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2011年04月14日の記事のリスト

石ものいふ時

2011年04月14日 (木) 01 : 31
ひふみ神示の中には、たびたび、この「石ものいふ時がくるぞ」の記述があります。
石ヲタの自分は、もしかすると、この「お墨付き」もあって^^、長年、安心して、石に身をゆだねる生活をしてきたのかもしれないな、と思うことがあります。


この一ヶ月、それまで、あまり以前のようには読まなくなってしまっていた、このひふみ神示をよく読むようになりました。
「神示胎に入ったものは去ってよい、行って花咲かせ」という記述がありますが、あたしゃどう考えても、胎に入っちゃおらん・・・を、感じていながらも、「スピリチュアルに怠惰」になっていた部分、霊性の向上というものに対して、真剣味が薄らいできてしまっていた部分があったことを、がっつり知らされ、切迫感が増しております^^。


「神示読まれるうちは、まだいいぞ。今に読まれんことになってくるぞ。」
とあったことを、実は3月11日以降、すぐに思い出しました^^。
「この世に神はいまさん、ということになってくる」「大き声で神示語れん時がくる」という言葉があり、これは、この世に神がいるとは到底思えないようなことばかり起こってきた時に、「自分に都合のいい時だけの神頼み」で、自分の用を立てるため(自分の願望を叶えるだとか病気を治すだとか)に、神を利用してきた人たちが、いっきに離れていく、そういう姿が予見されており、その中にあって尚、「身魂磨きの重要性」を言い続けることの困難さに、それを言っていた者までが、声がしぼんでいってしまう様を包括した表現ではないでしょうか。


われわれの社会では、ずっと「金がものを言う」が信じられてきました。
自分は、その只中で生を受け、何十年間、その金がものを言っているかのような世界で、生かされてきたように思います。
社会に出ると、まさにそのことを痛感させられます。
いや、社会に出る、その前から、われわれは、結局のところ、そのように教育されて育てられてきました。


自分は、「金ではない部分」を家では教えられ(親は敬神崇祖^^な人々です。一応)、というよりも、「押し付けられて」育ち、外では、「金がものを言う人々」の姿を見ながら、そのちぐはぐさに、混乱を極めた幼少期~青春時代^^を経て、オトナになったように思います。
そんな自分が、潜在的に一貫して求めていたものは、いったいなんだったのだろうか・・・ということの答えが、自分の場合は、「石」の中にあった・・・と感じました。


それまでの自分は、とにかく、何をやっても、「これが自分らしさ」という感覚を持てない人生だったように思います。
ようやく、自分の中にある、「光」を見つけることができた、外側に探す必要がないんだ、という、感覚。


自分も、お金に翻弄され、苦しんだ期間も、経験しておりますので、お金があることのありがたみそのものは、ようくわかっております。
しかしながら、このブログを始める1~2年くらい前からでしょうか、石に出会ったこと、そして、「石がしゃべること」を知ったことで、やっぱり、豊かさというのは、お金で得られるものではない、というよりも、「お金そのものでは得られない」ということを、感じるようになり、しだいに、外側の世界に展開される一般的価値観にはもともとあまりミリョクを感じることのない人間でしたが、なぜこのような、絶妙な時代に生きているのか・・・の意味、そういったものに対して、「無関心」ではなくなり、「内面世界」へと石とともにひた走る日々が始まりました。
もともと、「内面世界」をカタチにすることが好きな性分(だから、作詞とか、やっていた)でしたので、むしろ、内面に向かわないでいられることのほうが、それまでの人生でも少なかったのですけれど、石と出会い、石が言いたがっていることがわかるようになってからの内面世界の変化は、それまでの「苦しさ」を伴うものとは、明らかに違うものでした。


これまでの現実世界では、よい会社(いわゆる潰れる心配のなさそうな大企業とか)に入ることで良しとされ、それが安定であり、良い人(まぁ、不良債権化しない^^いわば人格的にも毀損したところのない、安定職安定収入のあるような、プラス、確実に心変わりやら浮気なんぞの不貞ははたらきそうにないであろう今で言うなれば「やさしい」草食系男子と呼ばれる方のことでしょうか)と結婚し、良い子を産み、家を建てたりなんぞして、家族みんなで和気藹々・・・そういう「絵に描いたような人生すごろく」を順調に進むことが、よい人生であるかのように、長年謳われているかと思います。


そういう意味では、まったく、自分はその「絵に描いたような人生すごろく」からは、はずれっぱなしです^^。
はずれっぱなしとなってからの人生も、実際にはとても長いのですけれど^^、そして、たびたびブログにも書いてきている部分もありますが、おそらく、世間一般の他人様から見て、少しも羨ましがられるようなものは持ってはおりません。
どう見ても、明日はどうするのだ? だとか、老後はどうするのだ? だとかを、常識的な方々には、心配されるような人生スタイルではないかと、思います。
自分の持っているものなど、世間一般から見れば、たかが知れているし、家だって賃貸です。家賃が払えなくなれば、住むところがなくなります。
いわゆる世間水準の「財産」的なものはなく、安定的職業というわけでもなく、卑下しようと思えばいくらでも^^つっこみどころ満載です。


しかし、すっごく幸せなのです。
昨年末にもたしか記事にしていた記憶があるのですが、「うわ~、これは、自分が望んでいた仕事、生活スタイル、ではないか。結局のところ。」ということに気がつき、あらためて、ものすごく感謝感激にひたっていたのは^^言うまでもありません。
毎日が楽しくて、感謝いっぱい。ありがたいな~、ということにしか、遭遇しない。
不満がない。不足がない。心配事がない。
そして、それがいつしか、自分にとって「スタンダード」な「今」であることの奇跡を思い、また、それを喜び感謝できる。


・・・・・・・それだけに。


3月11日から始まっている、この、「次元の大シフト」。
自分は正直めちゃめちゃ、とまどい、恐怖しました。
失うこと。
その怖さ。


むしろ、「どうせこの先だって、あくせく働くだけの人生で、特に自分のなにかが惜しい、ってわけでもないし、だからいつ死んでもいいや。」くらいに^^、未来を絶望視して生きていた、石を知る前の昔の自分の頃のほうが、そういう意味での、「幸福を失う怖さ」に迫られなかったかもしれません。


昔の自分でしたら、「死はどこかで救い」だと思っていたところがあったのです(実際「死」にはそう言える面もあるのですが、ただ、魂の向上目的に向けて「地上での努力皆無」の魂^^のままの死は、実は「生まれた時よりも悪くなる」のが相場です^^)。だから、怖いことは怖くても、「まぁ、そうなったら、自分ひとりが死ぬわけじゃないし。それに、そうなればもう、たくさんの人が平等に不幸なわけだしな。」くらいの、意地悪さで、大変にシニカルな境地で、「人類に与えられた天罰」と捉えていたに違いありません。


しかし、これは「天罰」ではないのです。天罰というものは、存在しません。
目の前に起こってくる「人間にとっての不都合」なことは、結局、曇った魂の浄化のための、天に与えられた試練であり、恵み、なのです。
どんなことも。


だからね、悟ったのです。
うまくできているな、と。
このタイミングで自分にとって、こういう時が訪れているのは、まさに、「エゴからの卒業」を迫られていることに、他ならない、ことに。
だって、「幸福であり、満足である」ことを、手放す・・・・・・って、「嫌なこと」手放すよりも^^つらいですもん(泣)。


幸福を手放す。その可能性がある。
幸不幸に頓着しない、そういうつもりで生きてきたつもりだった^^けれど、やっぱり、幸福に執着していたことがわかりました。
生きていたとしても、自分がつくりあげてきた、と思っていた世界など、「夢」のように崩れ去るかもしれない。
それを受け入れること。
そ、そんな難しいこと・・・・・・・・あたしには・・・・・・・・できるんだろうか? と。
でも、きっと「できるから」、今このタイミングなんだろうなぁ・・・・・・・と、考えるようになりました。
(天は、その魂に「越えられない試練」は、絶対に与えないのです。この采配は、かなり絶妙です)


たぶん・・・私だけではなく、どなた様にとっても、そして、被災地域であろうとなかろうと、日本のこの地で生きるみなさまそれぞれに、この「エゴからの卒業」を促されているとしか考えられない「アクシデント」は、現在、増殖中なのではないでしょうか。
それが、今この国で継続中の危機に関することに伴う困難な問題に関連することであろうと、そういうこととは無関係なまったくの私的な問題であろうと。
なんとなく、いただくメールを読んでいても、そのように感じます。


そして、この日本という国も、今「浮き船」となって、「金がものを言う」からの脱却を迫られています。


福島原発の続行中の危機も、東京電力という企業はまさにその「金がものを言う世界」が経営の屋台骨であり、日本人の「金のチカラ、金をよりどころとする姿」の象徴として存在してきた企業かと思います。
「電力を安定供給すること」が、社会的お役目であったはずが、いつしか、原発を作れば作るほど金になる構図に絡め取られていき、少しもECOではないオール電化住宅などを都市開発と絡めて推進し、とにかく、金儲けのために、日本人に電力をじゃぶじゃぶ使わせる・・・という姿になっていったのだろうと思います。
たぶんその「美味しい原発利権」には、より多くの組織(オモテもウラも)が関わりあい、もたれあい、してきた長い年月があるのでしょう。


基本的に「ECOビジネス」には、その手のものが多いです。本当に地球環境を思ったECOもないわけではありませんが、ビジネス市場で謳われているものなどは、その「うちの会社は環境を考えています、という善人っぽい聞こえのよさ」を企業イメージ戦略のツールとしての動機で取り入れているだけの企業が大半だと感じます。「金儲け」に、耳障りのいい「ECO」「地球を守る」が利用されているだけで、実際には守りたい対象は、地球ではなく、「自分たち、自分たち組織」というエゴであったりします。(今後は、「復興ビジネス」なんかにも、そんな様相が顕れてくることも、じゅうぶんにあると思われますが、それはもう成り立たない時節です)


「メグリひどいところほど、見せしめあるぞ」という言葉が、ひふみ神示の中にもあるのですが、ですからこれは、「自分の中にも、あるかもしれない、東京電力的な部分」を、見返り、反省し、手放し、改善していくために、日本に住まう多くの人間に、我がこととして、突きつけられているのであろうと思います。


「メグリ(カルマ)ある金でも、金ならなんでも持っていればよいやうに臣民申しているが、その金がメグリそのものと気づかんか」
「金が仇の世がくるぞ」
・・・という、ひつくの神様の言葉が意味する世界、そのものですね。
お金のために生きる世界・・・・・それを、本当は、われわれ日本人が「おかしいぞ」と気づき、脱却していくべく時であることを、たびたび促されていながらも、あまりにそれができずに「盲目」なままなので、きっと、「時節」はもう待てないぞ、ということになっているのであろうと思います。


では、それに取って変わっての、「石がものいふ時」が^^意味するものとは? なのですが。
これはですね、私が感じることですけれど、別に、現在の世界に展開されている「金がもの言う」的な感覚で^^、それに取って変わって、現在の「お金」的存在に、石がなり代わる、ということではないと思います^^。


そうではなくて、石がようやくものを言える時代・・・・・それは、ようやくわれわれが、真の意味で「魂の覚醒」こそが、わが人生の目的であった・・・ということを知り、実践段階へとシフトしていく時であり、シフト完了時には、本当に石がそこいらじゅうで喋っているのが当たり前^^の世界となっているので、もう、「この石はこんな意味で、この組み合わせはこんな石組みよん♪」っていう^^、説明なんか、必要ない世界の到来・・・を意味すると思います。
(あれ? 結局、そうなると、あたしはいずれにしても、失業なのね^^。「失うこと」を怖がっておりましたけれど^^。)


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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