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2011年04月02日の記事のリスト

注目です♪

2011年04月02日 (土) 00 : 26
こちらの記事は、実は、3月11日以前に書いていた内容です。
ハート・チャクラの話が続いていたので、それがひと段落したら、掲載しようと思っていたんですけれど、読み返していて、ううむ、なるほど・・・と、自分的に感じるところがありましたので、アップしました。
「過不足のない分配」ってどうやっていったら実現するんだろう・・・ってことを、あの地震のあとから考えていたわけなんです。
(たぶん、それって人間にはとてつもなく難しそう^^。「神人ばかり」にならないと。そう思いますね・・・。一足飛びに、そうはいかない、しかしながらきっと、これからの一年半くらいは、そこへの人類、及び、雛形の国、日本人の「身魂磨き」にかかっているのだろうと、感じます)
ではでは、お読みくださいまし。


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昔、隙間産業的な他に類似商品のない、高額金融商品を売る営業マンだった10年くらい前の話。
この金融商品の説明をお客様にするのに、当時の金融市場に他に比較対象となる類似のスキームの金融商品がなかったため、とにかく馬鹿丁寧な商品説明を要する・・・のが本来だったのですが、それをひと月に100人、200人に向けて行うのは不可能だし、東京近郊以外の方に対しては、パンフレットを送り、電話かメールか、という方法でしかなかったのでした。
(たしか、調達ノルマが一ヶ月に一億二千万円くらいでしたから^^、実際、なんでそんなことがやれていたんだろう? と不思議です。でも、直接的には感覚としてなくても、ここを読んでおられるみなさんも、日常的に、とても大きな単位の、「自分のじゃないけど」な^^お金を動かす仕事をされていらっしゃる方も、おられると思います。人生って、そんなものかもしれませんね)
で、それをもっと効率的に、感覚的にお伝えできる方法として、「ビデオ」という営業ツールまであった(当時はまだDVD主流の時代ではなかったのでした^^)のですが、この、ビデオのキャスティングに、当時、金融業界の資産運用なんかのパーソナリティーとして、「お茶の間支持」のあった方に、途中からご登場いただくことになりまして。
その金融商品が、一応実績を更新し、元本割れなどもなく、満額償還なども向かえられる見通しがつき、まぁ、より成長していくために・・・という目的のため、そういう方に太鼓判を押していただける「映像」があれば、より効果的なコマーシャルになるからです。


FPの浅井秀一さんという方がその人だったんだけど、私は当時から、流行りものには疎い性格で^^、よく知らなくて、そのビデオで初めて実物というか、動く浅井氏を拝見しました。(自分がそういった仕事をしていたころは、金融知識は、身につけなければならない要素でしたが、そういった世界がもともと「好き」だったわけではないので^^、金融系のスタープレイヤーに興味がなかったのでした)
当時の浅井氏は、ちょっとふくよかで、声調がソフト。がーがーとうるさくもなければ、押し付けがましくもない。
今思うと、なんとなく、数年前にやはり「お茶の間支持」を受けた、霊能者の方に似ていたのかも。
この風貌と、この声で、なにかをお奨めされれば、「そうなのかな」と、人々の気持ちがプラス思考に動きそうな^^、そういう。
たしかに、テレビ的ではありました。
こういうのも、ひとつの、天賦の才なのであろうと感じる次第。
どれだけ人が真実やら、斬新な提案を語っても、こういう「もともと備わっている、対人受けのよいプレゼン資質」というものがある方の「肉声や、かもし出す雰囲気」には、凡人はかなわない面があります。
(凡人には、だから、ストーンの効力にあやかって^^足りない弱点カバーっていう手もありますけれどね)


不確定要素が強い、先のことがわからない、未来はケセラセラ、というのは、大きいくくりで言えば、金融商品も、霊能者の言う未来も、近い部分があります^^。
ただ、金融商品の場合には、より、「リアルだと世界で認識されている」常識があるため、「信用ならないもの」は、より見向きもされないし、実績というものがなければ、より風当たりは厳しい。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」では困るのです。
人は「前例のないもの」が嫌いなのだから、前例がないからには、ほぼ確定なんじゃないでしょうか、の希望的要素を強くアピールできながらも、そこに押し付けがましさがなく、「みなさん、おひとり、おひとりのお力、信頼で、そうなっていくんですよ」の、最終的にはセルフの決断と実行の世界へ誘導しなければならないわけなので、大変ですが、実際には、世界って、そういうものでかたちづくられ動いている側面があります。
(しかし、本質的には、スピリチュアル商品も、そういったリアルの金融商品も、変わらない。近い将来的には、おそらく、これと同レベルでなければ、「見えない世界」のことは、テキトウに語れなくなるだろう、と感じます。なぜなら、これから先、「今、見えていない世界」が、より「リアル」になっていくからです)


そんなFPの浅井氏に、自分とこの会社の金融商品ビデオにご登場いただくにあたって、どんなコメントが仕上がってくるんだろうね・・・と、それができあがる前は、自分たち営業マンも、興味深々でした。
こういうものをそういったいわば著名な方に依頼する際に、たとえば、俳優さんなどには、一字一句、「台本」をお渡しし、そのとおりに喋っていただくので、ある意味「やらせ」とまではいかなくても、それ的なところはあるのだけど、浅井氏の場合には、その金融商品の商品性、実績と、その年表、重要事項説明などの資料をお渡しし、あくまでも「浅井氏の目線」からの紹介・・・ということで、「何をしゃべるかは浅井氏に一任」・・・というのが、ご登場いただく条件だったようなのです。
(このへん、テレビとはたぶん大きく違う)
資産運用のパーソナリティー、という、特殊性は、ある意味、信用を失墜してはおしまいだからなんだろうと思います。
「金さえもらえば、どんなものでも、利点を水増ししておすすめしまっせ」という、「袖の下次第」の御用聞きであってはならないのです。
なんの職業でもそうだけれど、ブレイクしちゃうと、あらぬ人間が寄ってくるのが世の常、その中には、おいしい餌をちらつかせて、「事実捏造」のコマーシャリズムに加担させようとする魑魅魍魎もいるだろうに、その誘惑を、識別していくストレスたるや、想像するだけも、億劫な話。
まぁ、そういう意味では、たしかに、「胡散くさいお金にまつわる話」をする人間にありがちな胡散臭さを感じさせずに、お茶の間でなんとなく大勢の方が、当時、好感を浅井氏に抱いていらっしゃったのも、今更ながらわかる気がしました。
おそらく、この方なりに、「精一杯正直であること」が、伝わっていたのでしょうね。


そんな浅井氏が、ビデオの中でどういうふうに、その自分とこの会社が出していた金融商品を締めくくっていたかというと。
「○○○○○ファンド、注目です♪(笑顔)」
・・・・・・・でありました。
こうきたか~^^、と、当時思いました。
実は、彼がビデオで中身をどういうふうにコメントしていたかは、よく憶えていない。概ね、好意的な意見をされていたと憶えています。
もし、それが好意的なものでなければ、商品アピールにならないので、たぶん、浅井氏にご登場はお願いしたけれど、せっかくだけどそのビデオは起用しない、ということになったんじゃないかと思うので。


実は今朝、なぜかこの最後の、「注目です♪」の部分だけを思い出してしまい(その会社を辞めてからこの商品説明ビデオのことなど、一度も思い出したことなかったのに)ひとり、ほくそえんでいました。


自分が、みなさまに、お奨めしている、石。
結局のところ、やはりこの「注目です♪」の領域のもの、なのだと感じます。


限りなく、商品説明どおりではあり、実績もあり、元本割れも起こさないであろうし、想定利回りもお伝えしているよりもおそらく上回ると思われるけれど、それを「現時点で絶対に保証」はできない。
けれど、実績としては、積み上がってきているデータそのものは、良好に推移するもの、中には期待以上のはたらきの経過もあったり、ではあり、バックボーンそのもの、実績そのものは、日に日に積み上がっていってはいる。
「みなさん、おひとり、おひとりのお力、信頼で、そうなっていくんですよ」という「見通しがある程度あること」だけが、真実です。
資産運用の世界も、パワーストーンの世界も、森羅万象に通じるかもしれませんが、「ポジティブ要素を増やそう、現実のものにしよう」となれば、本質的には、同じこと・・・なのでした。


なぜに、石の世界のほうが、実際にそうなる人と、そうならない人の、ばらつきがあるのか。
それは、上記の金融商品の「性質」に一般的に期待される「常識」ほどには、「パワーストーンが、本当にパワーストーンであることが、常識」までに、至っていないから、という要因もあろうかと思われます。
実際には、みなさん、おひとり、おひとりのお力、しだいである部分は、「リアルだと世界で認識されている常識」が形成されてくる原動力でもあり、そうなれば、石の持つチカラ、自己とのリンクがわかる方は、常識的に増えていく気がします^^。
(自分は、「アセンション」も、こういう類の魂感覚での「常識の変容」がなされた方が形成していく空気、世界の形成と思います。だから、「人が人をアセンションさせること」は、直接的にはできないけれど、「感化」はできるので、そういう人間が増えることによって、世界は変化できるはず、という希望を持ってます)


ちなみに、浅井氏が、なにゆえFPの世界に足を踏み入れたのかのきっかけは、「実父の死」がきっかけだったと、記憶しています。
おそらく浅井氏がまだ学生だった時の話だったと記憶しているけれど、その道中、「父の保険」に、身を助けられ、自分は一銭ももっていなかったのに、困らずに済んだ、「保険のありがたさ」を実感した・・・というような話。なにやら、会社経営をされていたお父様、突然の死による、その資産整理がとても大変だったようです。
(遺産相続というのは、「借金も相続」の対象ですからね)
だから、人生にはなにがあるかわからない、そういう時に、もしこういった金融商品の助けや、知識、理解がなければ、自分は無一文でどうなっていたんだろうか・・・というのが、きっかけで、人様に、資産運用の大切さを伝える仕事をしたい、と思った・・・というような。


その根底にあるものは、浅井氏の経験と実感であり、たしかに、こういった「なにかに助けられた感覚」は、実感として、認識しやすい。
「真実の片鱗」、いわゆる「ありがたみ、感謝できる要素」を掴んだ、ということ、そういう経験をすると、その「真実の片鱗」が、個人にとって「真実そのもの」となっていくケース・・・私は、それこそが、人それぞれの「職業」であり、「仕事」だと、感じるし、「神采配」でもあると感じます。
私自身も、「私にとってのリアリティ経験」が、最初の原動力となって、今の仕事が始まっているので、とてもよくわかります^^。
そして、職業の基本は、その職業の世界があることそのものへの感謝でもあり、また、それを必要としてくれる方がいらっしゃってこその感謝の賜物。
その、感謝の輪となり、うねりとなった世界の中に、また成長の糧を見出していく、それが「仕事」の本質世界のありよう、かと感じます。


私が昔、そういった金融の仕事をかじった経験の中で、お金、というものについて感じた認識は、「流れ」であり、「エネルギー」の本質をあらわしている、わかりやすいバロメーター、それがお金というものでありながら、「ないのに、ある、と思われている」不思議な像でもある・・・ということでした。
金融の世界の全体像など、自分にはとうてい把握できっこない、複雑なものがありますけれど、結局のところ、「人間のお金に対する共通認識」だけで成り立っていると言っても過言でない世界。つきつめれば、目に見えるリアリティなど、お金そのものには、まったくないのです。
大多数の人間が、「もしかすると、お金って、いらないのかも」の認識に至ってしまえば、「無価値な紙媒体」へと転落する、あやうい運命を秘めたもの。
それが、お金というのでしょうか。
しかし、現状の世界での役割としては、人間の身体の中でいえば、生存たらしめる血液として例えられ、金融というものは、静脈であり、動脈である。
ところが、血液、のほうが、考えてみると、実際には「リアル」です。身体を切れば、赤い血が流れます。ないもの、というには^^無理があります。
お金には、実際、かたちがありません。ある意味、スピリチュアルな存在です^^。
でも、現実社会においては、金融、お金の生み出す世界のほうが、よりリアリティがあるため、資産運用にかかわるような職種のほうが、リアルが保たれている感じがしますが、これこそが実は、「世の中全員の人が生み出しているチカラ」でもあるのですね。


実際に今も、その「世の中全員の人が生み出しているチカラ」のご相伴にあずかることで、自分は、生活させていただき、石を手にすることができています。
仕入れ^^という名目で、とてもたくさんのお金を使いますけれど、この流れのシステムがあるからこそ、石ビーズを入手し、あらたな認識や、あらためての再認識を深め、石アクセサリを作ることができ、石のあれこれ、をみなさんにご案内させていただくことができ、絵に描いた餅、という以上のエネルギーを感じてそれを必要と思ってくださる、ご信頼いただいて買ってくださるみなさんから、またあらたなる必要なエネルギーをいただいているわけです。


かたや、資産運用の中に、真実の片鱗を見出す、そういった方もいらっしゃれば、石の中に真実の片鱗を見出す、自分のようなものもいる。
そんな世界のありようが、ひとつところに集まった、地球上というエリアであります。
とても楽しいさなかに、われわれは、生かされておるのですね。


アセンションが謳われる中の、大きなファクターとして、「お金がなくなる」、つまり、お金のエネルギーを必要としない世界の到来のようなことが言われますが、私は、この部分、まだかなり興味深々段階です。現実的な想像の領域を、超えているからです。(相互扶助、という概念が、お金を通したものでは理解できていても、それがお金じゃないものになる状態が、実際にはまだ「奇麗事な概念」の段階で止まっているからでもあろうと思われます。)
お金そのものに価値がないことに、多くの人間が気づく・・・ということでしょうけれど、その「気づいた先にどうする」のも、やはり、人間の手に委ねられているのだ・・・と考えると、「こうしたらいいんじゃないのかな」な、答えに近い部分を、なんとか切り開きたいものだ・・・とも思います。
人間というのは、自分の中からでてきた答えが、実際には、その時いちばんまっとうな答え、であることが多いですからね。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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