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2013年02月20日の記事のリスト

これからの、パワーストーン・ワークス。

2013年02月20日 (水) 02 : 45
今月は、ちょっと変わった私事についての記事というのでしょうか、久々に、動きのある部分をタイムリーにお披露目してしまうというやり方で、記事アップしてみました。
いろいろ、応援のお言葉ですとか、たくさんメールをいただきありがとうございました!!
中には、明日にでもすぐ変わって行っちゃうと思われたのか、「愛光堂さんのようになられては困る」というような^^ご意見もいただきましたが、いや、私が実例のたとえとして思い浮かんだのは、そちらと同じようなスタイルでやっていくこと、ではなくてですね、「人気商売にありがちな実例」ということで、思いついただけですので。
私自身このお店さんが何をどうしておられるのかは知りませんので、それを真似ようもないです。なので、確実に愛光堂さんのようになる^^日は来ないと言い切れます。
(まぁ、真似したい、とはぜんぜん思ってはいませんが、「数珠つなぎの電話予約で繁盛する」だなんて^^今でもそれを維持されているのだとしたら、テレビの力もありますけれど、それはそれですごいですよね)


それにしても、思えば、昔このブログを始めた当時というのは、この「どうやら石の力によって変化した動きのある部分をタイムリーにお披露目してしまうというやり方」の連続でしたね^^。
私自身が「石の生き証人になるのだ!!」のようなイキオイと情熱に満ち溢れていたような気がします。
あらたな石を手にしては、「ほんとだ~~~」という、経験の連続。
主に「ピンチを切り抜けてきた」「やってみたらうまくいっちゃった」的な、実際的なことがやたらに多かったため、よりテンション高い^^っていうのでしょうか。
私が、組み合わせる石は、なので、より具体的っていうのでしょうか、「実現すること」への野心に燃ゆる思いが強く、また、人生なにが成功なのか? っていうのは、実は人生終えてみないとわからないことではあるのですが、自分的一例という基準としては、「自分の望む人生展開の楽しさ」というものに身をゆだね続けてきた、2012年までのパワーストーン・ワークスであったな・・・と思います。


それだけに、たぶん、読んでくださるみなさまの目から見ても、よりそこに説得力が生まれていたのかもしれませんね。
もちろん、この部分は、2012年までの話ではなく、これからも継承し続ける努力を惜しまないようにしていこうと思っています^^。現実化は楽しいですから。


始めた当時は、「ばくぜんと幸福になる」とか「悲しみから癒される」「過去のトラウマから解放される」だとか、そういうスピリチュアルの世界でいわれるような、ふんわりとした掴みどころのないセンシティブなお嬢様の心の変容のようなもの以前にですね、そもそも自分自身が、「生きて行けるのだろうか」という^^常に明日をもわからずの現実的な瀬戸際のさなかにいたことが実際のところでもありまして。
なんていうのでしょうかね、まぁ、昔の日本人でしたらば、その手合いの「癒し」を、「甘え」とか「泣き言」の範疇でたたき切られてしまう、「精神の脆弱性」の克服、というのでしょうか。どちらかというと、自分は、そちら方面に徹底してきたというのか(いや、自分に甘い人間ですので^^ぜんぜん徹底はしてませんね。)「意識」してきたところがあります。


それが、大きく変化・・・となるきっかけ、となったのは、やはり昨年11月の愛犬の死という現実でしょうか。
病気が発覚して天に召されるまでの、約1年と3か月ほど。
今も完璧に心の整理ができましたよ、というわけではないのですが、この期間が私にもたらしてくれたものは、人生の中で珠玉の宝でもあり、また、彼女がともにいてくれた17年間いかに愛をひたすら受け取っていたのかということについて、無頓着であったかを思い知ることにもなりました。
ただ、存在することが、これほどにも「愛」であったと。
そして、「愛する対象」がいることへの、感謝と。


「愛する者の死」というのは、生きている我々の認識では、とてつもない喪失感と悲しみを誘発する、できれば避けたいところの最たるものかもしれないのですが、残念ながら、それを操作するだけの能力が自分にはなかった、ということへの自信喪失感も生まれなかったわけではありません。
「これだけは、くいとめることはできなかった」というやつです。
仮に宝くじで2億、3億当たっても、どれだけお金を積んでも、そのお金であの小さな姿かたち、命を、取り戻すこともできません。
石がどんなに病気を治すとか、ものごとを良い展開にするとか、われわれの望む現実を実現するとか言っても、未来永劫ではなく。
その先、その先、その先、永遠に人も動物も、その姿かたちをとどめ続けるわけではなく。


死が、愛する存在との永遠の別れを意味するものではない、ということは、スピリチュアル的に理解できていることではあって、自分の中で昇華していくべくひとつの「経験」であることも知っていますが、実際は^^なかなかそのように「オトナ」にすぐになれるものでもないですね。
そういう自分を許すこと、受け入れること、それが「癒し」の初期段階として必ず必要となるステップであることの学びが、ここにあったと、実感しています。


彼女が亡くなった日、私の脳内妄想かもしれませんが、たくさんの彼女からのメッセージが渦巻いて降りて来ていたことを憶えています。
「今まで本当にどうもありがとう。もう行く時が来たから。これね、神様に頼んでみて、ちょっと延長してもらってたの。本当は、予定はもうちょっと早かったんだけど。それは、愛(私です)もわかってたでしょう。あの時でも良かったんだけど、今日にしてもらった」
「これからはもっとお洒落してね。ずっとあたしのことばっかりで、ぜんぜん自分のことかまわなくなっちゃったでしょ。お洒落好きな愛のことが好きだったから。」
「あたしのことを大好きでいてくれたように、たくさんの人のこと、これから大好きになってね。愛はそれができる人だから。愛に大好きになってもらうの待ってる人たちがたくさんいるからね。」
・・・これには、私は脳内で「そりゃ無理だよ。相手がきみだから私は大好きだった。そんなのたくさんの人間相手になんかできるわけないじゃん」
・・・と返したら。
「できるよ。愛はそれができる人だよ。しようとしてないだけだよ。それにさ、あたしは犬だったから、愛はこんなに好きになってくれたけど、あたしが人間で愛の前に現れていたとしたら、こんなに好きになってくれてたかどうかだってわからないし、ずっといっしょに暮らしたいとか思ってなかったかもしれないよ。」
・・・この返事には^^、少し絶句し、考えさせられてしまいました。
なぜなら、そのとおりかもしれないので。


そして、時間が経って、のちに考えました。まぁ、そういうものかもしれない・・・と。わんちゃんというのは、飼い主が貧乏だとか金持ちだとか、自分に綺麗な服着せてくれるだとか、いい学校に行かせてくれるだとか、いわゆる実際的な「条件」をせがみませんからね。あっちの人の方に飼ってもらいたかったな~、なんて^^言いませんし。
「こんなところに生まれてきたくなかった」「こんな親から生まれて来たくなかった」と、時折わりと人間がもらしがちな類のことを、言葉で言うわけではありませんし、なによりも、自分の置かれている環境、自分の容姿や能力や性格、健康状態、そういうものを受け入れつつ、「生きることへの欲、肯定感」をまったく否定していません。


そのかわり、わんちゃんである彼らが望むものに共通するのは、そこにともに暮らす人間(複数の家族であったり、たったひとりの飼い主であったり)の心の安定と平和、そして、自分を含めた全員の笑顔、仲の良さ、ポジティブな楽しい時間を共有することです。
意見の相違などで、家族が言い合いになって喧嘩していたりすると、そういうものに極端におびえて悲しそうな姿になりますし、常にそういう環境下でいると犬はそれがストレスとなり、いわゆる人間の目線から見た問題行動的な犬になってしまうこともあるようですし。


そして、わんちゃんは人間同士の世界にはあまりない類の、「ただ在ること」という、飼い主の存在そのものを、心からの喜びの表現で顕してくれるところがあります。
ある意味、だからわれわれ人間は、彼らを掛け値なしに好きになり愛するところもあるのだろうと。相手にそうされると、おのずと頼まれなくてもそうならざるを得ないというのか。
むしろ、「愛してくれ」と頼まれれば、その対象を愛せなくなるのも人間です。
人間側の「愛する能力」を発動させるのは、やっぱり無条件の愛なのですよね。


これを、人間相手に^^「やれるよ~、できるよ~」と言っていた、この彼女の遺言(って別に喋ってそう伝えられたわけではないですが)にもあった、「たくさんの人を好きになる」というのは、結局ですね、「愛」というもののパワーに勝るものは実は此の世にはない、ということを、彼女が不在となって実感する私となるわけですが、まぁ、それほどのものである「愛の力」。
なににも勝る「愛の力」。
これをどのようにして発動させるのか、という発端行動がやっぱり「好きになる、受け入れる」という行動なんだろうなぁ、と。
心から、無条件に「愛してるよ~♪」って言える感覚。
それがどういうものかを、もう、知らないわけではなくて^^、すでに経験してきて知っているわけですから、知っていることはできるだろう、ってことですね。


というような、個人的経験、背景もあり、また、2012年12月を通過したこともあると思いますが、いろいろな面で、自分の中で、「変容していかなければいけない」義務感というよりも、「変容してきちゃっている」ところもあるのが、現状のパワーストーン・ワークスです。



ということで、現状も、月末に向けて、新作アクセサリの準備に入っております。
今月は、新作プレビューなのですが、諸事情により、お休みさせていただいております。いつ出てくるのかな~、とお待ちいただいていた方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい!!
その代わり、出品日(たぶん月末の28日になると思います)まで、なるべく記事を切らさずに、お伝えしていけることがあれば、お伝えしていきたいと思っています。


まぁ、こういう時、常時「チャネリング能力」のようなものがあって、それらしき高次存在のメッセージなんてものがあれば^^、それっぽいというのか、今尚、それがスピリチュアルの「時流」な面もあるのかもしれませんが。
私自身は、あれは自分にはあまり望んではいない能力ですね^^。実はそういうのもですね、高次といいつつ、全部がそうか、って言えばまぁ・・・ソレどうなんでしょう? なモノも、随所に見受けられますよね。
ああいったメッセージというもの、「受け取った側がそれをどう活かすのか」があってこその世界ですしね。「言うのはカンタン」「言ってるだけじゃだめだよね」っていうのは、依然、此の世の法則として変わらない動かしがたいところがあります。まぁ、「思ってるだけで言わないと始まらない」のも事実ですが。


私が思うのは、どうしてチャネリングの人々は、みな揃いも揃って、言われたことを「即時、伝えようという衝動」にかられていくのか? そちらのほうに興味がありますね。
これは、私の「石の力が、ほんとだ~」ってことで、いてもたってもいられず^^、たくさんの人に知ってもらいたくなっちゃって、の世界に共通するのだろう、というところまではわかるのですが。
上記のわんちゃんのメッセージ、というのも、うちのワンコを語ったナニモノかだったのかもしれませんしね。おそらく、私のハイアーセルフさんではないでしょうか。
そもそも、犬にしては利発過ぎますし、生前、私が石を愛している様子に、その石に対してやきもちを焼いていたような^^犬です。そして犬のわりには猫ちっくなマイペースなところのあったタイプで。それが、突然観音様のように「たくさんの人を・・・」なんて、言いだすわけありませんって。冷静に考えるとそうなんですが、あの時は茫然自失状態でしたから、素直に言葉を聞き入れてましたね。
ハイアーセルフさんも、そういう状態だから、交信しやすかったのかもしれません。
なので、おそらく、より私が「自分の身をかまわなくなっていく」可能性があるだろうと危惧して、「お洒落してね。」とか^^言ってたんだな、って感じますね。


こういうメッセージって、おそらく私の場合は、その「ナニモノ」を言われても、かえって信用しないだろうし、メッセージが明晰であればあるほど、かえって疑いますよね^^。
それに、もしかすると高次元っぽいメッセージだな、と仮に気づいたとしても、言われることを言われるまま署名付きでだらだら伝えるというよりは、「ああ、それはこういうことなのか」というのが自分の中でわかってきた時点で、お伝えする・・・っていうのが、好みかなぁ、と。今回のも、そうです。
まぁ、そのスタンスの違いなのでしょうか。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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