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今までの自分を否定しない

2020年02月13日 (木) 00 : 00
「昨日までの自分を否定しない」というのは大事ですよ。

それができないと、たとえ、何らかの方法で改心(笑)が起きて(「目覚めて」とも言います)、「見た目の現実が好転」したり、自分の望んでいることが現実化したとしても、過去を否定していると、またモトの木阿弥になることもあります。

ここが人生の恐ろしいところですw

生きてるあいだ、ずっと気の抜けないところでもあります(笑)。

気づきが起きて、今までの自分を変えようと動き始めると、実際に少しずつですが、現実は変化します。
それに伴い、人生がいい感じに好転したらしたで、「それまでの、自分のいたらなさ、ダメさ加減で起きてきたこと」への「失った、書き換えができない過去」への後悔を、ずっとホールドし続けてしまう場合もあるのです。



昨日、「自分がやろうとしていることは、周囲に相談しないほうがいい」ってお伝えしていましたが、全部が全部そうじゃなくて、

あなたから見て、「この人は、自分がやりたいことに近いことを成してきている人だな」「この人は、”人間の器の大きい”人だから、自分の近視眼的な観方では思いも寄らないことをきっと気づかせてもらえるかもしれないな」と思えるような人がそばにいるなら、そういう人には、「意見を聞く」というのはいいと思います。

それが、その時点の、自分の選択を肯定することでもあるし、責任を持つことでもあるからです。

そうではなくて、あんまりその世界のことをよく知らない友人、知人、家族、などなどに相談しちゃうと、マイナス意見しか返ってこないというか、「やめたほうがいい」と、とりあえず現状維持に落ち着くところ、相談されたほうが厄介事にならないで済みそうな意見しか聞けないことも多いからです。

「そういう人々を、選んで、関わっている自分であること」というのも、自身の、「現実創造の責任」「まわりへの依存心」であることも、わかっていたほうが良いと思います。

「まわりがわかってくれない」というよりは(笑)自分のセレクトミスで、まわりを悪者にしてしまうことが多いのは、このためです。



まぁ、こんなこと言ってるあたくしも

過去には、ものすごい人生の選択肢、それって最大の岐路じゃありませんの? っていう重大な決定を、

なんと「占い」に委ねる(笑)という

そうなんですよ、自分の意志とか好みとかそうしたいことっていうよりはですね、

ある意味、「天意」にあずけてきたのです(笑)

そして、そのことを、ず~~~~~~っと後悔する、じゃないけれど、「なんで?」と思い続ける期間が長かったでしたので、

ほんとうの天意に気がつくまでは、ものすごく時間を要しました。

ものすごい人生の選択肢と言えば、何かというと、「この人といっしょに自分はやっていくべきか、やめるべきか」という(笑)
女子なら普通に悩む、ソレですよ。

見た目ものすごくわかりやすい「成功」のような条件っていうんでしょうか、それが目の前に横たわっているのなら、人間はカンタンに決断できると思いますよ。この世的な将来性がありそうなエリートさんで金には困らなそうとか(笑)まぁ、その手合で決めちゃう人も多いものなんでしょう?(←よく知らない部分)

自分の感覚としては、そういう積極的な能動的な「欲の餌」があったわけではなくて(笑)むしろ、

「この人といっしょにやっていくということは、確実に自分はいろいろな意味で苦労するだろう」ということが(笑)もう、最初からわかっていたんですよ^^。
まぁ、生活していくということは、恋愛という幻影とは違う、くらいには、いい大人でわかってたわけです。
もともと恋愛というものじたい永遠性永続性のあるものとも思っていませんでしたしね。だから当然「結婚=永遠の愛」というのも「違うだろ」と思っていましたよ。

想定されたそれは単に、金銭的な苦労と呼ばれるものだけではなく、精神的な苦労っていうんでしょうか(笑)まぁ、色んな意味で、自分がたくましくならざるを得ないという感じ、「見た目のふつうの家庭という感じの幸福はおそらくカンタンには得られないだろう」それが想定されることが、なんとなくわかっていたからです。

(でもこれは「相手のせい」ではなく(笑)のちに自分で気づいていることですが、そもそもが私自身の中にですね、ふつうの家庭という感じの幸福をつくる自信とか希望、それを自分が作りたいというような望みじたいが、この世の多くのみなさんのように、なかったんですよ。もともと、世の中の結婚という形態的なものからかたちづくられることへの憧れや希望がなかったのです。むしろ、独身で生きていければそれがベストと思っているところのあるような人間でした。だからといって、そのために具体的にナニカしているわけではなく、ただの「自分になんの自信もないO.L」の夢想で描く理想ってことですよ。サイアクですよね^^)



で、私はどうしても決意ができませんでした。

なので、そうなんですよ、昔からの読者さんでしたら、なんとなくおぼえておられるかもしれない、あのオッチャン占い師のもとへ(笑)出向いたんですわ。

そこで得た結果は

「この人、あなたがいなくなったら、死んじゃうよ」
「骨まで拾ってやんなよ」

…という(笑)

なんていうんでしょうかねぇ…

自分で決められない私は、占いに「否定してもらうこと」を(笑)「この運命から逃れたい」という望みを託していたのに、見事裏切られたわけですよ。

オッチャンの物言いとしては、「あなたがこれを選ばない選択肢はない」としか聞こえないような(笑)決定事項のように響きました。

「えっっ じゃあ、あたしの幸せはいったいどうなるの?」

子供なあたしは、「オトコとは、オンナを幸せにしてこそ価値がある、好きなオンナを幸福にするために存在し生きる、それこそがオトコである」という、この昭和の固定観念を(笑)占いに(笑)打ち砕かれた…

(これが「囚われ」です。しかも、もともと「結婚とはオンナが犠牲になること、自分を生きられなくなること」くらいに思ってるところがありましたから、「結婚に夢がない」くせに、しっかりと、「するんであれば、イキナリ昭和の固定観念スタイルじゃないと、する意味がない」という(笑)もう、二重三重の囚われまみれだったんですよ)

そんな、絶望的思いにかられた(笑)気持ちで、そこから、あたしのトンデモナイ勘違い、

「あたしは、人の犠牲になっている」

っていう、実はもっとも私が望んでいなかった人生スタイル確定という(それをやってきているのがまさに「母」だと思っていたからです。私がもっとも忌み嫌うものでした)道を、選ばざるを得なかった…なんてことになったわけです。

(って、最初から「犠牲覚悟」のような導入のしかたしているところが、とってもやばかったと思います。つまり、彼も、そういう私のような人間の犠牲になってしまったところが多分に今までもあったからです。被害者意識を持つ人物と生きるというのは、非常に苦しいですよね。お互いがお互いを、そう思うようにエネルギー連鎖していきますし、そういう現実をつくります。私は、自分からここを絶たなければいけないと本当に気がついたのが「石に出会って以降」だったのですよ。だから、私がよく言ってる「石に出会わなかったら、どうなっていたんだろう」は誇張じゃないんですよ)



…という、運命を呪っていた時代が、それはそれは長く、とてもつらかったです。
ほんとうに「なんのために、生きてるのかな~」が長くて長くて、早く死にたい、っていう思いがベースの期間は長かったですよ。

もちろんですが、一応、大嫌いな人といっしょにやっていくことを強要されたわけではないし、自分が出会っていったん好きにはなった人なので(笑)しょうがないんだけど、私の場合は、「最初から、なんとなくわかっていた」から、

「幸福になるはずだった」→「とんでもなく不幸。なぜだ?!」みたいな、「結婚に夢いっぱいだったが、ナゼだ?!」的な、この世で多くの方が経験なさっておられるタイプの「落差」というのはなかったです(笑)。

ただ、あまりに見事に、ず~っと、ベースは苦労(笑)であることが辛い自分であることが長かったんです。

実際は、部分部分では「人に食わしてもらえる幸福ってこれなのか」も経験してますよ。
こんな私にも(笑)1年弱くらいは、な~んの経済的心配も無用な「せんぎょうちゅぷ」という「この世の極楽」のような、サプライズご褒美期間の経験もしています^^

ほんっとうに、あの期間は、世界がキラキラに輝いて観えておりましたよ(笑)

なんで世の専業主婦のみなさんは、こんないいものに不満なんだろう? と、当時は心底思いましたし、働いて外からお金持ってきてくれる(笑)私にこんな素敵な毎日をもたらしてくれる彼が「神」に観えていましたので、それはそれは、丁重に彼をもてなしていました。
「この人が充実していて楽しそうで幸福な姿を見ていることが、自分の幸せ」というような、いたいけな奥さん像みたいなね(笑)そういう世界もなんかわかりましたよ。ほんとにそう思ってましたから(笑)。
だから、な~んにも「退屈」とか「私の話を聞いてくれない」とか、ひとつも不満が出てこなかったです。
(実際、よく考えてみると、こっちは相手の仕事の話を聞くばかりで(笑)こちらから、私のしていることとかの話って、あの期間はぜんぜんしませんでしたし、実は今も(笑)私は、そういう自分の仕事の話を家の人にはぜんぜんしないんです(笑)。なんでだろう? しませんね、ぜんぜん。まぁ、悩んでないからですね、おそらく。)

まぁ、そのちゅぷ期間は長くは続かなかったから(笑)いたいけな奥さん経験で終了できたんですけどね。長くやっていたらどうだったのかなぁ? とも思うところもあります。
人間というのはないものねだりなので、自分の現実が、それが日常的に「当たり前」になってきちゃうと、だんだん感謝しなくなるからね。

なのでこれも、長くは続かなかったから、結果的に、良かったのです。
(心根として、「守られて大切にされて、ずっとこのまま彼に甘えて生きていきたい」という、依存心ベースで感じていた幸福感でしたので、そんなものは長く続かなくて良かった、ということです)

ただまぁ、そこからの落差があって、幸福→苦労の日々が、より、苦しく辛いものに最初は感じられたんですけれどね(笑)。
でも、少し違っていたのは、「ふたりが生きていくために」それまで自分がやったことのなかった営業職にチャレンジできたのは、このゆったり生きることを許可されたキラキラ経験の期間で(笑)「感謝の英気」を養えたから、というのもあったと思います。
(ほんっとう~~~に疲れてしまった人は、私は、「ただ会社を辞める」とかでもかまわないと思います。私も、たびたび休憩をはさみながら(笑)やってきていますし^^、「辞めたらオシマイ」じゃないことを知っていますので。それよりも心が折れるまで頑張っちゃうほうが危険だと思います)

だからね、長く専業主婦を続けてこられた方が、いざ、自分が何かをしようかという意欲を持っていても、「自分は社会で通用するのだろうか?」っていう恐れや不安を持ってしまう、その感じはわかりますよ。
でもそれ、「無用」です。
なぜなら、主婦の仕事って、実際仕事なので、ちゃんとやろうとすると、わりとそれなりの労力で「仕事」なのです。
それを、「ちゃんとやってきた」っていう自信がある人なら、ちゃんと社会に出て働けるし、むしろ「働くって楽」って思えると思う。

今は「貧困専業主婦」という呼び名の括りの主婦さんもいらっしゃるようで、旦那さんの年収が低いので、本当は働かなければいけないことは自明のはずなんだけど、本人がそれをやろうとしない、できない、そういう感じに陥っている方も多いんだそうです。
これは深刻ですよね。
本人だけの問題ではなく、お子さんがいらっしゃれば、お子さんが先々色々なことを諦らめなければいけない人生基盤を創造することにも、つながってしまうので。
気持ちはわかりますよ。専業主婦、やりかたしだいではやっぱり極楽だと思います(笑)。マイワールドで生きたい人、人間が苦手な人にとっては、避難場所、ようやく得られた居場所にも感じられると思います。
但しソレは、誰も犠牲にしていない、その人が家族の中で自分が楽をしたい幻想にとりこまれているのではなく、自分とご家族のために、幸福な家庭づくりをしたいという意欲があって、ご主人もそれを望んでいて、それがうまく回っている場合は、だろうね、と思います。



と、話がソレましたが。

でもね~

それらがすべてなければ、「今の自分はいない」んですよ(笑)

なので、「過去の自分を否定しない」でいいのです。
もちろんですが、自分だけではなく「過去の他者も」です。

そして、これはお伝えしておかなきゃ(忘れてたw)なんだけど、私は、うちの人が好きです(笑)。
彼がいてくれたから、できたこと、この仕事がまさにそうでしたし、
それ以外にも、たくさん作ってきた共通の思い出というか、ワンちゃんもそうですし、ふたりでなければなかったこと、経験できなかったこともたくさんあるし、「彼はあなたの先生」とうちのガイドが言ってたことも、本当だな、と思っているので(アトランティス時代の「師」はたぶんこの人なんですよ)。
私よりもずっと頭が良くて、先見の明があって、センスがあって、そして、とても本当は人に優しくて、思いやりがあって。
この人がいなければ、外せなかった自分の囚われを(笑)どっさり外し続けてきたからこそ、今の自分がおりますので。
時折見せる、かわいい子供のような表情も、好きですし(笑)。
昔、うちの母に「自分の子供だと思え。おまえは自分の子供が捨てられる、そういう人間なのか」と(笑)すごい剣幕で怒られたことがあるのですがw 「大の大人同士じゃん、あたしの子供じゃないよ、あたしは子供生んでないのになんで子供だと思わなきゃいけないんだよ」と反論はしたものの、この時も、「これは、高次ガイドの言葉だ…」ってわかったんです。そこから、二度と愚痴を言わない、そして、親とか人を頼らない、すべて自分が受け入れてやっていくこと、って決意したんですよ。

私は占い師のオッチャンを少し恨めしく思った時期もあったし、占いなんかで決めた(笑)自分のバカさ加減も呪いました。

でも、このオッチャンは、もっと本質的な、あたしの未来図も当ててくれていた人なんですわ。

「主婦が毎日カラオケ三昧みたいな、この世の価値観で言うと生産性のないタイプの仕事で、生きていけるんだよ、あなたは」

という(笑)コレですよ。

だからね、ちょっと不思議だったんですよ。

過去にはそう言われていたはずなのに、「なんでこんな苦労人生に揉まれてるんだろう? この運命が確定なんだったら、いつまでたっても、自分はカラオケ三昧になんかなってないよね?」ということは、ずっと忘れていたわけなんですが、

「はた」と

この仕事が本業化して、ずいぶん経ってから

「オッチャン、当たってるやん」と(笑)

これは、過去にブログ記事にも、していますよね。



このオッチャンの占いは、当たってしまうので

「あなたは、あなたがいることで、あなたに出会うことで、それがその人のエネルギーになる、人を励ますことができる、人の運命をいい方向へ変えてあげられる、そういうのができる人だから、もっともっと、直接、人にそれができる場をもったほうがいい」

って何年か前に言われてるわけなんですけれど。

これも当たっちゃうんでしょうか(笑)と、ちょうがくぶるしているところです。がくぶるです。

いやいや。

自分はそういう人間じゃない、っていうか、そういう人間になりたいって思ったことがない(笑)わけです。
そんな大それた。めっそうもない。
そもそもが奉仕精神薄い人間ですからねぇ~(笑)
自分がやりたくなきゃ楽しくなきゃ嫌だと言い出す人間ですからね~(笑)

「運命」とか「青写真」って、嫌ですねw

だから、人間は、最初から知らないほうが良いことも(笑)あるんだよ、ってことですよ。

だけどさ、自分が関わる人には、やっぱり、その人らしくいい感じになってほしいな~、その人の青写真に勇気持って、諦らめないで進んで欲しいな~、っていうのは。

私の正直な「望み」であることは、本当ですよ。

なぜなら、それが、その人が、活かされる道でもあるのって、真実ではあるから。
そして、高次も(笑)「そっちへ行かせよう、行かせよう」としてるのが、高次ガイダンスだから。

でも「過程」では(笑)抵抗感ってたっぷりあったりもするのが、人間なんですよ。

「不幸」とか「失敗」とか「苦労」それはむしろ経験すべき、「スキル獲得過程」であることも、あるのです。

まぁ、この「法則」を、もう今ここで知ったあなたは、

私のように、十数年単位で(笑)かんちがいし続ける、そんなふうにはならないで、もっと「時短でイケる」と思います。

人類貢献(笑)してるよね、みずからの人体実験をご披露することでw

(オッチャンは何年か前に、観ていただいた時に感じたのだけど、オッチャン自身もとても「人間がまるくなって」おられたので、昔のように、「ズバッと断定口調」で厳しいことを言うスタイルからは、だ~~~いぶお優しくなってしまっていたので、昔のように「言い切ってくれない」感じでした。だから、言われたほうも、「ゆるゆると、自分のペース、まだまだ猶予、モラトリアム」となってしまうこともあるかもね(笑)と思いますね)



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カテゴリ :  高次ガイダンス
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