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プライド捨てますよ(笑)

2020年02月08日 (土) 00 : 00
さて、昨日のブログにも続く話のようなところもありますが。

2月1日の記事でもお伝えしていた

4月から8月は、今までと少しやりかたを変えてみようかなぁ…って話。

こういう考えに至ったのは、4月から8月が「人氣エネルギー影響月間」なんだ~ということを知ったから、即席で思いついた、というわけでもなくて、なんとな~くなんとな~く、おぼろげに、考えていた、そして、自分でもわかっていたことなんですが。

「私は、今の世の中のみなさんの気持ちが、実はよくわからない」

…というのが、本当のところなのです(爆)。

つまり、みなさんが「何を悩んでいるか」「何を本当に改善したがっているか」「何を実現したいのか」について、

「無知」

ということです(笑)。

これって… やばくないですか? めっちゃやばくないですか?(笑)

そうなんですよ、やばいんです。

雲の上の人になりつつある、ってことなんです(笑)。

雲の上から、「ああしようよ、こうしようよ」と叫び続ける高次ガイドと同化しちゃっている、ということなんです。





雲の上から「ああしようよ、こうしようよ」って伝えてくれる高次ガイドさんは、それでもいいのです。

雲の上で生きる人々で、生きる世界が別なんだし(笑)、あちらからは「お見通し」なので、それでいいんです。

でも私は、世の中の人々のことをお見通しっていうわけではないので(笑)そして、PSWの石アクセサリを望んでおられるみなさんについて、「すべてわかっているわよ」というわけでもないので、

へたすると、相当的外れなことを、人にお薦めしちゃっているのかもしれない…

という、歩調のズレが起こる可能性が、いつもある、ということです。


私自身が、それでも、神氣エネルギー影響下である場合には、それでかまわないのです。

それが、せんだっても記事にした「住んでる世界が違うんだ~」でもお伝えしていた、「神氣的な成功体験」と「人氣的な成功体験」の違いに顕れている感じで、神氣エネルギー影響下の流れの時の人は、「神氣的な成功体験」のこっちの行動様式で他者貢献するほうが、「我よし、人よし」ということがより実現できていくのですが、人氣エネルギー影響下の流れの時の人は、「人氣的な成功体験」のような、「人が求めているものを、提供し、実現する」タイプの行動様式のほうが、「我よし、人よし」を実現していくことがより可能となります。

ところが。

上述していますけれど(笑)

私は、あんまりこの世のみなさんの考えていることを、本当に知らないんです。

それを、探ったり、色んな人のブログ読んだり、動画見てみたり、数少な~い「普通の知り合い」から探ったり、みたいなことは、できなくもないですよ。

ところがですね、自分が入れられる探りなんていうのは、程度が知れています。

そして、自分の周囲の世界にいる人や、今の時点のワタシが多少共感が可能な人々というのは、どちらかというと類友なので、そっちはむしろ、「似たようなことを、世の中に提供しようと頑張っている人々」になってしまうので(笑)

ワタシが、「うんうん、そうだよね、そうしたほうがいいよね」と頷けはするんですが、

それって、どちらかというと「自分の脳みそ内を見ている」ようなものでもあるので(笑)、

そんなものをいくら見たり知ったりしたところで、私が本当に知らなきゃいけない、私がもしかしたら助けられるのかもしれない「人のニーズ」が、わっかんないんですよ。





「人のニーズを知らない」で、おまえ、よく今までこんな仕事ができてきたな…

と、今日の記事を読んで、衝撃を受ける(笑)方もいらっしゃるかもしれません。

たいていの世の中の仕事というのは、「人のニーズだけで動いている」といっても過言ではないですからね。

だけどね、

これは扱うものが「石」だから、より言えるところもあるかもなのですが、こういう「神氣的物質」の場合には、あれなんですよ、

人間の「我」みたいなもので流通させようとしても、それでノッてくれる人種もそれなりの数いなくはないから、天然石業界も沈まずに続いてきているようなところもあるにはあるんですが(笑)この世の他の物質と比較すると、商材としては、人のニーズだけでは動かないタイプの物質でもあるわけなんですよ。

だから、あんまり人のニーズだけに翻弄されるタイプの石屋さんとか、やっぱり潰れてしまっていたりしますよね。
仮に神氣的であっても、「そこにこだわり(囚われ)」がある感じのようにも見えながら、「人のために」が重視になり過ぎている傾向の石屋さんも、結局、続かなくなり潰れてしまっています。
「人のため」という、「人にその時喜んでいただくこと」が動機でそこが頂点なだけだと、そうなりやすいんですよ。「人のために」それは、その提供者のこだわり(囚われ)になりやすいんです。

この、「人のため」も色々あって、その人の表面的な欲望を満たすタイプの人のため、というのも、この世には多々あります。
(値段が安い、とか、利便性が高い、とかそういう。各種支払方法を完備し、「買いやすい、選びやすい」などの工夫とか、「すぐに買わせる」工夫とか(笑)上手に仕掛けられています)
だから、「薄利多売系」は、ソコソコ今でも続いている石屋さんもあります。
これは、「人集めが命」なので(笑)けっこ~大変は大変ですが、人氣エネルギーも一定数集まると、エネルギー集団となりますので、わりとそこに支えられて、継続が可能になります。


で、私の場合は、薄利多売は無理なので(笑)そういうタイプのことを、にわかに5ヶ月だけやりますよ~

というのは、いたしません。
そういうよそがやっていることの「畑荒らし」なことをしても意味無しだし、実際に、昔、「薄利多売競争」では敗北していますんで(笑)。
私のようなところで、こういうふうにホソボソとやっている独自形態のところがですね、世間一般と同じ価値観を部分的に取り入れて競争しようとすると、どうしてもその多売に限界がありまして「薄利小売」となってしまい、「我ダメ、人よし」になってしまうんですよ(笑)。

もちろん「お安い」ってとても人が喜んでくれるところがあるので、お安く提供するってとても魅力的なことも知っています。
PSWはそれで喜ばれた時代もあったので、私の中では、その時代に立ち戻りたいなという気持ちもふと湧いてくることも、やっぱり今でもないわけではないんですよ。

どちらかというと、あたくしが「助けたい」と思うのは、「可処分所得の低い人」いわゆる、昨今の世の中の区分けでいくと、「貧困」って呼ばれるような世帯年収になっちゃっている人々でもあった、なぜなら、そういう貧乏時代は、自分にもあったからです。

「そんな自分でもこのくらいにはなれるんだよ」ということを、そういう感じに陥ってる人々に伝えたい、ということもあります。
(ヒカキンさんレベルくらいの出世だと(笑)けっこう説得力あるんだろうな~~~というのはわかるんですが、あのレベルはとても「人氣」を必要としますので、そういう星の下ではない、人集めが不得手な自分にとっては、あのレベルの実現はちょっと難しいんですよね)

正直言って、そういうところから這い上がるのは、「わりと大変」かもしれないです。
生まれ変わった、人格入れ替えくらいの決意が必要です。
でも、できます。
(まぁ、それを助けてくれるのも「石」なんですけれども、これは、「石を持っただけ」では無理です。「行動」が(笑)必要です)

「人並み」になること、それでさえ、今の世の中、けっこう大変です。
昔なら、それが「努力、苦労」と威張れた(笑)かもしれないレベルのことが、「そんな努力など当たり前」にもなってきています。
そういう世界において、それを支援することは、相当根気がいります。
なぜなら、「人が変容する」って、実際、一生かかるレベルのことである場合も多いからです。
(人間の欲求段階、っていう説とかありますが、かんたんにいうと波動レベル段階です。これを一段階上げるのって、スピ技とかでその人が「上げた気になる」ことはできますけれど(笑)それを「常時」に持っていくのが、この世ではいかに困難か、ってことです)

そういう人々が、目先求めやすくなるものが、「安くてイイもの」であったり「ずっと使えるもの」であったり。
永久性とか普遍性、完全性を、楽にカンタンに手にしたがりますよね。

でもね。モノに対してお安さお得さを求める人って、どうしてもそこがセレクトの最上理由になりやすいんです。
その根底には「安くてお得なイイもの」を求める「欲」から切り離せない動機や、外側世界への「甘え」が、どうしても選択の基準となっていきやすいです。
自分ではなく、他者に、世の中に、「ああして欲しい、こうして欲しい」というやつですね。
ある意味、とても「外側への要求ばかり高い人」である場合も、多いのです。

そしていつまでも、その世界にとどまる人が多いです。
「安くてお得なイイもの体験」という麻薬は強力ですから(笑。時々、これは実際にあるからね。)「あの時は良かった」の、過去の栄光の中に生きやすい人になってしまう、その時、「今を生きられない人」にもなりやすいですよ。

そういう人ばっかりを集めてしまうと、「PSWの石アクセサリの良さ」が、持っていただけるその人にも、あまり活かしていただけなくなることに気がついたのです。

なので、今のPSWは、とてもありがたいことにお客様のクォリティが高い方がとても多いので、わざわざそこを下げてしまうような、そして自分が無理をすることで維持ができるスタイルへの逆行ということは考えてはおりません。
私は、お客様といっしょに、清貧ではなく、清富へと、成長していきたいですからね。





じゃなくてですね、

今の世の中をあんまり知らない私が、恥を忍んで、プライドをかなぐり捨てて、みなさんに教えていただきたいことは、

「あなたの具体的な悩みや実現していきたい希望をお聞かせください」

ということなんです(笑)

そういった、人の声をもとに、「石アクセサリをつくる」ということを、4月~8月にやろうかな、と思っています。

昔、作詞家時代にデビューのきっかけとなった、「クレヨンしんちゃんのジングルベル’93」の歌詞を書いた時のような、あの感じです。
私自身にとってはそれまでなんの興味もなかった漫画アニメだったんですが、依頼する側の望むものを提供して成功した、あれでしょうか。

課題を、人から提供されて、自分が考えている自分の能力を超えたものが表出されることが、人間にはよくあります。
(だから、人からもらうんだけど、それは私にとっても、受け取る方にとっても、「人氣エネルギー影響下から繋がる、神氣エネルギー影響下の成功体験」に繋がることでもあります)

なので私にその「具体的課題」をください、ということです。


これのどこが、「プライドを捨てる」なんだよ? って思うでしょ?

あのね、「他人のことは、そう見える」ものなのよ、人っていうのは。

他人がやっている、プライド捨ててる行為みたいなものは、「たいしたことに見えない」どころかですね、人によっては、「超ウエルカム!! 待ってました!!」レベルに、歓迎されやすい場合も(笑)あったりするんですよ。

知らないのは自分だけ、ってやつです。

だから、「やってみる」「行動してみる」ことって、ひっじょうに大事なんです。

意外なことの中に、人のニーズがある場合の、発見にも繋がるからです。

自分が持っているプライドを捨てることは、まさかの、「自分を成長させる」ステップへと進んでいける、その足がかりになってくれることが多いのですよ。

でも、これができない人のほうが、この世では圧倒的に多い、というのが実情です。





私が今回捨てることにしたプライドは、

「人のことを、よくわかんない」

っていう(笑)とくに「人の悩み」とか「人の目指すもの」みたいなものを、ぜんぜん知らないことを、暴露したことです。

これって、人間的欠陥でしょう?

そんな自分の弱点を、公表していること、
私は完全無欠な崇高な女神ってわけじゃありませんのよ、っていうね、
スピの仕事の人が、「私なら、あなたを助けてあげられます、悩みを解決し、癒やしてさしあげられます」っていうような、その肝心の解決すべき「元ネタ事情」をあんまりよく知らない(笑)自分であることを、お伝えするのは、とても勇気がいることです。


「わかるわ~わかるわ~奥さん」みたいな(笑)井戸端会議のような場所も、日常レベルで持っていませんし(笑)
だから「愚痴を言い合うお友達」なんて存在もいませんし
(だけどそういう存在がいないことになんの不満も孤独も感じません。むしろそんな友人なら要りませんし)

「夫が自分を理解してくれない」のような「悩み」もないですし
(これは決して、「うちは彼がものすごいあたしの理解者でいつも支援してくれているの♪ うちはそういうラブラブ関係なのよん」っていうわけでもありませんので、誤解のないように。たぶん、あなたの家とそんなに見た目変わりませんよ)

「職場でいじめられてつらい…」のような「悩み」もないですし
(しいて言えば、自分自身がおバカでトロイので(笑)、手際悪いところがある、自分にダメ出しをしなきゃいけないことがわりとあるかな、っていう部分が悩みといえば悩みですが)

「自分がブスなのがどうしても嫌」のような「悩み」も卒業してしまったし
(これはある人には今でも普遍的にある悩みだとは理解しています。できれば、見た目はいいほうがこの世では有利にはたらくことが多いのが実態です。ですが、見た目がいい場合は見た目の良さに釣り合う中身が育っていない場合…アドバンテージになるどころか、その人を不幸にする爆弾持っている宿命も、そういう人は持っています。天は二物を与えずと言いますが、そういう方はむしろ二物三物を持っていかないと厳しい試練に遭遇させられるのです。見知ったところだと、沢尻エリカさんあたりがそうですね。「字が汚い」ってだけで(笑)批判されます^^。とても息苦しいですよね。美人って「人が思っている最大公約数的な幸福像」を他人のために演じてあげないと生きづらくなるところがけっこうあるんです。美人の不幸は格好の、不幸な人々のガス抜きの餌となり、食いつかれ弱っているところをさらにエネルギー奪われ弱体化させられます。なので、見た目をアドバンテージにしないで済む「見た目ほどほど」のほうが(笑)この世ではけっこう生きやすいかな、というところがあるわけなんですよ)

かんたんに言うと、

「あんまり、人に認めてもらおうとしていない」んだけど、それが「不幸か?」っていうと、不幸じゃないし、不幸どころかけっこう幸福感があったりするから、それで自分は日々の生活がつつがなく成り立ってしまっているところがありまして。

優越感も、劣等感も、あんまり感じていないんですよ。
不安も恐れも不満もあんまりないんですよ。
わりとソコソコ充実しちゃってるんです。アセンションしちゃってるんです(笑)。
あの世で言うと、もう、あの世1を楽しく思い切り満喫しちゃって落ち着いちゃってる充足の状態なんです(笑)。

つまり、言い方を変えると、「次なる目標があんまりないんだけど、それでも別にいけちゃうかな」っていう(笑)、この世とは雲泥の違いの天国で、人が「ここが天国」と勘違いして長居しやすい、ブルーアイランドにとどまろうとしている(爆笑)我よし状態へ陥る危険性もはらみます。
(ブルーアイランドの人々が我よし、ということではないのですよ。あそこは、喜びの世界なので、その人が喜べる世界しか、創造できない場所ですから、「天国」的様相も創造しやすいので、いい人のまわりにはいい人が集まり、変な人のまわりには変な人が集まる、似た者同士で形成される世界ですから、居心地いいはずです)

こういう状態になると人間って

「自分とは性質が違う人の悩み」とか「自分とは性質が違う人が求めていること」への関心、それじたいが、やや薄くなるところもあるんですよ。
なので、そういうものに影響されたり、翻弄されることが、ほとんどなくなりますので、心の中は「平安状態」を維持しやすくなります。

普通の人ならそれでいいんですが(笑)

私の場合は、任命されていることの仕事の性質が、コレなので、そういうわけにもいかないんです(笑)。

実はこれぞ、もっとも、「高次から見て、潜在的にまだ持っている能力をみずから開発しようとしていない、次へ進もうとしていない、サボっているクソ状態」とも(笑)言えるんです。

(え~と、「迷える苦しい人々を救う」とか(笑)奉仕精神溢れる天使とか女神とかになりたい、とか、その手の欲望じたいは、相変わらず薄いですよw それをやれることは素晴らしいことだと思いますが、自分がそうなりたい、っていうのはやっぱりあんまりないんです。ないんですけれど、この世では、「人の手助けして、なんぼ」という、結局ですね、人間存在は「自分以外のために生きると具合が良い感じになる」ようにしか、設計されていない(笑)存在です。これはだから、自分がそうなりたいとかなりたくない、の世界ではなくて、人間存在である場合の、宿命のようなものなのですよ)

この世の多くの人の悩みというのは、たいていが「他人目線由来」からくるものであったり、「自分の色眼鏡」という曇ったメガネをかけているところからであったりしますので、そこに気をつけて、「なるべ~く高次視点からモノ考えるようにする」習慣づけの日常が長くなってくると、自然に、些末な悩みみたいなものに振り回されることがなくなってくるんです。

これを、切々と訴え(笑)みなさんにそうなっていただけるようにと、せっせと石アクセサリを提供し続けてきているのが、PSWのヒストリーです。





でもさ、これって「ひとっとび」には、いけないんですよね。

ひとつ、ひとつ、片付けていかないと、まぁ、無理なんです。
急がば回れ、と言いますが、本当です。
ひとつ手放して、次の手放すものが、観えてきます。けっこう、果てしないのです。
一回、クリアすれば、それでオッケーというわけでもないのです。

だから、人はその果てしなさに、挫折しやすいんです(笑)。

(起業した99%の人が挫折する、っていう現象に顕れております。人は本当に「プライド捨てる」ことができない、「失敗している自分を認めたくない」ために、むしろ、失敗のままで終わらせる(笑)生き物なんです。ソレ以上失敗したくないから。でも失敗のままで歩みを止めていても、失敗が成功にひっくりかえることはありません。いつかは成功しないと、「失敗は成功のモト」と言われる意味も、永遠にわからないままです)

なのでそのひとつひとつの、「ひとつ」のネタをくれ、っていう(笑)そこが今回、私が少し違うやりかたをしてみようという、

「こちらから、歩み寄らせてください」をやってみようと、思い立った動機です。

お医者さんが、患者さんのことを「問診」しないと(笑)どこをどう改善したらいいのか、見当つかないじゃないですかw

まぁ、そんなようなところでもあります。

あ、その歩み寄り方なんですが、それはまた、おいおいご案内していきます(笑)
なぜなら、大枠としてはこんな理由なんですよ、を、発表しただけですから(笑)

すみません、いっぺんにできなくて。
すみません、イージーに操作してもらえるように、ユーザビリティに気を使う(笑)ノリのいい印象操作の媒体にできなくて。





今年の、4月から8月の5ヶ月に渡る「人氣エネルギー影響期間」が私に提供されたのは、こういう、

「そろそろオマエ、ブルーアイランドから、「卒業」しろよ」

その機会を与えられたんだな~、って(笑)直感的に感じていたことを、このように整理すると、こうたどり着くことになりましたということです。

自分がその昔書いた、ときめきメモリアルのCDエンディングの歌詞のフレーズ

「人は自分を 卒業してく あなたらしく たどり着けるはずよ 同じ季節を 過ごせたことが 二人にとって 支えに変わるから」

これが、みなさんと共に、実現するといいものだなと思いますね。

生きていることは「卒業の繰り返し」です。(あの世もそうですが、きっと永遠にそうだと思います)

生きている人間の強みは、その「あの世の順番」が「順不同」で経験できるところ。
あの世のみならず、「神氣」に直接つながれるのもそうですし、いわゆる「囚われ領域」につながることも可能です。
先祖供養ができるのも、レトリーバルができるのも、生きている人間だけです。
すべてに関わることができるので、すべてのエネルギー的影響を受けることができます。というか、できてしまうので、無意識でいると、自分の持つ「囚われを自覚しないまま」囚われたエネルギー地帯との同調で生きることにも繋がります。

今までの私は、高次配下から、「あの世4」「あの世3」あたりにいつつ、少しだけ「あの世2」でいつつ、囚われ地帯の影響を手放しながら、「あの世1」をひたすら補う(笑)みたいな順番でやってきていたと思います。

高次直下でものごとを実現していく、これをロゴストロンさんあたりの用語でいうと「向下」と言いまして、要するに高次元をこっちへ引き下ろす、のような実現のしかた。
これだと、「かっる~く、意図が実現していく」世界をつくれます。
スピリチュアル方面とか、宇宙がどうこう、って言ってるような感じのやりかたも、結局これです。
がんばらなくても、実現できます。
そういう方面でも、「がんばらなくていいんだよ」って言われてるでしょう?(笑)
実際、そうなのです。私は、ぜんぜん、がんばっていませんし、自分がやっていることを「努力」というふうには、この仕事においてはあまり捉える機会はなかったです。

でもこの場合、残念ながら「あなたの表面的エゴ」の欲求は、あんまり叶いません(笑)。
叶うのは「高次とその実現の意見が合致していること」がかる~く実現していきます。
なので、結局、どういうことなら自分に実現がゆるされるのかの、リテラシー能力を要するようになるので、おのずと、高次と会話せざるを得なくなる(笑)のです。よって、その人のかかわる先の配分が変わってきますので、自然に、「囚われに気付かされ、容赦なく、手放させられる」という(笑)「愛のムチ」も受けられるw そういう世界展開のしかたもします。
たぶん、高度だと感じちゃう人には高度だと思われます。

私はこのやりかたが、断然お薦めなところもあるんですが(笑)まぁ、それも好みだと思います。
会長直属の配下に置かれるよりも、あいだに、管理職はさんでいるほうが(笑)ゆる~く責任まぬがれるような、実は本当はまぬがれてはいないんですが、「まぬがれているような気にもなれる」っていう気楽さならありますからね。
(スピリチュアルや自己啓発などの、あれもこれもと、学び先をコロコロ変えている(笑)ようなタイプの人は、この「まぬがれているような気になりたい」気がしているようなw 人々なのかな、とも思います。まぁ、自分にも、そういうところがないわけではないので、人のこと言えませんがw)

それと、これはいわゆる、あの世3やあの世2あたりの影響力が強い、調和の精神や奉仕精神「のみ」に陥りがちな人に起こりやすいことだと思うのですが、「ひたすら、全体のために、人のために、奉仕する」ことが喜びになってしまい、自分を充足させるための「あの世1」の形成を怠ってしまうことが出てきます。
高次のエネルギーにふれると、人を優先する、人の喜びのために生きるということが苦ではなくなるのです。
優しい方に、自分の満足を満たそうとしない、他者を常に優先する自己犠牲精神が強い方が多いのはこのためです。

ですが、人間は「あの世1」状態が、まずは生きるベースになります。
ここが不足している、欠けている状態だと、本当の意味での人助けができない自分を、苛むことにも繋がります。
純粋で綺麗な心の人々が苦しむ世界を形成しやすい、この世ならではの独特なスタイル(笑)とも言えると思います。

自分自身の「あの世1」を満足させていない状態を目くらましして「美化」しやすいのも、そういう人々。
これまた(笑)「精神性の高い人はそうなのだ、自分は貧しくてもいい、人々に分け与えること、人の幸せが私の幸せ、それが私の幸福スタイル」という勘違いというかw そして、それをやらない自分の満足ばかり私欲ばかり追い求め続けている風にも見える、自分勝手に生きる人々に対しての、軽蔑感情のようなものも生みやすくもなる、他者否定にもつながる、危険な、「この世ならではのトラップ」も(笑)ございますのが、ほんと~にこの世のものすごいところです。

人間の精神性など、この世に生まれ落ちれば一夜で脆くも崩れ去るレベルの、ひ弱なものでもあるのです。

ということで、ひたすらとめどなく長くなりそうなので。
今日はここまで。





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カテゴリ :  高次ガイダンス
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