インドのサンヴァツサラと呼ばれる60年周期の暦で、今年はカラ(khara)の年であったそうです。
カラとは、サンスクリット語で「苦難、有害」等の意味があるとのこと。
2012~14年にかけては、ナンダナ(歓喜)、ヴィジャヤ(勝利)の年と続くのだそうな。
ひふみ神示にも、「夜明け前の空がいちばん暗い」という記述がありましたっけ。
濃い闇の中にいる時は、そのままもう出口などありえないかのように目には映りますし、出口を探そうという気力さえなくなり、出口をそもそも探していることじたいがばかばかしくなってきたり、面倒な気持ちになることがあります。
ちょうど、今の自分^^、プチ憂鬱というのか、そんな感じにもなっているところでした。
そういう時は、上記のような、「ナンダナ(歓喜)、ヴィジャヤ(勝利)」と言われても^^、どこかで「あ、そう。自分には縁遠い世界」という風に、みずから、それを遠ざけようとしてしまう、自分がいたりもします。
でも自分は、インドの神々はわりと好きだったりするので、この年末大晦日の日に、「2012~14年にかけては、ナンダナ(歓喜)、ヴィジャヤ(勝利)の年と続く」ということを、偶然知らせてもらったことは、「そうに違いない」と^^素直に受け止めよう・・・と思いました。
28日に、「THRIVE」という映画を観ました。
世界のなりたちがこういう感じ・・・という、シオン賢者の議定書などを読んだそのままを、ビジュアルでダイジェストにまとめたような映画なんですけれど^^、考えてみると、これをイキナリ見せられても^^そういうものに一度も触れたこともなければ興味もない、という方であれば、すごく陳腐な話に映るかもしれないです。
個人的には、もう・・・知ってる・・・というような内容が中心でした。
基本、いわゆる「闇の現実における世界支配」の現状・・・ということなんですが、なぜかもう、この部分にいまさら感を抱いてしまう、というのか、それを知って、そこにからめとられていかないことを意図した人々は、それはそれでたしかに多くいらっしゃるし、増えてきているのだろう・・・ということは、なんとなくはわかるのです。
そして、それはもちろん、喜ばしいことだと思います。
自分は、この世界を変えていける可能性を持ったフリーエネルギーについての映画だと思っていたわけなのですが、映画の後半の展開にちょっと拍子抜けしてしまい・・・う~~~~~~~~~~~ん・・・と。
これを手放しで絶賛できる心境になれない自分は、これはこれで、こういう世界に住むのはしんどいかもなぁ・・・と^^正直思ってしまったのです^^。
(きっと、それは、「便利なブンメイ社会」なるもののシステムの中でのどっぷりな生活しか営んだことがない未経験ゆえの疑いというのか、心のどこかで、「あやつられる世界から目覚めたこちら側の人同士だったら、すばらしい世界を構築できる」という前提・・・を信用できていない^^からだと思います)
なにかが、足りない感じがするんだよなぁ、と。
ちなみに、「アセンションする未来」についての映画ではありません。
それから、陰謀論系にありがちなのですが、少し極論な^^つまり、現状の世界を動かす金融システム、これにより、日々の生活に追われ働き蜂化している人類・・・という目線からでの現実を、それでもすっごく満足^^であったりすれば、さらにはてなマークは飛び交う面があるかもしれません。
確かに金融だけではなく、エネルギー市場、穀物メジャーや、医療の分野、メディア分野、ありとあらゆる生命線な市場、そういった部分を、すっかり上手に手中に収めている存在がいることは実際のところです。
しかし、自分も含めてですが、たいていの人間は、直接そこに関与する人からすべてを見聞きしているわけではないので、やっぱりはてなマークなところと、どこかの部分で歯がゆさをただ感じてしまう・・・という部分、あると思います。
現状の人類全体には、割合としてはまだフリーエネルギーを扱えるだけの霊的素養が備わっていない・・・備わっている方も多いと思うけれど、ここへたどり着くのにいったいどれくらいかかるのだ・・・と、途方もない感覚を抱いてしまったわけなのですが、でも考えてみると、世界のありようがこのままでいいわけがない、という部分そのものは、年々加速度を増してきているので、意外と、この手の変化の波にも近い将来に遭遇することにもなるのかもしれませんね。
その、なにかが足りない・・・と感じる部分。
これを埋めることが、もしかしたら、自分の今生のテーマなのかも。
そして、昨日出てきた「ファーストペンギン」^^。
わりと探せばそこいらじゅうに、「先頭」はすでに存在しているように思います。
上記の映画にだって、その「先頭」を感じる方も、それはそれで多くいらっしゃると思われます。
それでも、どんなに「先頭」がいようとも、ひとりひとりがなにかを超えようとする時、超えなくては進めないものがある時、私たちはたぶん、その都度、誰もがファーストペンギンなのかも^^しれませんね。
誰かの武勇伝や希望的な展望をどんなに小耳にしたところで、それにいくら感動したり勇気づけられたり共感したり、というところがあったとしても、仮に同調したい何かを見つけても、もしくは自分の中から湧き上がってきたものであっても、自分自身がその思いを実行に移そうという段階に至っていなければ、それはまだ、自分のオリジナルな経験ではないから。
カラとは、サンスクリット語で「苦難、有害」等の意味があるとのこと。
2012~14年にかけては、ナンダナ(歓喜)、ヴィジャヤ(勝利)の年と続くのだそうな。
ひふみ神示にも、「夜明け前の空がいちばん暗い」という記述がありましたっけ。
濃い闇の中にいる時は、そのままもう出口などありえないかのように目には映りますし、出口を探そうという気力さえなくなり、出口をそもそも探していることじたいがばかばかしくなってきたり、面倒な気持ちになることがあります。
ちょうど、今の自分^^、プチ憂鬱というのか、そんな感じにもなっているところでした。
そういう時は、上記のような、「ナンダナ(歓喜)、ヴィジャヤ(勝利)」と言われても^^、どこかで「あ、そう。自分には縁遠い世界」という風に、みずから、それを遠ざけようとしてしまう、自分がいたりもします。
でも自分は、インドの神々はわりと好きだったりするので、この年末大晦日の日に、「2012~14年にかけては、ナンダナ(歓喜)、ヴィジャヤ(勝利)の年と続く」ということを、偶然知らせてもらったことは、「そうに違いない」と^^素直に受け止めよう・・・と思いました。
28日に、「THRIVE」という映画を観ました。
世界のなりたちがこういう感じ・・・という、シオン賢者の議定書などを読んだそのままを、ビジュアルでダイジェストにまとめたような映画なんですけれど^^、考えてみると、これをイキナリ見せられても^^そういうものに一度も触れたこともなければ興味もない、という方であれば、すごく陳腐な話に映るかもしれないです。
個人的には、もう・・・知ってる・・・というような内容が中心でした。
基本、いわゆる「闇の現実における世界支配」の現状・・・ということなんですが、なぜかもう、この部分にいまさら感を抱いてしまう、というのか、それを知って、そこにからめとられていかないことを意図した人々は、それはそれでたしかに多くいらっしゃるし、増えてきているのだろう・・・ということは、なんとなくはわかるのです。
そして、それはもちろん、喜ばしいことだと思います。
自分は、この世界を変えていける可能性を持ったフリーエネルギーについての映画だと思っていたわけなのですが、映画の後半の展開にちょっと拍子抜けしてしまい・・・う~~~~~~~~~~~ん・・・と。
これを手放しで絶賛できる心境になれない自分は、これはこれで、こういう世界に住むのはしんどいかもなぁ・・・と^^正直思ってしまったのです^^。
(きっと、それは、「便利なブンメイ社会」なるもののシステムの中でのどっぷりな生活しか営んだことがない未経験ゆえの疑いというのか、心のどこかで、「あやつられる世界から目覚めたこちら側の人同士だったら、すばらしい世界を構築できる」という前提・・・を信用できていない^^からだと思います)
なにかが、足りない感じがするんだよなぁ、と。
ちなみに、「アセンションする未来」についての映画ではありません。
それから、陰謀論系にありがちなのですが、少し極論な^^つまり、現状の世界を動かす金融システム、これにより、日々の生活に追われ働き蜂化している人類・・・という目線からでの現実を、それでもすっごく満足^^であったりすれば、さらにはてなマークは飛び交う面があるかもしれません。
確かに金融だけではなく、エネルギー市場、穀物メジャーや、医療の分野、メディア分野、ありとあらゆる生命線な市場、そういった部分を、すっかり上手に手中に収めている存在がいることは実際のところです。
しかし、自分も含めてですが、たいていの人間は、直接そこに関与する人からすべてを見聞きしているわけではないので、やっぱりはてなマークなところと、どこかの部分で歯がゆさをただ感じてしまう・・・という部分、あると思います。
現状の人類全体には、割合としてはまだフリーエネルギーを扱えるだけの霊的素養が備わっていない・・・備わっている方も多いと思うけれど、ここへたどり着くのにいったいどれくらいかかるのだ・・・と、途方もない感覚を抱いてしまったわけなのですが、でも考えてみると、世界のありようがこのままでいいわけがない、という部分そのものは、年々加速度を増してきているので、意外と、この手の変化の波にも近い将来に遭遇することにもなるのかもしれませんね。
その、なにかが足りない・・・と感じる部分。
これを埋めることが、もしかしたら、自分の今生のテーマなのかも。
そして、昨日出てきた「ファーストペンギン」^^。
わりと探せばそこいらじゅうに、「先頭」はすでに存在しているように思います。
上記の映画にだって、その「先頭」を感じる方も、それはそれで多くいらっしゃると思われます。
それでも、どんなに「先頭」がいようとも、ひとりひとりがなにかを超えようとする時、超えなくては進めないものがある時、私たちはたぶん、その都度、誰もがファーストペンギンなのかも^^しれませんね。
誰かの武勇伝や希望的な展望をどんなに小耳にしたところで、それにいくら感動したり勇気づけられたり共感したり、というところがあったとしても、仮に同調したい何かを見つけても、もしくは自分の中から湧き上がってきたものであっても、自分自身がその思いを実行に移そうという段階に至っていなければ、それはまだ、自分のオリジナルな経験ではないから。

この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする
カテゴリ : 私にとっての2012年
follow links
FB page
Google+Go to top of page