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2013年02月14日の記事のリスト

新宿の占い師、マツモト先生。其の参。

2013年02月14日 (木) 00 : 03
ということで、一応これで最終章にまとめたいと思います。


19年ぶりに会いに行った、占い師のマツモト先生に、前回の其の弐では、「ひゃっは~☆」なことを言われて、私が浮かれているかのような印象がおありの方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはございません。


実現というのはもちろん思い描くことは大事です。
だれもがそうやって、自己の道を選択し、当然ながら「そうしたい」現実を作っていきますが、この現実というものは、ひとりでは作れませんから。


そして、マツモト先生がおっしゃられたことも、「明日にでもそうなるよ」の速攻光明が開け来る世界ではなく、今年は我慢の年^^じゃありませんが、「だから自信を失わずに続けていく辛抱の年」になるという面も示唆されていました。
つまり、これは私自身も自覚していることですが、私が思っているようには、私が作った石アクセサリ、それが、手にされる方にとって必要なもの、場合によっては「救うかもしれない」ものであるという、その「ニーズがご自分にあること」そのものに、なかなかたくさんの人には気づいてもらえない、苦戦の連続となっていくこともじゅうぶんあり得ることのようです。


これはどういうことかというと、先生がお感じになられている傾向かもしれませんが、今現在、多くの日本人の傾向として、そもそも自分に「癒し」や「守護」や「向上」を求めることすら、もう放棄してしまっている、「もうどうでもいい」というしらけた空気が蔓延しているそうで、カンタンに言うと、こういう「人を良い方向へ持って行こうとする支援や呼びかけ」に関しては、「笛吹けど踊らず」な世界の渦中にいる、とも言えるそうです。
「「病気でいいから、もう早く死にたい」くらいの人が多いんだよね。治っちゃったらそこからまた生きなきゃいけないでしょ? もうそれが苦痛で、治りたくない、健康になったら自分の力で生きていかなきゃいけない潜在的な恐怖があるから健康になりたくない、生きていたくない、そういうレベル。仮に、口ではそうは言ってなくて、そんなことを自分が思っているつもりがなくても。だから、癒される、治ることじたいを望まないし、自分をそもそも良くしていく方法を知ろうとする意欲がまるで起こらない。避けてる。知っちゃうと、生きなきゃならなくなるし、できないかもしれないのに、やらなきゃいけなくなるでしょ。それが嫌で面倒くさい。全部投げ出したい。そういう感じ。」
とおっしゃっておられました。
日本の運勢的には、「今年は無理だね」なんだそうで、来年以降、また復活してくる兆しがあるそうで、その時に、私の作っているこういうものは、ものすごくまた人が必要としだす・・・という予測はできるみたいですね。


ただ・・・個人的に思ったことですが、「多くの日本人のそれって、別にそんなに悪い傾向じゃないな。」ということです。もちろん、私のような仕事をしているものにとっては、あいたた^^、な面はあります。なにしろ、「もうどうでもよくなられちゃう」ということは、石のパワー云々がどうこう以前に、「身をかまう、身に着ける、美しいアクセサリとしての石の価値」という意味でも、そういう方々にとってはどうでもいいことになってしまうので、まぁ、近年の服飾業界同様に、低迷要因のひとつともなるでしょう。
どうでもよくなっちゃうと、まず文字通り「身をかまわない」が始まり、心と身体はセットですから、自分の「心をかまわない」となっていきますから、心の奥のニーズがさらに聞こえなくなっていくのです。美しいものを見て心を動かされる感性じたいに蓋をしてしまっている、というか。これは一見、モノを欲しがらない、欲を持たない、悪いことじゃない美徳とも見えるのですが、人間、なにか欲しいものがあるうちが華、という面も真実なのです。
でもね。
考えてみれば、ふりかえれば自分も、そういう「嫌で面倒くさい」「全部投げ出したい」時が、長かったですから^^。石に出会わなければ、もしかしたら今でもそうだったかもしれませんし、すでに生きてなかったかもしれません。(私が昔かろうじて生きていられた、嫌々でもシゴトしなきゃと生活してこれたのは、私がなにもかも嫌で死んじゃったら、このかわいいワンコはどうなるのだ、誰が面倒を見るのだという、今は亡き仔犬の存在が、実は私の命に火を灯していたわけです。ほんと、今思うとそれが歯止めでした)
人って、「もう死んじゃいたい」くらいまで「もうどうでもいいや」くらいまで、そして、「幸福とか、運勢とか、運命とか、ばからしい」くらいまで、そこまで落っこちてこそ、実は浮上できることもありますし、また、底を経験すると、浮上したんだ、ということに気づいた時の喜びがハンパじゃないのです。
そして、その「どうでもよかった」期間が、実に神々しく愛おしく可愛らしかった期間・・・と、感謝できるようになりますから。
死なない限りは、どうしたって、生きなきゃいけない期間は続きますし、仮に死んでも、ま~た課題持って(宿題になっちゃいますからねぇ・・・)追試を受けに来なきゃいけなくなりますしね。
こういう死生観を抜きにしたとしても、「生きていることそのものが苦痛」なのは、決して「生きてるから苦痛」なのではないのです。


私にとっては、これは先生に言われたわけではありませんが、「思い描きながら、自分を信じることを続けていく、準備の一年」そして、昨月も感じていた「学びの一年」とも言えると感じています。
寝耳に水、のような、実店舗構想ということに関しても、こういうのを聞いて舞い上がって借金してでもやってやろう^^みたいなレベルまで、実はハートに響いてはおりませんし、「自分のお店を持つ」ということを目標に、その先の戦略なしに始めてしまう、そういう情熱(無鉄砲とも言う)もあってもいいかもしれませんが、それ以前に、そもそも私が抱えている遺伝子レベルでの、そういうお店系への苦手意識というものがあることもわかっているため、そこを越えて、自分が心底それをやりたいと思わなければ、成就しないだろうと思います。
ただ、「今年は「パワーストーン・ワークスのお店」の拡充を図るぞ!!」と、妙に、立ち上げながらもずっと放置中であった^^ネット店のことを、ものすごく構いたくなってきたのも、きっと、この「流れ」だったのだろうなぁ、と合点はいきました。


マツモト先生は、お目が聡いというのか、私が身に着けていた、シリウスのブレスと、2012水晶のブレス、「これ、すっごくいいものだよねぇ」と、目を光らせて何度も^^おっしゃってましたね。
やはり、スピリチュアルなエネルギーがわかる方には、これらはすごいツール^^というのが、なにも説明もしていないのに、わかるようです。
特に、シリウスのほうは、「まさかコレ人には売らないよね?」と。(こんなすごいものは、売り物にはしないだろう、という意味)
「いえいえ、さすがにこれは仕入れが高くてお安くはできませんので、私としてはかなりお高いほうのお値段で、値付けに勇気がいりましたが、買ってもらいましたよ。ふたつほど」とお伝えしましたけれど。
値段をお伝えしたら、「それって安くね?」だったようで、値段以上の価値、というのか^^、先日お話しした「しかるべき、それに見合う価値のあるものを提供している場合には、ちゃんとそれだけの対価を得ることは必要なことで、そこに遠慮はいらない」のような話になったんですけれどね。
(まぁ、だから、ガイガーミネラル、H&E、など、スピリチュアル○ったくり^^にも見えかねない、普通の水晶をなぜにこのような値段で・・・の世界も、あながちやはり間違いでもない、というか、むしろ、此の世の中の石以外のお高いものと比べれば、相当お値打ち値段とも言えるんですよね。だって、お金出して買える人生を常に正軌道に乗せる手伝いしてくれる存在なんて^^この世にあんまりないじゃないですか)


「見えないものの価値をわかる人は少ないからね~」と、先生はおっしゃっておられましたが、その点では、私はものすご~~~く恵まれていると、心から、みなさまに感謝申し上げます。
その、見えないものの価値がわかる人の数が、相対的にはまだまだとても少ない日本だそうですから、その中にあって、私のところの石アクセサリをお求めくださるみなさまは、いつも感じるのですが、ものすごい心の奥の審美眼をお持ちの方が、とても多いのです♪作った私自身が、ぜんぜん気づいていなかったことまで^^教えてくださいます。
どちらかというと、「見えないものの価値をわかっておられる方」が圧倒的。(その方に、その自覚があろうとなかろうと、です。たいてい、「自分はそういうのわからない」って、ご謙遜をおっしゃっています^^。どうして、わかっているのに「自分はわからない」と思い込んでおられるのか・・・)
そのような多くの、私にとっては「多くの」であるのに、この国においてはごく限られた数少ない至宝のような存在であるみなさまであったことを、あらためて知りました。
何事も、「当たり前ヅラ」していては^^、本当に恥ずかしいですね。
いかに恵まれているか、ということを、これほどまでに自分にとっての「慣れ」「当たり前」というものは、眼鏡を曇らせているのだ、感謝を忘れさせるのだ、と痛感しました。そういうみなさまにご支援いただいている、奇跡的ともいえる世界に恵まれている自分に、あらためて気づかせていただいたことは、何よりもの励みです。
そしてこのブログを応援してくださっている多くのみなさまのためにも、私は心してより精進しなくてはと、心改まる思いです。


ということで、
新宿の占い師、マツモト先生。のお話は終了です。


そうそう、あとから感じたことなのですが、昔々、マツモト先生のところにお伺いした頃・・・そういう頃は、「未来がわかる人」のことを、心のどこかでやっぱり、すご~い!! なんでわかるの??? って、なんでしょうね、ある種の特殊能力ですから、やっぱり、いいな~、って。昔はそういう能力がある人のことを少し羨ましくも思ってました。マツモト先生に限らずですが、昔の私は、そういう「特技」「才能」が「肩書」になっているタイプの職業をお持ちの方全般を、羨ましがっていたように思います。


でも今回お伺いして、なぜでしょう、その感覚を、もうマツモト先生に感じていない自分がいること・・・に気が付きました。
もちろん、尊敬、信頼はしております。
だからこそ、お話をしに行きたい!! と感じたのですから。
だけど、そういえば、もう羨ましいとは感じていませんでした。


別にそういう特殊能力が自分に身に付いたから、というわけではないです。
そして、そういう「肩書」を自分が得ているとも思っておりません。
未来は、「わかる」より「創る」ことで生まれる・・・。「わかった」だけじゃ、そうはならないのです。そして、「肩書」がそのヒトを創るわけではないのだな、ということがようやくわかったのかもしれませんね。(もちろん、無駄ではなく、あったほうがスムーズな場面も多いので、有用なツール。だから、ツールとしての利用は大いにアリですが)才能は、使ってこそ、役立ててこそ、です。(ポール・マッカートニー氏も、そういえばそう言ってましたね。)そしてそれはたいてい、あんまり自分のため、でもないですね。

ただ、「未来がわかる」ことで、今回の私のように、「そうなんだ! 自分の思い違いじゃなかったのね!!」と、自信に繋がっていくこともあるので、「わかる価値」はあると思いますし、逆に、思い違いをしている場合には、わかることで、軌道修正ができるため、そこにもやっぱり「わかる価値」はあります。
(近年流行り(でもないけど)の、アカシックレコード読みも、まぁ、有用性はそこにありますよね。実は、これも近々、習いに行くのです♪^^)


そういうことが、ソコソコの年月、人生やってきて、なんとなくようやく自覚できてきたからなのでしょうか。
嬉しいような、寂しいような。不思議な気持ちです。


今日は、バレンタイン・デー。
読んでくださったみなさま全員に感謝の甘いチョコレートをふるまうことは、ネット上ではできませんけれど、そうしたい気持ちです♪
長々と、読んでいただきありがとうございました。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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