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2011年03月13日の記事のリスト

二夜過ぎて思うこと

2011年03月13日 (日) 01 : 59
昨日は、ブログの更新記事を書いているときに、すごく感じていたことが、どういう言葉を選べばいいのか、ということでした。
自分はこういう風に大丈夫ですよ、ということをお伝えするに終始しましたが、それは、やはり大丈夫な状況だからこそ言えることであって、そうでない状況となったときにも、果たして同じことが言えただろうか、ということなど。


昨日の昼間、新宿西口のヨドバシカメラに、液晶テレビというものを買いに行きました。
新宿の西口、南口は、いつもの土曜日であれば、もっとすごい数の人でごったがえしている場所ですが、通りを歩く人も少なく、やはり特殊な現在であることを感じながら歩いておりましたが、ヨドバシのマルチメディア館は普通に営業していて、そこそこ混んでおりました。
で、タクシーを拾える場所までヨドバシの店員さんが、買ったテレビを運んでくださって、タクシーでうちまでものの5分かからず到着(とにかくいつもの土曜日と違い道が空いていたため、車とはいえ、ワンメーターちょい、なはずはないですが、タクシー料金はそんなもんでした)、とうとううちにもテレビというものがやってきました。


なんで急にテレビ見ない、って言いながら、そんなことを・・・というと、最初は自分の意志ではなく、家人が駄々をこねた^^からです。
だから、わざわざ好んで人様に起こった不幸と俗に呼ばれるネガティブネタ満載の偏向報道だってされかねていないと俗に言われるテレビ映像を見ようとするのだ・・・と心の中で、こんな時にそんなものを新宿まで買いに行かせようと^^する人に、ちょい腹立てぎみだったんですが、買ったテレビを持って、帰ってきて、今回の地震に関するテレビ報道を何時間も目にすることになって、心が一変、いや、正確には、ニ変しました。


何時間も見ようと思っていたわけではなく、結果的に、何時間も釘付けになっておりました。
字面でニュース報道を見ている感覚と、実際に動く映像で、コトが進行している様を見ることとの大きな違いを感じ、そして、やっぱり大きな落胆ではないですが、俗に言う、テレビを見ることによる、ネガティブ波動による感化ではありませんが、自身が負の感覚へ包まれていく感じがわかりました。


なにかと2012年云々を謳う面々は、一様に、「テレビをなるべく見ないようにすること」を推奨していることが多く見受けられます。
それは、こういった地震関連ニュースにかかわらずですが、基本的にテレビというものを制作する側が意図してか意図せずにかはわかりませんが、人に与えている影響力としては、ネガティブ感情の連鎖を生むようなタイプの報道が多いから、などの理由です。
これは、単にネガティブな事件、というだけの話ではなく、どのような番組でも、要素としては、「人が自分の頭でモノを考えないようにする」俗に言う「常識のすりこみ」のような影響を、なんらかのシールドなしに、ただ受け手として、テレビを見続ければ、知らず知らずのうちにそうなっていくメカニズムがあるから・・・というのも理由。


自分はそういった理由、実際に、自分の腑に落ちる感覚がありましたので、テレビは見ない、という習慣でやってきておりました。
その選択はたしかに悪くない選択であったと思います。
石により、ポジティブな人間化していった自分、ということを常々お話しておりますけれど、自分のポジティブ化が本格化したのは、こういったこととの相乗的なものがあると思います。
たびたび出てきますが、それと、「玄米食&粗食(肉食をしない)」の影響、それから、せんだって好転反応のことで取り上げた「せっけん」の影響。
石の言ってることがわかる!!
と感じられるようになったその昔、おそらく、理由はこの上記2点との連携であったのではないか、という記事も、初期の頃にも書いていますし、その後も何度かは取り上げてはおります。
そして、言いませんでしたが、「テレビを見る習慣を生活の中に持たない」ということも、あるだろうと、思っていました。
なんであんまり折に触れ言わなかったのかというと、「肉は食べません、合成界面活性剤のシャンプー、洗剤は使いません、化粧は極力(今はまったく)しません」にプラスして「テレビは見ません」のようなことを、抜かしていると^^、なんだか浮世離れした修行僧みたいで^^、そこまでせなならんのか・・・という^^「受け付けない感覚」をあんまりみなさんに持たれても^^それはそれで困るよな、という気持ちがあったからです。
だから、自分がそうしているだけで、おすすめすることじたいは、人を選んでするとか、していました。


自分の場合、上記のようなことは「せなならん」というエコロジー的義務感というより、「そうしたくてそうしている」ので、まったく「苦」を感じません。
テレビも、昔から、「気づくと自分の時間を奪われている感覚」が強くあった代物でしたので、「なくなってみてものすごく困る」ようなもてあまし感覚はまるでなく、テレビがないことでの不便をまったく感じていなかったから、すんなりそうしただけです。


さて、そんな自分、何時間も今回の地震関連のニュースを見続けているうちに、次第に心に巣くってきた感情は、「今月は、石アクセサリがどうの、なんて言ってられないかもしれないな。。。仮に制作してお出ししたとしても、みなさんが、そういうものを受け付ける心境でおられるだろうか。こいつ、こんな世の中の状況でも、なんだか、まだ石がどうの、って言ってやがるし。って思うだろうな。」という、自分の中の、無力感でした。
実際に、自分の石アクセサリを買ってくださっている皆様の中に、今回の、被災地域に該当する、「目にしたことのある街の名前、市の名前」などが、どんどん飛び込んできます。
おまえの作るそんなもの買ったって、なんの効力もないわな、自然災害そのものを避けられるわけじゃないし、結局、不運な目にだって合うじゃないか、と。


そんな気持ちになった自分、こんこんと寝てしまいまして、夜中の12時に目が覚めて、その寝る前に抱いていた感情がまったく残っていないことに気がつきました。
脳裏に浮かんでいたことは、「だからこそ、おまえが、作るのだ、それをやるのだ、人様を自分のできるかぎり励ますのだ」ということと、ふと右手にしていた、スギライト、モリオン、アメシスト、チャロアイトの存在の、「ああ、こういうことだったのか」感と。


自分は普段あんまり紫系は実は好んで身につけてはこなかったけれど、ここへきて、自分も普段使いに紫がそろそろ必要かしら、のようなこと、先月の記事に書いていたと思うのですが、考えてみると、この地震が発生した昨日もそうなんですが、アクセサリの発送が一段落してきた今週に入ってから、こちらはずっと身につけていました。「なんとなく」ですが。


スギライトとモリオン、という組み合わせは、とあるパワーストーン屋さんの波動測定というものによると、ですが、「この世のものの中にあって、かなり次元を超える想像を超えた高い数値」の「破邪」の力の要素がある、のうたい文句で販売されているのを目にしました。
自分はこの「破邪」という概念、これは好みですが、そういった感覚じたいが邪を必要以上に怖がる感覚を生むんではないだろうか? 的に、あんまり好みではなく、だから、話半分というか、あまりその部分を石の要素としてアピールすることは好みません。
人によっては、「本当にいやなことが起こらなくなる」「九死に一生を得るラッキー」のようなものを想像してしまうかもしれませんし、実際に本人が「守られている、ということはどういうことか」、ということを曲解していれば、石の破邪の力など、スギライトとモリオンに関わらず、なんの役にも立たないから、です。


守られている、というのは、嫌なことが起こらないこと、嫌なことに遭遇しないこと、ではないのです。
むしろ、その遭遇している時、どういうことを本人が選び取っていくか、沸きあがる感情にどう対処する心境となっていくか、を、サポートしてくれる力、それが「守り」です。


「うわ~、この紫石たち、アンド、モリオン。完璧。」そう思いました。
そして、「そうか・・・。「破邪」って、そういうことか。」と、改めて。
紫色の石たち、自分は、今までそれほど自分にものすごく必要、という感覚はなかったのですが、こういう「テレビを見ているうちに、やはり自分も負に感化されていくエネルギー」を感じていましたが、彼らは、そういう時に、見事に、シールドを張っていたのです。
自分自身が無気力になることを恐れていやなものを避ける、のではなく、シールドしつつ、「では自分はどうしたらいいのか」への気づき、メンタリティの奮起にかけて、おそらくこれができるのは、いわゆる高次チャクラの活性化をする石たちの、本当の出番の時なのだ・・・・と感じます。


ゲリー・ボーネルさんが何年か前、「これからの時代、ヒーラーが足りなくなる。ヒーラー養成が急務」おっしゃっておられていた、というのを、よく行く「本山さんのホームページ」で記事拝見し、私はこれを少し、誤解していたかもしれません。
そしてやはり石の世界でも、かのヘブン・アンド・アース社さんのロバート・シモンズさんは一環して、「あなたの中の神を顕現していくこと、すなわち、この世において、周囲のために自分が使える最大限の能力の開花、発揮」のサポートとしての石たちの存在、石たちの能力、を訴えておられます。
日本にアゼツライトをはじめとする石たちが入ってきて、「思い通りの人生にする石」というような^^、ヲイヲイ、な意味づけで販売されているのも今尚見ますが、たぶん、思い通りの人生は、すなわち、「自他のために真に生きることができること」が実際の姿だと思われますので、あながち大間違いではないのです^^。
(ただ、シモンズ氏が口を酸っぱくして言っているその部分が見事に省かれている^^ケースが多すぎますが)


私たちが自分の中の神性を見つけ、それをオモテに出していく必要性、ボーネルさん風に言う「ヒーラーが必要」は、なにも人をヒーリングできる能力そのものを身につけてそれを職業とする人間のことだけを言うのではなく、だれもがだれかのヒーラーとなっていくこと、だれかに治してもらうのを待つだけではなく、自分が自分自身のヒーラーとなれる強さと精神性、その中に「あなたの中の神がはたらく」があること。


モノゴトのネガティブ面というものに触れて、このような事態の渦中で、「なにがポジティブさ。」と、自分自身が、一瞬でシニカルへとひっくりかえされていくような事件、事象は、きっと今後も続いていくであろうと思います。


私自身、今、確信に満ちて、この記事を書き、何時間か前に感じていた「今月は、新作アクセサリどうしよう・・・できるかな・・・それにみんなもそんなの欲しいという心境かな」となっていた感情は、この「破邪」が木っ端微塵に吹き飛ばしていました(寝ているあいだに)。
私がお作りできる「破邪」は、嫌な現実を起こさない、ということを謳えるパワーストーンではありませんが、こういう意味での「破邪」であるなら、必要とされている方がいらっしゃる限り、自分にはそういうものを、この組み合わせに限らずですが、制作していくべく「急務」があるではないか・・・という気持ちが、自分の中に満ちております。



追記


そうそう、テレビ買ってこい、と駄々をこねていた家人^^なのですが、「な。見ておくべきだっただろう。こういうのは、字面ではわかんないんだよ」と、テレビを消して、いろいろ話しているときに言い始めました。
けっして、人様の惨状、むごいこの状態の映像への興味本位ではなく、ただ、悲しい、と。
こういうものを見なければ、私たちと同じ日常、時間、それぞれの生活、世界というものが、多くの日本に住まう人たちにあったのだ・・・ということを、普段気にもしていなかったことに気づけない、そういう己の情けなさ、というものを、強く感じたようでした。
というよりも、それを感じていたからこそ、やはり見なければいけない、と思い、テレビ買いに行け、ということだったようです。
これって、じゃあ重たいテレビを買って運んでくるわよ、ふん! と内心ぷんぷんしていた私に、「先に」その心のうちをちゃんと話してくれれば^^、ぜんぜん違う気持ちだったのに^^って思うんですけれどね、この人、絶対に先に私にそれを言わないんですよね。
だから、いつもね、「なんか、あたしの守護霊さんみたいだよね。」って言うわけなんですよ^^。
なんでそんな必要が? 的なことを、「説明なしに」言い出すことが、あまりにも多くて、辟易することも^^多々あるんですけれど、「それぐらい、自分で気がつけよ」ということなんだそうです。
ちなみに、「気づき」というものの本質、また、われわれを手助けしてくださっているガイドさん的存在も、みなさん、全員、これです。
生きてる人間にさえ、これやられちゃうと^^厳しいものがありますけれども、しかしながら、何事も反発心で対抗せずに、自分にできなくはないことをやっているうちに、ちゃんと「気づき」が出てくるものです。
それに、私がぷんぷんしていた理由の「重たい」テレビ、考えてみればほとんど自分で運びませんでしたし(タクシーに乗るまでは、ヨドバシの店員さんが運んでくれ、あとはうちのマンションの前まではタクシーが運んでくれ、私が運んだのは、自分ちの玄関ドアの前まで^^ですから)。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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