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2011年06月02日の記事のリスト

これからはやっぱり「勘」「心の声」が頼りです。

2011年06月02日 (木) 03 : 56
そうなの~~~~~?、ちっくな、「風水ネタ」のお話で、「だからだったのかも」の妙な納得感を得てしまうものを見つけてしまいました。


ご覧になったことある方ももしかしたらいらっしゃるかと思われますが、「FROMS」さんという、風水系パワーストーン屋さんのお店さんの記事で(実は、2011年は辛卯の年「きらきら輝く宝石、石たちが、その効力を増すようになる」のではないでしょうか!!! のパワスト屋さんの風水的見地を見つけたよ、って、拝借していたのは、このお店です^^)「ちょっと怖い風水のお話」というのがあります。「0円」って表示されて、商品群の中にありますので、たぶん、よっぽど見て欲しいのかもしれません。(ようするに、風水って信憑性あるでしょ、って部分のアピールなのだろうと思われます^^)


実は自分、ずいぶん前の話で申し訳ないんですが、
毎年正月に実家詣出をするんですが、その恒例となっている実家詣出、2011年幕開けしょっぱなから、まぁ、カンタンに言うと、そこで親族にあたる方々(自分のね^^)のみなさんと、ものすごい意見の衝突がありましてね^^、大変、負なエネルギーを持ち帰り、身体の具合まで少しおかしくする(と言っても、風邪の初期症状ですけど)といった事件^^があったことを、うちのブログを、定期的にご購読くださっている方は憶えておられると思うのですが、実は、その「大喧嘩」いったい何に端を発していたのかというと・・・・・・・・・・・この「ス○○ツリー」であったのでした・・・・・・。


ただ、どうして、自分が、ス○○ツリーを喜ぶ人々(=実家の面々)の姿が、おそろしく勘にさわったのか? だけが、よくわかっていなかった・・・のです。
自分は、少しもそれに興味がなかったし、そういう「日本一の高さ」を喜ぶ単純さみたいなもの^^に対し、「だから何? で、なんであたしがそれを、きみらといっしょになって、興味持たなきゃいけないの? ぜんぜん綺麗だとか思わないのに、キレ~♪ とか喜ばなきゃいかんのだ。そういうのを押し付けるな。「みんな」喜んでるとか言うな。あたしは喜んでいない。あほらしい」という意見から、実は、「人間のありかた」にまで話が発展してしまい^^、「あれは、このおかしな国、世の中のバベルの象徴の最たる姿だよ。それも、恐ろしいまでに前時代的でシュミの悪い。ああいうものを出現させて、それを喜ぶ、その神経がおかしい。だから、あたしは気に食わんのだ」ってところで、完全決裂していた^^わけです。
このことがあって、
この世には、どうにも、歩み寄れない層が、しかも、肉親家族系に存在してるんだわな~・・・って落胆してたんですが、ただ、あとから考えて、「ど~して、たかが、東京の下町に人間が喜んで建てた高層建造物のことで、あそこまで、「もう、おまいらとは、相容れない。これっきりだ。」とばかりに^^、頑なになってしまったのだろうか?」ってことの理由が、どうしてもわかんなかったんですよ。
ただ、なんとなくなんですが、不動産の霊的ウォッチャーの自分としては、「少しも、いい感じがしない建造物」である、ということだけ、でした。


でも、この「ちょっと怖い風水のお話」読んで、「・・・・・・だからだったのかもしれない・・・・・・・理由がわかんなくても、自分は、この地上における「NGもの」を察知していたんだ・・・・・・・」と、なんとなく。
考えてみれば、その建設地は、押上。という名称。
奇しくも、地を押し上げる、なんとなく、地殻変動を牽引するイメージがあるではないですか。
ただ、もっともっと、大きな宇宙的見地から見れば、2012年に向かうこの時期に、人間が、この国が、そういうものをそこに誕生させるであろうことも、もしかすると、折込済みであったのかもしれませんし、地殻変動そのものが「ネガティブ」なものではありませんので、風水的見地でいうところの、「災い」としての発想そのものがどうか、というのはありますが。
いい意味では、われわれは、いよいよの霊的覚醒のための、地殻変動を経験することになったのですから。


ただ、だから、自分個人のことをなにかとやかく悪く言われたわけでもないのに、それどころか、個人的にはなんの興味も縁もない、たかが「建造物」のことなのに、なんであそこまで、意見衝突し、折れようという気にまったくなれなかったのか。。。。その理由がわかった、というのか。


こういうのは、いわば、科学的根拠なんてものは、ございません世界です^^。
それだけに、これぞ、根拠のない風評^^とも言われてしまう部分もあるかもしれませんので、すでにできてしまっている建造物への直接的批判、ってわけじゃありません。
もちろん、あたしの言うことに、同調していただく必要などもございません。
ただ、自分はなんでか、「譲れないものがある」感じがしたから、正月早々、かなり気分は悪かったものの、自分でもその理由すらわからないままに、それでも最後まで屈することなく^^意見を曲げずに、後手で玄関ドア閉めるように、あの家を出た^^わけだったのです。
(で、そのあとに、作った石レシピが、「シヴァ神」パワーの「養生しましょう」でしたからね^^。つまり、こういっちゃアレなんですが、「毒な負のエネルギー対処」してんですよ^^。)


今思うと、2011年早々から・・・そんな展開、2011年に起こってくることのサイン、スタートしていたんだな、ということを、思いますね。
やはり、われわれは、「勘」「心の声」を、とにかく、研ぎ澄ませていきましょうね^^。
「なにか、ひっかかる」ということ。
根拠も理由もなくても。
やはり、どれだけ「自分を信じられるか」「自分をなくせるか」それだけ^^なんですよね。。。。。


「広い心」「広い視野」はものすごく大切だけれど、時として「受け入れられないもの」がでてきた時に、それが自分の心の狭さからなのか? 性格の悪さ^^なのか? なんかのトラウマか? なんなのか? こりゃ、ますます、見極め能力が肝心だわ・・・・・・・・と、思いました。


仮に、まわりで関わる人々が、常識を疑わないタイプ^^というのか、目に見えない世界の関与のようなものでさえ「権威」「常識」の範疇から出ていなかったりすると、それはそれで、面倒なんです^^。なぜなら、上記の例に出てくる、自分の肉親家族系の面々、別に「目に見えない世界」を鼻で笑うようなタイプではなく、むしろ、そういう世界を、多少なりとも、学んだりもしてきてはいる、ある種の常識的平均的な一般市民な人々です。
で、極端な話、その中では、あたしがいちばん「社会的」な意味で言えば^^「定職を持たない、物質世界なこの世的に、不安要素満載」な存在でもあります^^。
いわば、将来はどうするのだ? と^^なにかとご心配いただく要素がいちばん多い^^「持たざる者」がワタクシ。
そういう人間の言うことゆえ、どうも彼らには、みんながいいと言っているものを認めない、素直じゃない、屁理屈に聞こえたようなのです。
だから、「そうやって、みなさんがほのぼのと喜んでいるものに対して、喜んであげられない、心の狭い、おかしな非国民」ということで^^、総攻撃を食らったわけです^^。


もし、「しかし自身の胸のうちでは、どうも、それは違うんじゃないかと言っている気がする」ということは、うやむやにしてしまわないで、忘れてしまわないで、「なぜ、自分は、そのように感じるのか。みんなは、違ってるみたいなのに。」って部分には、放り出さずに、しっかりその「Why?」を、宇宙に投げる、そして、宇宙に教えてもらえる、そういう構造を、もっとくのは、決して無駄なことではないです。


そして、石たちは、必ず、その「いつかわかる答え」を受け取るサポートを、してくれます。
変な話、人間よりも^^やっぱり頼りになるかも^^^^。



◆追記◆


ここで書きたかったことは、「すでにあるもの、すでに起こっていること」に対しての問題点の追求、そこに焦点をあわせること・・・ではない^^ですよ。
知る、ということは、大事だと言われます。
だから、この世界では「情報」そのものが財産化されている側面もあります。
情報弱者^^ってな言葉もあるくらいです。

自分はそのへん、少し、考え方というか、捉え方が違っています。
上記の話は、「そうか。つまり、自分の「感覚」というもの、やっぱり、信頼に値することなのかもしれない。だから、ここを研ぎ澄ませて行くことを、やっぱり大事にしていこう。」って、あらためて思った・・・ということです。

理由や根拠の追求に、自己と切り離された対象としての外側世界に目を向け続けていると、「今」がわからなく
なることがあります。
わからない場合には、宇宙に問いを投げることで、じゅうぶんだった、と、感じました。
タイムリーな情報は、タイムリーな時に、知らされていることを、信頼すればいいのだと。
いずれにしても、個々の魂が、いちばん自分のことを、よく知っている、ひいては、世界のことを知っていることを、「もう、知っている」ことを信頼したらいいんじゃないか、って気がついたのです。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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