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2009年08月09日の記事のリスト

生きながらにして・・・・・

2009年08月09日 (日) 19 : 27
人は、「守護霊」となれるものなんだなぁ、と感心しきり。


なんの話かと言うとですね、ここのところ、巷を賑わしていたらしい、「のりぴー行方不明→警察出頭」の騒ぎでですね、私が呆気にとられてしまう・・・というか、言葉を失う事象、それは、昔の酒井さんがアイドルと呼ばれていた頃の親衛隊の方々の行動。


甲府だか、山梨のほうだと思うのですが、携帯電話の電源が一瞬入ったらしい場所の報道がなされるやいなや、その翌日には、そのかつての親衛隊の人々が、その地方に500人集結し、捜索を開始した、というではないですか。。。
中には、「カイシャ辞めて」それに加わった人もいたらしく。


で、のりぴー警察に出頭、逮捕後なんですけれど、なにやら警察には、そういったファンの人々の電話が殺到し、
「自分が、酒井さんの罪状を全部かぶるから、彼女を無罪放免してやってくれないか。」などの切実な懇願があるそうな。


こういう話を聞いて、単に、「人気者はすごいね」とか、アイドルはすごいね・・・の世界を超えたものを感じてしまう自分がいましてね。


先に捕まった身内のダンナですら、「妻もやっている」だの、「それは妻のだ(注射器のこと)」とか、わが身可愛さに、ゲロし放題の中ですね、「見ず知らずの、いわば、酒井さんが感知するところでない存在」の、いちファンが、彼女のやったことが悪いこと、法律違反であったことは承知で、その代償は自分が払うから」と、「のりぴーが何であれ、彼女の存在を全肯定する。しかも、別にそれをする義理もいわれもない赤の他人」なわけなのに、そういう行動に走る人々がいるわけです。
そして、その対価は、なんと、「彼女の無罪放免。今までどおり活動できるようにしてやって欲しい」なのです。
自分に、ああしてくれ、こうしてくれ、ではない・・・・。


これは、まるで、「守護霊」ではないですか。
生きながらにして、これができる人たちがいることに、あたしは、少なからず感動を憶えましてね。


でも、少し分かる気がします。
逮捕状を読み上げられ、間違いないか? と問われた時に、のりぴーは、「うん。」と答えたそうですが^^。
私は、自分はオンナですがね、前にも話したことあると思いますが、
「かわいいお嬢さん」が大好きなのです^^。


思わず、「うっっ、かわいいかも。」が、私の感想。
その場に居合わせた警察の方々も、まず脱力し、中には、その天然っぷりに、「やばい。かわいいかも。」と思った方も、いるんじゃないでしょうかね。
なんというか・・・・・・
いたづらが見つかって、しまった~~~!! の、子供そのもの、というか。
罪は罪として、日本の法律の上では罪なのかもしれないけれど、超えていますよね。


だからね、上記みたいな、生きながらの守護霊さんたちが、現れるんでしょうね。


客観的に見ると、生い立ちやら、ダンナのへ垂れやら、まぁ、家族というものには恵まれていない像がなきにしもあらず・・・なのかもしれませんが、きっと、トクベツな人、ってそういうハンデがあるんですよ。
でも、そのダンナの愛人さんに、お金渡して、しばらく預かってくれ、って、自分の子供を預けちゃうわけだから^^。
なんですかね~。
言葉で私らが、きちきちに表現する、器だの、愛だの、許しだの^^、そんなもの超越しているよね。


たぶん、そういうものが、異国の人々にも伝わるからなのかもしれません。
広くアジアで愛される日本人、しかも、逮捕状が出たらしい、ってことが、他国で新聞トップを飾るニホンジン。
そんな女性タレントは、かつていなかったそうですから。


追記:


ここで閉めちゃうと、本題の意味がなくなりますな、と思いまして。


あたしが感心した内容は、だからのりぴーがどうこう、っていう心象部分ではなくてですね、
守護霊さん、っていう存在の凄さ、その有難さのほうを、事例として言いたかったわけです。


だって、この親衛隊のような、無報酬で、だれかのためを願い、行動する、守護霊さんという存在は、生かされているどの人にもいるわけですからね。
なんら見返りを求めることなく。
守護する存在を、存在たらしめる、手助け、支援をしてくれる。
それはなぜかというと、守護する対象の魂の成長、活躍、そのものが、喜びであり、栄養源だから。
だから、相手が、気づいてくれなくても、感謝してくれなくても、それをやるのです。
よく考えると、これって、すごいことです。


のりぴーと、親衛隊さんたちの関係と、ちょっと似てますがな。


で、あたしが、まぁのりぴーなら、わかるな~、天然だもん。
と感じたのは、つまり、素直、ってこと。
「かわいく見せよう」とか、計算でやってることじゃないんだろうな、という、その屈託のなさ、というんでしょうか。
(これは、もう、天と地ほどの違いがありますよね)
自分の夫の愛人に、自分の子供を任せていける・・・・・これって、見方を変えると、子供に対して無責任、とか言い出す方ももちろんいるかもしれないけれど、その愛人さんも、しっかり、どこにも漏らさずに、10歳の子を預かってくれていましたよね。
ものすごく、微妙過ぎる関係性なのに、要するに、そこに素直に「信頼」があったんだと思うんですよ。。。
「子供も面識あるし、なついてたから、頼んだ」とか、普通の女性の感覚じゃあ、もう絶対言えそうにもない、理解があるとかないとか、許すとか許さないとか^^、別次元かな、と。


この世的には、彼女がやっていることは、普通の常識的範疇では理解を超えていると思うんです。


しかし、守護霊さんならぬ、親衛隊さんたちは、そういう部分をも飲み込み、全肯定してくれている。
しかも、罰は自分が引き受ける、の勢いで。
でも、きっと本当は、そんなことはできないことも、知っている。
天でも地でも、贖いは、肩代わりはできないんですよ。その本人にしか、できない。
はらはらと、見守ることしかできない。


で、実はそんな守護霊さんが、私たちの、どなたにも、いたりするわけですよ。
なんと心強い話でしょう・・・・・・・・・・・。


ということです。
そして、「生きながらにして」それができる人たちも、尊敬に値します。
でもそれをやっている当の人たちは、当然ながら、誰かに尊敬されたくてそんなことをしているのではなく、やりたいからやっている、つまり、無報酬の愛を体現しちゃっているんですな。
いやはや。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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