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2010年10月09日の記事のリスト

守護霊リサーチ 其の弐

2010年10月09日 (土) 20 : 26
昨日の続きです。
あのあと、以下の、「守護霊様からのメッセージ」というものに続いておりました。
以下に転載します。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


守護霊様からのメッセージです。



「心の傷になるような過去の出来事や、なかなか抜け出せない過去のネガティブな思いを持つような人は、今の世の中まだたくさんいることは事実ではありますが、そのようなことを乗り越え、糧として転機になったきっかけとして、心の中にてポジティブなものへと置き換えることにより、その後の人生に紆余曲折はあっても、光の道である自分や周囲の人が幸せになる道を歩み続けることができれば、その人の人生は結果的に今幸せに満ち溢れているポジティブな道を歩んでいることになります。過去を捨てるということ、思い出を消すということは決してできることではなく、たとえ顕在意識でそうしたつもりでいても、魂の記憶ではしっかりと残っているわけで、それが潜在意識や無意識の中では、はっきりと覚えているものなのです。
そのような過去の経験を、たとえそのときはネガティブに感じていても、その後にポジティブなエネルギーに置き換えて受容すれば、必要な経験であり学びのための貴重な経験であったと、魂においても顕在意識においても記憶していて、そのようなポジティブな形で置き換えられ、更なる魂向上のための糧となるのです。
今を生きること、明日を夢見ることは、エネルギーが高まり続けているこの時期だからこそ大切なことで、後ろを振り返るなとは言いませんが、後ろを振り返りすぎて後戻りしたり、こだわりすぎたりすることは極力避け、そういったすべての必要な経験をもとに反省し、ポジティブに活用し、それを今、そして明日以降への光の道を歩むための糧とすることは大切であるということです。」



「月を見てその月のエネルギーに癒され、月を見ながら沸きあがってくる直感的なものやインスピレーションは、あなたにとってとても大切なものであり、魂と月との深いつながりから与えられている素敵な贈り物でもあります。大きく夢を膨らませているときにも疲れきっていたりネガティブな思いでいたりするときにも、月とのつながりを大切にし、月に対して敬意を表し愛をめぐらせることによって、より癒されよりたくさんの必要なエネルギーやインスピレーションを与えられます。」



「よそ行きの服装と、ナチュラルな感覚による自分自身が楽しむための服装と、本来その二つを大きく使い分けることなく、実際は常にナチュラルな感覚による服装を身につけ、服装のみならず、心もナチュラルな中で軽やかに安らかに柔らかく過ごすことが、本来は波動を高めるためにとても必要なことで、時には気を張りすぎても、気を張り詰めすぎて疲れ果てるようなことはできるだけ選択せず、気を張りつめている時間以上に、気を安らげる時間を保つよう、意識的に安らぎの時間を更により多くとるようにするだけで、心身ともにとてもリラックスでき安らかな幸せな思いに包まれていきます。」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


以上で、守護霊リサーチの転載、終了です^^。



自分がこちらが先月の29日に届いたときに、「きょとん」そして「違和感」を感じてしまったのは、おそらく、先入観です。
「イギリス?」
という、縁もゆかりも気にしたことも^^ないような国で、「修道女」をなさっておられた外国人女性としての経験を最後に、もう人間としては生まれ直す必要なく、おそらくその後、霊界にて修行を積まれて、守護霊様として、存在されている方である・・・ということ。
300年から400年前くらいのご先祖様が柱としての守護霊様になる、という話は聞いていたことがありましたので、自分は「日本人として生きておられた方の霊魂」という感覚でおりました^^。
ただ、輪廻転生の概念でいくと、「日本人はずっと日本人のまま」ということじたいが不自然なわけですので^^、守護霊様が最後に人間を経験されたのが、日本じゃなかった・・・ということは、自分にとっては、考えてみれば^^なんら無問題なんですが。


自分は、キリスト教、というものは、よく知りません。
教会へ足を運んだこともないし、実際の宗教としてのキリスト教については、まったくの門外漢です。
ただ、過去記事にもなんどか書いているし、時々、新約聖書の中の言葉やエピソード、イエス様のものの考え方(きっと、こういうことなんだろう、と想像しているだけですが)そのものは、「すっと入ってくる」部分がある・・・というのは、なるほど、そういうことなのか。とは思いました。


に、してもですね・・・・・・・^^。
なんか、へこみましたね。
守護霊様が最後に人間としての生涯を送られた時のことを想像すると、「ううむ。300年を経て、生まれてきた自分は、恐ろしくかけ離れているではないか。それに、もう、その当時の様相だけでも、天国的様相を呈している・・・。そんな方でさえ、300年経過して、このような人間の守護などということを、まだしていかなければならないなんて・・・。申し訳ないし、荷が重いかも。だいたい、あたし自身は結局のところは、他人様への「奉仕オンリー」の人生を、本当に100%望んじゃいないのだ」
という、自己の薄汚い部分が、浮き彫りになったような気もしました。



一番めのメッセージを読んでも、最初は、
「あれなんだよな~。高次の霊的存在になってしまうと、とてもシンプルすぎるというのか^^、結局、「ポジティブ」への変容・・・としか、言い様がないんだよなぁ。これ、なんか、スピリチュアル世界の「一般論」だよな。」
というふうに感じましたし、
いちばん最初のメッセージについては、「うんうん、自分は、そういう風に、ようやく考えられるようになって、そうやってきた、「糧」や「転機のきっかけ」として、感謝で捉えてきたつもりではいたけれど、げっっ。もしかして、それでもまだ、どっかに「心の傷」があるの? しかも、自分では気がついていなくても、まだ受容できていない何かがあるの??? それは、かなりしんどいなぁ。」
と、「ネガティブ・モード」に入っちゃったんですよ^^。


「ないものさがし」じゃありませんが^^、「ない地獄を作るのは、自分の思い」とは言いますが、励まされているはずなのに、ぜんぜんそう思えなかったんですよね。
つまり、自分の傷を癒したくて、傷の自覚があって、というところを、越えてきて、時間が経過していたつもりだったのに、「ほら、まだ、本当はここに」って、その肝心の「ありか」を伝えられずに、忠告されているようなもん^^ですからね。
なのに、最後に「後ろを振り返るな」はないだろうよ・・・^^。って、思いましたよ。


・・・と、その時は感じたのが、正直なところです。
しかしですね、後日・・・わかった、というわけでもないのですが、「ああ、なるほど。こういうことかも。」な部分に気づきました。
というか、気づかざるを得ないようなことが勃発しました^^。
「自分は、自分自身の、やらかしてきたことへの反省や、してきたことの大間違いや、まぁ、そういうことへの反省、内省、などは、まぁ・・・すべての行為に対しては、たぶん無理ですが、それが、「自分の蒔いた種」であることがわかることに関しては、「蒔く種」を変えていこう・・・と、なんとか、そのへんはやれてきている面は、昔よりは、増えてはいると思います。
で、「おお、すべて、いいことも悪いことも、みな鏡であった。。。」ということが、骨の髄まで染みてわかるようになった、と思っていたのですが、
それが可能なのは、あくまでも、「自分が能動的であろうが、消極的であろうが、自分の蒔いた種」なので、比較的、やりやすいわけです。


自分が100%蒔いた種・・・とは言えない世界・・・については、自分は、置き去りにしていたかもしれないな、と。
つまりそれは、いわば、幼少時代というのか、早い話が、幼少期のトラウマ、などと世間では言われているやつです。
その部分で、未解決、棚上げ、美化、でもなんでもいいのですが^^、している部分、そして、それを少なくとも、どう「糧」として捉えているのか・・・は、自分でもたしかに「謎」ではあったのです^^。


しかし、そこに向き合わざるを得ない機会が、実はもう、すぐにやってきますので、なんらかの「癒し」を、自分自身にも、そして、関わってきた人たちにも、もたらされるように・・・行動しよう・・・とは考えてはおりますが。


そして、気がついたのですが、たしかに、世の中には、圧倒的に「自分が100%蒔いた種とは言いがたい」世界で、苦しんでいる方のほうが、大勢いらっしゃいますよね。
紐解いていけば、結局のところは、大きな目で見れば「宇宙が用意していた、機会」であり、感謝の側面は必ず見出せるはずなのですが、それでも、今生きている人間にとっては、それはあまりにも「冷酷に映る」ことや、「理不尽」「無念」の類のことも多いです。


守護霊様は、もちろん、私自身に伝えてくださった内容でもあるのですが、
多くの方に、ただポジティブ、ポジティブ、とけしかけるのではなく、「心の痛みを越えたところにある世界」に、霊的に大きな価値があるからこそ、
そうメッセージされたんじゃないかしら、と。
(私が、ここに、掲載するわけですし^^)



今の時代、アセンション情報などもしかり、「意図すること」や「自己を信じること」、そして内的宇宙とのコンタクト(いわゆる自分の中に住まわれる神、ハイアーセルフ、などなどの次元的には見えない存在)など、わりと容易に人が高次エネルギーを扱えるようになったり、高次の存在と繋がってみたり、などの夢のある(?)話も多いですが、自分が思うに、そういうことができるようになることと、「霊的成長」は、リンクしている面は少ないように思います。


おそらく、守護霊様がおっしゃいたかったのは、そういうことなのかな。
「許しがたきを許し、相手のために祈る」
守護霊様自身が、それをやってこられた方であり、イエス様も、十字架上でそれをやり、ひつくの神様は「アクを排除するのではなく、抱き参らせる」ことが、「岩戸びらき(これを、アセンションや、2012年に結び付けて考えておられる面々も多いですが)」の「鍵」とおっしゃっています。
これは、本当に、人格のできた方でなければ、そう行動できません。。。
そして、顕在意識では、「許しがたき」とは実際まったく感じてもいないのに、もしかしたら、自分の中に、そういう残骸があるのかもしれない・・・というのを、しっかり見定めようと思っています。


ということで、一番めのメッセージについてだけで、これだけ長くなってしまいましたので^^、二番め以降については、また次回に。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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