元日の本日、さっそく日本列島へご挨拶の一発目なのか、まるで合図のようなM7.0の地震がありましたね。
震源地は鳥島近海深さ370キロだそうです。
関東、東北の広範囲で、震度4となったそうです。
久々のちょっと大き目なマグニチュード7の地震が、地球のコアのほうから、発信。
調べてみたら、鳥島近海という震源地では、前回は昨年2011年10月27日にそこそこ大き目のマグニチュードの地震があって以来、だったようですが、この昨年10月27日というのは、マヤ暦で言うところの、「人類のユニバーサル、宇宙意識への移行期間」の終了日であった10月28日の前日だったんですね。
明日で、宇宙意識への移行の期間は終わっちゃうよ~、っていう日に、地球意識からのお知らせだったのかもしれません。
それ以来の今回のM7.0、この「7」数はいわゆる、ひとつの形の完成形、段階を追って成就した状態を現すようですので、今この時は、もしかすると、その時に人類の集合無意識が「選択」した未来の形があり、いよいよ、次の段階へ出発の、スタート地点となった・・・と言えるのかもしれないな、と、私は思いました。
大晦日には、長年指名手配犯となっていた元オウム真理教の平田信容疑者が丸の内署へ出頭してきた、というニュースが、年明けのトップニュースで流れていました。
大晦日、行く年来る年のあとに、引き続きやっていた番組で、昭和の時代に日本の原子力産業がどのようにして現在の姿となっていったのか・・・の概略のような特番を見ていたのですが、今それをひとことで象徴できるような上手な言葉は浮かばないのですけれど、こういうことを経ないと自分たちがいる世界のことがわからなかった、視野の狭い日本人の愚かさ・・・というほうへ、どうしても焦点は行きがちですが、きっと、もっと大きなところから俯瞰図で見ると・・・これもまた、どこかで宇宙の計画の一部という面はあった、というような気もします。
つまり、その都度その都度の「選択」というものの積み重ねの上に「今」の姿があるわけですので、いつからだって、「選択しない」勇気は、持てるわけです。
「あそこでどうしてこういう選択ができなかったのか」とか「なんで昔の日本って、こうなっていっちゃったんだろう」という、日本の大人たちの失敗に見える選択の数々のほうへ囚われだすと、良き選択をする一歩目が、どんどん踏み出せなくなりますから、もちろん、過去をチャラにはできませんが、せめて、ここから先は、「だからしょうがない」みたいな、ネガティブ選択は、無しにしていこう、って思いました。
まるで絵に描いたドラマのように、進行していく2012年が浮かびますね。
日本人に生まれちゃった^^わけだから・・・好き好んで、今こうしてここ、東京にいることを選んでいる、その自分の魂が今なにを意図しているのか・・・。
せめて、自分の魂を裏切らない、その意図と一体となって、この2012年を泳いで行こう。そのように思います。
そうそう^^、そういう意味では、31日大晦日の日に「これを手放しで絶賛できる心境になれない自分」と書いた、映画「THRIVE」は、ご覧になられる価値大あり^^であった、と、お奨めできる心境となりました。
きっと、私の守護霊さんたちが、こうして「ほれ、じゃあこっちを見てみな」と、日を置かずに差し出してくれた原子力エネルギー時代への流れの特番を、私に観るように用意してくれたから、「わかった」のだと思います。
一夜にしての変容^^、なんて身勝手な・・・と映るかもしれませんけれども、そのくらい、上記の昭和の時代の原子力産業への流れが、宇宙視野的にはどうにも幼いというか、子供っぽい(これはあんまりいい意味ではなく・・・)無智さと「不都合なことを、「ない」ことにしてしまう」ある種の社会的洗脳ゆえの展開・・・であったことを、思わされたのです。
その中にあって、もちろん日本政府、官僚もそうですが、産業界、いわゆる大企業の責任も重大であったのに、「経済発展」だけを優先させていく構造だけが確固として「ある」と誰もが思っていたのですね。今もそうなのかもしれませんが。そして、原子力黎明期は、それは私の想像をはるかに超えていたのだ・・・と番組見て感じました。
昔々自分が大企業O.Lさんだった頃、「東大出てるのに、なんでこんなことがわかんないの?」と、なんでしょうねぇ・・・頭の良さと人間の出来はベツモノだ・・・と^^よく激怒していた若かりし頃があるのですが^^、いわゆる「人間味」とでもいうんでしょうか^^、頭がいいとされる人々の、そのモノの考え方の発露がどうも違う・・・でも、そういう人々がこの世ではエリートなんだわ・・・ってことに、絶望感を感じていたわけでした。
(自分がその昔、大企業に所属していた人間だった頃に、漠然と感じていた、あの世界の狭さというか、閉塞感、あの空気を「安心、安泰」と捉えている、その中にいる人々の中に流れていた共通認識を、幻影だと感じていた自分のあの頃の寂しい感覚、あれはやっぱり魂の声だったのですね・・・。その中にあって、「代わり」に自分が差し出せる価値観など^^、とてもじゃありませんが、大企業の社員の見た目の待遇の良さとバーターにできるようなものではありませんでした。しかしながら、すごく時間はかかったけれど、理由はなんであれ、そこを飛び出していた自分であったことは、今更ながら、やはり天意というのか、魂の選択だったんだなぁ・・・と感慨深いです^^)
しかしそんな時代にあっても、少数ですが、真実を見据えておられた日本人の方も多くいらっしゃいました。多勢に無勢・・・というのか、原発の裁判は、この国の司法というもののありえない実情の片鱗を見事に垣間見せてくれていたものだったのですね。
民主主義など、お題目に過ぎない、日本の民主主義は、借り物、とは昔からよく言われていますから、借りたものはお返ししなくてはならない時が来ますよね。
きっと、それが、今なのだろうと思います。
われわれが「ない」ことにしているもの。してきたもの。
そして、われわれが「ある」ことにしているもの。してきたもの。
そういう「ある」ことになっていたものが「ない」ものとなり、「ない」ことになっていたものが「ある」ことになる、いわば「上下グレン」とひっくりかえる、それが、ナンダナ(歓喜)、ヴィジャヤ(勝利)へと向かうこれからなんじゃないでしょうか。
震源地は鳥島近海深さ370キロだそうです。
関東、東北の広範囲で、震度4となったそうです。
久々のちょっと大き目なマグニチュード7の地震が、地球のコアのほうから、発信。
調べてみたら、鳥島近海という震源地では、前回は昨年2011年10月27日にそこそこ大き目のマグニチュードの地震があって以来、だったようですが、この昨年10月27日というのは、マヤ暦で言うところの、「人類のユニバーサル、宇宙意識への移行期間」の終了日であった10月28日の前日だったんですね。
明日で、宇宙意識への移行の期間は終わっちゃうよ~、っていう日に、地球意識からのお知らせだったのかもしれません。
それ以来の今回のM7.0、この「7」数はいわゆる、ひとつの形の完成形、段階を追って成就した状態を現すようですので、今この時は、もしかすると、その時に人類の集合無意識が「選択」した未来の形があり、いよいよ、次の段階へ出発の、スタート地点となった・・・と言えるのかもしれないな、と、私は思いました。
大晦日には、長年指名手配犯となっていた元オウム真理教の平田信容疑者が丸の内署へ出頭してきた、というニュースが、年明けのトップニュースで流れていました。
大晦日、行く年来る年のあとに、引き続きやっていた番組で、昭和の時代に日本の原子力産業がどのようにして現在の姿となっていったのか・・・の概略のような特番を見ていたのですが、今それをひとことで象徴できるような上手な言葉は浮かばないのですけれど、こういうことを経ないと自分たちがいる世界のことがわからなかった、視野の狭い日本人の愚かさ・・・というほうへ、どうしても焦点は行きがちですが、きっと、もっと大きなところから俯瞰図で見ると・・・これもまた、どこかで宇宙の計画の一部という面はあった、というような気もします。
つまり、その都度その都度の「選択」というものの積み重ねの上に「今」の姿があるわけですので、いつからだって、「選択しない」勇気は、持てるわけです。
「あそこでどうしてこういう選択ができなかったのか」とか「なんで昔の日本って、こうなっていっちゃったんだろう」という、日本の大人たちの失敗に見える選択の数々のほうへ囚われだすと、良き選択をする一歩目が、どんどん踏み出せなくなりますから、もちろん、過去をチャラにはできませんが、せめて、ここから先は、「だからしょうがない」みたいな、ネガティブ選択は、無しにしていこう、って思いました。
まるで絵に描いたドラマのように、進行していく2012年が浮かびますね。
日本人に生まれちゃった^^わけだから・・・好き好んで、今こうしてここ、東京にいることを選んでいる、その自分の魂が今なにを意図しているのか・・・。
せめて、自分の魂を裏切らない、その意図と一体となって、この2012年を泳いで行こう。そのように思います。
そうそう^^、そういう意味では、31日大晦日の日に「これを手放しで絶賛できる心境になれない自分」と書いた、映画「THRIVE」は、ご覧になられる価値大あり^^であった、と、お奨めできる心境となりました。
きっと、私の守護霊さんたちが、こうして「ほれ、じゃあこっちを見てみな」と、日を置かずに差し出してくれた原子力エネルギー時代への流れの特番を、私に観るように用意してくれたから、「わかった」のだと思います。
一夜にしての変容^^、なんて身勝手な・・・と映るかもしれませんけれども、そのくらい、上記の昭和の時代の原子力産業への流れが、宇宙視野的にはどうにも幼いというか、子供っぽい(これはあんまりいい意味ではなく・・・)無智さと「不都合なことを、「ない」ことにしてしまう」ある種の社会的洗脳ゆえの展開・・・であったことを、思わされたのです。
その中にあって、もちろん日本政府、官僚もそうですが、産業界、いわゆる大企業の責任も重大であったのに、「経済発展」だけを優先させていく構造だけが確固として「ある」と誰もが思っていたのですね。今もそうなのかもしれませんが。そして、原子力黎明期は、それは私の想像をはるかに超えていたのだ・・・と番組見て感じました。
昔々自分が大企業O.Lさんだった頃、「東大出てるのに、なんでこんなことがわかんないの?」と、なんでしょうねぇ・・・頭の良さと人間の出来はベツモノだ・・・と^^よく激怒していた若かりし頃があるのですが^^、いわゆる「人間味」とでもいうんでしょうか^^、頭がいいとされる人々の、そのモノの考え方の発露がどうも違う・・・でも、そういう人々がこの世ではエリートなんだわ・・・ってことに、絶望感を感じていたわけでした。
(自分がその昔、大企業に所属していた人間だった頃に、漠然と感じていた、あの世界の狭さというか、閉塞感、あの空気を「安心、安泰」と捉えている、その中にいる人々の中に流れていた共通認識を、幻影だと感じていた自分のあの頃の寂しい感覚、あれはやっぱり魂の声だったのですね・・・。その中にあって、「代わり」に自分が差し出せる価値観など^^、とてもじゃありませんが、大企業の社員の見た目の待遇の良さとバーターにできるようなものではありませんでした。しかしながら、すごく時間はかかったけれど、理由はなんであれ、そこを飛び出していた自分であったことは、今更ながら、やはり天意というのか、魂の選択だったんだなぁ・・・と感慨深いです^^)
しかしそんな時代にあっても、少数ですが、真実を見据えておられた日本人の方も多くいらっしゃいました。多勢に無勢・・・というのか、原発の裁判は、この国の司法というもののありえない実情の片鱗を見事に垣間見せてくれていたものだったのですね。
民主主義など、お題目に過ぎない、日本の民主主義は、借り物、とは昔からよく言われていますから、借りたものはお返ししなくてはならない時が来ますよね。
きっと、それが、今なのだろうと思います。
われわれが「ない」ことにしているもの。してきたもの。
そして、われわれが「ある」ことにしているもの。してきたもの。
そういう「ある」ことになっていたものが「ない」ものとなり、「ない」ことになっていたものが「ある」ことになる、いわば「上下グレン」とひっくりかえる、それが、ナンダナ(歓喜)、ヴィジャヤ(勝利)へと向かうこれからなんじゃないでしょうか。

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カテゴリ : 私にとっての2012年
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