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2009年01月19日の記事のリスト

悩める国際宝飾展

2009年01月19日 (月) 23 : 12
去年も書いたけれど、今年も「第二十回国際宝飾展 IJT2009」という、いわゆる宝飾業界の業者対象の「石買い付けの催し」が、1月21日から、東京ビッグサイトで開催される。5月には、神戸であるらしい。
今年も、インド人のおじさんが、招待状を送ってくれた。


こちらは、ジェム展や、ミネラル・ショーなんかと違って、小売りと卸が混在するごった煮状態ではなく、あくまでも「商売として、宝飾品を売る人間の、仕入れの場」らしい。
行ってないからわからないけれど、比率的には、「天然石<宝石」かな、と思う。
とにかく、ものすごい業者の数である。
原石の買い付けなんぞもできるようだが、ミネショのような、「個人が家に飾る標本」ってわけじゃない、と思う^^。たぶん。


去年は、ミネラルショーで散財しまくった翌月なんて、そんなお金もないし、東京ビッグサイトはりんかい線で高くて遠くておまけに寒いしな、ってことで、まぁ、色々な理由で行かなかった。
なんというか、社会見学的には、行ってもみてもいいかな、とも思ったが、なんとなく場違いな気がしたのだった。


そして、その「場違い」な感は、やっぱり、本年になっても継続中、というのが正直なところ^^。。。


おじさんから招待状が届く前に、IJTのサイトを調べてみて、まず、「ん?????」となってしまったのが、サイトに掲載されている「招待状の申し込み」記入欄(別に、実際には、誰でも入れるっちゃ、入れるのだ。申し込めば。)の「ご予算」である。
イチバン上の、1,000万円以上、っていうのはともかく、500万円以上~1000万円未満、300万円以上~500万円未満、100万円以上~300万円未満・・・・・そして、最後に「100万円未満」で、一括り、である^^。。。。


これは、こういうあたしみたいな、個人レベルのパワスト・アクセを扱う人間などは、はなから門前払い、みたいなもの。
あたしに限らず、個人レベルでも、いい石アクセサリを作るアーティストさんは、今や、ごちゃまんと存在するのが現状だけれど、いやはや、そこいらへんの「敷居の高さ」は、まだまだ「資本主義のルール」は、飛び越えさせようとしてはくれていない、ということかもしれない。
恐るべき、資本主義社会である^^。


なので、
今年も行くとしても、やっぱり、宝飾業界の人々を眺めに行く「社会見学」となろうことに変わりはない^^、ということが判明。

しかも、自分は行こうと思っていた日をお休みしようと目論んでいたのだが、先週、たまたまその目論んでいた日に限って、「抜けられない仕事」ができてしまったことが判明。
私の昼間の仕事など、はっきり言って、ほとんど不要不急の用事などあり得ない類のお気楽なものなのだけど、この、抜けられない仕事の場合に限ってのみ、代わりがいないため、他はいつ休んだとしてもこの日だけは休めない、という、いとめずらしき日なのだ。


こりゃ、行かなくてもいいよ、ってことかなぁ? と思い、
イシに聞いてみたところ、「どっちでもいい」そうである。
どうしても、そこで出会わなければならないイシは、特にない、ということだった。
本当に社会見学になりそうだ。。。


確かに、「宝石」というのは、すばらしい。その文字どおりだ。
ぐうの音も出ない美しさ。。。を、一見、持っていることは、確かだ。
よく「イシはヒトの心を狂わす」と言われるが・・・・これって、概ね、この「宝石」周辺の話かと思う^^。
人は、宝を奪い合う習性を持つのだ。
奪い合い、手にした人間の、虚栄心をたぶんに満たすだけの力を持つ。それが、宝石。
その、人の持つあらゆる欲望の喚起のネタ、商材。


案内を読むと、初日には、日本ジュエリーベストドレッサー賞の表彰式なんぞがあったり、毎日毎日、歴代のそんな方々をお招きしたレセプションパーティーが催され、「華ばなしさ」を持たせるための仕掛けは、用意されている。
去年も、笑っちゃったんだけど、いろいろな、宝石の売り上げアップのための戦略セミナーが毎日山のように開催される。
経営セッション、販売セッション、最新動向セッション、などに分かれて、景気低迷とともに、一見冷え切った真冬の宝飾業界の中で起こっている「二極化」の匂いを背後に感じさせるような内容のセミナーが多いな、という印象。
昨年はあった、天然石が分かる本の著者のセミナーは、今回は開催予定に入っていなかった。
「そのイシがホンモノかニセモノか?」っていうことと、「宝石の売り上げアップ」には、あまり関連性がなかったのかもしれない^^。


この、宝飾展の招待状を見ていて、私が感じる違和感というものがあるとしたら、・・・・・
「イシへの愛」を、あんまり感じないんだわな・・・・。
いや、たぶん、出展者さん個々には、それぞれの石へのこだわりもあり、石への愛情もあり、なのだろうとは思う。
それは、ミネラル・ショーなんかでも、見ていて同じコトが言える。
同じように、天然石を仕入れ、ビーズや原石を売っていても、その店ごとに、「同じ石種なのに、違う」ということがあるのだ。
そして、店毎に、石の性格というか、トーンが違う。これは、本当。
石を見慣れた人なら、なんとなくわかると思うが。
石ってのは、辿るルートまで選んでるのか? おい? と思うことも、しばしば。
でもって、必ずしも、品質にこだわってこだわって、みたいなお店の石ばかりが、いい石、とも限らなかったりもするし。


そしてもちろんの話だが、
宝石を愛している人、つまり宝石のエンドユーザーに、イシへの愛がない、というわけではない。
少なくとも、装飾品として、それを求める側には、あるだろう。
ちょっと買ってみるか、で、買える類の値段じゃないものね、いわゆる「店頭に並んだ宝石」というものは。
そこに愛がなきゃ、そんなお金は出せないだろう^^。
そして、美しいイシが、埋めてくれるもの、満たしてくれるもの・・・というものは、確かに、時として、そのお金には変えられないくらいの価値があったりすることもある。


よく、石アクセサリを作っている時に、自分は、しみじみ感じることがあるのだが、「エンドユーザー」つまり、最終的に手にする人、それがやっぱり、なんだかんだ言って、いちばん幸福だよな・・・ と思うのだ。
それが、宝石であれ、天然石であれ。


ただ、そこに動くお金が大きくなればなるほど、取引に関わる人間の欲望の挟み込まれる度合いや質の差というのかな、それが巨大でより猥雑になるため、その肝心の、「イシそのもの」から伝わってくるはずのものが、なんとなく遠いのだ。
それは、圧倒的に、天然石、という括りよりは、「宝石」レベルに関わる類の世界の空気のほうが、その、分厚い見えないブロック塀の密度があるように思う。。。
「売上高1,000億円への挑戦」だとか、「月商1,500万円の驚きの集客法」だとか、「10億円売るカリスマ販売員」だとか^^、この「カネにまつわる匂い」はどこかで嗅いだな・・・と、思い出してみたら、それは、昔々にいた会社、不動産業界であった^^。
あたしも、そういや、「一千万円プレイヤー」とかなんとか、そんなところで、競争馬のように営業マン同士、競争させられていたもんだった。。。
不動産とか宝石とか、人間の本能的な欲求に訴える類の、「限られた財産」めいたものには、その付加価値づけがしやすいため、売る側にも利がある分、売る方買う方双方の人の欲望が集まりやすい。


「愛するモノを売ることの難しさ」。
石の世界は、売る側の立場に立つ人間は、石を愛していようがいまいが、モノを売る、という意味での「現世でのまぼろしの競争」から逃れることができるわけではなく^^、より愛しているから=より売れる、でもない。
これは、宝石とは桁違いとはいえ、天然石だって、同じである。
というか、大きく括ってしまえば、石の世界に限らず、なかなかに、この世の仕事は、その情熱や思い入れと、数字というものが示す「業績」というものは、正比例しないもの。


それが、なぜか? を教えてくれるのが、石だったりもするのに^^、その石を売る人たちが、迷路にハマルこともあるのだ。


かの宝石たちは、どんな気持ちで、その人間模様を眺めているのか。
「ダイヤモンド ワールド」という、東京ビッグサイトの広大な敷地のダイヤモンド・ブースに行って、ダイヤモンドにちょっと質問してきてもいいかしら・・・?
とは思ってもいる。


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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