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2019年03月16日の記事のリスト

グラン・トリノ

2019年03月16日 (土) 20 : 23
表題の映画を、見ました。
ようやく確定申告もギリ終了(笑)「オフっす!!」ってところで、休みを謳歌してやる!! みたいなところです^^



普段はあたしは「3時間映画見る自由」もそんなにない(という自分の思い込みもあるのだと思いますけれど)んですが、まぁ、そういうまとまった時間の自由を得ている認識が起こると、「そんなにいい映画だっていうんなら(fromうちの人)見てみるかという付き合いで」観てみたところです。



で、いい映画なので(笑)お時間あれば、みなさまも観てみてください、とお薦めします。



クリント・イーストウッド氏が、めっちゃしぶいおじいさんになっています。
(ストーリーそのものとは関係ない話ですけど、こういう見た目のおじいさんっぷりが…手前味噌ですが、自分の亡き父親にちょい似な感じがあって、本当に手前味噌ですが(当然ここまでの容姿ではないし)容姿のいい人はトシとってもそこそこ容姿がいいこの世を思います…(←容姿がそういうわけではない私のちょっといじけた発想であり、今でも完全に手放してはいない私の大きな囚われのひとつ))



ストーリーは、生きること死ぬこと両方において、ままならないものにどう対処するのか、という部分について、自分を見つめることができる内容だと思います

一見、最後は身を呈して自分の愛と正義を貫く自己犠牲を選んだ主人公のおじいさんですが(こういうのも”愛”の生き方と言えるでしょう)これは、自殺でも他殺でもなく…とりうる最良の自己ベスト、それを最期に「自他のために自分のしたいこと」としてみずから選んだ、そういう感じがありました

アメリカ映画っていいんですよね~(『アメリカン・ビューティー』とかも、いいですよ。あれも最期は主人公は殺されちゃうんですけど、これは他殺だけどこの人は最後にきて自分を生ききったし、他者への最大限のできうる”愛”は示して生きることできていたしな…いわゆる”成仏”できる生き方を最後にはしながらの途中だったよな…という私の感想)



スピリチュアル便利用語、「囚われ」のひとこと(笑)で片付けられない囚われがあるからこそ、その人をその人たらしめる、そういう世界があることじたいを認める…「神の愛」を言いたい人はこれを知らなきゃいけないな、って思いました(自戒をこめて)


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カテゴリ :  高次ガイダンス
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