アーカイブ
2012年11月17日の記事のリスト

五次元シュミレーション(その2)

2012年11月17日 (土) 06 : 52
2012年も、残り1か月半を切りました。
シフトの日と言われている、2012年冬至の12月21日まで、ということであれば、現在はその34日前ということになりますね。


前回、「もしかすると今やアセンションを口にするだけで「こばかにされちゃう」「ちょっとおかしな人と思われる」くらいの、お伽噺、夢物語の世界・・・なのかしら??? とも感じられなくもないです。」と書いたのですが、この読みは実際正しかったようです。


おそらく、2012年のアセンションのことなど、千人いて一人、知っているかどうか・・・という程度の認知度の気がします。
たぶん、みなさまの周囲でも、アセンションの話をする人は、そんなにたくさんはいらっしゃらないのではないでしょうか。
私も、そういう意味では、こんなに「自分の内部での問題」ではないけれど、あまり周囲の人には言葉にできないままに、この残りわずかな日数になっているとは、やはり想像していませんでした。


さて、その「アセンション」を語る面々の、温度差。
「ぜんぜん違う先々の予想、展開。」が、昨年くらいから見られるようになってきました、というのは、前回もお伝えしておりましたが、やはりこの部分、今もって統一感はまったくないようです。
大まかに、2パターン。グループ分けを強引にしてしまうと、「アセンションに要する時間」という部分で、分けられますが、これは、実際にもうすぐ結果が出ます。


で、自分はどっちなんだよ~。どっちでもいいです。というわけにもいきませんよね。
そういうダブルスタンダードはいけないよなぁって、思ってはいたんですが、「どっちでもいいようにできうる限りの準備(心づもり)でいる」というのが、現状の心境でしょうか。
これはある意味、ダブルスタンダードなのかもしれないんですけれど。


ただなんとなく、ふっきれたところがあるとしたらですね。。。
アセンションの経験のひとつとして言われる「肉体の変態」ですが、これってまぁ、肉体がないとできないわけです。
いわゆるDNAの解除、クリスタル化、そういった話ですけれど。
だから、どっかの部分で、肉体がなくちゃいけない、でないと、アセンション経験できないじゃない、ってところに、どっかで固執する部分があったようにも思うのですが、これはどっちでもいいや、、、って思うようになりました。
つまりまぁ、特にそうならなくて、普通の身体のまんまだったとしても、で、いずれ人間らしく死を迎える、そういう時が来たとしても、「あ~あ、肉体持ったままのアセンションを私はできなかったんだな・・・」っていうふうには思わないような気がします。


なぜなら。
やはり、魂は偉大だから、です。
それは、肉体のある、なし、にはやっぱり関係なく。
そう思います。


これも前回書いたことなのですが、「「アセンションした五次元地球へテレポート」っていう展開というよりも、「今、ここ。」をアセンション世界に変容していくのは、「今を生きる」地上人のシゴトで、地球の目に見える浄化とともに、人間も覚醒していく。」というのが望ましい、というか、そういうためにできることを、私はしていきたいな、やっぱり、と思うのですよね。


そうそう、中部大学の武田邦彦教授という方がいらっしゃるのですが、この方がおっしゃっておられた「未来予想図」の中に、「将来的には「墓」というものがなくなる」というのがあって、まぁ、確かにいらないかな、と私も思ったのですけれど、すでに現在、その兆候が出てきていますね。


日本人は、ご先祖様を大事にする(というか、大事にしなきゃいけない、という感覚、ある種の義務感覚の場合もありますね。)歴史がありますので、「墓は不要」って、とんでもない発言に見えなくもないのですが、昨今、共同墓地へ入る人が増えてきているのだそうです。
子供がいなかったり、いても少なかったり、あとあとの残された人の大変さを考えて、生前からそう決める人が増えているのだそうです。


私も、体裁上もしどっかに入らなきゃいけないのだとしたら、そういう感じでぜんぜんいいわ~、って思いますし。(というか、ほんと、なくていいです。)
そもそも、個別の何々家の墓、っていうものがあることと、ご先祖様を敬いご供養したいと思い、地上人が生前の故人、そして顔も知らないご先祖様に手を合わせてそうすることって、よ~く考えてみるとまったくイコールじゃないんですよね。


これぞ「ワンネス」の極みではないですか。共同墓地。
やっぱりね・・・
アセンション、シフトのエネルギーは、そういった「イシキの変容」へ、知らず知らずにでも、多くの人に影響を与えているのだなぁ、と、しみじみ思いました。


2012年の冬至以降は「ブラフマーの吸う息」の時節への変化が言われています。
マヤ暦の終了は、そういうことです。
今までは、「ブラフマーの吐く息」それがこの地球の歴史でした。
「行って、いろいろやってこい。いろいろ経験して、魂の幅と奥行きを見つけて来い。」という、「かわいい子には旅をさせろ」な期間。
それはそれは、長い期間。
2012年以降の「神のもとへ還る旅のはじまり」それはあたかもその「吸う息」のように表現されているのですね。
(ブラフマーの吐く息、吸う息、の概念は、ヒンズー教のものですが。まぁ、世界は繋がっていますので。表現は違えど、真実はリンクするのです。)


この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  私にとっての2012年
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

ページの上へ移動
Go to top of page