ソフトが治り、出品完了しました!!
現在、こちらから、ご覧になっていただけますので、今回後手後手になってしまって、本当にわけわからずなご迷惑をおかけしちゃいましたが、いっぱいあります^^ので、ご覧になってくださいね。
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「ヤフーオークション希望落札価格販売」該当ページ(出品作品一覧の販売ページです)
アクセサリ掲載ページ
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そうそう、昨月お話していた「守護霊リサーチ」なんですけれど、アセンション・スペース シューリエさんから、9月29日の出品前のばたばた時(ばたばた用意していたわりには、今回、それがなんの役にも立たず^^というお間抜けさだったんですが)に、報告が到着しました。
・・・正直、「きょとん」それから「違和感」が走りまして^^。
ううう、なんだこの、受け付けない感じは・・・・・・・・・・と、なっていたんです。
しかしね、一日半くらいたって、自己リーディングしてみると、色々なものが見えてきて、で、やはりお会いしたこともないけれど、なんとなく「魂で繋がっている」一蓮托生な存在かも・・・というか、実は、当然「守護霊様」なので、ご守護いただいているのは事実であり、こんな見たこともない人間を(って、向こうからは見えてるわけなんですが)無報酬で日夜ご支援いただいているのは実際のところなのですが、ワタシが個人的に感じたのは、そんな守護霊様が肉体を持って地上にいらっしゃた時に「できなかったこと」これが、肝だわな、ということでした。
当時守護霊様が生きておられた時代になさっていたことだけを表面的に知らされれば、あまりに、「え~~~~~・・・あたしには、そんなことは、とうていできない。というか、絶対、できない。」と思わされるような、奉仕の生き方を選び、実行されていた様子です。
なんかこう、「立派な親を超えることができない」へたすりゃ、コンプレックスに陥りそうな^^、そういう感じ。
しかしね、それは、その「立場」「肩書き」じゃないけれど、表面的に、守護霊様ご自身が当時お選びになった姿、スタイルであり、本質部分というのは、また別だ・・・ということを、なんとなく、胸のうちに知らされました。
守護霊様は、霊性が似ている人間の守護をされるそうですが、守護する人間に「自分と同じ生き方」をしてくれ、とは言いません。
まぁ、生きた時代が違いすぎますので、当時とは、いろいろ条件も違っていますからね。
むしろ、地上時代に、そこでは霊的学びとして得られなかった「プラスα」な学びを、「こいつなら、やってくれるだろう」という期待のもとに、支援してくださっている存在なのだろうと思います。
「守護霊リサーチ」、これは、決して悪いものではありません。
が。送られてくるメッセージに含まれる「真意」が、必ずしも、100%そこに文面で表現されてはいないように、自分は感じました。
それは、媒介となられる方の、人生経験やボギャブラリ、理解の範囲で表現されるものとなるからです。
人間同士でもそうですが、「これを言っても伝わらないな、ということがわかる人には、伝えない」でしょう?
なので、いただいたメッセージ、内容に対して、さらに自己の内面と照らし合わせて、自分自身で、そういう「書かれていないこと」を読み取ることをするのが肝要ではないかと感じました。
一般的な世の中でも、「霊能者によって言うことが違う」のは、つまりこういうことなのかもしれないな、という経験をさせてもらいました。
ただ、「自分の守護霊様」のことですから、守護霊様が霊能者さんには遠慮して言わなかったこと^^であっても、「張本人がいちばんよくわかるはず」なので、必ず気づくとは思います。
(このサポートに、ふふふ、自分のアクセの宣伝めいていて恐縮ですが、「ハイパー・メディテーション」にお役立ちいただきました。)
単純に、「うわ~、こんな人数のご支援が♪」とか、そういうことを喜んでもしょうがないし、数字で表される強弱部分や、平均、という部分に、惑わされないことが肝要かと思います。
文字通り受け止めてしまう方には、「なんの答えにもなっていない」かもしれませんので^^、やめておいたほうが無難かもしれません。
それと、こういうのを知ると、「霊界の支援が欲しいがゆえの意識」というものに、囚われる可能性もあります。
先祖供養や墓参りで運が良くなる、運がよくなるから良いことをしようという、見えない他存在に守られたい、意識です。
もちろん、ご先祖様を尊び、その命のリレーの結果に現在の生命をいただいているのは事実なので、報恩感謝の「思い」そのものは、すばらしいことです。
しかしながら、生きている人間、すでに生きているというだけでも、「守られて」おります。
過剰な「守られたい」もしくは、「守ってもらえなくなることへの、恐怖」ゆえに、今ある自己の個性に蓋してしまえば、本末転倒です。
文面は、また落ち着いたら掲載しようかな、って思います。
自分なりの解釈も、そこに加えたいと思いますので。
これを楽しみに待っておられた方は、そんなにはいらっしゃらないんじゃないかと^^思われますので、気長にお待ちくださいませ。
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・・・正直、「きょとん」それから「違和感」が走りまして^^。
ううう、なんだこの、受け付けない感じは・・・・・・・・・・と、なっていたんです。
しかしね、一日半くらいたって、自己リーディングしてみると、色々なものが見えてきて、で、やはりお会いしたこともないけれど、なんとなく「魂で繋がっている」一蓮托生な存在かも・・・というか、実は、当然「守護霊様」なので、ご守護いただいているのは事実であり、こんな見たこともない人間を(って、向こうからは見えてるわけなんですが)無報酬で日夜ご支援いただいているのは実際のところなのですが、ワタシが個人的に感じたのは、そんな守護霊様が肉体を持って地上にいらっしゃた時に「できなかったこと」これが、肝だわな、ということでした。
当時守護霊様が生きておられた時代になさっていたことだけを表面的に知らされれば、あまりに、「え~~~~~・・・あたしには、そんなことは、とうていできない。というか、絶対、できない。」と思わされるような、奉仕の生き方を選び、実行されていた様子です。
なんかこう、「立派な親を超えることができない」へたすりゃ、コンプレックスに陥りそうな^^、そういう感じ。
しかしね、それは、その「立場」「肩書き」じゃないけれど、表面的に、守護霊様ご自身が当時お選びになった姿、スタイルであり、本質部分というのは、また別だ・・・ということを、なんとなく、胸のうちに知らされました。
守護霊様は、霊性が似ている人間の守護をされるそうですが、守護する人間に「自分と同じ生き方」をしてくれ、とは言いません。
まぁ、生きた時代が違いすぎますので、当時とは、いろいろ条件も違っていますからね。
むしろ、地上時代に、そこでは霊的学びとして得られなかった「プラスα」な学びを、「こいつなら、やってくれるだろう」という期待のもとに、支援してくださっている存在なのだろうと思います。
「守護霊リサーチ」、これは、決して悪いものではありません。
が。送られてくるメッセージに含まれる「真意」が、必ずしも、100%そこに文面で表現されてはいないように、自分は感じました。
それは、媒介となられる方の、人生経験やボギャブラリ、理解の範囲で表現されるものとなるからです。
人間同士でもそうですが、「これを言っても伝わらないな、ということがわかる人には、伝えない」でしょう?
なので、いただいたメッセージ、内容に対して、さらに自己の内面と照らし合わせて、自分自身で、そういう「書かれていないこと」を読み取ることをするのが肝要ではないかと感じました。
一般的な世の中でも、「霊能者によって言うことが違う」のは、つまりこういうことなのかもしれないな、という経験をさせてもらいました。
ただ、「自分の守護霊様」のことですから、守護霊様が霊能者さんには遠慮して言わなかったこと^^であっても、「張本人がいちばんよくわかるはず」なので、必ず気づくとは思います。
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それと、こういうのを知ると、「霊界の支援が欲しいがゆえの意識」というものに、囚われる可能性もあります。
先祖供養や墓参りで運が良くなる、運がよくなるから良いことをしようという、見えない他存在に守られたい、意識です。
もちろん、ご先祖様を尊び、その命のリレーの結果に現在の生命をいただいているのは事実なので、報恩感謝の「思い」そのものは、すばらしいことです。
しかしながら、生きている人間、すでに生きているというだけでも、「守られて」おります。
過剰な「守られたい」もしくは、「守ってもらえなくなることへの、恐怖」ゆえに、今ある自己の個性に蓋してしまえば、本末転倒です。
文面は、また落ち着いたら掲載しようかな、って思います。
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