最近、そういえば「婚活」がらみ^^な話を聞かなくなったよな・・・ということを、なぜかふと思い、婚活というキーワードで検索してみたら、あれま、この言葉は今や「定番化」し、国内でけっこう大きなマーケット化、一大市場を形成していたんですね~☆
すみません、世間知らずで。
何年か前、なんとなくこの婚活というものがブームじゃありませんが^^その市場を形成し始めた頃なのでしょうか・・・
自分もよくソレがらみのブレスレットのご依頼も^^当時はいただいてもいたような気がするのですが、そういったみなさん、現在結婚はされたのでしょうかね・・・・・・・・・・・・・・(滝汗)。
その当時、婚活という言葉が生まれた頃のステージに立っていた多くの中心選手のみなさんは、おそらくいわゆるアラフォーな世代と呼ばれるまぁ、35歳前後・・・40代前半くらいまで含まれるような様子でしたが、今もアラフォーなのでしょうけれど^^、うまいことやれていらっしゃると良いのですが。
いやなに、「婚活疲れ」的なキーワードもやたらに目立つ^^というか、あしかけ3年くらい探し求めて婚活し続けて疲れ切っているよ~な、そんな風情の男女の人々もどうやら多いんだな・・・ということが、なんとなくネット検索では見えてきたので。
まぁ、お決まりな感じで目にするのは、「理想と現実のギャップ」のような感じですかね~。色々な意味があるのでしょうけれど、妥協したくない? とか、いまひとつぴんとくる相手に出会えない、まぁ、代表的なのはそれなんですかね。
当時からあんまり変わってない^^気もしますね。
というか、得てして、女子とはそういう傾向ありますよね。
それでいいんじゃないでしょうか。妥協・・・だなんて、必要ないですもん。
そもそも、もしそのように感じるのなら、そのお相手に対しても失礼この上ないですしね。
でもさ、「ぴんとくる」相手なんて、そうそういないですよね。
どんなに大勢の人がいようと。
結婚していないということは、今までに何十年もその「ぴんとくる」がいなかったから、そもそも、結婚していない現実の上に立っている、のだということ・・・でもあるのでしょうし。
ただし、その「ぴん」だって^^それほど当てになるものでもないんですよ。
なぜなら、人は、「ぴんときた」ままに、永遠に時間をそのままで止めることはできませんからね。
変わるのです、必ず。
それは、自分も、相手も。
昔たしかブログ記事でも書いた記憶があるんですけれど、「震災ボランティアに行った先で出会った人と結婚」したんだけど、失敗した・・・・・ってことを^^えんえん喫茶店でその人の上司? だかなんだかに語っている男子がいた・・・・・・^^ってこと・・・・・・こんな話を憶えておられる方がいらっしゃたら、相当古い読者さん^^とお見受けしますが、まぁね、結婚なんぞ、どのような「愛の溢れるシチュエーション」が最初にあったところで、それを先々に幻想としてしまうのか、信頼の絆をぶっとくしていけるのかは、出会いがどうあれ、当人同士に他ならない話ですよね・・・・・。
この震災ボラの男子は、いわゆるまぁ、特殊な状況下で芽生えた愛情のようなものをかんちがいしていた・・・というようなことをつらつら語っていたかと思うのですが、震災の傷が癒えて結婚もして本当は平穏な日常・・・のはずなのに、妻となった方が、出会った当時に見せていた性格が豹変、家の中が殺伐とした被災地状態^^、みたいな、たしかそういうことを語ってましたがね。
(ま、これは、男子の側からだけが語っていた一方的な嫁評の話ですから、きっと嫁さん側にもいろいろ言い分があるはずなんですが)
結婚ってのは当人同士がしたくてしても、こんなこともある^^スゴイ「変容の世界」なわけなんですよ。
考えようによっては、「住む惑星が変わるのだ」くらいの意識でもいいくらいのものです。実際、昨日までの世界とは、変わることは必至ですからね。
昨日までの自分の世界を絶対ずっとずっと死守したい^^って方には、おすすめできないシステムですよね。
ところで自分とこのそれ系石ブレスの場合は、「このブレスをしてから結婚が決まった」というお話をのちに聞くのって、あたしがちょっと大げさに(?)「こりゃ女子のアバンダンスを連れてくる石組みだわっっ」って^^仮に煽っていたとしてもいなくても^^、「そういう目当てもちょびっとあったけれど、なにより、その石の見た目が気に入った」という状態で、石とラブラブ関係になれた様子な場合・・・・・・・というような傾向があったかな・・・・・・・ってことを思いますね。
なによりも、ご本人が素直というか、たとえなんら兆しがなくても疑わない、でもすんごい石依存でもない、というような絶妙ブレンディング精神状態というのか、そういう感じなのかな。
私がおもう女子のアバンダンス、それはなにも結婚に限った話ではありませんし、結婚して子供を産んで母になり家を建てて夫婦ともに順調健康・・・・ふにゃふにゃ・・・・・という軌道であることに、もちろん異論はありませんが^^、まぁ、「型どおり」であることに、誰しもがはまる必要はなく、その逆にその型どおりちっくを、わざわざ寄せ付けないように^^意固地になる必要もなく・・・・・。(←これを意識的にか無意識的にか、やってるうちにアラフォー独女になってる人も、世の中にはわりと多そうな印象。あたくしも元はどちらかというとこの系統の人間でしたから^^その気持ちはわかります)
そのなんだか、規定スタイルに自身を無理やり押し込めようとする、もしくはよく知らないのに毛嫌いするアンバランスからの脱却状態をなるべく維持できそうな、いわゆる「マイ幸福スタイル」というのか、つまり、さっさか自分が心から幸福を感じられる状態を作りあげていくほうを先にするほうが、なんとなく、そういうような実質的な出会いとか、結婚とか、まぁ、結婚後もいろいろあるさ~があったとしても、乗り越えていける、充実していける・・・・・みたいなものが付いてくるような? という気はしますよね。
秘訣というほどのことでもなく^^、けっこう定番的にもわりと言われてることですけれど、「人間諦めが肝心」は真実です^^。諦められるところは、どんどんこだわりを捨ててくと、なんでこんなことにこだわっていたのだろうか・・・とのちに、「過去の自分」に首を傾げたくなるような、サプライズの流れに人生は乗り出します。そのくらい、こだわり捨てたあとのほうのケセラセラ人生のほうが、より、いい意味で「ぢぶんらしさ」みたいな^^ものが発揮されだしたりすることが多いんです。「ぢぶんらしさ」にこだわってるうちは、自分らしさを発揮などしてやいない・・・この楽しいイタチゴッコの経験の価値もすごくよくわかるようになるというか^^。
ちなみに、男性側目線からだと・・・・・
今ってたぶん、男子は「別に結婚しなくてもいいや」な人は、女子以上にどんどん増殖しているんじゃないかと^^いう気がしますね~。
これもその昔、自分は言っていたような気もしますが、おそらくその頃以上に増殖しているかも。そもそも、恋愛みたいなものにさえ、あんまり色着けた付加価値を持っていないというのか。
自分の周囲にも、いますね。そうゆう男子。
でもソコソコ幸福そう、というのか。
男子はなかには女子よりも料理好きだったり^^けっこう生活まわりのことをマメにできる人もいますよね。そしてそれを特段嫌がるでもなく。
いい諦め(別名、「自分を受け入れる」)ができているから、こういう人々は、結婚はいいや、と言いつつ、あれ~結婚しないんじゃなかったの? って周りに驚かれるようなタイミングで、お相手をしぜ~んに見つけてしまうんじゃないでしょうか。
スピリチュアルな目線でこういう現象を受け取れば、「男性性と女性性の統合」はもしかすると、男子のほうから拡がってきているのかも^^。
まぁ、男子のほうがもともと遺伝子的に、自己生存のためのなにかを人に依存するような構造が少ないですから^^子供が欲しいとかの理由以外では(男子は自分では産めませんのでね)そういう意味での「結婚のメリット」的なモノに疑問符を持ち始めるのも、もう、時代の道理かもしれませんね。
女子は、心のどこかの部分で、オトコに頼りたいというか、一生自分で自分の面倒を・・・って思ってない人、多いんじゃないかな。それは、オンナとして育てられた環境にある「常識」がそうさせているんですが。
男子は、幸運なことに、「オンナに頼って生きるのも選択肢としてアリ」というのが「常識」としては育てられない部分がありますから、単に生きる、という上での他者への依存心、きっと異性に対してはあんまり起こらないんでしょうね。
まぁ、あたしはこれは世界に光明が射してきているゆえの流れと感じますがね。
余計な依存心、依頼心からの選択を行わないでいる分、「本質」を察知しはじめているのね、きっとね。
そうそう、
最近は、そういう婚活みたいな意味での石組み、あんまりやらなくなっちゃってたのかな~・・・って、婚活記事検索しながら思ってたんだけど^^、いや。実際はそんなことないですね^^。
あたしがそのようにご説明していないだけで。
考えようによっては、5,6種類が、そんな婚活ブレス^^とも言ってしまえそうなものを、今月も作っていましたね。
まぁ、石アクセのご説明文では、たぶんそのようには書かないと^^思います。
けれど、これはじゅうぶんに余りある婚活サポートパワーのブレスかも・・・みたいの、今でもありますって^^。
すみません、世間知らずで。
何年か前、なんとなくこの婚活というものがブームじゃありませんが^^その市場を形成し始めた頃なのでしょうか・・・
自分もよくソレがらみのブレスレットのご依頼も^^当時はいただいてもいたような気がするのですが、そういったみなさん、現在結婚はされたのでしょうかね・・・・・・・・・・・・・・(滝汗)。
その当時、婚活という言葉が生まれた頃のステージに立っていた多くの中心選手のみなさんは、おそらくいわゆるアラフォーな世代と呼ばれるまぁ、35歳前後・・・40代前半くらいまで含まれるような様子でしたが、今もアラフォーなのでしょうけれど^^、うまいことやれていらっしゃると良いのですが。
いやなに、「婚活疲れ」的なキーワードもやたらに目立つ^^というか、あしかけ3年くらい探し求めて婚活し続けて疲れ切っているよ~な、そんな風情の男女の人々もどうやら多いんだな・・・ということが、なんとなくネット検索では見えてきたので。
まぁ、お決まりな感じで目にするのは、「理想と現実のギャップ」のような感じですかね~。色々な意味があるのでしょうけれど、妥協したくない? とか、いまひとつぴんとくる相手に出会えない、まぁ、代表的なのはそれなんですかね。
当時からあんまり変わってない^^気もしますね。
というか、得てして、女子とはそういう傾向ありますよね。
それでいいんじゃないでしょうか。妥協・・・だなんて、必要ないですもん。
そもそも、もしそのように感じるのなら、そのお相手に対しても失礼この上ないですしね。
でもさ、「ぴんとくる」相手なんて、そうそういないですよね。
どんなに大勢の人がいようと。
結婚していないということは、今までに何十年もその「ぴんとくる」がいなかったから、そもそも、結婚していない現実の上に立っている、のだということ・・・でもあるのでしょうし。
ただし、その「ぴん」だって^^それほど当てになるものでもないんですよ。
なぜなら、人は、「ぴんときた」ままに、永遠に時間をそのままで止めることはできませんからね。
変わるのです、必ず。
それは、自分も、相手も。
昔たしかブログ記事でも書いた記憶があるんですけれど、「震災ボランティアに行った先で出会った人と結婚」したんだけど、失敗した・・・・・ってことを^^えんえん喫茶店でその人の上司? だかなんだかに語っている男子がいた・・・・・・^^ってこと・・・・・・こんな話を憶えておられる方がいらっしゃたら、相当古い読者さん^^とお見受けしますが、まぁね、結婚なんぞ、どのような「愛の溢れるシチュエーション」が最初にあったところで、それを先々に幻想としてしまうのか、信頼の絆をぶっとくしていけるのかは、出会いがどうあれ、当人同士に他ならない話ですよね・・・・・。
この震災ボラの男子は、いわゆるまぁ、特殊な状況下で芽生えた愛情のようなものをかんちがいしていた・・・というようなことをつらつら語っていたかと思うのですが、震災の傷が癒えて結婚もして本当は平穏な日常・・・のはずなのに、妻となった方が、出会った当時に見せていた性格が豹変、家の中が殺伐とした被災地状態^^、みたいな、たしかそういうことを語ってましたがね。
(ま、これは、男子の側からだけが語っていた一方的な嫁評の話ですから、きっと嫁さん側にもいろいろ言い分があるはずなんですが)
結婚ってのは当人同士がしたくてしても、こんなこともある^^スゴイ「変容の世界」なわけなんですよ。
考えようによっては、「住む惑星が変わるのだ」くらいの意識でもいいくらいのものです。実際、昨日までの世界とは、変わることは必至ですからね。
昨日までの自分の世界を絶対ずっとずっと死守したい^^って方には、おすすめできないシステムですよね。
ところで自分とこのそれ系石ブレスの場合は、「このブレスをしてから結婚が決まった」というお話をのちに聞くのって、あたしがちょっと大げさに(?)「こりゃ女子のアバンダンスを連れてくる石組みだわっっ」って^^仮に煽っていたとしてもいなくても^^、「そういう目当てもちょびっとあったけれど、なにより、その石の見た目が気に入った」という状態で、石とラブラブ関係になれた様子な場合・・・・・・・というような傾向があったかな・・・・・・・ってことを思いますね。
なによりも、ご本人が素直というか、たとえなんら兆しがなくても疑わない、でもすんごい石依存でもない、というような絶妙ブレンディング精神状態というのか、そういう感じなのかな。
私がおもう女子のアバンダンス、それはなにも結婚に限った話ではありませんし、結婚して子供を産んで母になり家を建てて夫婦ともに順調健康・・・・ふにゃふにゃ・・・・・という軌道であることに、もちろん異論はありませんが^^、まぁ、「型どおり」であることに、誰しもがはまる必要はなく、その逆にその型どおりちっくを、わざわざ寄せ付けないように^^意固地になる必要もなく・・・・・。(←これを意識的にか無意識的にか、やってるうちにアラフォー独女になってる人も、世の中にはわりと多そうな印象。あたくしも元はどちらかというとこの系統の人間でしたから^^その気持ちはわかります)
そのなんだか、規定スタイルに自身を無理やり押し込めようとする、もしくはよく知らないのに毛嫌いするアンバランスからの脱却状態をなるべく維持できそうな、いわゆる「マイ幸福スタイル」というのか、つまり、さっさか自分が心から幸福を感じられる状態を作りあげていくほうを先にするほうが、なんとなく、そういうような実質的な出会いとか、結婚とか、まぁ、結婚後もいろいろあるさ~があったとしても、乗り越えていける、充実していける・・・・・みたいなものが付いてくるような? という気はしますよね。
秘訣というほどのことでもなく^^、けっこう定番的にもわりと言われてることですけれど、「人間諦めが肝心」は真実です^^。諦められるところは、どんどんこだわりを捨ててくと、なんでこんなことにこだわっていたのだろうか・・・とのちに、「過去の自分」に首を傾げたくなるような、サプライズの流れに人生は乗り出します。そのくらい、こだわり捨てたあとのほうのケセラセラ人生のほうが、より、いい意味で「ぢぶんらしさ」みたいな^^ものが発揮されだしたりすることが多いんです。「ぢぶんらしさ」にこだわってるうちは、自分らしさを発揮などしてやいない・・・この楽しいイタチゴッコの経験の価値もすごくよくわかるようになるというか^^。
ちなみに、男性側目線からだと・・・・・
今ってたぶん、男子は「別に結婚しなくてもいいや」な人は、女子以上にどんどん増殖しているんじゃないかと^^いう気がしますね~。
これもその昔、自分は言っていたような気もしますが、おそらくその頃以上に増殖しているかも。そもそも、恋愛みたいなものにさえ、あんまり色着けた付加価値を持っていないというのか。
自分の周囲にも、いますね。そうゆう男子。
でもソコソコ幸福そう、というのか。
男子はなかには女子よりも料理好きだったり^^けっこう生活まわりのことをマメにできる人もいますよね。そしてそれを特段嫌がるでもなく。
いい諦め(別名、「自分を受け入れる」)ができているから、こういう人々は、結婚はいいや、と言いつつ、あれ~結婚しないんじゃなかったの? って周りに驚かれるようなタイミングで、お相手をしぜ~んに見つけてしまうんじゃないでしょうか。
スピリチュアルな目線でこういう現象を受け取れば、「男性性と女性性の統合」はもしかすると、男子のほうから拡がってきているのかも^^。
まぁ、男子のほうがもともと遺伝子的に、自己生存のためのなにかを人に依存するような構造が少ないですから^^子供が欲しいとかの理由以外では(男子は自分では産めませんのでね)そういう意味での「結婚のメリット」的なモノに疑問符を持ち始めるのも、もう、時代の道理かもしれませんね。
女子は、心のどこかの部分で、オトコに頼りたいというか、一生自分で自分の面倒を・・・って思ってない人、多いんじゃないかな。それは、オンナとして育てられた環境にある「常識」がそうさせているんですが。
男子は、幸運なことに、「オンナに頼って生きるのも選択肢としてアリ」というのが「常識」としては育てられない部分がありますから、単に生きる、という上での他者への依存心、きっと異性に対してはあんまり起こらないんでしょうね。
まぁ、あたしはこれは世界に光明が射してきているゆえの流れと感じますがね。
余計な依存心、依頼心からの選択を行わないでいる分、「本質」を察知しはじめているのね、きっとね。
そうそう、
最近は、そういう婚活みたいな意味での石組み、あんまりやらなくなっちゃってたのかな~・・・って、婚活記事検索しながら思ってたんだけど^^、いや。実際はそんなことないですね^^。
あたしがそのようにご説明していないだけで。
考えようによっては、5,6種類が、そんな婚活ブレス^^とも言ってしまえそうなものを、今月も作っていましたね。
まぁ、石アクセのご説明文では、たぶんそのようには書かないと^^思います。
けれど、これはじゅうぶんに余りある婚活サポートパワーのブレスかも・・・みたいの、今でもありますって^^。

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カテゴリ : 私にとっての2012年
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