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私の運命を変えた恩人

2017年12月03日 (日) 00 : 00
先月、いつもの代官山のトリミングサロンにうちの仔を連れて行った時、その待ち時間に撮影しましたお写真。



aikoさん。この方が私の運命を変えた恩人(笑)。新曲の広告(こういう看板広告って確か一週間程度で300万とかするんでしたよね。でも渋谷のメインの通りとかではないからそんなにしないのかな)。まだ新曲とか出してるんですなぁ。



なんで恩人なのかというと。「この人の楽曲を聴いて癒されたのよ私」とかそんなんじゃないですよ(笑)。
過去にもちょこっと記事にしていることなので、古い読者さんは前に聞いたかもしれない、って話だと思うのですが。



私は、作詞家人生10年のうち、8年? 9年? このAIKO(私は大文字)という名前がペンネームでしたの。
つまりaikoさんより先にこのネームでホソボソと音楽業界で仕事をしていたのは、私でしたのよ(笑)。

それがね、ぽっと、この名前のこの人がイキナリ出てきちゃいましてね。
でもって、ブレイクしちゃいまして、あれよあれよと有名になってしまわれたのです。
当時私が所属していた音楽事務所のディレクター女史がね、行く先々で、私の歌詞のプレゼンをするたびに、「この人は、あの?(aikoさん?なの?)」って言われるようになっちゃって、とても営業がしづらくなってしまった…という話を聞いて。

「こっちが先なんですから(先に売れちゃったのはあっちだからしょうがないんだけど)いいんですけどね」とディレクター女史は言うものの、なんかね、その説明のワンクッション挟んだ相手のリアクションまで、気まず~い「絵」が浮かぶ話ですよね(笑)。
あ、いえ、そのaikoさんではないのです、って相手の期待を裏切るというか、確実にトーンダウンするわけでしょ?

それとね、こういう話が出てきた頃かな~、確かにね~、私は当時「lyricist AIKO」だったかな(もう記憶にない^^)なんかそういうウェブサイトをですね、作っておりまして。
そっちにね、どう聞いてもそれあたしのことじゃないよね? ぽい、「aikoさんファン」みたいな人から、やたらにメールが来るようになってしまって(笑)。
サイトをしっかり見れば「別人」とわかるはずなのに、なんでなんだろう? と思いましたよ(笑)。当時は顔写真加工したものも載せていたから、ほんと、色んな意味で別人だと^^わかるはずなのに。
「ラジオ聞きました~」とか(笑)。

なんかね、そういうのもひっじょうにうっとおしくなってきて。

で、あたしは、もういいや。と。
長年使ってきたペンネームで、ちんけとはいえ(笑)そのネームで積んできちゃった実績もまぁないわけではなくて、でも固執しているのはソコだけで、とくにそのペンネームに愛着あるかといえば、その名前で何かが世でブレイクしたというわけでもないですしね。
「いいよ、名前変えることにする。神崎詞音にしますわ、これから。」という話になったわけなのでございます。
当時は、当然ですが、ハラの中ではものすご~~~く悔しくて敗北感を感じながらもね(笑)。

で、がっつり本名からは縁もゆかりもないこのいかにもペンネームらしい名前が(笑)どうしてそんな急に決められたのかと言いますと。
ふふ、これも過去記事でお伝えしているかと思いますけれど、当時生活を支えておりました夜のお嬢のバイトの源氏名(笑)そのまま、なのです。そのくらい「ちょうテキトー」に決めた名前です。
「神」とかついているから(笑)いかにもスピリチュアルかぶれっぽいネームに見えるかもしれませんが、もうぜんぜん。
なんというか…ある意味、あたしの不良時代暗黒時代と言いますか(笑)でもその頃にも思っていたんだけど、「将来この名前で作詞家としてブレイクすることが仮にあっても、あたしはこの源氏名をペンネームに使う、ってことで、この自分の今の闇の時代の経験を忘れない、一生背負うわ」とか(笑)なんか格好つけて思ってたんだけど、ほんと、別の意味で^^こうして使い続けることになっているのが、もうなんだかとても。
ただ、一応それでも「詞音」のほうはこだわってみて(笑)作詞の「詞」に音楽の「音」だったんですよね。


私はこれで、どこからも、昼夜「しおんちゃん」「しおんさん」と呼ばれることになりました。
しおんさんと呼ばれ続けて何年になるんだろう…まさかこの名前でこんなに仕事をし続けることになろうとは。という感じですよ。本当に。


…で、何が恩人か、って。

一連の流れでわかりますよね?

こういった過去の経験すべてひっくるめて、今の私がございまして。

aikoさんは、私がここで、「あ~、もういいよいいよ」と、ひとつ、自分が固執していたものを「捨て去る」きっかけを作ってくれたわけです(笑)。

その後、神崎詞音となった私は、結局、シングル一枚(私が手がけた中では一番ヒットしたと言える「Dreamer」)を置き土産に(笑)、「石に出会い、石に開眼し」、作詞家の同業友だちにも「あたしもう、作詞とかオンガクの世界はいいわ。ぜんぜん未練がなくなった。こっち(石)のほうがいい。こっちをやってく。辞めるわ。」と、その決意を宣言し、誰にも惜しまれることのないマイナー作詞家生活を終え(笑)、まったく音楽業界と疎遠となり、その後は…今に至る。ということなのです。

恩人でしょう(笑)どう考えても。
これがなければ、今の私はありません。
(とくにこのことに限りませんが、人生というのは、失敗、敗北(笑)という道程ひっくるめて、よく言われることではありますが、「それでもそれがなければ今の成功がない」の連続なのです)

楽曲とかよく聴いたことはないけれど、aikoさん、このCDが売れなくなった時代に、今でもシングル出せるくらいの実力のアーティストですから。凄いよね。CDを買ってくれる固定ファンがいらっしゃるから出せるわけですから。
こういう人に今の仕事ネームにするきっかけを作ってもらえて、ブログネタにもできて(だ~れも知らないマイナーなアーティストとか、すでにもう音楽業界にいない人じゃ^^こんなのぜんぜんつまんない話でしょ?)で、あたしは、「既定路線の、魂の道」へと進むことができたのですよ(笑)。
今じゃもう、本名で呼ばれることのほうが少ないわけです。
いい加減につけた名前でしたが(笑)こんなにこの名前を活用させていただきこの名前で呼ばれることになるとは。なのです。
この先この方にお会いすることはまずありえませんが、お会い出来ることがあるなら、御礼をお伝えしたいくらいですね。


私はこのペンネーム変えたあと、KAZAMIくんのデビューシングル手がけることができて、ようやく「手応え」を感じる兆しが出てきたところ(当時は名前を変えたことがラッキーにつながっているのだと思っていましたが)、その直後ありえない失敗をして(笑)道を絶たれた感満載で、失意を味わうことになり。
詳細は省きますが、ちょうど、この代々木の地へと引越してきたさなかの出来事でして。

名前を変えた当時は「人頼みばっかじゃなくて自分でも営業というのをしてみよう」と思って、手当たり次第^^自分を売り込みしてみたら、「うっそ!」みたいな当時の私にとっては、雲の上の存在のような人と思っていたような人とお仕事させてもらったり(といっても具体的に音盤とかにはなっていなくて歌詞のお手伝いしただけだったんだけど)、けっこう色々な出会いがありました。

だから自分にとっては「これからだ!」っていう気持ちもあったわけなの。なのに(笑)ですよ。

あとから振り返るとね、もうね、そんな不可抗力の梯子の外され方といい、完全に「高次の手引」だったのよ(笑)。
「はい、もう、そこでの学びは終了。そこまででいいよ。」ということでしたのね。

この時も「もしかしたらこれで終わっちゃうんだろうか」っていう、多少予感はしていたんだけど、その後にね、これもブログの記事にしたことあったかもしれないんだけど、その私の唯一のヒットと呼べた楽曲がのちにオムニバスアルバムといって、複数アーティストの曲が集まるアルバムの一曲として収録されたんだけど、その同じアルバムの中にね、なんと、むっか~し私がOL時代に大好きでライブ通いしていたミュージシャンの方が他のアーティストさんの楽曲のアレンジを手がけていて、いっしょに収録されていて。
その名前、クレジットを見つけた時に、一枚のアルバムの中に、作家として私の名前とそのかたの名前がクレジットされている…私はこの人と同じ土俵に立てたんだ…ということに、なんか胸がいっぱいになって。
でね、不思議と、そこで「もうこれでいいのかな」ってちらっと思えたんですよね。
なんかいい記念品をもらったな^^というのかな。
(高次というのは、こういう粋なはからいをしてくれるわけなんですよ。みなさんね、「単なる偶然」なんてものはないの。ほんとにないのよ)

私が石に出会っていくことになるのと前後して、こういうことがありましたね。


みなさんもね、カタチは違えど、きっと、ある人にはこういうことって、あるのではないかしら。
全然種類は違うけれど、旦那に浮気されて長年の結婚生活が破綻に、だとか。
一生懸命やってきた、希望に燃えて始めた、好きな仕事とかがうまくいかなくなったり。
自分の人生かけてきたつもりの強い情熱、思い入れたっぷりに取り組んできたことが、実を結ばなかった…そういう経験。
本人にとっては「絶望」以外なにものでもないみたいに思えるようなシチュエイションの経験。

そういうのこそ、岐路であり、チャンスなのよ。
「あなたにふさわしい道は、本当にそれかしら?」…という、月並みといえば月並みですけれどね、でも高次がちゃんと用意してくれているの、その先に、もっといいものを。
生々しい(笑)経験をしてきているからこそ、言えることですが。
落胆するんだけどね。立ち直れない、って思うんだけどね。この先自分にはもう何にもない、って思うんだけどね。

「私がいったい何をしたのよ!!!」って恨みたくなるような仕打ちに逆上するような、世を儚んでしまうご経験されている方が、もしいらっしゃれば。

高次っていうのは、そういうことも(笑)まさに「あなたのために」用意している場合もあるよ。
あとになってみれば、それは「感謝」に変容する貴重な経験で財産なのです。
経験はすべてスキルなのですから。
(だからその高次の意図を汲み取ろうね。必ず、ストップがかかることにはその先に意味があったことがわかる時が来るから)


そうそう、文中に出てくる作詞家の同業友だち。
才能という意味では(手がけている音盤の数なんかも)この方のほうがあたしよりずっと上だったな~と思いますね。
私なんかよりもずっと営業努力もしていた人だし、「ひえ? そんな目にあったの?」みたいな(笑)修羅場経験も多かったし。
(私は、印税とりっぱぐれ経験は一度しかないんですが。そういうのだけじゃなくてね。ああいう業界、へたするといいように無料利用されちゃったり。とんでもない扱い受けるケースもありましてね。あたしはそういうのは極少ないの。枕営業なんか(笑)強要されたり^^的なエロ詐欺にも出会いませんでしたしね)
でも、そんな人でも、それだけで食っていくことができない(笑)作詞家業。
彼女は今思うと当時、食べていくための仕事として、人のヒーリングに関わるようなタイプのことをやっていて自宅をサロンにして、開業してやっていってる人でしたが。

作詞やるような人、音楽にかかわる、それでプロに一応なれるような人って、たぶん、本質が人の癒やしに関わる、そこにある人が多いのかもしれませんね。
でもさ、自分のサロン経営とか、そういうの開業することでさえ、それをやる勇気がなくて、悶々とする人もきっと世の中多いと思うんだよね。だけど、「作詞で成功する」なんてことより(笑)実はそれはいともカンタンに(自分の意志ひとつでできるから)、しかも「こっちは副業」って言いながらできちゃう、そういうポテンシャルは身につくんだよね。
ああいう、「一寸先は闇。次はわからない」的な職業を^^長年経験してくると。

私にもね、無意識下にそういう感じ、あったと思いますわ。
自分の意志ひとつでできるタイプの夢の実現、というような意味なら、あの自分ではどうにもならなかった世界を経験してきているからこそ、こっちのほうが楽というか、スイスイ行けるスムーズ感もきっとあったのです。
苦労の経験がのちに活きる、みたいなのは、こういうことね。
ハードルの高いことをやり続けている人にとっては、普通の人が難しいと感じて尻込みするようなことも、そう映らなくなるところがあるんですよ。向いてるとか向いてないとかできるとかできないとか「実際にそれをやってみればわかるんじゃないの?」という、ほんと、それだけだから。

(高次ロードには、手抜かりはないのよ。そういう下準備が、おそろしいまでに万全なんです。私が、大企業O.Lからそれ辞めて、直、石の仕事っていうんでしたら、たぶん習って終わりか、「自分にそんなことできるんだろうか」「そんなことで今の収入レベルを維持できるのかしら」「やっぱり安定した給料が出る会社員でいるほうが安全よね」などと(笑)悶々とし続ける期間がやたらに長かったのではないかな~、と思いますからね。ちなみに、収入という意味でしたら、私は大企業を辞めてからのほうが、あらゆる仕事それぞれで上回っていることのほうが多かったです。そして今もそうです。いっとき派遣で貿易事務をやっている時もありましたが、その時くらいでしたね、昔のO.L時代レベルに戻ったな、感があったのは。実はその時期は私にとっては社会人リハビリ期間のような時期でそれ以上できるバイタリティ、エネルギーがなかった時代。その時期にね、この人はソウルメイトだったんだな、ってあとから振り返って思えたような人に出会って、なんとかその先生きる気力が出てきたというのか自信が持てたというか、励まされています。うまくできているんですよ、人の人生は)

作詞家同業友だちは、私が、「石がいい! こっちがいい! 作詞なんてもうどうでもよくね?」みたいな(笑)勢いになってて舞い上がってる時に、「自分には今の仕事(サロン)にどうしてもまだそれが言えないんだよねぇ…そう思えない。やっぱり作詞、って思っちゃう。そう言えるのが羨ましい」って言ってましたね。今どうしてるのかなぁ。疎遠になっちゃったから。
彼女がなんであれ、成功しているといいな。(そういえば^^昔、石ブレスも調子こいてプレゼントしたっけ(笑))

当時の彼女から観ると、彼女にとって作詞やめちゃうことは「諦める」感じに取れていたんだろうな、って思います。
サロンのほうが私の道、って言ってしまう感じは、たとえそれが軌道に乗って経営がうまくいってそれでちゃんと生活ができていってる現実があっても、それはそれ、ということだったのでしょう。
たしかにそれだと、進めないこともありますよね、人は。
もちろん、人間諦めが必要なシチュエイションもありますが、それを認められるのは、すべてやれることやりきった、その清々しさを受け入れられる心境になる、その時でないと無理なこともあります。

私の場合、そうじゃなかったんですよね~。
諦めというよりは、あの当時の私にはね、「作詞じゃなくて、こっち! こっちがやりたい…!!」の感が満載だったんですよ^^。
だからあとから振り返ってみてね、まるで私に作詞家として成功する道を諦めさせるかのように(笑)どんどん梯子を外されていってる現象の意味もわかったのよ。

それにね、私の場合、ほとんど自分でなんの努力をすることもなしに、ほんとラッキーを絵に書いたように作家デビューできてしまったぶん、自分から何かを動いて努力する、ってことをほとんどしてきていなかったの。
それもちょっと勇気出してやってみたら、「え!」って思うような人に歌詞書いてもらえませんかと言われて、その人のファンで超満員のライブハウスで、その楽曲が演奏されている…みたいな幸せ経験が得られたり、そういうこともあったのに、それでも、自分で営業しつづけるという努力はしなかった。やっぱり、どこかで「誰かが私を見つけてくれる、見出してくれる」という人任せのラッキーを夢見てたのね。

だから、「石ロード」では、それは絶対にやっちゃいけない! っていう強い思いがあったから、最初は「ゼロ」でなんにもなかったし、まったく先は観えていない中で、二足わらじだろうが自転車操業だろうが、がんばってこれた、自分がやるべきことをしていない状態、自分に不正直な状態、人のせい世の中のせいにする状態を作ってはいけない、って思ってこれたんじゃないかと思うんですよね(つか、まさに、こういうことに順繰りに気づかせてくれて、サポートし続けてくれていたのが、順繰りに出会っていく石たち(笑)だったと言えまして。初めた当初はこういうふうに洞察はしていませんでしたよ。ただただもう^^ひたすら毎日石のこと考えているのが幸福でいつも胸がいっぱいで楽しくてしょうがない、その連続でしたので^^)。

まぁ、結果として、諦めて他を探す、諦めて現状を受け入れる、それとどう違うんだよ? という現実現象レベルではたぶん、一緒なんですけどね。
だけど本人の中では、その「自分のやりたいことはこれだ」感があって、今までやってきたことを捨てて転身するのと、そうじゃないのとは、天地ほどの違いがあったんですよね。
(高次から見れば、それさえも実は^^どっちでもいい、っていうか。なんであれ、その人の「本質が活かされるロード」であればいいのです、あっちからは。だからね、今私はこう言っているけれど、その「これだ」みたいなのも、本人に別になくてもいいのよ。使命だとか生まれてきた目的だとかツインソウルだのなんだの(笑)むしろそれが囚われになって、今度はあらたな執着を生む場合もあるしね。私の場合は、石に出会って、誰に言われるでもなく自分でそれが感じられたから、前に進むことができた。それだけの話です)

なんであれ、みなさんも、精一杯、「今」自分のできることを、自分を信じてやってみてください。
これだけやって、やれることは全部やった、と言えて、あとは野となれ山となれ。その状態から先は、高次の仕事です。
「結果」というまだ見ぬ未来だけを追い求めるのではなく。
「今」の積み重ねの先が「未来」ですから。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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