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運命の人

2019年04月06日 (土) 20 : 32
私が、私の独り相撲なのかな…

の虚しさの要因として、ず~っとず~っとどこかで解消されていなかった、自信が持てなかった「疑い」のひとつとして。
今回の『数秘術』で人生大枠を聞いてみよう…に思い至った、最大の理由。
それは。

だいたい、もっとも変わらなきゃおかしいはずの人(笑)それが変わってくれてないと感じてしまう、そういう自分がいました。

人様の「変容」のお手伝いをしているのが自分であり。
それを正業としている身でありながら。
正直なところ「もっとも近い人が、変わってくれない」ように観えていることへの焦りがず~~~っと。あったことはあったのです(笑)。

夫婦仲良しパートナーマンセーなスピリチュアル系(笑)ってあるでしょう?(爆笑)
まぁ、羨ましいっちゃ、羨ましいわよね。
旦那が協力的(笑)であったら、つか、ほんと目指すものが同じ同士でやれている仕事は、それだけ支えが合って楽だと思うし、張り合いもきっと生まれるのでしょう。
(「子供」まで^^そこに巻き込むスピ家族というのもいますが、私は、子供を親の仕事に利用するスピ家族は個人的には「どうかな」と思うところはあるのですが、まぁそれは置いておいて)
もう、絶対、うちはそれですよ~素敵な魂の双子だののスピリチュアルライフとか、そういう嘘はつけない(笑)、「私たちはいつでも理解し合うこんな素敵な運命のツインレイ」のようなホラは吹けませんので^^、その嘘演出はやってきてはいないんですけど^^。
(だけどね…こういう系統もね、「どっかでそれをオーバーに素敵にそう見せようと演出している」面はやっぱりあると思うよ。そうやって羨ましがらせるように見せておかないと「魂のツインと生きていくって素敵、私もこういう風に生きたい、私もそうなりたい」っていうお客さんが来ないじゃない?(笑)まぁ、見抜いてください、それらは個別に。たぶん、みなさんとそんなに違わないのよ。ほんの、ちょっとの違いなのよ)

私に恋愛相談が少ないのも、たぶん、こういう見た目現象なところもあるから、それもあるかもしれませんけれど。
迷える子羊は、とにかく、この世には多いみたいなんだけど、うちにはソレ系迷える子羊があんまり寄って来ないんですよね。
スピリチュアル市場的には、確実に「客層」として(笑)いちばんそういうタイプの人種が多いハズで(ある種のいい「カモ」扱いされる人々)、石業界でもね…その手のケースの石依存タイプの人の話は同業とかにもね、聞くことは聞くんですよ。
でもなんかそういうの聞くたびに、「うちにはいないよ出会ったことがないそういう感じのお客さん」って(笑)思うことが多いんです。
それはおそらく、前々回の記事でもお伝えしていますけれど。
「お客様の、霊的レベルが、洗練されている人が多い」から(笑)だと思います。
迷える恋愛子羊系のスピ系タイプの運命的ラブに夢持つタイプの人は、たぶん、うちのブログを読んでも、「意味わかんない」「長文難しい」って思うのかもしれません(笑)。
こう言うとアレですけど知的霊的リテラシーがもうちょっとの人たちなのだろうから、寄って来ない寄りつけないんですよね。

まぁ、相談しなくていいです^^。
そういうものは、もっとも「他人に未来なんか聞かないほうがいい」タイプのイベントですから。
悩む気持ちはわかるんだけど、恋愛は、ただ相手を好きならそれを正直に。かけひきとかくだらん小技は不要です。
「あなたがうまくいく相手」は、万人にとってうまくいく夢を見させられているモデルケースの王子様とは違うこともあるのですから、それを人から決めてもらう必要はないのよ。
つか、それこそですね…「相談相手自身のものさし」がどのようなスピリチュアルカウンセラーであろうと、必ず入ります。
なので、仮に、そういったことをそういう人に相談するのであれば、必ずその人の観点が入っていることを前提に、「自分で気づける」ようにしてください。
たとえば「彼は私のことを好きなんでしょうか?」レベルの話でも、この「好き」の感情には「こうじゃないと」の定義はないのです。ものすご~く一般的に女性好みではないのであろう(笑)希薄な感情レベルでしかそれを感じない表現できない男性なんかもいますが、だからってそれが「冷たい」「好きじゃない」とかではないのですよ。
でもそのへん、占い師の方の「経験値目線」がほぼほぼ絶対に入って伝えられます。へたするとそうじゃないのに「気がないね、この人」になっちゃう場合だってあると思うよ。
それ聞いたくらいで、やめちゃうの?(笑)ってことです、結局。自分で確かめればいいじゃないですか。ってことになるのです。
どれだけ「未来が透視できます」系であっても(笑)その未来は限定的視野のものであること、そして、もっとも大切なのは「今、何ができるか」なので、ここをおざなりにして未来先取りできませんから。
言いなりとか、これじゃ駄目なんだ、とか、これでいいのだ、とか、それらを持ち帰るのはすべて、貴方様にかかっていますので。
なので、人に聞くのもいいのですけれど、「自身の霊的感性を磨くこと」「当事者意識」が大切ですよ。
そうじゃないと、結局どんなことを聞いても教わっても「理解できない」「結局なにも実行できない」「活かせない」ということにもなりかねませんから。(これは、恋愛だけの話ではないですけれどね)


話が大きくそれましたので、戻しますが(笑)。

もっとも近い人が、変わってくれない。
この場合の「変わってくれない」というのは、私の「人間目線の、エゴ目線の、いい風に、いい感じに」であったこと。
そうじゃない部分で、ずっと観続けてきたつもりだったし、わずか~にわずか~に、登ってるかなという良い感じに変化してきていることもあることはあって。そこをわかりつつ、認めつつ。
けれど、やっぱり、それでも私の表面的な人間的「私の思ういい感じ」目線だったこと。浅かったこと。自分基準だったこと。
これが、今回のリマさんの『数秘術』で、はっきりと、わかりました。

実は、このセッションに申し込んでみようと決めた時から、「ガイド支援」は始まっていました。
こういうセッションを受けに行くことについて、ふたりは大喧嘩になりそうになりました。
内緒で行くつもりだったのに(笑)バレまして^^。
「そういう、他人の意見にオマエはいちいち影響される。そうやって何かを聞いてきては人を振り回す。自分のことを人に聞くのはやめてくれないか。気分が悪い」と(笑)。
大波乱に^^なりそうでした。
が。ここで落ち着いて、私は、「私は私のことが知りたいだけで、決して、あなたを変えようとか、そんなことは何も考えていない。それを強制強要するためじゃないし、そのつもりもない。あくまで自分のために、自分の数秘の運命全容なんて今まで聞いたこともなかったから、あらためてそれを知りたいだけ」ということだけを伝えました。
実際、そうでしたから。

その話をするうちに、話の流れが変わり。
そこから、彼自身の、現在の心境、今までひとつも話してくれなかったこと…そういうことを、聞くことができたのでした。

そしてその時に、私は、実は、「ハートが納得できた」のでした。
どう言えばいいのかわかりませんが、すでにもうその時に、わかったのです。
「この人はちゃんと変容することができてきている…魂の道を歩いている…私がそれを信用していなかっただけ、わかろうとしていなかっただけだ…これでいいんだ」と悟り、もう、申し込んだセッションそのものも、とくに必要ないのかな、というくらいに、何かが腑に落ちたのです。

ふか~い、ハートの癒やしを、私自身が感じていました。
そして、彼がどうあろうと。これからもどうあろうと。受け入れていくこと、認めていくこと。
彼については、私は、もうこれでじゅうぶんではないか、と思えたのです。あとは、私の問題だ、と。
…このアクションがなければ、こういう展開にはならなかった…むしろこれが必要だったのかもしれない…。
申し込みしたから、あったことでしたので。
そういう気持ちで迎えたセッションでしたので、さらに、私と私たちの運命が「数字が示すもの」が腑に落ちることになったのでした。

そして、私こそ、この人がいないと生きてこれなかった人間そのもの(笑)だったのでした。
これは自分でもよぉくわかっていたことですが、「この人といっしょにやってきていなければ今の自分は確実にありえなかった」というのが事実です。まず、天職と言える、今の状態は確実になかったと思います。
ここはひっくりかえせないし、そういう意味でも、いわゆる感謝の存在であり欠かせなかった存在です。
でもそれは、私が勝手に見つけた、私がやりたいと言い出し進んだ、私の道です。
そこにとくに、双方の同意はありません。
ただ、「こういうことをやりたい私」に対して何も反対しないでいてくれた、それだけでも考えてみると、常識知らずでいてくれて(笑)大変ありがたい存在なのです。

で。私はまぁ、それで、いいのよ? でも、彼は?…近年、こっちへ気持ちが行くようになりました。
自分だけが幸せっぽい、充実っぽい、みたいなのって、ものすごく気持ちが悪いのです(笑)。本当に居心地良くないのです。
でも結局これも、自己本位といえば自己本位。
私がハートを生きることが幸福なんだから、あなたもそうなってほしい…。
よく考えると、こういうのって、人への押し付けで、そして「決めつけ」もいいところです。
つまり、「あなたは幸福じゃない」「ハートで生きていない」って、私が勝手に決めつけてその眼鏡で見ていたことが、彼と話していて、わかったのです。
私がふか~くハートで感じたのは、「この人、これで、今、いいんだ」という、とても暖かい感覚だったのです。

そう考えると、できれば全人類に、幸福になっていただきたいのは、「自分もそのほうが確実に幸福だから」というエゴとも^^言えますね。
「おまえの言う幸福なんかに死んでもなるものか」って思ってる人だって、中にはきっといるはずなので。
「おまえの言う高次ガイドなんかに死んでも繋がってたまるものか」っていう人だって、絶対にいるはず(笑)です。
それがたんなる強がりだとしても、死んでも救われたくない人、っているんじゃないでしょうか(だから死んでも救われてなかったりするんだけど^^)。
救われるとか、本当の自分とか、気持ち悪い、なんなのそれ、みたいに思う人もいるんじゃないかと思いますよ。
きっとそういう人にとっては、「本質を生きるとうまくいくんだよ」とか「運命を受け入れる」なんていうのは、なんかばからしくてもう、ヘドが出そうな話かもしれないです(笑)。
その段階で無理やり聞かせていいことがあるわけがありません。”嫌われる新興宗教”みたいなもの(笑)と一緒ですよね。

人類が、時間をかけて変化してきている意味も、結局そういうことですね。
いくら「このままでは間に合わん」と、何かに気づいている人が、警告を発信したところで、大半が間に合わない人生を選び続ける選択をしている中で、それでもみずから気づき、ちゃんと高次ガイダンスの流れに乗っていく人もいるので、まだこの世はこの感じでいけている、という面もあるのだと思います。

私が感じていた罪悪感、「この人、私に出会わないほうが、本当は良かったんじゃないだろうか」という、実際的に彼の人生から、私が介在することで奪ってしまっていたように感じられていたことの数々…そういったことへの後悔や申し訳無さや、もう取り戻せないことの数々。そしてもう、これからでは、できないことの数々。霊的無知で低レベルであったことの代償。
それらが、どうしてそうあったかの意味。

私よりもずっとずっと色々な意味で、才能を持ち、能力的に優れている人なのに、魅力があって人にも好かれる人なのに、純粋で、人を陥れるような狡さもなく、弱いものを気遣うリベラルさ、優しさや思いやりを人にも動物にも生きるもの全体へ持っていて、我良しじゃないけど自分の好きなことがちゃんとわかっていて、直感力に優れていて真実を見抜く目を持っていて、つまり、本当に世の中で人になにか良いものを、価値のあることを人に提供できるのは、どちらかというと私じゃなくて、この人なんだけど。この人にそういう人生をやってもらいたいとずっと思っていました。そして本人にもそのやる気がなかったわけではなく。なのにどうしてか、必ずといっていい程、その運命の途上で、「なぜ上空に手が届いているここで」と…ポキっと梯子を折られる意味。

私なんかよりも、この人のほうが、どうして? レベルの難易度強と言えるテーマを持ってきていること(でもそれはもちろん「私から見て」です。違う人から見ればまた違うのでしょう)。
普通の人はまずあわない目に合う、本人に責任のない不可抗力の受け入れがたいことのオンパレード人生であればあるほど、それは一見不遇とも言えるのですが。「これは…きついよね」の課題オンパの人は、「それ、普通だろ?」レベルの課題の人よりも、きっとその過酷さを乗り越え受け入れられる予定だからそうなっている…わけなのです。
ですけれど。きついと思います。
今回クリアできたら人間卒業昇進かもしれない古い魂なのは(笑)きっと私ではなく、こっちなのでしょう。私のほうがずっとずっと幼い魂だと思います。
普通のこの世においてのわかりやすい成功とか幸せとかでは、きっともう魂じたいはそれらは知っていて、それじゃ満足しないぬるいテーマなんですよ、たぶんこういう人は(笑)。なんとなくそういう感じがします。

その難易度強とこれまでずっと一緒にいてもらえたからこそ、たぶん、自分は「飛び級」なのかもしれないし、自分の「テーマ」を「やらざるを得ない」ところへ(笑)もう、肚を決めてやるしかなくなり、それこそが私の潜在能力の発揮と、猛スピードの各種この世的スキル形成突貫工事に繋がって、「私の魂がやりたかったこと」に繋がっているのです。
それはわかっていたことではありましたが、もっと緻密と言える、計画でした。
それは、あまりに見事な展開でした。

囚われまで計算に入れている、囚われを持たせるよう仕向けている(笑)かのような。
そして私の経験においてはですが、たぶん、普通の人ならおそらく、大きな囚われとなりそうな常識的にはネガティブ経験が、むしろ本当は、その囚われの解放となっていたことや。
実はわたしはこういう経験をする動機となった彼に対し、愛憎半ばする悲観期間、恨んでいる時期、もあったのよ。自分で選んだ人生とわかっていてもね。常識的な男女の愛というような視点では「私はこの人に女性として大切にされなかった、犠牲にされたんだ」っていう悲しみみたいなもの、こういうものを積もらせる期間もあったしね。
その「解放されているのに、常識的ではない経験」への”常識のものさし”が自分にくすぶっていて。
でもこういうのをね、「石が解放してくれた」というのももちろんあります。
石はね、持ち主が持っている囚われを解放するための”きっかけ”となるような現実現象との遭遇もそうなのですが、この世にちりばめられている、解放のためのあらゆるヒントに遭遇させてくれるのです。
亡くなった樹木希林さんと内田裕也さんの関係性とかを昔観ていて。「なんか、自分とこはこれにちょっと似てなくないか?」と(笑)。
もちろん当事者じゃないので、そっくりそのままではないのだけど、昔、「希林さんのように、そうか、私はこう生きればいいんだ」って(笑)少しお手本にさせてもらったのよ^^。
娘さんの、先日行われたらしき裕也さん葬儀の弔事で、希林さんは生前「あの人はこんな私と出会ってしまったばっかりに」ってよく「申し訳ない」って言ってたようなんですが、時を経た今の自分は「まさにその気持がわかる、その希林さんの言いたい苦しさがわかる」って思いながら、私はまさにそれニュースで見たその日に『数秘術』リーディングへ向かったのです…。

(裕也さんは希林さんが迎えに来たんだなぁ、ってほんとにそうとしか思えない死期でしたよね。これ、昔、台湾の占い師さんだかが、当てていたよなってこと思い出しました。「二人一緒に死ぬらしいよ」ってことだったんだけど(笑)ほぼそのとおりだったな、と。これは母が癌で亡くなることもそうなんですがそれにより「あの父親を置いていかれるのが対処に困る」という娘さんの悲痛(笑)から、当たると言われている占い師に占ってもらったら、そう言われた、という話を何かで偶然見たんじゃなかったかしら…「人の寿命」ってほんとに決まってるし、それがわかる人もいるので、知ろうと思えばわかる手段もあるということです…道義的には教えちゃいけないこととして、わかっても伝えない占い師さんがほとんどでしょうが、それは相手によりけりで、教えてくれる人もいると思いますよ。まるの日さんもそうだけど(笑)私は他にもその正確な死期がわかる能力持っている占い師さんを知っているので、本当に大真面目に自分の本当の正確な死期を知っておこうと思ったら、その人に聞こうとは思っています)

だけど、すべて、段階であり必然であり運命だったのか…と。
そういう、ひとつひとつの「必然」を経てこなければ、こういうことだったのか、ってわからなかったのかもしれませんので。
(ちなみにこれはひとつも本人には伝えていません。聞きたいって思っていない人に無理やり聞かせても、というのがあるので。私にそれがわかった認識したということが大切なことで、結局ソレはエネルギー的に伝わっていくことで、それが僅かでも癒やしにもなるように思いますから。私はこれからも、「自分自身の祓い」と「自分の魂の青写真」に邁進します。それが直接的にではなくてもやはり彼の助けになっていることも得心できたので)

ムダに存在している人間など、一人もいない。ほんとうに、いない。
どれだけ孤独であろうと、この世的に役立たずであったり何もできていない運が悪いと本人や他人が思っていようと、です。
どれだけ本人自身が、自分の価値に気がついていなくても。
自分なんていなくなればいい、と思っていても。
こんなにつらいのに、どうして生きていなきゃいけないんだろうと思っていても。
必ず、その存在の深い意味があります。
そして、必要とされて、今そこに、います。

また、存在感や存在意義を常に自身において自信をもって感じているような人が、他者のことを「存在価値のないものとして見ている」のであれば、その人は、それがそうではないことを、いずれ知ると思います。

それでも。ここまで、わかっていても。
「他者を変える」ことは誰にもできません。
その人自身が、変わろうと、意図しない限り。
人は操作はできません。
「この人をこう変えたい」といくら思っても、それはできません。
「あの人が変わってくれたら、自分は変われるのに」というのは、やっぱり「自分が変わりたくない(テーマから逃げたい)言い訳」なんだな…ってことですね。

それでも、「人、ひとりが、まず、その人がちゃんとその人自身の青写真を実現することに精進し、自分であることを否定していない正直な生き方」をすることが…次第に、やっぱり、周囲、他者への影響を、与えています。

「な~んにも変わってくれない」なんて、自分勝手に思っていた相手が、「その相手の人の人生テーマを消化していくことを、スムーズにしていくこと」の、助力を必ずしています。
(ただこれも、「人間目線の自分の好みではない変容」だったりもするから^^とってもわかりづらいだけなのです。高次的には「よくできました」ハンコがもらえてるのに(笑)自分がそこに気づくセンスがないだけだったりします)。

「人を変えたいなら自分が変わろう」っていうスピリチュアルがありますが、これはやっぱり真実なのです。
変えたい人がいるなら、「あなたから変わる」やはりこれが最短の道だと思いました。
(でもその最短の結果は自分好みの最短の結果ではない、ってこともあるから。気長にね。このへんは、気付きとしてなかな~か難易度高い場合もあるけれど。あと、たとえば「人にもそう言われているのにピンとこない」ということもありますし、とにかく、とにかく、「自分がかけてる色眼鏡を外していく」ことのほうがずっと大切。つまり、やっぱり「あなたのありかたが大切」へ戻ってきちゃうのです(笑))


それとね…
この世には、「依存」は良くない、と、近年になって、より、「自立することが善い生き方、うまくいく生き方」的に言われる風潮ってありますでしょ?
何物にも依存せず、一人でも生きていける状態こそ、よろしいこと、のように。それが空気としてあります。
まぁ、いたしかたないですね。この世では社会人として当たり前に自立をまず求められますしね。

ようやく、男尊女卑の呪縛から(笑)脱していることが定番化してきた世の中なので、それはそれでいいと思います。
もちろん、自立ができている、それはそれで、実際に自立することは、いいですよ。お薦めです。何かと便利です。

しかし、人間は、本当に心底、「誰の力も借りずに生きている人」など(笑)この世にあっては皆無です。それは奢りです。

そして、正確には、「ただひたすら他者に依存することだけで生きていける人」というのも、皆無です。
この虫の良さそうな路線、これを当然のごとくに本気でやろうとすると、その人の人生はあんまりいい軌道には乗らないはずです。

(この、女性も自立がしやすくなっている良い時代ながらに、その反動からなのか、等の女子勢の中でそこに乗りたがらない^^「結婚して専業主婦になって、働かないで暮らしたい」という理由からの、永久就職おかかえ結婚をしたがるタイプの結婚願望を持つ人も一定数いらっしゃるようです。生活の安定保証が欲しい誰かに食わしてもらいたい、という甘えですね(笑)。わかりますよ。私だって(笑)過去にはできればそれが良かったなと思っていました^^。いっときだけそれを経験した時期もあるのですが、超パラダイスに思えましたし至福感満載の日々で、今でもその時の満たされた感謝感覚を憶えています。「平凡な毎日って最高だな」って思っていました。なので仕事したくない、仕事しないでいい専業主婦って素敵、って見える気持ちもわかります。でもそれは、主婦を甘く見ているからです。だいたいは子供を生むのが当然という風潮がありますでしょ。当たり前に。遊んで暮らせるわけじゃないのです。ほんとうに家事育児などもそうですし当たり前に家族仲良くの構造を構築する共同創造が好きな人じゃないと、人によっては地獄かもしれませんよ。それを支える主婦の仕事って、本気できちんとやろうとすると…実際は、けっこうタイヘンなものですよ。そして専業主婦の場合は「それが仕事」って多くの場合みなされちゃいますので、ちゃんとやっていてもそれが当たり前のことだと思われて特に誰からも感謝もされないことが多いです。旦那様を心から信頼でき尊敬できなければ、旦那様に見向きもされなくなれば、アウトですよ。孤独といえば孤独だと思います(だから孤独に堪えられる人のほうがむしろ向きのような気がします)。まぁそこで子供を手玉に取り旦那をハブるケース(笑)のようなあるある定番家族も構築できることもありますけれど、いずれ子は離れ旦那様とはどっかで向き合うわけですよ。「仕事するのが嫌だから結婚して楽したい」が根底にあると、主婦の仕事は…もっとも過酷になってしまうかもしれませんよ? 契約としては生涯契約ですからね(離婚という解消の方法もありますけど)。旦那様のことを本当は嫌いながら、キャッシュディスペンサーだと思って生きていくために仕方なく我慢している、という考え方になっちゃって我慢のつらい日々になっている人も、わりと数多く世の中にはいたりします。そしてそれは相手にも伝わるのか夫婦間が冷え切った関係性になりやすいです。「食わせてもらいたい」が主だとその同類になりかねませんが、それらをわかって「専業主婦になりたい」って思ってるのかな? 家事が大好きで家族が欲しくてあったかい家庭がつくりたくてそれを実現できるパパママ像として経済力と包容力のあるこの人!! くらいの感じで、「自分も素晴らしい家庭づくりに、一生懸命貢献します♪ そういうのが私に合っていてそれがハートの望み、喜びなの。それをこの人とつくりたいからなの! それを実現できるには専業じゃないと!」と本当に言えるのかな? って、「結婚=楽、幸せ」の考えの人は、自分の胸によぉく聞いて、もしまだそこには足りていない何かが自分にある、もしくは、自分の望みは厳密にはそれじゃない、自分を鍛えるが先とわかればそのほうが、その人に合った理想の結婚が近づく気がします)

そういう、「我良し生存のためのズルいっぽい依存」というのではなくて。
結果として、依存状態になってしまっている人もいると思います。
世に言うニートとか。ニートができるということは、誰かがきっとその人の人生を支えているわけですが。

感情としても物理的にも「この人が生きていない世界では生きていけないかも」という、実質、そういう精神依存状態であることを卑下する必要はないですし、それは赤の他人とか傍目から見れば、依存とか自立できていない人なのかもしれないけど、依存ではありません。プロセスです。

その見た目の状態を、依存だと決めつけ、自分や他者を固定の呼び方で縛ることから、解放してあげてくださいね。
それを「プロセス」にしていくのがテーマの人生の人は、無理せずに、そして常識に左右されずに、それが誰相手であろうと、家族愛なら家族愛、恋愛であるなら恋愛で、そのまま潔くラブラブどっぷり共依存関係を楽しんで肯定してみてください。
そうやっていくうちに、自律とはなんぞや? が互いに、能動的にわかってくるできてくると思います。

良くないのは自分や相手を型にはめ、自分たちは常識的な水準ではないとレッテルをつけて、負の現象に振り分けてしまい、相手は私を幸せにしてくれない人、であったり、私は相手を幸せにできない人、であったり、何かを失敗している…って決めつけちゃって、そこでとどまろうとしてしまうことかなと思います。

この世では、自分や他者から見ての同意が得られそうな好ましいバランスがある状態を「愛」と呼び、そうではない状態を「依存」や「執着」や「くされ縁」や「お荷物」などと振り分けますが(笑)、実際はどれも似たり寄ったり紙一重で、ほんのちょっとの違いだと感じます。

また、依存することは、当然の「権利」でもありません。誰しもそれを依存したい対象に、それを強制することはできません。
それは、父母や配偶者などの、「扶養者」に対してであってもそうです。
(「子供の頃に親の愛がなかった」などと親のせいにするスピリチュアル系にいっときハマっても、必ず気づくと思いますよ^^)
その逆に、父母や配偶者などの立場でも、厳密には、相手の人生に責任を追うことができないです。
(結婚制度は、その「強制力」を生む制度なので、誤解しがちですが、誰にも誰かを縛る、生き方感じ方を義務付ける権利は本当はありません、というよりできないですし、「責任を取る」義務もこの世では家族制度においては法律なので表面的にはありますけれど、「誰かの人生の責任を追う」ことは、実は誰にもできないのですから)

まぁ、依存の合意が、この世の「愛の変形」とも言えるかなと。
そうしたいなら好きにくっついてていいというか、それも心底認めようと思いました(笑)。
それはそれで、この世で「いたしかたなく離れられない人がいる」なんて、経験としては悪くはない話です。
(一般的にはこういうのを運命とか愛だとかいうのでしょうけれど…個人的には、ええとそういうラブロマンス系ではない感じ(笑)なんですよ。ええ。説明が難しいですけれど。でも今思っていることは、「いちばん近くになんとなくそばにいたのに、いちばん遠かった人」にはならないように、いちばんの理解者である努力はこれからもしようかなと思っています。そうですね、ガイドに過去に言われた「ワンコなら掛け値なしで愛せる」そのように(笑)。)


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カテゴリ :  高次ガイダンス
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