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2015年01月23日の記事のリスト

スピリットたちの草の根運動

2015年01月23日 (金) 12 : 06














お写真は、月末に出てくる予定の新作アクセ。
外カフェの陽光エネルギーがはんぱなくいい感じなので、自前アクセだけじゃなくて、一部お品持って、撮ってきました~。
(自分ところでこういう陽光で写真が撮れれば世話ないんですが^^、そういうスペースがないのよねぇ、現状の自宅には。)
美しいです~。たまらん♪♪♪ ですね。


私達の中にも、こういう輝きのモトは、存在しているんですよ。
もう持ってるんです。
石たちはそれを教えてくれてもいるのです。


ガイド・スピリットたちの世界では。
ひとり、ひとりに、気づきを促していく路線。
とっくにこっちへシフトしているんですね。
今までもそうだったんだけど^^、明らかにもうそうなんだ、って。
「右へ倣え」っていう、右があることは、それなりに楽ちんでしたが^^その右に見えているものさえも、スピリットの世界の演出です・・・。
自分でやっていくしかない、って言っちゃうと、現実、なんか不安な感覚もゼロではないのですが、自分でやっていけるんです。
「やっていくしかない」みたいな言葉だとネガティブに追い詰められた感じで^^大変そうに感じちゃうわけで、「やっていけるからそうなっている」というふうに・・・どんどん気がつくヒトが増えていくだろうし、また、以前よりもさらにそうできる環境は整っています。


つまり・・・「マス」はますます無関係というか、「人がこういってたから」とか世間様の常識であるとかは、やっぱりあんまり問題じゃなくなってくる世界は、2015年、これからもっと展開していくようです。
もちろん、自分が作り上げてきた「慣習」や「自己の経験の常識」も。
どちらかというと、こっちに密接に思考というものはリンクしているため、いわゆる経験則で行動しちゃうんですが、「その経験則はもういらないんじゃない?」っていう経験・・・に、誘導されていることに気づけば、どんどんスムーズ。
もう道は舗装されているっていうか。
わざわざ、足元悪い道(経験則だからという理由だけで)を選択し続ける時節じゃなくなっていることに、気が付きました。


あんまり、過去のパターンに囚われないほうがいい場合も、増えていくんじゃないでしょうか。
過去の栄光も、挫折も。
うまくいっていたやりかたも、そうでなかったと感じていたやりかたも。
もう関係ないかもしれない。


自分で見つけようとしなくても、あれこれ迷ったり詮索したりしないで、ふつうにしていれば、「スンナリ度」がいや増している。
そういう感じ、今はもう、本当に。
ということを、昨日、経験したんですよ。
(昨日に限らず・・・実は今年に入ってからは顕著ではあるのですが・・・昨日はあまりにわかりやすい事例を経験させられることになり^^自我意識でイバラ道や妥協道を繰り返す私も^^さすがにもう素直に行こうかと思いました)


ようするに、個々にとって、「これがいいでしょう」が見つかる偶然が、スンナリすぎるため、そんな簡単でいいわけないだろう^^的に、それを選ばずに回り道しちゃうとか、余計な手間暇かけるわりに、「結局、最初に見つけたコレで良かったんだ」っていうところに戻ってくるっていうか。


最初からそうしていれば、な~んの徒労も回り道もを味わうこともなかったわけなのですが。


表題のスピリットたちの草の根運動、というのは・・・泣けますけれど、感動です。
どなたにも、いる。
ガイド・スピリットたちが、私達のためにしてくれていることは、やっぱり大きすぎる愛がベースの目的のみで。


今こそ、自分を信頼することが、自分をガイダンスしてくれているソウルのチカラの出力のマックスが、どんどん拡大する・・・っていうことを、ひとり、ひとりが、そのヒトの生活の中で告げられていることが、はっきりわかってくるんじゃないかな、っていう。
草の根運動って、地道なんだけど、だからだれもやりたがらないけれど、結局、地球を生きるガイドとしてのスピリットたちによるもうその足場は固められてますよ~、今、地球はそういう場になっていってるよ、っていうこと。


これはですね~。
昔から真理としては結局そうだったわけなんですけれど、時代、時代によって、スピリチュアルが広まる役目としての「足場」みたいな感じで昔は宗教というものにも役目があったこともあって。
誰ソレがこう言っている、的な中心があって、そこに人が集まって、意をひとつにしていく的なやり方がスピリットの成長に寄与していた世界もあったことは嘘じゃないんですよ。


今はほんと、もうソレじゃないのね。
それと同時に現実も、ゆりかごから墓場まで、ひとつところに収まっていれば安心、安泰、っていうような安定ポジション的なものの有効性じたいも、どんどん薄らいでいってる。
「正しいヒトと同じようにしていれば、それでいいんじゃないか」と思いがちだった、正しさの基準も・・・きっともっと変容していく。


だからむしろ、個人個人の裁量というか、何に出会っていくか、いきたいか、っていうチョイスしだい。
ここに比重がある。
「ぶれない」っていう言葉・・・お好きな方も多いかもしれませんけれど。
ぶれない、ってことに、こだわり過ぎて、変化していいのにしようとしない理由にしちゃっているケースは、停滞、後退につながっていくなぁ。
そんなふうに感じています。


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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