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2015年12月の記事のリスト

2015年、ありがとうございました!! 2016年もよろしくお願い申し上げます♪♪

2015年12月31日 (木) 20 : 32
今年も残すところ、あと僅かとなりました。
2015年中は、みなさま大変ありがとうございました!!!
来年も変わらぬご愛顧をよろしくお願い申し上げますっっ!!!

…と、12月31日の大晦日になってなんとなくようやく年の瀬感が増している自分ですが。
ご注文をいただいておりました年内発送予定のリーディングブレスの発送を本日終えました。(と言っても約一名様なんですけれど。他はすべて来年の制作、発送の予定となります。なんとなくみなさまも、12月は腰が重かったのでしょうか? 月初めにお申し込みをいただきながら、まだリーディングに入られていないという^^ツワモノもいらっしゃったりします。年が明けたら、さすがに^^取り掛かりましょう♪)

というわけで、なんとなく来年に向けて、エンジンがかかってきたっぽい、そうありたい、神崎詞音です。

今もまだ洗濯掃除の最中なのですが、まだ5時間あるから、それも終わるでしょう。

今年も紅白歌合戦観ようかな~、と思ったんですけれど、出場者をざっと見てみて、う~~~ん。
まぁ、HiromiGoの二億四千万の瞳と、さちさち(小林幸子さん)の千本桜、見どころはそれだけかな^^ということで、この二者の時だけ観ようかな♪ と思います~。
さちさちの千本桜は、初音ミクの代表曲というのでしょうか、初音ミクは実在する人間ではありませんが、実在する人間並みに存在感が生まれて進化し続けているキャラクター。とうとう、歌手小林幸子の歌唱力を借りてNHK紅白歌合戦の出場を果たすことになりましたね。

私たちひとりひとりの人間も…実はこの初音ミクのようなものらしい…というような^^、スピリチュアル方面のお話なんかも聞かれますが。
私たちって、誰もが個別に「自分はいる、存在する」って当然思って生きているわけなんですけれど。
どうやらそういうものでもないらしい、的な^^。

ですが、高い次元から見ればそうかもしれませんが^^、今のところ、誰もが個別の肉体まとって、この世に「個」として生きております。
その「個」がパワフルに喜びに溢れ、個々に自分自身を大事にし、他ならぬ自分を誰よりも愛し、自分自身を生きること…で、それが自分以外のすべてを大事にし、すべてを愛し、すべての存在が喜びに溢れ生きることができるエネルギーと同じことになっていきます。

これ実際そうなんだよね~。
悲しいかな、調和、受容、そのエネルギーって、相当パワフルでして^^。
ピンじゃね、なかなか、なんですよ。

うちのすぐ近所にね、アルフィーっていうおっさんバンドの^^事務所があるんだけど(というか同じマンションの中にも、昔からそこんち名義の謎の部屋も在るんですよね。なにやら高見澤氏の住居って話になっているのもネットで目にしたことあるんですが、13年住んでいますが、お目にかかったことなど一度もないですし、たぶんあり得ないと思われます^^)このアルフィーってバンド…私は長年とくに興味はなかったんですけれどね、YouTubeで過去に坂崎氏が吉田拓郎氏といっしょにやっていたオールナイトニッポンの放送の収録をね、ここ2ヶ月位のあいだに、たくさん聴いたんです(すっごく面白くて)。

アルフィーって、その坂崎氏含め3人メンバーいて、なんていうんだろう、図抜けた才能の持ち主、っていうのでしょうか、それが不在^^なバンドなんですよ。
バンドって、必ずひとりくらいは、そういう抜きん出た人がいて、あとはそこそこ…的な人員配置になるものなのだろうけど。
だれも突出していない^^。本当に。ちょう珍しいパターン、っていうか。
だけど、解散もなく、ず~~~~っと続いてきて。だれも飽きたとか、辞める、とか方向性が、とかっていう^^話にならずに、続いてきた、で、図抜けた才能というわけではないのに、ず~~~~っと何十年固定ファンが居続けた…他にあんまり類を見ないバンド。

なんでなのかな~…って、これ、ひとえに、「調和」の世界のモデルケースっていうのでしょうか。
スタイルも、好みの音楽そのものも、実は三人三様で、ステージ上でもそのままおかまいなしにそれを表現している。だれもだれかに自分を押し付けてもいないし、まったくぜんぜん足並み揃えていないのに^^、不思議に、三人揃って、一人前…っていうか^^それで「アルフィー完成」なんですよねぇ。

…って、一年の最後に、とくにファンというわけでもない^^アルフィーの話になってしまいましたが^^。
いやまぁ、私たちって、頭抜けること、あたまひとつ先頭に立つこと、目指したり、また、それがすごくいいことのように、そういう価値基準持っていたりするところって、あるじゃないですか。
だけど、宇宙は…パワフルであるということは、実は、そういうことじゃないんだよなぁ…って。
アルフィー、どうってことないバンドと思っていたけど^^、すご~~~くその調和の存在としての良いモデルだったんだ~、ということに、2015年になって^^気がついたのでした。


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Shall we Dance?

2015年12月30日 (水) 19 : 11
昨日、1996年の日本映画、「Shall we ダンス?」を初めて、うちの人間と一緒に観ました。
(「Shall we Dance?」というリメイク版が2004年にのちに米国でも制作されているようですね)
20年前の映画なんですね~。
しかしながら、そこに流れるテーマは、人間社会において暮らす私たち、つまり人間経験するために生まれてきた魂にとって、こういうものを自らが克服すべきものとして生まれてきた方も、この日本にはけっこういらっしゃるんじゃないかなという、普遍的なテーマが流れている感じのする映画でしたね。

ウィキからのストーリー抜粋ですが。以下になります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ボタン会社の経理課課長として、優しい妻やちょっぴり生意気だが可愛い一人娘にも恵まれ、念願だった一軒家も手に入れて、仕事や家庭に何の不満もない杉山正平。しかし、彼には満ち足りない何かがあった。正平は、ある日の会社の帰り、電車の中から見えるダンス教室の窓に、物憂げに佇むひとりの女性岸川舞を見つける。その美しさに目を奪われた彼は、数日後、そのダンス教室を訪れ社交ダンスを習い始めることに。

ほんの「スケベ心」から、家族にも会社にも内緒でダンスを習い始めた正平であったが、指導はベテランのたまこ先生から受けることとなり当てが外れたものの、次第に社交ダンスの魅力と会社の同僚青木富夫やプライドが高く有閑マダム然とした高橋豊子といった個性的な仲間との交流を通じて純粋にダンスにのめり込んでいく。また、ある事件から最初は正平に心を閉ざしていた舞であったが、正平のダンスへのひたむきな姿を見るうちに、だんだんと心を開いてゆき、自らの心の傷も癒えることを覚える。一方、正平の妻は急に帰宅が遅くなったことに、浮気しているのではと心配し探偵を雇い正平の身辺調査を始める。

舞らの後押しで正平は豊子とペアを組んで東関東アマチュアスポーツダンス大会に出場することとなり、観衆の前で猛特訓の成果を披露することとなるのだが…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主人公の役所広司さん扮する杉山さんが、社交ダンスにのめりこむようになってから、だんだん活き活きとしてくる姿。
しかしながら、家族には、内緒の世界。
これが思わぬカタチで、奥さんと子供に知れることにはなるのですが。

「こんな主人の楽しそうな顔、見たことない…」
社交ダンスをやっていることを知り、その現場写真を見せられた奥さんの、第一声。

自分の知らない世界で、自分の知らない、自分の不在の場所で、こんなに楽しそうにしている夫の姿。
これをもっと目の当たりにすることになるのが、そののちの、アマチュアスポーツダンス大会なのですが。

子供の方は、ダンスをする父親を見て、「お父さん、かっこいい!」と、思わず応援の声を上げてしまう。
奥さんは、終始、複雑な表情のまま。

…20年前の映画とは思えないような、普遍的なものがあるな~~~。と。
人が陥りやすい類の、感情の世界が、そこにありました。


どうして、主人公は、自分が社交ダンスに夢中になっていることを、会社もまぁそうですが、家族である奥さん、子供にも、内緒にし続けて、「別の自分」がそこにいる、そしてややもすると、表向きに見せている普段の自分像を上回るような喜びがある世界、をそこに実現することになったのか。

そして、奥さんの側からすれば、自分(家庭)との生活では見せない、活き活きとした生きがいを得た水を得た魚のような幸福そうなその姿が、「自分の関与なし」であること…が、寂しく、耐えられない悲しみ、に思われてしまう、それが正直な感情であったこと。(しかしそこに生まれてしまった溝のようなものを、修復してくれと訴えるわけではなく、のちにちゃんと寂しかった自分の気持ちを話し、ダンスの先生の送別パーティへ行っておいで、と促します)

子供は、素直に、なんの思い込みも常識的な側面も知らない無垢な心で(社交ダンスというのは少し社会の中では当時、場末感のある趣味的世界だったようで、あまり「社交ダンスをやっている」というようなことを他人に言えない空気があったようです)そういうものをとっぱらったところで、ダンスをする父親が輝く姿を、「かっこいい!」と喜びます。
父と母に生まれた溝を修復できる機会と場を作る(またそうできる立場でもあり。二人の間の子供であるその権利^^は天与のものですからね)ところまでは、子供がします。しかし、そこから先の、親同士の「思い」までには、口を出しません。


こういう映画を見ると…
「自分が、誰それの立場なら、どうかな?」
ということを、考えます。
映画って、そういうふうに観やすい媒体でもありますね。

この映画の中のご夫婦像も、典型的な、サラリーマンで勤続十何年、その間結婚し、子供が生まれ、郊外に何十年ローンのマイホーム…というような、たしかに1995年ごろにあった、幸福像スタイルの典型パターンの夫婦像的なもので(すれちがい方も典型的な風味がありますが)たぶん20年たった今も、いっしょに寝食ともにしている家族といえど、このような感じのすれ違いというのは、やっぱりあるんじゃないかな~、と感じられた次第。

まぁ、あたしだったら、「ったぁあああ!! 万々歳!!」ってところかな~、とは^^家の人間には告げてはいますけれど。
隠れてやらなくてもいいですが、隠れてそういう世界を持ってもらっても、とくにかまいません。
なんでも正直に私に告げなくても、ぜんぜんかまわないです。
(そもそもあたしは昔から、この人には嫉妬しませんし。なんであれ、夢中になって楽しめる世界、幸福感を本人が持って臨める世界が見つけられたなら、それをどんどんやれ~~~って思います。)

よくないのは、この映画を見ても感じたことですが、自己卑下と我慢と、対、他者への先入観と。
たとえ、「夫」「妻」などの家族であっても、だからこそ生まれがちな先入観や、「こうあるべき姿」的なものを、知らず知らずに、相手へ、そして、自分みずからへ押し付けてしまうことがあると思います。

あるべき姿があるのだとしたら。
ひとりひとりが心から喜べる世界の中にいること。
そしてできれば、自分自身もそうあり、他者のそれも喜べる自分であること(そのためには、自分自身が心から喜べていないと^^できなかったりするわけで。同義語なんです、これ、結局)。
ではないでしょうか。


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行動のメイン

2015年12月28日 (月) 19 : 49
今日は氏神様へ古札納めとそれから大祓のお願いとに鳩森神社さんへ出かけ、来年の御札もいただいてきて。
これから今日は神様周辺のお掃除、石のお掃除、整理をしようと思っています。

朝はちょっと寝坊してしまい「どうしようかな…」と、ここのところメインになってしまっていた、「ああ、もう今日はあんまり時間ないし。いいや。」の感覚から、「ちょっと時間はギリギリだけど遅くはないな」という感覚へバトンタッチ。そしてギリギリながらもすべてが流れるように時間に間に合う感じの日でした。

結局すべてが「気の持ちよう」と言ってしまえば^^それまでなんですけれどね。

鳩森神社さんのあと、そうだ、代々木のカフェルンバルンバへ行こうかな。と自転車で走りながら思い立ち。
ランチタイムは3時までなのですが、これもギリギリ3時前に到着したらしく、ランチになりました^^。到着したらしく…というのは、私は腕時計というものをもう何年も身につけないのが習慣化しているため…時間を知らせるものを帯同していないのでして。
唯一携帯電話がそれなのですが、今日は携帯電話持ってこなかったことに出かけてから気がついて。

代々木のカフェルンバルンバというのは、なにやら、神様がおわすらしきカフェとして、そういうのがお好きな方々に有名なカフェらしいです。いわゆる「波動の高い世界好き」系の方に^^お気に召されるタイプのカフェなんじゃないでしょうか。
実際に、瞑想向きのお席のような場所もあって、瞑想されている方とかもいたりする異色カフェですが、ふつ~に近所の会社のビジネスマンですとか働く女性の方々なんかでも賑わっているカフェです。

私はここへ行くのは今日で5回めかな?
前回行った時、たまたまランチタイムで食事してみたら、とても美味でしたので、今日も「あ、どうせならルンバルンバで食べたいかな~」ということで、行ってきたわけです。

そして5回めにしてようやく、そのメディテーションスペースに^^到達しましたね。
そちらのお席は必ず先約がいることが多い感じで、まず空いていないお席だったのですが、今日はなんだかぽっかりとそこが空いていて。あたしのために用意されていた感が満載でした。

ルンバルンバはそういう瞑想空間としても良いのかもしれませんが、ここで考え事をしていると、考えがまとまります。
私は、初めて行った時に、神様がいらっしゃるかどうかまではわかんなかったでしたけれど^^(今もとくにわかりません)それを感じましたね。明晰な感覚が自然に出てくるようには思います。
だからかもしれないのですが、わりと、周辺会社さんの「商談」ちっくな人々も、けっこう居合わせる率が高いというか。
たしかにあそこなら、商談はまとまりやすいと^^思います。
(来ているお客さんすべてが、そういうスピ系のふれこみで訪れているわけではないですから。ただ、ルンバルンバは、そういうスピ系の媒体に取り上げられることもわりとあったりするカフェではあるようですね。店主さんが手相とか色々リーディングができる方のようなので、予約が必要みたいだけど、そういうのもやっているみたいですよ。今日は初めて^^そのリーディングをやっているっぽい風景の現場も遠目に見ましたね)

さて、今日はそんなルンバルンバで、どんな考え事していたのかというと。
「行動のメイン」が大事、ということ。

自分の行動の主旨を決められるのは、自分であることを、忘れていたかもしれない。と思いました。

喜べていない行動の積み重ねは、どんどん人を重たい波動にしていくことをなまじ知っているだけに^^、喜びのほうに焦点を合わせていない自身を見て見ぬふりしていてはいけないわけなので、それをなんとかしなきゃ、って思ってはいたんですよね。

で、ここのところ…すごく小さいことではあるんだけど。
とにかく、「自分が気持ち良いと思えること」をすぐ行動に移すようにしていて。
石に出会って以前も以降も、100パーセントではありませんが、もともとわりとそういう基準で動くタイプではあったのですが、今は本当に、意識的にそれをやるようにしていて。
(自分の無意識にそれを憶えて再構築してもらうためには、最初の、意識的な行動というのは、そのとっかかりはやっぱり自分でしないといけないのではないかと。三次元世界って、けっこう私たちが「すべきこと」って^^そんなにたくさんはないのですが、この手合いだけは、本人の意識と行動は大切なのではないかしら)

で、今日のルンバルンバで、考えていて、出てきたこと。

「行動のメイン」を、それ(嫌なこと)にしなくていい、ということ。
正確には、嫌なことっていうか、自分が嫌だと感じること、ではあるのですが。
これを、本日のメイン行動にしなくていい、それを決められるのは自分であること。

それってさ…半身麻酔を自分にかけながら^^行動していることにはならないか?(嫌なことから目をそむけるために)と自問自答したところ、「もしそれから本当は嫌だ、やりたくない、無意味」という理由でそうしているのであれば、それはむしろ、意識しちゃっているメイン行動になってしまう、今までと同じ。
だけど、本日の行動のメインはそれじゃない…と、自分の中で重要視できる喜びのほうの行動がほんの一瞬でもあって、自分自身が感じる充実感充足感がそっちにあるのなら、メインじゃないほうは半身麻酔だろうが、それじたいどうでもいいこと、になるよね…という、自分の答え。

「自分の行動の主旨を決められるのは、自分」でしかなく。これは誰にも決めてもらえない。

そんなことを考えながら、ルンバルンバを出てから、西新宿の病院へ。
何しに行ったのかというと、4年ぶりくらいに受けた血液検査の結果をもらいに。
実はこれ…たしかに、検査結果の「紙」もらったはずなんだけど^^、どこ探しても出てこないのはなぜなんだろう^^。

結果…4年前よりも、すべてにおいて、数字だけ見るとさらになんら問題ナッシング状態で。
4年前は中性脂肪値というのが、なにゆえか妙に高かったんですが、今はほぼ平常らしい。(ちなみに、なにもこれに対する「対策」というのは^^しておりません。4年前はたしかに「高い数値」ではあったのですが「そうなんだぁ~不思議~」で^^済ませてたんですよね・・・)
そして、「!」マークというのが、BUN値というのについていて。
馴染み深いBUN値…(うちの先代ワンコは慢性腎不全でしたので)懐かしい。
お医者様が言うには、このエクスクラメーションマークがついているのは、腎臓の機能が良すぎて、どんどん体外に毒素を排出しているから、血中毒素が平均値よりも少なすぎて^^(つまり数字が良すぎて)異常値みたいに捉えられているけれど、そうじゃないから。って説明でした。

昔父が生きていた頃…そういえば血液が通常の老人よりも綺麗すぎて^^、本当は血液じゃないところで、いわゆる介護認定というのでしょうか、それが必要だったのに、血が綺麗なためにその認定が降りない…っていうような騒ぎがあったことを、なんとなく思い出しました。(ちなみに父は、その介護認定というのが血が綺麗すぎで降りないという騒ぎののちに、なにやら画策がされたようで^^認定降りるやいなや、さぁ明日からうちに介護ベッドがやってくるよ~介護士さんにお世話になるよ~という前日に、家でぶっ倒れて入院何ヶ月ののち、そのまま還らぬ人となったため、介護老人となる経験を経ずに人生を終えることになりましたね。つまり、父の人生の青写真は、「介護老人になる予定」はなかったのだろう…ということです。どのように人間側が画策しても^^結局、青写真どおりになるものなんだろうな…というのが伺える話ですね)

そうそう…「なにも対策してませんけど?」って思ったんだけれど、4年くらい前と何が違うんだろう? って考えてみて、思い当たることがあるとすれば、「メタフィジカル系ストーン取り入れ率」が^^、それ以前よりも、4年のあいだに明らかに増えていましたね。
2012クリスタルやオーラライト23はガイガーさんとの出会いが2012年でしたので、それ以降に取り入れ出していますし、それ以前からH&E社のアゼツライトはちょこちょこ使いながらもお値段の高さからなかなかメインにはしづらかったのですが、最近ようやく多めに仕入れができるようになってきて、ここんとこさらに^^増えておりますし。
アゼツライトなどはリンパの流れを良くするらしい、みたいなことは、近年定説的に言われてもいるので。こういったメタフィジカル系ストーンに関しては、「見えない世界だからって、テキトーなこと言ってでっちあげて」と捉えられる向きも^^まぁいらっしゃるのかもしれませんけれど^^。
でもまぁ、思い当たるとしたら、そういうのも全然無関係ではないんじゃないかな、って気がしますね。とくに食生活を大幅に変えたり、生活態度を変えたり、ってことも^^ないですし、検査した日だって、寝不足でちょう疲れていた今月6日…でしたしね~。

あたしもたぶん…介護老人になる予定はないんだろうな。そんなふうに感じました^^。
次回血液検査は、また4年後でしょうか。
私はとくに毎年の健康診断とか受けていないので、たまには血くらいは調べてもいいかな、っていうことで^^。血液検査はやっとこう、と検査してもらった次第です。
身長153センチ、体重36キロ。小柄で力持ち、ってのが今までは自分的ちょっと自慢でしたが^^、今は腕の力がちょい弱っていますので、これからインナーマッスル鍛えていこう…な2016年にしようと思います。


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