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2009年07月15日の記事のリスト

運も波も、順番に。

2009年07月15日 (水) 16 : 25
暑いですね~っ! 昨日に引き続き、更新。
梅雨明けたんだね~、とか、ほざいている場合じゃありませんね。
今日は、さきほど、鳩の森八幡さんへお参りにいってきたのですが、半端じゃなく、外は、すでに酷暑でした。


上着を脱いで、Yシャツの袖をまくったサラリーマンの姿が、一年前の外回りをしていた頃の自分にダブり、チャリを走らせながら、「夏の外回りは、あなどってはならぬ。本当に、猛吹雪よりも場合によっては、体力を消耗する」という、自分的教訓などを思い出し、あの頃、私を支えてくれていた石たちを、懐かしく思い。
人間、最後は、体力、生命力ですよ。なんといっても。
ゴタクは、そのあとだよな、と。


ここをお読みになられている、外回り系仕事を持つ旦那様をお持ちの奥様がいらっしゃったら、ほんっとぉぉぉに、ねぎらってあげてくださいね。
想像する以上に、スーツで、カバン持って、炎天下の外を歩く仕事は、仕事の中身がなんであれ、それ以前に、きついです。



ところで、表題ですけれど。
メールをいただいた方の話で、思い出した話なんだけど。


サーフィン、というやつなんですがね、これも、やっているヒトに聞くと、「へぇぇ」な知らない奥深い世界なんですが、あれってね、「いい波がきた時、その波に乗れるのは、ひとり」という、海の中のルールがあるんですね。
どうりで、どうして波に乗ってる人もいるのに、ぷかぷか波待ちの人も大勢いるんだろう? の謎が解けた記憶がありまして。


隣に波待ちしていた人が先に掴まえた波には、追従してはいけないんですね。
これはたぶん、サーファー同士の衝突事故を防ぐための、自然にできたルールなんでしょうな。
ボードの裏のフィンというのは、とても鋭利なので、あれ、確かに大けがのもとですし。
自分で波にまかれてぶつけて大けが小けがしているサーファーも、たしかにいますよね。


この昔聞いた話を思い出していて、まるで人生だわね、と。
そして、この「波」と、「運」は、よく似ているよな、と思いましてね。


私たちは、となりのヒトが掴まえた波を、羨ましく思ったり、その邪魔をしないほうが、いいんですよ^^。
先にいい波を掴まえたヒトの後姿を追い、「ああ、もう少し、タイミングが早ければ」とか、悔んだりしているうちに、実は次にすぐあとに来ていた「自分の波」を逃したり、するわけです。
そういう、「心まどわす外側の世界」に、振り回されていると、来ていたはずのタイミングに、今度は気づけなかったり。


来るか来ないかわからない、自分の波を、来る、と諦めない。
でも、「ああ、今日は来なかったな。」で、終るかもしれない。明日も、来ないかもしれない。
来たとしても、上手に乗れないかもしれない。
だけど今度こそ、うまく乗ってやる、と、ひたすら、忍耐強く波を待つ時間。


「運」の性質そのもの、かもしれませんね。


サーフィンにはまる人、って、とにかく、寝ても覚めても「海、海、海。」で、他のことは二の次というか、仕事はテキトウに、人間関係もテキトウに、とにかく、自分がサーフィンをし続けられる環境の死守をする^^というか。
そういう意味では、めちゃめちゃ「自分を大切に」生きているわけです。
だって、その、時間や体力や、ボードだのウエットスーツだのにかけるお金とかもそうなんだけど、ものすご~く、自身を活かすための世界に、自分そのものをつぎ込んでいるわけで。


で、こういうことをやっているヒトというのは、意外と、仕事なんかもテキトウ、と言いながら、うまくこなすわけです。
なんかね、別にそういう風になるためにサーフィンをやっているわけではないんでしょうけれど、海という自然にたったひとりで対峙する、そういうことを繰り返しているうちに、へんに勘が鋭くなっていってるのがわかるそうなんですね。
だから、物事にソツがなくなってくる、ということを言っていましたね。


こういうのは、あれなんですよね、じゃあ、勘が良くなりたいために、サーフィンやるか、っていうのではダメなんですよ^^。
そこに、そういう自我の目的が挟まれちゃうと、また違っちゃうんでしょうね。
「運が良くなりたくて、石を持つ」も、ちょっと、似たところがあるかな。


いったい、その現在の状況の、どこがどう「運が悪い」と、自分が感じているのか、その現実を作り上げている、起因する心の眼鏡を曇らせた状態では、漠然と、「運、運。」と、運を追い求めても、結局「いい波を、眺めているだけのヒト」、つまり、傍観者になっちゃうんですよね。


それにしても、この、サーフィン話は、
昔、自分には、そういった「何を置いても、これ!」的なものがなかった頃に聞いた話だったから、「へぇぇ」と同時に、そういうものがあることじたいが、とてもうらやましい話だよな、って思っていたんですよね。


今は、当時、「そういうものがあるって、うらやましいな。」と感じていた、精神的な空洞感のようなものは、自分にはないですが、それは、石に出会い、石アクセサリなんてものを作ることを覚え、その世界を、どんどん拡げていきたい、っていう、自分にとっての波乗りを見つけたから、なんだろうと思うけれど、そうなったらなったで、人間というのは、果てしない欲が生まれるもので、やっぱり「人生、これでいい。」的な、ところには落ち着いてはいない^^。


死ぬまで、ヒトは、波を待ち、波に乗り続ける。
そういうものなんだろうなぁ、って、今は思います。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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