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2010年12月20日の記事のリスト

掃除はやっぱりおもしろいその弐

2010年12月20日 (月) 00 : 14
昨日に引き続き、やっぱり10年前くらいのものなんですが、いやまぁ、回顧録ってわけじゃないんですけれど、
「あたしって、けっこう昔は、神経質というのか、あたま使ってはいたのね・・・」
ってことが、こういうのを見ると、感じますね~~~ってもんが、見つかりまして。
(ほんとにオツムが弱くなっているのかも、もしかすると。今はこんなこと、まるで考えないもん^^)


週間小説という文芸誌(今もあるんでしょうか?)なんですが、その雑誌には「すぽっとらいと」というコーナーがあるのですが、2001年9月発行のその週間小説の「すぽっとらいと」に私のエッセイが掲載されたことがあったのですね。

すでに読まないであろう本やら雑誌やら小説やらを、ばんばん捨てている時に、「あら~、この付箋は?」と^^その時に掲載されたエッセイを見つけました。


転載してみますね。
(なんかこう、自分掘り起こしネタが続いてしまって、すみません。石オタになる前は、こういう感じの人間だったのね・・・ってことで^^)


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「言葉が、逃げないうちに。」


この曲に歌詞つけてね、お願い。
と、渡されるメロディー入りのデモ音源を初めて紐解く時の勇気、緊張感というのは、作詞を始めた何年も前と今もあまり変わらない。
まだ言葉を持たないひとつの完結したメロディーを初めて聴く時、行き先の定まらない荒野を一人とぼとぼ歩くような孤独感を覚えることがある。
メロディーにいちばんふさわしい言葉とは何か、そのメロディーが表現しようとしている世界、テーマを際立たせるために、どこのフレーズにどの言葉を持ってくれば耳に残る楽曲となるのか。
それを、曲を聴いて探して「あ、これだ」という発見を限られた時間の中で行わねばならない使命感に焦る心。
しかしその苦労の中で仕上げた歌詞が、必ずしも出来のいい我が子とは限らず、底浅な自己完結の小宇宙を構築しているに過ぎないことも、ままある。
歌の歌詞っていうのは、創った人間の魂のセンスを、なぜだか見事なまでに姿かたちにしてしまうので、やっかいなのだ。
粋がって、一見ギミックなセンテンスをちりばめていても、どこかに共感できて且つ印象に残る「キメ」が足りないと、その中途半端な食い足りなさはごまかせない。
歌になると、しっかり露見する。
なんちゃってな歌詞は、自分のものでも他人が作ったものでも、聴いてるのが恥ずかしくなる。
妙な自分の思いいれとか感情というのは、多少割り引いて歌詞にしたほうがうまくいく、というのが、経験則による私の作詞持論。
悲しいかな、自分がこだわるワン・フレーズこそが、案外、曲全体を壊している場合もあるのだ。
歌の言葉は、鮮度のいい、しかもどこかの部分で真実の響きを持った普遍性がないと。
そして、ひとつのメロディーから誘発されるそんな言葉たちが逃げないうちに、歌詞全体を仕上げ、この世に幸せな楽曲は誕生する。
それを極上のボーカリストに表現してもらえる確率といえば・・・宝くじ高額当選のような気の遠さ。
そのトホホ状況の中で「自分は当たるはず」と信じることができる才能、それこそが必須の才能なのかもしれない。

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う~~~~ん、う~~~~ん、
これってば、石の世界にも、思いっきり通じるものがあるなぁ・・・。
こんなこと、書いてたんだ~~~~~~~~~、って、読んだ時に思ってたんだけど^^、あれですよ、
石の組み合わせもおんなじですよ。


創造物には、創作する人の魂のセンスが現れるのは言うまでもないけれど、
「自分がこだわるワン・フレーズこそが、案外、曲全体を壊している」
これはさ、人生そのものな話ですよね^^。


人間て、強く握り締めている信条のようなものとか、非難していたり否定していたりした概念だとか、まぁ、なにかと「がっつり握り締めて」しまうことがあるんだけど、けっこうね、「いちばん大事にしていたもの」をあっさり捨ててみると、それこそが「ビンゴ!!」になることも多いんですよね。


歌の歌詞もね~~~、自分的に「捨てたくない言葉」のような、ここまでのものはもうでてこないんじゃないか、な、かっくいい表現見つけちゃうとね、もう絶対にそこに押し込みたくなるんですよ。それだけは外せない、だから、他をいじりだしちゃう。
でもね・・・結局、すんごいアンバランスになってまとまらなくなって、視点を変えざるを得なくなり、「ああ・・もったいない」と思いながら、こだわりの部分を捨てて、他の表現にしてみると、あら不思議、楽曲全体が良くなってる~~~・・・なことは、しょっちゅうでした。


石の組み合わせなんかも、そうなんですよ。
「これを主役にするつもりだったのに~~~~~」という、当初もくろみどおりの仕上がりとならないことは、自分の場合しょっちゅうです。
だけど、自分、石相手には我を通せないことをわかっているので^^、諦めます。
それはとても心地いい諦めです。


この十年前の自分が書いたものを読んでいて、
「ああ、頭でもわかっていたし、感覚的にはたぶんわかっていたんだろうな、当時の自分」
ということはわかりますが、それでも、がっつり、「肩に力が入っていた」んだな・・・ということがわかります。
これじゃ~、宝くじは当たりませんて^^。


人間、諦めが肝心なのです。
「どうにでもなれ。」と、「どうにかしなくちゃ。」の、他力と自力のさじ加減。
僅差のこのさじ加減が、人生を運んでゆくものなのだなぁ・・・。
年末にきて、しみじみ、思います。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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