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2011年05月01日の記事のリスト

350円ちょうだい。

2011年05月01日 (日) 16 : 05
天気の良いゴールデンウィークも三日目ですね。
今日は東京はけっこうな強風が吹き荒れる中、1日ですので、鳩森八幡さんへ行ってきました。
近くにドトールがあるのですが、実はこのドトールの中の、とあるスペースが、もう何年も前から自分にとっての「パワースポット」となっておりまして^^、必ず帰りに立ち寄るわけなんですが、いわゆる、「あの席」というお店さんの中のスペースなわけなので、必ずしもその場所がいつも空いているというわけではありません。
今日は、その席が空いておりました。ラッキー♪ と思いました。
この席から、今までにも、生み出されてきた「石組みの数々」というものが、実は存在します^^。
自分にとっては、インスピレーション磁場みたいな場所です。


タイトルの「350円ちょうだい」なんですが^^、なんのことかというとですね。
いつだったかな~、昨年の12月あたりかもしれないんですが、うん、たぶんそうですね、12月。
うちの近所の新宿高島屋に買い物に行く途中でした。
あそこは、今は南口の開発工事中で、だいぶ様相変わってきたんですけれど、基本的には新宿南口から、サザンテラスって名前ががついてたと思うんですが、そこを通って、橋を渡って行くルートがあります。
自分は自転車を小田急サザンタワーの前あたりに停めて、サザンタワーの中を通って向かう時があり、その場合にはその「橋」を渡って行くのですが、その日はですね、その橋のたもとに、ちょっと身奇麗とは言いがたい^^いわゆるホームレス風の紙袋を下げたおじいさんが立っていて、いきなりですね、声をかけられたのです^^。


その第一声が、「350円ください。」だったの^^。


すっげー直球勝負だな~^^、とあっけにとられたのと、こんなに通行人が大勢いるというのに、どうしてピン・ポイントであたしなのさ? っていうこの不思議さに、「道を聞かれやすい体質」が頭をもたげまして。
でもまぁ、そこでムシして行ってしまうこともできたわけなんですが、
「なんで350円なのかな~」って知りたくなりまして。その、「高い、とも、安い、とも、なんとも言えないビミョウな金額」の根拠の謎に、迫りたくなった^^わけです。まぁ、いわゆる「キョーミ代金」です。
だから、聞いたわけです。


「所沢まで帰りたいんだけど、手持ちのお金がなくなってしまった。」というのが、理由。
あたしは、「え~、所沢って、350円で新宿から帰れたっけ? もう少し電車代かかったような気がするけど?」って言ったのね^^。
(今これを書くのに調べてみたら、新宿~池袋~所沢で、480円ですね。あたしの記憶が正しかったかも)
そしたら、なにやら、そのおじいさん、「年寄りでバス券があるから、350円で大丈夫」とおっしゃる。


まぁ、別に、これが所沢へ帰るための切符代であろうとなかろうと^^、別にいいや、って、なんとなく思い、財布の中を見たら、500円玉しかなく^^。
でももう財布あけちゃったし、おじいさんにあげる気になっているわけだから、その500円玉を渡しまして。


おじいさんは、「今度会ったら、必ず返します。」って言ってたけれど^^、「今度どこで会うんですか~、いったい^^。別に返してもらわなくていいです~。」と言って、あたしはその場を去り、新宿高島屋へと向かいました。
橋を渡ったところで振り返ってみたら、おじいさん、まだそこで佇んでおりました。
もしかしたら、彼の日課というか^^、「仕事」だったのかもしれないな、と^^その時思ったわけなんですが、そりゃずいぶん的中率というか、効率の悪い仕事ではあるな~、と、その時に思いました。


でもまぁ、たとえば、自分のように、小銭の持ち合わせがちょうどなくて、500円玉とか、1000円とか^^ゲットになる場合もあるかもしれませんし、700円、800円ではないぶん、たとえば、「あれ~小銭今財布にあるのは300円だわ~300円でもいいかしら?」という感じで、なんとか、こぎつけようによっては成功の範疇にもこぎつけることができるかもしれない、たぶん、「要求としての、ほど良さ」が^^、この350円という金額には、「彼なりの工夫」がある気がしました。


この経験の意味するところを、後にもしばらくは考えていたんですけれど、まぁ、いろいろなことが考えられます。
その時には、まとまりませんでした。
でも、なぜか、今になって、思い出しました。その、上記のパワースポット^^、ドトールの、とある席、という場所で。


やっぱり、あたしたち人間は、それが仮にすぐに叶わなかったとしても、「350円ちょうだい」を言い続ける必要があるのです^^。
そこには、けっして、「ないものねだり感」ではない、つつましさがあります。
350円、というのは、この場合、「象徴」であり、労せずして手にする濡れ手に粟、的なものではありません。
いわば、生きる上での、ベーシック・インカム、のようなもの。
それは、求めるべきものであり、自己肯定、というものがなぜに必要なのかといえば、「私は神様の被造物、作品のひとつ」であり、「魂の高みを目指している道中」にいるという、魂存在への、敬意でもあると思います。「自分が、自分ひとりのもの、ではない」という視点からのものです。
だから、自分を拝むこと、が必要(これは「ナルシシズム」な意味ではなく)なのであろうと感じます。


この国には、働かざるもの食うべからず、なる、もっともらしい格言があるのですが、ひつくの神様は^^「はたらかないやつも食わしてやれよ」っておっしゃっています♪
(自分もですね、むか~~~しは、このどちらかというと、言葉としてなんとなく冷たい響きのある、働かざるもの食うべからず派^^、であったと思います。このがちがちの「信念」を手放してみると^^、実際には、「世界がまるで違って」見えてくるし、自分の世界のありようも、どえらく変わります。お奨め♪ です)
臣民は「そんなことをしたら、はたらかない人間が増えて世の中が困ったことになる」と屁理屈言うが、まぁ、神の言うようにやりてみなされ、っておっしゃっています。
たしかにですね、「働かざるもの食うべからず」は、結局われわれが恐れるものへの「着火」には有効^^なんですよね。
それは、わが身のみをかまう「自己保身」というもの、です。
はたらかないと生きていけないんじゃないか、という「不安」です。
誰かに必要とされていないと生きていけない、という「恐れ」もそうかもしれません。
この数十年では、このための代わりでしょうか、自分の身の保障のため、お金のチカラを欲しがる人々も、増殖しておりました。
それが「近代的な人間」の姿、先端、先鋭、であるかのように。


ひつくの神様のおっしゃる、「仕事」というものは、その対極にあります。
道は、自分で歩めよ。人がさしてくれるのでないぞ。仕事、仕事、と求めよ。与えられるぞ。と。
ベーシック・インカムは、必ず与えられる^^けれど、道は自分で歩む、これが、われわれ人間の活きる道。仕事はその手段。
これは、スピリチュアル・ブーム時にも、よく見かけた「ワクワク教」じゃありませんが^^、「自分の魂が望んでいる」「天職」のような価値観にも、もちろん近いところはあると思われます。
(注意点があるとしたら、「ワクワクに従って」はもちろん大切ですが、それが、「自分の立ち位置、現在地からの現実逃避」ではないこと^^でしょうか)


聖書の中にもあるのです。
ソラを飛ぶ鳥、地に生える木一本、であっても、神は無償で、生きる糧をお与えになられている。つまり、別になにか労働して税金払ったりもしてなければ、金銭を得ていなくても、生かされているではないか、ということ。
神の愛は、人間に対しては、それ以上である、と。
イエス様もそうおっしゃっているけれど、ひふみ神示の中にもあります。
神の政治は、「与えっぱなしの政治」で、な~~~んにも、臣民に求めちゃいない、と。
しかしながら、その与えられるものを、拒否する、その多くのアバンダンスを生み出す、もとの「キ」をいただくこと、を、否定し続けていれば、それは、「欲しい350円」ですら、いただけないことになるわけです。


私たちを活かしてくれる、根本。
「350円どころではない、無償の、光エネルギー」を、感じます。
生きているのが当たり前、を、一転された、われわれの国に起こっている、アクシデント。
でも人間、やっぱり、どこかでそのシンプルな真実を、忘れていっちゃう。
争いが始まったりする。どうしても、自分の狭い周囲、半径内しか見えず、近視眼的になってしまう、そういう弱さも、まだまだまだまだ、あります。


今日もまた、地の神様のご活動は、活発^^です。
このゴールデン・ウィークも、福島県を中心に、揺れているようです。
茨城県には東海村なんかもあります。
原発は、ほんとに、はやくやめましょう、ということかと思います。
それが、われわれ全体の(個別の県とか日本とか、に関わらず、惑星地球存亡をかけた)豊かなベーシック・インカムを受け取るための、道筋なのかもしれません。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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