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宇宙意識、続きの続き。

2010年01月05日 (火) 08 : 53
「パワーか、フォースか」には、パワーへ至る道への方法論が書かれているわけではない、ということを、前記事でお伝えしたのですが、ハウツーは書かれてはおりませんが、「有用なツール」として、キネシオロジーについて書かれています。


これは、「顕在意識では知らなくても、身体は「真理」をわかっている」ということの顕れ、いわゆる、筋力の強弱によって、「対象となるモノ、コト」の真偽を知ることができる方法として紹介されています。
「Oリングテスト」なども、この範疇ですね。


難点があるとしたら、必ず「二人の人間が必要なこと」と、ひとりはキネシオロジーへの理解に長けた人間であること。
よく、「素人判断」って言葉がありますけれど、ある程度、専門家による指導を受けたほうがいい分野かもしれないです。


身体というのは、確かに、正直に反応します。
だから、「調子がよくない」だとか、「病気」というのは、精神の不調の顕れである・・・というふうに、よく言われるのですが、身体は、単純に、「フォース」を受け付けたくない構造として、創造されているため、「フォース」の影響下では、力をなくす、ということのようです。
非常に私たちの身体は、「理にかなった」構造をしているわけです。


これも、思い出したことなんですが、
私は、先般の記事の、その「おぼこい事務員」だった時代、ものすごく身体が弱かったんです。
すごく疲れやすかったし、年に何度も何度も、風邪をひいていました。
長期連休などになると、「あ~、やっと長い休みだ~~~」という気の緩みから、必ず風邪を引いていたのですが、今思うと、あの頃の生き方、ものの見方、考え方は、どう見ても「フォースの影響下」以外の何者でもありませんでした。
すべてを、外部要因のせいにする。
自分のことを、幸福だとは、まったく思っていない。
なにもかもが、不平等で、理不尽に見えていました。
当然ですが、自分の恵まれた環境に対する、生かされている「感謝」の念など、あろうはずもなく。


これらが、私の生命エネルギーを奪っていたこと。


私が「もしかして、自分、風邪って、ぜんぜん引いてない?」「もしかして、自分、疲れた~~~~って、感じてない?」
という状態になってきたのは、本当に、近年のことです。
気づけば、そうです。


しかも、いわゆる傍目には「楽チンな座り仕事」であった、事務員時代よりも、自分の仕事は年々ハードになっていったのですが、身体能力じたいは、そのつど、高まっていったように思います。
なにしろ、最後には、「ず~っと、外回り」でしたし、暑い寒いはあったし、正直、つらいことはつらかったんですが、それでも、そのつらさから抵抗力を失い、病気になる・・・という図式には至らず。
むしろ、「なんで、こんなに丈夫になっちゃったんだろう? 貧乏暇なし、とは言うけどな^^」と思っていました。


私は、これは、「石のサポート力」とも感じていますが、おそらく、正確には、石という存在は、いつも言っていますが、「とにかく、神志向の存在」であり、いわゆる、穢れていない、個々の石の存在意義そのものを表現しているような存在のため、いやがおうにも、身につけていると、そういう志向を向かざるを得なくなってくる・・・その結果、おそらく少しだけなのかもしれませんが、「フォースの領域」から、「パワーの領域」のエネルギーを持たせてもらえるようになっているのかもしれないな・・・と感じます。


だから、同じ石を持っても、人によってスタート地点、人生の課題が違っていたりもするので、同じようにエネルギー・アップ、ということにはならないのですが(この世で言う、「道が開かれた」り、「運が良くなった」りということも、そこで説明できるかな、と思いました)「パワーストーンなんて。けっ。」とまではいかないまでも、半心半疑だったり、意欲がそもそもない「他力頼み」「あわよくば」のネガティブ・アクションの場合には、あまり「効果」が顕現されないのも、そのためでしょうか。


モノゴトなんでもそうですが、「自分を信じる」人のほうが、「自分を信じない」人よりも、はるかに実現力が高いです。
自分を信じる、というエネルギーは、ポジティブで、「パワー」ですから。


ちなみに、キネシオロジー、うちの相方に協力してもらって、やってみましたが、
「うわ~、本当だ~」と、Oリングなどもそうですけれど、見事に、「筋肉に力が入る時」と「入らない時」がありまして、「そうか・・・・これは、そうなんだ・・・・・」とわかることも確かですが、質問のしかたが重要です。
まず、「今、現時点」のことにポイントを絞ることと、「Yes、No」で答えが出ることでないと、たとえば、「こうしていけば、幸福になれるか?」的な、「幸福像そのものが抽象的」な場合には、反応がにぶい気がしました。
「うまくいく」というのも、同じでした。
「うまくいく」の定義が、身体が知っている「宇宙真理」と、自分が思っている像にズレがありそうなものには、答えが見つかりにくいかもしれません。
これは、世に溢れる「占い」そして、おなじみ、「パワーストーンの意味」なんかでも、同じことが言えますけれどね。


自分、今回の「宇宙意識」の石組みについても、聞いてみました。
自分が書いたことが正しかったのかどうか? つまり、「書かれているサポートをする石組みなのか?」って質問^^。
ちょっぴり、聞くのが怖かったです、正直。
答えは、「Yes」でした。
つまり、筋肉に力が入り、腕が下がらない状態。


これからは、自分の作る石組みは、すべてこのキネシオロジー・テストを通過させるつもりです。


たとえばうちの石アクセサリのご購入をご検討いただけるみなさんにも、
「ここに書かれている石アクセサリのサポートする内容は、真実か」
「これは自分に、今、必要か」
などの判断に、このキネシオロジーを使う、ということは、有用かもと思われます。


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宇宙意識、続き。

2010年01月05日 (火) 06 : 47
時々、疑問になっていたことだったんですが、
「なぜ、身魂磨きをする必要があるのか?」
そして、
「なぜ、より善きとならなくてはならんのか?」
ということが、不明瞭となることも、ままありました。


そして、それは、これからもあると思うし、生きる限り、自分の中に住まう、善神悪神に、あっちへひっぱられ、こっちへひっぱられ、ということは避けられないのだろうな、と思います。


大神目線となれば、「善も悪もない」のだそうです。
ひつくの神様は、「この方、悪がかわいいのだぞ」とおっしゃっています。
そして、「存在するものは、すべて存在が許されているから存在する。」ので、人間目線で、あいつが悪い、こいつが悪い、なぜこんな悪が存在するのだ、と非難するでないぞ、と。
人間は、「罪をにくんで人をにくまず」と言いますが、大神目線では、人はもちろん、その「罪もにくまず」なんだそうです。


そして、「人は罪の子ではない、神の子、喜びの子」である、と、はっきりおっしゃっています。
だから、人間の持つ、恐怖心や、罪悪感へ訴える宗教や政治、というのは、ちがっとる、ということなのでしょう。


「パワーか、フォースか」を年末に読んで、
この時々、疑問に陥っていた、「なぜ、身魂磨きをする必要があるのか?」「なぜ、より善きとならなくてはならんのか?」の、時々疑問として浮上する謎の答えが、ここにあった! と感じました。
この本は、
「ではどうしたら、そうなれるのか」
なんてことは、書かれておりません。
それは、個々の人生の課題の中で、それぞれが探し、見つけ、自分で切り開いていくしかないのです。
だから、読後に、かえって自信喪失となる方もいらっしゃるかもしれません。


いわゆる、意識レベルをひとっとびに上げるためのハウツー本、というわけではない。
なので、ひふみ神示も、ひつくの神ご自身が「八通りに読める」「御魂相当に受け取れる」とおっしゃっているように、読む人によって、相当違って読める本・・・・・の代表ではないかと思いました。
方法提示がなされているわけではないため、人によっては、「ばからしい内容」と読めるかもしれないし、人間はなんであれ平等じゃなくてはおかしい、と本気で思っている人は「反発心」を抱くかもしれません。


私が、ここにあった! と感じた理由ですが、


この意識レベルを示す「数値」なんですが、これは単に、「理性」400のレベルが、「勇気」200のレベルの「2倍のパワー」ということではなく、対数、つまり「10×400乗」のパワー、だということです。
そら恐ろしいレベルです。
ほんの少しの、前進、意識レベル・ポイントの向上が、ものすごいパワー・アップとなるのです。


先月、「宇宙意識」の説明文を書いた時は、実は最後まで読んでいないにもかかわらず^^(すみません)「これは、おそらく「200」が、分岐点だな」と、なんとなく感じていたので、「200のところにいるかな、という方あたりから」と書いたんですが、この本の最後のほうにさしかかって、「200が、フォースから、パワーへの、分岐点」ということが書かれていました。
そして、「200未満」は、「フォース」の範疇で、いわゆる「破壊的力」のことを言うようです。


わかりやすくいうなれば、「フォース」は、便宜上、「悪らしきもの」の影響力の傘下にいる、ってことでしょうか。
生命力を奪い、人を人たらしめないように、誘導する力。
それが、フォース、ということだな。と。


つまり、へんな話、人間はどうしたって、「より善き」を目指したほうが、宇宙の理にかなった、行為である、ということ。
それだけ、フォースというのは、パワーには、かなわないんだそうです。
これは好む好まざるにかかわらず、そういう神仕組みが出来上がっているわけです。


でも、これだけじゃ、「じゃあ、自分はいいや、別に。生命力なくても。死んでも。」という発想にもなるかもしれませんが、それはまぁ、「自由意志」であり、「選択」なので、仕方がないかもしれません。
しかし、人生における経験の数々、仮にうまくいかないことや、辛酸の意味が、いったいどういうことなんだ? と、文句を言いたくなるのは、「本当は、そりゃ、幸福に生きられるなら、それに越したことはない」という、「希望の光」が、消えずに胸の奥に残っているからなんではないでしょうか。
このわずかな光が、内に住まう「神性」の正体であり、神性のはたらきかけ、であることは、明白だな。
と感じます。


神様をひとり、預かっているわけです。
心の中に。
神様だって、そりゃ、「生きて、活動したい」わけですから、せっかく生まれてきたのに、そのまま死なれてもなぁ、と思ってます。だから、気づけ~、気づけ~、と、繰り返し繰り返し、何度も何度も似たようなことで躓かせ、失敗させるんじゃないでしょうか。
「それをやってちゃ、あかんよ。」と。


そして、もうひとつの希望が。


「パワー」の人が、「ひとり」増えるだけでも、その人を取り巻く周囲のエネルギー・フィールドが変わる。
つまり、その「存在そのもの」が、この世界を救う「パワー」を持つわけです。
よく、あきらめ言葉として、自分も思っていたことがままあるのですが、「自分ひとりが善人になろうと無理したところで、焼け石に水」ということではなかったんだ・・・・・ということが、わかったこと。
というより、無理してでも^^、善を志向することを、あきらめないほうがいいです。


この本でいうところの「善」というのは、「モラリスト」であったり、いわゆる「この世の決まりをよく守る、いいこちゃん」のことではありません。
(それは、「ひふみ神示」や「聖書」なども、つまるところ同じ。そもそもの、悪の基準が違うので、「悪だと思っていない悪行」というものを、自分が繰り返してきたことに、気づける早道でもあり、「悪だと思っていたことが、善なのね・・・」というショックを受ける方もいらっしゃるかも)
「善」とは、人間が決定した、時代時代で変化していってしまう、法律や、コンセンサス、のことではない。
あくまでも、「宇宙意識」に根ざした、真理を実行していけることをいうようです。
そして、それは時として、「多勢の反発」を買うものです。
だからこそ、「勇気」が、分岐点となるのだろうと思いますが。



以下、もう一度、「意識マップ」のせておきます。(「パワーか、フォースか」デビッド・ホーキンズ著・エハン・デラヴィ訳(三五館)より)


神の視点    人生の視点    レベル    ログ      感情      プロセス


大いなる自己  存在そのもの   悟り   700~1000   表現不可能    純粋な意識


存在する全て   完全      平和     600      至福        啓蒙


一つに統合    完成      喜び     540      静穏        変身


愛のある     恩恵      愛      500      崇敬        啓示


賢い       意義      理性     400      理解        抽象


慈悲深い     円満      受容     350      許し        超越


霊感を与える   希望      意欲     310      楽天的       意図


権能を与える   満足      中立     250      信頼        開放


許認      実行可能     勇気     200      肯定        能力


無関心      要求     プライド    175      嘲笑        得意


執念       敵対      怒り     150      憎しみ       攻撃


否定       失望      欲望     125      切望       奴隷状態


刑罰      怯える      恐怖     100      心配       引っ込み


軽蔑       悲劇    深い悲しみ    75      後悔        落胆


非難       絶望     無感動     50      絶望感       放棄


復讐心      悪      罪悪感     30      非難        破壊


嫌悪       悲惨      恥      20      屈辱        排除





そうそう、「宇宙意識ブレスレット」なんですが、私が感じるのは、なんとなくですが、「これは、自己の内面(霊性)の向上のための人生であったことを知らずに生き、そういう人が、霊界に行ったときに見せられてびっくりするという「全人生のスクリーン」を、今、見せられている」ような感覚がします。
「なんで?」というくらい、「必要なこと」をすでに経験して、アドバイスをもらってたんじゃないか!!あの時!!!ってことが、それでわかります。


しかし、それは、恐れを伴って思い出されてくるものではなく、こういう言い方はどうなんだろう? と思いますが、「過去世を癒している」感じ、っていうんでしょうか。
癒されていなかった、未解決だった過去に置き去りにしていたこと、見ないように蓋をしていたことに直面しても、それをしっかり癒せる「強さ」を持って臨んでいる・・・つまり、「理解できる自分にようやくなれた」ことを、認識できる、ということでしょうか。

カコクセンナイト、「瞑想に優れた効果を発揮し、古くから「聖なる治療薬」としてさまざまな病気の時に用いられたとされ、また代謝機能を活発にする働きがあるといわれています。」というのが、おなじみ、八川シズエさんの著書、「パワーストーン百科全書」からの抜粋ですが、きっと、そういう石ですね。いい石です。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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