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2011年03月22日の記事のリスト

上下グレン

2011年03月22日 (火) 15 : 24
昨日はお彼岸でした。
春がやってくるのですね。
東京は小雨が降っています。
小さな地震が、まだ続いていますね。


昨日、「被災地で救助活動を行うある公務員のつぶやき」というページを見つけました。
自衛官という職務は、現在の日本では、とても曖昧でまた現実的に公務員の中ではとても「優遇」されている職務と言いがたく、公務員の中で、有事の際、危機の渦中であっても、わが身を優先させないことを、唯一「宣誓」しなくてはならない、公務です。
現在の世界は、「上下さかさまの世界」ということが、ひふみ神示ではいわれます。
この意味するところは、本当は上の人が下で、下の人が上、ということでしょうか。


ずっとひしひしと自分、それを感じていました。
自分のあずかり知らぬところで、こういう方々が、黙々と下支えをしてくださっているからこそ、安全が普通、なんの苦もない生活をさせてもらえることが普通、でいられた・・・ということ。
公のために生きること。これが大和魂であり、この実践をされている方々は、それを「当たり前」としての仕事をされ、そこに自己の悲哀をはさんでおられません。
もちろん、おつらいと思います。
それでも、「喜び」が「公」のところに軸を置かれている限り、そういう方のことは、「神が救う」ならぬ、「神が救われる」のだそうです。


この国では、年々、「正直者が馬鹿を見る」世界が繰り広げられているところでしたね。
そして、弱きもの、いわゆる地位や財産、能力、既得権を持たない立場にある人間が排除され、見捨てられていく、そういう世界。
自分も経験しましたが、派遣切りなどもそうでしたが、そういった生活の苦境、危機的状況下に置かれる人間が多数いることに対して、そういった状況下ではない側の人間というのは、結局、その構造をどうにかしなくては、と心底考えるような人はあまりいません。
自分を守ることで精一杯になってしまうから、ですね。
そして、自分がそうではない立場でいることに安堵することに、とどまってしまう。


そういったわれわれ全体が作り上げてきた日本への禊が、この大地震、大津波、原発の大事故であったのかもしれません。
これでも、おそらく、「大難が、小難に」まつりかえられていると感じます。
それをしてくださったのが、冒頭の、自衛隊のみなさんや、消防、警察、の、「命を投げ出す」この国を守ろうとしてくださった「志気」のある実際行動、「シゴト」によるのは言うまでもなく、これが「神意にかなった」結果、今のところ大惨事とならなかった現在を得ているのであろうと思います。


もともとの日本人のDNAの中には、「他への奉仕精神」が刻み込まれており、この大きなアクシデントは、その「神性」が目覚めるための、試練であったと思います。


この地震は、人口地震である説、も出回っています。
もしかしたら、そうかもしれないな、と、自分も思います。
しかし、仮にそうであったにしろ、そうでなかったにしろ、次にまたいつ起こるか、は、いずれにしてもわからないのです。
人口地震を起こそうという存在が仮にいるのであれば、それは、いわば御用の悪、であり、その存在自身が、破滅へと自己を追いやっているのです。
その御用の悪の目的である、恐怖心の喚起、恐れからくる服従、悪への攻撃心、というネガティブ誘導に乗せられない、どっかり座った肝っ玉。これが、なによりも必要です。


想像するに、これから先、どんどん「悪の隠れるところ」がなくなっていく、すなわち、この地上に居場所が失われていくこと(地上だけではないそうですが)が、何よりも、悪自身、にわかっているのだろうと思います。
ですから、はっと気づいたのは、彼らが誘導しようとする、いわば「道連れ」にしようとする、恐怖心からくる自己保身のようなもの、未来への絶望感などは、ある意味、「自分自身が、「悪」にリンクする素養」を多分に持っているからこそであり、これは、「試されている」ことに他なりません。
誰が悪い、彼が悪い、ではないのです。


ひつくの神様のおっしゃる「そんなふなふな腰でどうする」の、そのふなふな腰を、経験したお恥ずかしい自分としては、自己の本性見たり、の苦しさが、自分を苦しめていたことを感じました。


富士はいつ火を吹くのざ、どうしたら助かるのざ、その心、我良しだぞ。と、ひつくの神はいいます。
どこにいても、助かるもの助かる、どこまで逃げても、助からないもの助からん。
神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ。
このように。


岩戸開きの世が本格的にやってきた時、この地上世界に展開されている「上下さかさま」が、「グレン」とひっくりかえる、といいます。
まもなく、何も隠せない世界が、近づいているのですね。
アセンション、という「耳障りの良い」言葉とは、こういった、産みの苦しみと伴う世界であろうことは、何年もずっと「本当だろうか」とぼんやりと思っていましたが、やはり、そのようです。
日本は、地球上において、「雛形」と言われます。
日本が安泰であれば、世界も安泰です。
だから、「悪」にとっては、この国をどうにかしたいわけです。
この国を手中にすること、それはなにも国土の破壊や貨幣経済の破壊、かたちあるもののカタストロフだけではなく、「魂を抜き取ること」を目的にしています。
日本人の魂を抜き取れば、世界にダメージを与えられる仕組みを、熟知しているからだろうと思います。


どちらへ転ぶか(どうなるか? ではなく、「どうするか」です)は、わたしたちひとりひとりの魂が、ちゃんと知っていることだと思います。
その大きな責任をもって、また、それを遂行できる魂であるからこそ、私たちは日本人として、生まれてきたのです。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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