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2010年11月06日の記事のリスト

執着を手ばなすということ

2010年11月06日 (土) 09 : 49
201011pct_7624ヒマラヤゴールドアゼツ

201011pct_7605スパイダーウェブ

こんなことは、あちこちで、もう、「基本」として言われていることですので、敢えて自分がなにかを語るまでもないようなことなんですが、メールのご返事を書いていてなんとなく思ったことです。
(まだ全員の方にはご返事できておりません。まだの方はも少し待っててくださいまし。いっぺんに送信できる同じ文面のメルマガじゃないですからね~^^)


よく、願望成就のためには、「執着を手放す」ことが大事といわれますし、自分もそのとおりだな、って感じます。
たとえば、病気を治したいのであれば、「病気である状態に執着しない」ということ。
治りたいわけですから、執着なんかしていない、って、表面的には思いますよね。
しかし、治りたいからなんとかならんだろうか、と思い、あらゆる「治る方法」を画策しているあいだは、治らない・・・わけです。
病気の自分がいやでいやでしょうがないうちは、病気って治らないんですよね。
ここでは、だから、「自分が治った状態であれば、どうなのか」という、すでに治っていることが実現していることを想像する、などというのも、病気治しの方法としてよく言われます。(いわばこれはアフォーメーションですね)


前回の記事で、「婚活ブレス」について、触れましたけれど^^、
あれなんですよね、こういうタイプの石ブレスの難儀なところは、そういうものを手にすることによって、本来ならば、ご本人が「もっとその手前でしなくてはならないこと」を先送りさせてしまうかもしれない^^、という注意点があります。
願望成就ツールの類は、すべて、そうかもしれません。
実際、結婚なんかは、個人的に感じることですが、結婚したいしたいと心の中で熱望しているヒトや、結婚したいのに、どうでもいい「ふり」に走ってクールを装うヒトなどよりも、「結婚してもしなくても、どちらでもいい」境地にいるヒト、に、縁がめぐってきやすいもの、であるように思います。
(これは、「子宝」なども、近いかな・・・)


自分は昔はよく、「石は順を追って持つといいよ」と、直接的にはお伝えしていないかもしれませんが(なぜなら、それは、私個人の感覚で、余計な先入観や思い込みを植え付けてしまう要因ともなりかねないですし、余計なお節介とも言えますし)ブログのそこここで、わりと、それはお伝えしてきたようにも思います。
アゼツライトなんてものが、市場に出回るようになってから、もうずいぶんになりますけれど、自分が手にしたのなんて、つい、三つきほど前ですからね。
パワーストーンと呼ばれるものを、生業としている者としては^^、いささか遅いんですけれど、こういうのは、自分のその上記の感覚的なものが手伝って、まわりの石にも意見を聞いて^^、もちろん現実的な財政事情とも相談しながら決めていることです。


個人的には、ホワイトのアゼツライトがわからない方には、「水晶」を、まずおすすめします。
水晶の力って、凄い^^です。別にアゼツライトでなくてもいいように思います。
このありふれた鉱物、水晶の力を、感じ取れるようになってから、アゼツライトへいくと、わかります^^。


お写真の一枚目は、先月入手した、ゴールデンアゼツライト、ヒマラヤゴールドアゼツライト、という、鉱物的にはいわゆる「シトリン」です。
自分のお試しとして、現在、別途ですね、このお写真にもあるペントップのタイプのものを、ここ数日身につけています。
今回は、少ロットでもギャランティカードをつけてくれるお店さんで入手しました。
なんか、ギャランティ・カードの、ヒマラヤゴールドアゼツのほうは、日本語表記となっているところが泣けますね^^。
前にもお話したけれど、ヘミシンクもそうなんですが(「体外への旅」の日本語バージョンがある、って話)、日本人にはやはりDNAの中に、ぁゃしいと言われながらも「スピリチュアルもの」に心酔する傾向があるのでしょうね。
たぶん、アゼツライトもお膝元の本国よりも日本のほうがウケてる(受け入れている、とも言う)んじゃないかな~、って前にも書いたけれど、その感に間違いないような気がします。


はじめて入手したホワイトのアゼツライトよりも、ヒマラヤゴールドアゼツのほうが、マイルドです^^。(けっこう石そのものは大きいペントップですが)
ゴールデンアゼツライトについてはまだわかりませんが、手にとった感じだと、やっぱり、アゼツに限らず、石って、丸玉状態のほうが、より石のエネルギーを強力化する傾向はあるかもしれません。たぶんこのちいさい丸玉と、ペントップ原石くらいで、エネルギー的には等価のようにも感じます。


自分はもともと、シトリンもそうですが、金色や、黄色の石のエネルギーが、個人的に、ものすごく好きです。
すっごいぎらぎらのルチルクォーツでも、石酔いしません。すぐに馴染みます。
そういうことも影響しているのかもしれません。
なので、このタイプのアゼツへ行く前におすすめするとしたら^^、やはり、シトリンやゴールドルチルクォーツなど、金色、黄色系の石のエネルギーというものを、先に知っていると、たぶんスムーズなんじゃないかな、って、個人的には思います。


二枚目のお写真は、「スパイダーウェブ・オブシディアンと、ブラックアクアオーラ、ブラッククォーツ(照射黒水晶)」。
本日、起き抜けに制作したばかり。
これは・・・・・・・・・完璧です^^。
久々に、これは、For Me、ということで、自分の作りたいものを作る、という感じで作ったんですが^^、思わず「グッジョブ。この自分の両手♪」と言ってしまいそうになりました。
今の自分に足りていないものの筆頭であるバイタリティを、すべてひっぱりだして補ってくれそうです。
スパイダーウェブ・オブシディアンというのは、近年出回るニュータイプのオブシディアンの中のレア系。
メキシコで産出するそうですが、このわずかに青みがかったグレー混じりの母体にオブシディアン特有のシーン効果、くもの巣模様がたまりません。
(写真だとわかりづらいですね^^。もしお品にすることが決定したら、その時は、写真、がんばります。お写真で表現するのがすんごく難しい色合い、質感ですね・・・。どうしてこういう石ばかり入手しちゃうんだろう(泣))


前々からなんとなく個人的に思っていたことなんですが、前述のアゼツライトの販売元のR.シモンズさんの自分好みである点はですね、「黒い石」への洞察に優れていらっしゃる点です。
黒石フリークの自分としては^^、「あ、こりゃ、同意見だな」というのが多いです。
オブシディアンを単なる魔除けだの、ストーカー除けだのと^^、「やっかいばらいのための石」みたいに扱っていらっしゃらないところに、シンパシィを感じる部分はありました^^。
だからといって、心酔して、天国と地球社さんからの仕入れ一辺倒となる「専門店」化、していこうって気はないですよ。
そういうお店さんは、溢れています。
自分はそういうお店さんから粒売りでちまちまと仕入れて(みなさんと同じですよ)ちまちま、だから少しずつしか作れませんが、自分ができる最良のかたちのアクセサリにしていこう、ってくらいです。
(シルバーワイヤーラップのペンダント、ってよく見かけますが、はじめて入手したけれど、これじたいは正直言って「ちゃっちい」作りです^^。美観的に・・・許されるかたちにしたいです、自分個人は。なんかこう、「飾る」必要はないのかもしれないけれど、モノさえよけりゃそれでいい、というところまで突き抜けている^^方にはまぁ、いいのかもしれませんが。そういう方は、専門店さんか、今だったら本国サイトで円高ですから、直接お買い求めになられてもいいのかも)
たとえば、そういった、「高波動」が謳われるストーンでないと、存在の意味がないのか、っていえば、違いますもん。
天国と地球社さんの本国サイトなんかを覗きにいかれるとわかりますよ。
売っているのは、アゼツライト関連だけではありませんし、アゼツライトがあればそれでオール・オッケーではありませんからね。


さて、本題の「執着を手ばなすこと」なんですが。
アクセサリの発送作業がほぼ終了の状態となってきましたので、お得意の「早朝、明治神宮」へ。


すがすがしい参道を歩く自分のはずですが、気持ちはあんまりすがすがしくもなかったんです、正直言って。
別に今に始まったことでもないんですけれど、こう、生きてくってめんどくさいよな~、って^^そういう思いが渦巻いていたように思います。
毎月毎月、生活や生活を支えるための収支計算なんかも無視できず^^、石といっしょに夢の中では生きてはいけません。
そんなあたしに、ヒマラヤゴールドアゼツの、ゴールドの光の降下現象など、起きるわけがないわな~と考えていました。
腕には、先月お出しした、「ニッチLIFE」(写真がいまいちくんなので、ちろっと遠慮がちにおすすめはしていたけれど^^グリーンゴールドのアパタイトがまぢお気に入りなんです)と、「ウランガラス&ブルーオーラ&ギベオン&ヒマラヤ水晶(タイトル忘れた^^)」、「糸魚川翡翠もの(こっちではお出ししていない)」、「宇宙意識」(これ、結局ほぼ一年中身につけてますね)それから、「ハイパー・メディテーション」。


本道へ向かう時、明治神宮の警備員さんに、足止めされました。
明治時宮の神職につかれる神官のみなさんが、隊列をなされて、20名くらいいらっしゃったでしょうか、明治記念館のほうへだと思うのですが、参道を移動されるところでした。
参道の端に寄って、その姿を見送っている時、ふいに、こみあげてくるものがありました。


神事が世事(仕事)であることが、公に認められている、人々。その姿。
私は、それが羨ましかったのでした。
だから、悔し涙、っていうんでしょうか。


自分のやっていることは、どんなに自分が言葉で修飾しようと、実際の見た目には、そうではないかもしれない。結果的には、ただの商売にしか映らないだろうし、実際にそうだ。商売としてなりたつことが大前提でしか、やっていけない。
はたから見て、誰が見てもそうである、という、明治神宮の神官さんたちのような、バックボーン、折り紙つきの立ち位置を持っているわけでもない。
その「立場」として存在証明できるための、道のりを歩いてきているわけではなく、結局どこまでいったって現実は「普通の、あくせくと、働かなければならない日常である、一般的凡夫」なのだという、それをどこかで卑下する感覚が、自分の中にあったのだろうと思います。


そして、それと同時に、「あなたも彼らと同じだよ。彼らと姿かたちは違うけれど、やっている仕事は神事なのだよ。自分を信じなさい」という声(実際には声ではなく、感覚、でしょうか)を聞いたような気がしました。
これは、「プラス思考を自分に無理強い」する感覚であるなら、それと自分でわかりますので、明らかに違っていました。
(そもそも、自分は、プラス思考を無理にひねくりだすことが、もともとシュミではないので^^、実像としては、決して褒められたような聖人君子タイプではなく、切れればそこそこ怒りもしますし、決して菩薩なエネルギーに満ち溢れた人間ではありません)


そういった「マイナス噴出→プラス勃発への変容感覚」が、あたたかい涙とともに、すっと「顕れて、消えて」いったこと。
そのスピーディーさに、あっけにとられるくらいでした^^。
おお、これぞ、スーパーシトリン。
ヒマラヤ・ゴールド・アゼツの、金色の光の力かもしれません^^。


ところで、誤解していただきたくないのですが、シトリンや、こういったヒマラヤ・ゴールド・アゼツライトなどの、第一チャクラから第三チャクラへのエネルギー循環を促すようなタイプの石たちが目指すところは、「落ち込むこと、いやな現象を、目の前から、なくす」ということではないですよ。
どんなに、どろどろの感情の手離れがいい石、とはいえ、
必ず、「いったん受け入れ、手ばなす」ことが必要なのだと思われます。
受け入れることなしに、手ばなすことは、宇宙のルール上、やっぱりできないんだろうと思います。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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