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カルマ返上日記5

2014年02月13日 (木) 00 : 01
作詞家当時、約10年の全般を振り返ると、そもそも、精神的にものすごく脆弱だった自分のことが、本当によくわかります。
覚悟がないし、それから、自分の人生に対し常に「バーター」を求めていた。
いわゆる「これだけのことをやったんだから」という見返り要求です。
投資したぶんを回収したい、できて当然、そういう感じ^^でしょうか。


平凡な会社勤め人生は嫌、他の人とは違った、自分にしかできないやりたいことをして、生きていきたいっっ・・・そう言いながら、生活レベルが「平均点以下」と感じられることに対して、すごい劣等感と、後悔の気持ち満載な日々でもあったと思います。
これはどうゆうことかというと、昔は、このくらいの年齢になったら貯蓄額がいくらくらいあって~、年収がどのくらい~、みたいな、誰が作ったのかもわからない「モデルケース」のようなものが、存在していまして。
今もあるのでしょうか? ただ、今はほんとうに、そこいらじゅうに「個人ごとのそれぞれの世界」が溢れだしている様相が伺えるように見えるので、「いくつになったから、これだけ」みたいな、誰が決めたのかわからない実態のない世間というものに感化をされることも、昔よりは少ないかもしれませんね。
いい傾向ですよね。
やっぱりそういうの見てても、アセンション^^は確実に起こってきているって感じます。


自分にはね、自由業になったつもりでも、長年培ってきた企業人生の影響ですよね、確実にその刷り込みの残骸の観念の亡霊が残っていたんですよ。
11年かな? ひとつの同じ会社にぬくぬく勤めて、自分はそういうぬるま湯に毒されていない!! つもりで、粋がっていたものの、しっかりそこで「人生すごろく」のような価値観の刷り込みに、知らず知らずに強固に洗脳されてたんだな、って。


事務系の会社員だと、労働と金銭が直結しているから、そうじゃない仕事、つまり、お金とか報酬とか、そういうものが戻ってこないかもしれない仕事・・・これ、よく「好きじゃなきゃできない」とかそういう美化された表現使われるわけなんですが、それプラス、「世間を知ってたらできない」でしたよね。。。自分は。


だから、いちど、社会人とかになっちゃうと、厳しいのはそこなんだな、って。
これは大昔10代の頃に、漫画家を目指していた過去が私にはあるんだけど、当時、原稿よく見てもらっていた漫画雑誌の編集部のおねえさんに言われたの憶えてますもん。
当時は高校生だったんだけど、「うちビンボだし、別に大学行って勉強したいわけでもないから、就職することにした」って編集者さんに話したら、「そうか~。社会人になるのか~。描けなくなるよ~。」って。私はその時は「そうかなぁ~。描けるよ~。だって土日休みだし~。今までだって、部活とバイト両方やってガッコも行きながら漫画も描いてたんだから、今より漫画描く時間できるじゃない?」って答えた記憶があります。
編集者のおねえさんは、そういうことを^^言いたかったのではなかったのだろうと。
おそらく、社会人になってどんどん身に着けていくことになる「常識の世界」が奪っていく感性・・・これを凌駕できるだけの強い個性を持った感性の威力を、私が持っていなかったか、もしくは、仮に持っていたとしてもそれを維持できるポテンシャルが^^このコには厳しいかな~・・・と見えていたんじゃないでしょうか。


いつも、「もうちょっとなんだけどな~」って、たぶん、高校生のうちに私を新人漫画家としてデビューさせたかった^^ようだったんですが、彼女がくださるアドバイスに馬耳東風の自分は、画力も、ストーリー展開も、いまいち腕が上がらず、結局その編集者のおねえさんがおっしゃっていたとおり、社会人となってから、「書きたいことがなくなってしまった」、漫画家への夢は自然消滅となっていたのです。
まぁ。。。「変人」は、たしかに、普通の社会では理解者も少ないし、気の合う人もとても限られますからどっかで孤独だし、妙な苦労しますしね、そんなこんなで創作モチベーションそのものが下がって行ったわけなので、編集者のおねえさんが言っていたことは、あとから思い出して、たしかにそうだったな~って。


しかし、心のどこかでは。
「フツウと違う」自分を自認し、その証明のために、作詞家としていっとき成功してみたかった・・・みたいな、すごい自意識があったと思いますよ。
なのに、中途半端に普通の世界を知ってしまっていたぶん、「フツウ以上に普通を、都合のいいところでは欲している、そこへ逃げていきたがる」なんとも情けない、よわっちさでしたよね。。。
「ヒトとの比較で、自分の幸福度合いや、自分の能力のあるなし」そういうものに一喜一憂してしまう世界展開してたんですよ、ずっと。
その、比較する対象、実はひとつも実態がなかったのに。
私が自分自身に「それがふつうなんだろう、きっと」と刷り込み、普段よく口にしていたふつーの人が、そもそもまわりにもういない^^わけなんだから、どこにもいない幻想の相手に、羨ましがったり、自己卑下したりしていた・・・ということです。


私が、ようやくこういった、他者比較から、完璧に脱することができるようになったのは、けっこう最近^^だと思います。
そして、実は、これこそが・・・おそらく、このアセンションの時代に歩調を合わせて行くためのテーマとして、「此の世でぜひ返上しておきたいカルマ」のひとつであったのだろうと、確信があります。


脱するように誘導していってくれたのは、まぎれもなく、かわいい石たちだと思いますわ。
時間はかかってもね、彼らのベクトルというのは一貫して、結局、天のほう向いてる^^次元の高いところへ向いてるんですよ。
此の世の願い事叶えてくれる石たち、ってふれこみでパワーストーンと呼ばれる彼らだけど、此の世と高次への橋渡しを、つまりまぁ、高い次元のほうの言うこと聞くようになってるのが石たちなんだと思う。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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