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ミニマム手本ならそばに居た(笑)

2020年01月08日 (水) 18 : 08
昨日の記事、ミニマリストの人々のブログなど読んでいて気がついたことなんですが(あくまで個人の日記、感じることです。ミニマム否定ではございませんよ)

生前のうちの父が(笑)まさにwまさにw

ミニマリストなんていう言葉や概念のなかったあの昭和の時代から、まさにこれを地でいってる人でした

服はいつも同じ服を来てましたし、ほぼ、春夏秋冬、変わりませんでした

だいたい3アイテムくらい循環してただけ

下着はふんどし(笑) ふんどしですよ、ふんどしw(でも腰回りをゴムで圧迫しないふんどしというのは、けっこう身体にいいって話、どっかで聞いたことあります)

食事も、うちでは我々子供が小さい頃には「コーラ禁止」「カレー(レトルト)禁止」「白米禁止(なので五分づき米でした)」「野菜、魚中心」のような…なんでしょう、今で言うところの、「健康食」そのものを絵に書いたような(笑)食卓っぷり

ほかにも、思い出せる父の姿は、なんかもう、ミニマムそのものでしたね

「流行りの先端」を(笑)行っていた人だったんですね。

で、彼がカネをかけるところは、「御神事」系(笑)

(これも、ある種の流行りの先端…)

うちは貧乏だったんですが、そういったスピ系統に関して”のみ”は、なんでしょうかね~、ああいった「御神前」というのでしょうか、どこの家にもない「広い聖域」っていうんでしょうか、当時、大きな注連縄がある御神前部屋は12畳の広さがあって、何も置かれておらず、出入りするのは、朝晩の「拝礼」の時だけ
毎日毎日、神社のように、掃除されてます(母がやっていたわけですが)供え物は取り替えられ、人間はお下がりをいただき

子供時代、子供たちは、一人辺り3畳くらいのきちきちスペースの中に押し込まれ(笑)プライベートルームもなく、なのに、家の中にはそういう部屋もあるという
子供心には、「どうして?」感が満載でございましたし(うちでは、今まさに生きてここにいる人間、子供じゃなく「神様ご先祖様が優先か…」という(笑)ちょっと曲がった愛情感を持つ温床となったわけです)

なんというか、極端で摩訶不思議(今から思うと)な家だったと思いますね…

そして、貧乏なのに、お金持ちの人が持つような、贅沢空間、それがありました。
オトナになってみると、経験としてそういうものを知っていたことに、感謝できます。

そして、今から思うとですが、「スピリチュアリストが欲しくてしょうがない環境そのまま」持ってたような(笑)
ありゃ、すごい「瞑想ルーム」だったわけです
子供時代、そこでよく、頭の上で「火打ち石を鳴らされ」その後、「お清め」という、そうですね、「うちってぷち神社だったんだ」っていう数々の経験を、してきたわけですよ。
(だから、火打ち石が浄化にいいよ、みたいな話は、うん十年前から「普通にやってた」家庭に育ちました、ということです)





ところがですね

私は(おそらく他の家族も)そういう「服いつも同じ」みたいな父が、どうしてそうなのかの理解はありませんでした(笑)
モノを持たない、それで平気な彼が、淡々とした毎日が、それが平気な(笑)彼が、不思議でした
子供時代は「何が楽しいのかなこの人」に観えてました

その反動なのでしょうか、兄弟みんな「服好き」となっていきました

父がおそらくもっとも求めていない「像」が、家の中に出来上がっていったのです

われわれ兄弟は競うように(笑)誰もが服を買いました
自分たちの部屋は、持ち物でいっぱいにしていきました

これが「自分の縄張りづくり」の、過程だったのだと思いますよ
モノというのは、ただのモノではない、持ち主の、この世での、「エーテルレベルのマーキング」と言えるのです。

うちの中で私から観て、いちばんお洒落センスがあるのは、中でも末っ子です。
配色センス、それと、お洒落はシルエット、ということについて、昔からよく語っていました。
なので「生地」にうるさいし、「いつも似合う服を着てる」感じがあるのもこの人ですね。
だからやっぱり、そこにそれなりにお金もかけてきている人です。
今は、少ないアイテムで上手に着回すタイプ、となってきている様子ですね。
もともと自分に似合う色、質感、好きな服を、上手に着ている感がある人だったので、そういうのって生まれ持ったセンスかなとも思ってましたが、黒歴史な時代も、まぁないわけではないようです(逐一観てるわけじゃないので、よく知りませんが)
実際的に、服や持ち物にケチるというのはないようですが、本人にとってどうでもいいものに対してはけっこうケチですね(笑)。
なんとなく、「対象によっては、ぷちミニマリスト化」しているとも言えます(私同様)。
ちなみに、「幼い頃から学んだわけではなく天然で、エーテル世界が見えちゃう、クレアボヤント」も(笑)このヒトですね。

そしてたぶんですが、母は色んなことに我慢してきた人でしたので、あの食器棚の中にぎゅうぎゅうの食器も(笑)彼女にとってのアイデンティティだったんじゃないかな、って気がします

ストイックな人と生きると、けっこう、いや、かなり大変、という事例ですね。

だけどですね、
時間はかかっても、結果的には、「高次ガイドから観て、高次見地から観て、その人にとって良いことは、伝承されて活かされていく」面はあると思います。

父が、ミニマムでしたから、子供は、無意識に、「ミニマムも、取り入れる流れ」も持っていた、その素地を持っていたと言えるので。
(このDNA伝承を別名「囚われ」とも言いますが、この世を形成しているのは、この囚われあってこその世界でもあるので。囚われすべてなくなった人は、物理的に、この世で人間として存在できませんからw)





今にして思うとですが

「どうして父がそうなのか」について

家族が、ぜんぜん知らなかった、という(笑)ここが問題だったと思いますw

「どうして父が、そういう生活スタイルがいいと思っていたのか」について、表面的部分で、

「ただ、ケチなだけなんじゃないか」と(笑)ほぼほぼ家族全員、長い年月そう思っていたフシがありますから

死んだ後に、少し株の上がった父ではありましたが(なんでか多くの人に慕われてたんだな~どこぞの社長とか要職をやってきたような人じゃなくただの普通の一般人だったのにね~と、葬式でそれがわかり、凄いね、と)

それでも(笑)家族しか知らない、彼の姿について、あり方については、満面で認めることは、渦中では難しいところもあったと思います

ミニマリストになりたい方(笑)は、

できれば「独身のうちから」始めるといいです

そして、結婚する時は、できればミニマム同士、同レベルのミニマム同士がベターなんじゃないのかしら? と思います

つか、結婚しないほうが(笑)いいかもしれません

自分以外の人と暮らす、ということは、荷物も増えます(笑)確実に

嫌かもしれませんが、家族が増えれば、その人数分の荷物も増えますよ

だから、「せっかくなれたミニマリスト…でも、そうじゃなくなっても、そこを譲っても、この人がいいや」くらいに、諦められる(笑)「もう自分はミニマムにさえ固執しない」というレベルの相手がいいと思いますw





これはペットも同じくで、ペットも家族ですから

「この世に存在する存在」のためのモノは増えていきますし、自分のものはけっこう捨てられますが、ペットのものはカンタンには捨てられなかったりしますよ(笑)

引っ越しした時に、今のうちの仔を自転車前カゴで外へ連れて行く時用のカゴというのがありまして、これもうだいぶへたってるな、と処分したことがあるのですが、ゴミ袋に入っているそれを、彼女は見つけ、ものすごくそれが気になっている表情をしていたのですが、私は、その時には、さほどそれを気にせず捨ててしまったのです。

でもあとから「あ~。あれは彼女にとって、外にいっしょに出かけられる時の”象徴アイテム”みたいな意味があったんだな…」と気が付き、捨てたことをとても後悔しました。

で、それ以後、うちには「お出かけカゴ」が増殖しました(笑)
増殖させた意味は、「彼女が、ひとつのものだけを、象徴としてしまわないように」への配慮です。
捨てたカゴは、「常時使っていた、ワンアイテム」でしたので、あれがなくなること=一緒のお出かけがなくなること、と彼女が不安をおぼえる、そう捉えてしまっても不思議じゃなかったのです。

なので、数を増やして、色々使うことで、カゴはひとつではなく、仮に消耗してだめになって捨てることがあっても、彼女がそれだけをお出かけツールと思ってしまわないように、対策し、「ひとつだけはなく色々使う」ことにしました。
「これなら、駄目になったら捨てる」がこっそりしやすいかな? 気づかれても、スペアがある、それで問題なし、と思わせることが可能かな? という試みです。

これはきっと、「子供のおもちゃ」なんかにも、通じる話かもしれませんね。
片付かない…このおもちゃ、せめて、半分にしたい…という、ママの気持ちとは裏腹に(笑)子供にとっては「すべて思い入れのある宝物」であるうちは、絶対に捨てないほうがいいですし、捨てることを促してもいけないと思います。

捨てることを促すと、子供は、「ママにとってイイ子」を演じるために、「捨てていいよ」って心に嘘を付く子になってしまうかもしれません。
そのほうが、ママが喜ぶ…なら、捨てたくない、持っていたいけど、手放そう…そういう自己犠牲精神を(笑)小さいうちに刷り込んでしまうかもしれませんから。
(これ、オトナになって、ご自身が身におぼえの有る人は多いんじゃないでしょうか? 自分の意志ではなく、「親にいい子って思ってもらうために」心に嘘をついてきた人、多いんじゃないかな)

いずれ必ず、「自分で、もうこれいらないや」と、子ども自身が思える日が来るまで。
必ずその自発性を発揮する日が来ますので。
片付かない…自分にとっては目障り…であっても(笑)
それが、「母」の「見守り」というもの。という、ある種の、ミニマムになる以上に、ママを育てる、人間を育てる、乗り越え部分かもしれないですよ^^
(でも、「ご自身が、ご自身の持ち物に対して、ミニマムになりたい」と、ミニマムになることは自由です。ここと、家族を同一視しない、ということが重要です。家族なんだから、同じ価値観でありたい…は幻想です(笑)。それよりは、自分を認め、家族のありかたも認める。違っていてもいいことを認める、まずはそんな感じが良いですよ。本当に家族にとって必要なことなら、時間をかけて、家族にとって必要なタイミングで、その影響は出てきますので)





話がミニマム手本に戻りますが、

ミニマムでした父は、確かに、ミニマムゆえに「自分にとっての大切なこと」がわかっていた人だったと思います

そういう人は、確かに、「運がいい」と言える側面も持っています。

(「ミニマムになると、運がよくなる」っていう話も多いから、運が良くなりたいために、ミニマム目指してしまう人もいるかもしれませんが。これぞ、「流れ」があります。表面的な、ただ運が良くなりたい欲からだと、難しいですよ)

でも、彼が、彼が望むような、自分と似たような人間、「ミニマムに育ってくれなかった子供たち」を理解するのには、時間がかかったんじゃないでしょうかw
(たぶん理解はできていない(笑)と思いますが、「諦めて受け入れる」ことに、後半人生を費やしたんじゃないかと^^思います)ついぞ、「生きてるうち」には、ほとんど叶わなかったんじゃないかな、って思います。

でも、「今」は、けっこういい感じに(笑)「シメシメ」と喜んでいるかもしれません。

ちなみに、

「創造性」という人間を活かす能力は、実際に、ミニマムになると引き出される面があるのは、事実です。

ですが、肉体を持つ人間にとって、「モノも知らないと、その呼び水がない」本当に無の状態から、いちからそれができる人は限られると思います。

本当に良いものをえらび抜いていくために、雑魚も知っている(笑)そんな道も、無駄ではありませんよ^^
(父がミニマムでしたおかげで、その反動で、「雑魚も知る」人生となった私はそう思います)
ミニマム追求しすぎると、ミニマムであることへの囚われも起こる人には起こります。それが、家族関係や、環境をつくります。
何もないことの気持ちよさ、そのはずの空間に、「観えないエーテルレベルの穢れ」を溜めていくことにも繋がったりすることもありますので。

この世のカオスを生きていることじたい(すべて存在を認められているからなんですが)そこに無駄はありませんから。
そういう視点もあっていいかなと思います。


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カテゴリ :  高次ガイダンス
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