽にお寄せくださいませ。お待ちしています)






お写真は、昨日の神宮外苑です。
なんとなく、世の中のみなさまが岩戸隠れにおなりになられて、その隙にハツラツと(笑)出歩いているかのようなやらしさですが…
実際、「人が少ないことがわかっている」と、行ってみようという気になってしまう…
そういう、当たりをつけた場所を選んで、ひとりドッグラン化しているところです…
本当は条例ではノーリードは禁止と言われてるのですが、うちの仔は、ノーリードでも私の横にぴったりくっついて歩くことしかしないので、様子見て時々やってます。
Yoyoparkのドッグランでも(笑)同じなんですよ。ランを走り回るのが好きという、わんこ全般についた特有のイメージ外のタイプですので(笑)ドッグランは好きなんだけど「ラン内のベンチに座ってまったりが好き」みたいなw
わんこにも、色々、個性があるのです
わんこはお散歩必須、というイメージあるんですが、「どういうお散歩が好きか」という、その仔その仔のタイプがあるので。
うちのは、なので、「街なかを歩く」というスタンダード散歩のタイプでは、歩きません(笑)。
人の往来がある歩道などでは、ひたすら「抱っこ」になってしまう、歩けないタイプです。
(百合子さん、7都道府県の自粛中のみなさま、お許しを…。名古屋市は入れてもらえなかった市長が緊急事態宣言をいたしかたなく単独でお出しになれらたようですが(笑)まぁ、こういうのに、入れてもらえるもらえない、みたいなものも、色々政治的感情的絡みみたいなものもあるようですよ(笑)。実際の現実の様相無関係で、感染者数とかじゃないじゃん…みたいなw 不思議セレクトだったりするよね)
もともと神宮外苑のこのあたりは、商業施設少ないですから、神宮球場で何かやっている時以外は、人は少ないエリアです。
昨日も、小さいお子さん連れた人々が少々と、ジョガーの人…そんな感じでした
格段に、代々木公園のあの3月の人の多さ考えたら、めっちゃ天国感ありますわ…(笑)



ジョガーの人々って、きっとジョギングせずにはおれない(笑)運動中毒っていうか(笑)そういうところがあるんじゃないのかなぁ…スポーツジムとかもそうみたいなんですけれど、身体鍛える楽しさっていうのに目覚めると、苦しさのあとに出てくる色んな成分(笑)が心地よくて、ハマるんだろうな~と思います。
なので、「苦痛」っていうのは、「喜び」への過程として、必ず必要というわけではないけれど、苦痛があるっていうことは、脱した時の爽快感は必ず得られる、「過程」に過ぎないもの、とも言えます。
苦痛、苦しみが多い人ほど、得られる喜びの回数というのか、ボリューム感はあることはありますよ(笑)
この世はそういうところだと思います。
その感受性があるなしや、何に心の琴線が動くのかは個人差があるので。
そういうものを「感じない(自分と同じように感じない)」人は、いるように見えるかもしれませんけれど、必ず、その人なりの、苦痛や、克服していく課題は、提供されているのがこの世です。
とくに「人氣(じんき)の世界」は、そういうところであったし、また、そういう「頑張り」を煽られるところでもあったと思いますし、これがこれからの神氣世界に「くるっと」ひっくりかえるのかと言えば、そんなこともなく、その領域は領域で、やっぱり続いてもいくと思います。
(二極化云々、っていうのは、そういうことでもあるかなと)




基本、人は、苦しいことがあると、スピリチュアリティに解決を求める構造があるように思います。
でもこれも、どの道を辿るかは、人それぞれです。
しいて言えば、その人それぞれが、その人のオリジナリティ(本質情報)とも言えるのかな、という気もします。
肉体を鍛えることも、実際、結局のところ、心の健全性へと繋がっていることではありますので、無意識に、それをわかっている人々はそっちを選ぶのだろうと思いますし。
(これも、「身体を鍛えることが良いらしいから」という、トレンドだから、とか、格好良さそうだから(笑)で着手しても続かない…とも思いますよ。たとえば、運動直後は、むしろ抵抗力は下がります。なので、運動する人は運動後のケア、休息と栄養補給と、そういったバランスもトータルで必要です。ジムで鍛えなくてもね、「家の中まるごと真剣にがっつり掃除する」それだけでも…相当、筋力、身体能力必要ですから、コロナでジムが危険地帯となり(笑)ジムに行けなくなって嘆いてるような方は、この機会に、家中雑巾がけとかしてみるといいです。それこそ家もキレイになり、一石二鳥ですよ)





うちの人のように、「そういうことはさ、”人に教えてもらって”じゃないだろう。自分の中で、その答えを見つけていくものなんじゃないの」という、スピリチュアル情報あさりの(笑)あたしを、いつも斜めから見ているような人もいますw
彼は、「自分で答えを出したい」タイプの人なので、人の「ワークショップ」などにいそいそ出かける私を(笑)生暖かく見守るw そういう感じなところが長年ず~っとありまして。
いやまぁ、そうなんだけどね(笑)。
でも、人に何かを習うこと、自分の知らなかったことを教わるということが、無意味ということは、ないんですよ。
たとえば、「こんなことなら、自分も知ってるよな」みたいな、ハズレ系セミナーもそうですし、そんな本とかだって、くさるほどあったりもします。
それでも必ず、その無駄に感じた何時間の中に、ひとつ、ふたつ、得るものがあったりするのよ。
(人のブログ記事とかもそう。とくに、うちみたいな長文、かったるいかもしれませんが(笑)。必ず、ひとつ、ふたつは、見つかるはずです。人生、ゼロか100か、ではないので。で、だいたいにおいて、その「徒労」こそが(笑)人の人生ですからw)
何もかもを自分で決断していく、って言ったって、結局のところは、「誰かの、何かの、所業の結果(データ)」なんかを決断の参考にすること、そういう「指針」的なものも、それは、人が作ったものや発見したものや人の体験など、そこが基盤のデータから推察して決めていたりしますし。
ハイアーセルフのデータ集め(それがひとりの個人の人生です)だって(笑)「経験豊富なところからさらに経験を増やし、そこからさらに次の個人(未来生)へ抽出していく」その繰り返しですからね。
「他人の意見(や経験)に振り回されているのか」
「他人の意見(や経験)を参考にして自分で答えを出し流れに乗っていくのか」
似たようでいて、ちょっと違う、でも、似ているので(笑)
そういうことに、意識的であることが必要なだけです。
(データ信者も、データの向こうにある嘘や真実を見分ける才覚を要します。それが「直感」です。最終的には、その「直感が正しい」わけですが、その直感を使っていることを、現実主義者はあんまり認めたがらないものなのですよ。「事実や真実でさえ、人間の世界では役に立っていない」こと(笑)そういう多次元構造の中を生きるのが、人間なので)
今、生きている、「ハイアーから任命受けて、今のこの世で生きるその人」が、ここをわかっていることが、大切。
そのように感じます。



みなさん、アマテラちゃんになっているところなのです(笑)
アマテラちゃんは、自分の意志で「もうこの世が嫌だ」と岩戸隠れしたわけですが(それが従来からの引き籠もりちゃんたちでもあり)古事記においては、まぁ、いわば、「まわりの策略に騙されて」外に出ることになったわけです
結果オーライではありますけれど(笑)アマテラちゃんは、「外の様子に好奇心をそそられ」そして、騙されて(「嘘も方便」はここから)自分の真の姿、「鏡で自分の姿を見る」ことになり、あなたがいないと困ると、自分が求められていること、自分の重要な役割を認識し、引きこもっていてごめんなさい…と、外に出て仕事することになりました
今回の岩戸隠れは、「騙されて外に出ることになる」のか、「自らスタンバイして出ていくか」
人によって、マチマチかもしれません
岩戸開きが楽しみです



私もそろそろ、岩戸隠れしようと思います
仕事体制に入ります(笑)
「再販リクエスト」も、ちらほらと、いただいております。
ありがとうございます!!
再販リクエストでは、「黒石カップリング」が人氣のようです(笑)
人が、精神的に「自立」していくために、直、ダイレクトに有効感があるのが、黒の石ではあります。
自立志向の方が、PSWのお客様、読者様がたには、多いのかもしれませんね。
(今月はここで打ち止めとなると思われますが、5月以降も、「再販リクエスト」は受け付けておりますので、お気軽にお寄せくださいませ。お待ちしています)






お写真は、昨日の神宮外苑です。
なんとなく、世の中のみなさまが岩戸隠れにおなりになられて、その隙にハツラツと(笑)出歩いているかのようなやらしさですが…
実際、「人が少ないことがわかっている」と、行ってみようという気になってしまう…
そういう、当たりをつけた場所を選んで、ひとりドッグラン化しているところです…
本当は条例ではノーリードは禁止と言われてるのですが、うちの仔は、ノーリードでも私の横にぴったりくっついて歩くことしかしないので、様子見て時々やってます。
Yoyoparkのドッグランでも(笑)同じなんですよ。ランを走り回るのが好きという、わんこ全般についた特有のイメージ外のタイプですので(笑)ドッグランは好きなんだけど「ラン内のベンチに座ってまったりが好き」みたいなw
わんこにも、色々、個性があるのです
わんこはお散歩必須、というイメージあるんですが、「どういうお散歩が好きか」という、その仔その仔のタイプがあるので。
うちのは、なので、「街なかを歩く」というスタンダード散歩のタイプでは、歩きません(笑)。
人の往来がある歩道などでは、ひたすら「抱っこ」になってしまう、歩けないタイプです。
(百合子さん、7都道府県の自粛中のみなさま、お許しを…。名古屋市は入れてもらえなかった市長が緊急事態宣言をいたしかたなく単独でお出しになれらたようですが(笑)まぁ、こういうのに、入れてもらえるもらえない、みたいなものも、色々政治的感情的絡みみたいなものもあるようですよ(笑)。実際の現実の様相無関係で、感染者数とかじゃないじゃん…みたいなw 不思議セレクトだったりするよね)
もともと神宮外苑のこのあたりは、商業施設少ないですから、神宮球場で何かやっている時以外は、人は少ないエリアです。
昨日も、小さいお子さん連れた人々が少々と、ジョガーの人…そんな感じでした
格段に、代々木公園のあの3月の人の多さ考えたら、めっちゃ天国感ありますわ…(笑)



ジョガーの人々って、きっとジョギングせずにはおれない(笑)運動中毒っていうか(笑)そういうところがあるんじゃないのかなぁ…スポーツジムとかもそうみたいなんですけれど、身体鍛える楽しさっていうのに目覚めると、苦しさのあとに出てくる色んな成分(笑)が心地よくて、ハマるんだろうな~と思います。
なので、「苦痛」っていうのは、「喜び」への過程として、必ず必要というわけではないけれど、苦痛があるっていうことは、脱した時の爽快感は必ず得られる、「過程」に過ぎないもの、とも言えます。
苦痛、苦しみが多い人ほど、得られる喜びの回数というのか、ボリューム感はあることはありますよ(笑)
この世はそういうところだと思います。
その感受性があるなしや、何に心の琴線が動くのかは個人差があるので。
そういうものを「感じない(自分と同じように感じない)」人は、いるように見えるかもしれませんけれど、必ず、その人なりの、苦痛や、克服していく課題は、提供されているのがこの世です。
とくに「人氣(じんき)の世界」は、そういうところであったし、また、そういう「頑張り」を煽られるところでもあったと思いますし、これがこれからの神氣世界に「くるっと」ひっくりかえるのかと言えば、そんなこともなく、その領域は領域で、やっぱり続いてもいくと思います。
(二極化云々、っていうのは、そういうことでもあるかなと)




基本、人は、苦しいことがあると、スピリチュアリティに解決を求める構造があるように思います。
でもこれも、どの道を辿るかは、人それぞれです。
しいて言えば、その人それぞれが、その人のオリジナリティ(本質情報)とも言えるのかな、という気もします。
肉体を鍛えることも、実際、結局のところ、心の健全性へと繋がっていることではありますので、無意識に、それをわかっている人々はそっちを選ぶのだろうと思いますし。
(これも、「身体を鍛えることが良いらしいから」という、トレンドだから、とか、格好良さそうだから(笑)で着手しても続かない…とも思いますよ。たとえば、運動直後は、むしろ抵抗力は下がります。なので、運動する人は運動後のケア、休息と栄養補給と、そういったバランスもトータルで必要です。ジムで鍛えなくてもね、「家の中まるごと真剣にがっつり掃除する」それだけでも…相当、筋力、身体能力必要ですから、コロナでジムが危険地帯となり(笑)ジムに行けなくなって嘆いてるような方は、この機会に、家中雑巾がけとかしてみるといいです。それこそ家もキレイになり、一石二鳥ですよ)





うちの人のように、「そういうことはさ、”人に教えてもらって”じゃないだろう。自分の中で、その答えを見つけていくものなんじゃないの」という、スピリチュアル情報あさりの(笑)あたしを、いつも斜めから見ているような人もいますw
彼は、「自分で答えを出したい」タイプの人なので、人の「ワークショップ」などにいそいそ出かける私を(笑)生暖かく見守るw そういう感じなところが長年ず~っとありまして。
いやまぁ、そうなんだけどね(笑)。
でも、人に何かを習うこと、自分の知らなかったことを教わるということが、無意味ということは、ないんですよ。
たとえば、「こんなことなら、自分も知ってるよな」みたいな、ハズレ系セミナーもそうですし、そんな本とかだって、くさるほどあったりもします。
それでも必ず、その無駄に感じた何時間の中に、ひとつ、ふたつ、得るものがあったりするのよ。
(人のブログ記事とかもそう。とくに、うちみたいな長文、かったるいかもしれませんが(笑)。必ず、ひとつ、ふたつは、見つかるはずです。人生、ゼロか100か、ではないので。で、だいたいにおいて、その「徒労」こそが(笑)人の人生ですからw)
何もかもを自分で決断していく、って言ったって、結局のところは、「誰かの、何かの、所業の結果(データ)」なんかを決断の参考にすること、そういう「指針」的なものも、それは、人が作ったものや発見したものや人の体験など、そこが基盤のデータから推察して決めていたりしますし。
ハイアーセルフのデータ集め(それがひとりの個人の人生です)だって(笑)「経験豊富なところからさらに経験を増やし、そこからさらに次の個人(未来生)へ抽出していく」その繰り返しですからね。
「他人の意見(や経験)に振り回されているのか」
「他人の意見(や経験)を参考にして自分で答えを出し流れに乗っていくのか」
似たようでいて、ちょっと違う、でも、似ているので(笑)
そういうことに、意識的であることが必要なだけです。
(データ信者も、データの向こうにある嘘や真実を見分ける才覚を要します。それが「直感」です。最終的には、その「直感が正しい」わけですが、その直感を使っていることを、現実主義者はあんまり認めたがらないものなのですよ。「事実や真実でさえ、人間の世界では役に立っていない」こと(笑)そういう多次元構造の中を生きるのが、人間なので)
今、生きている、「ハイアーから任命受けて、今のこの世で生きるその人」が、ここをわかっていることが、大切。
そのように感じます。




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カテゴリ : 高次ガイダンス
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