最後にまだ記事アップします~って、一日前に言ってたけど、よく考えてみると、今日って大晦日。
早かったな~。一年。
こんな感じの速さで、また来たる2009年も過ぎ去るんでしょうかね。
今日の自分は、アクセサリの梱包^^と、それから、例のごとく毎年恒例なんですが、新宿高島屋に年越しそば用の天ぷらを買いに行き、蕎麦を買い、それから、お年賀を調達。。。。。
と、本当に、毎年ほとんど変わらずの行動パターンですね、大晦日。
毎年変わらず、年の暮れには、年越し蕎麦をいただける・・・・。
なんて、幸福なのかと思います。
東京から人が消え、新宿界隈から人が消える、この年末年始。
私が一年の中で、都心に住んでいて良かった・・・ としみじみ、その静寂を味わえるのが、この大晦日。
車や人が少なくなった、この寂しげな、空気の澄んだ街が、とってもいいんですよ。。。
3が日は、日本一の参拝者の数を誇るといわれる明治神宮も、大晦日の日中は、参道も人は少なく。
(北参道のほうですけれどね。原宿側からは、いつだって人多し)
もうすでに、今年最終のお参りは日曜日に済ませておりましたが、ちろっと、顔出して来ました。
今年の自分は、本当に、誰に御礼を言えばいいのやら・・・ というくらい、みなさまに、石アクセサリのお引き合いをいただいて、も~う、めまぐるしく「これしかしてこなかったかも」なくらいに、たくさんの石アクセサリを作ってきました。
2008年に、10点以上、買ってくださった方に!!
なんて、ブログ発表しながらも、実は、今日昼間、せっせと、カウントさせていただいていたのですが、
途中から、なんだかね・・・ こみあげてくるものがありましたわ。
こんな得たいの知れない、どこの馬の骨ともわからない無名の石使いで、なんの資格があるわけでもなく、なにかのカミサマや天使と繋がっているわけでも、エネルギー・アチューンメントやら、チャネリングやら、そういった気の利いたスピ的小技があるわけでもなく、そして、なによりも、「石なんて、本当に、なにかしてるのか?」を証明できる根拠があるわけでもない。
そんな自分が作る、これまた「ほんとかよ?」みたいな、石のアクセサリを、こんなにたくさんの人に、たくさん買ってもらってるんだ・・・・・・と。
あらためて、感謝を申し上げます。
10点、なんて、自分は軽く言うけれど、みなさまにとって、それはそれは、大切な、時として「命と天秤にかけられる」お金をちょうだいして、私がお届けしている石のアクセサリたちに、それだけの価値が、本当にあったのか? と自問自答しても、その答は、私は持っていない。
それは、石を手にした、おひとり、おひとりの中に、眠っているものだから。
ご縁をいただいて、こうして、3年も、石の話を、ここでさせてもらってきて、今自分はすごく幸福です。
やっぱり、「石の上にも3年」は、本当かもね^^。
本当のところ、性格的には、非常に飽きっぽいというか骨がない^^というか、モノゴトがうまく運ばないと、すぐに途中で投げ出す、やめてしまうタイプの人間なのに、こんなに地味だけど「楽しく」何かが続いている自分、なんて、ありえないですよ。
これも、石が私の悪癖を変容させてくれてるんですね^^^^おそらく。
今年最後に、「道楽」は、やっぱり本当だったかもしれないな~~~、って思います。
ひつくの神様のいう、「道は、楽し。易し。」
楽しくないのは、道じゃないぞ、と。
ただ、ここでいう「楽」っていうのは、懐手して楽チンにやっていける、って意味じゃないです。
楽しいことのための、苦しさ、っていうものには、どんな道を歩いていようと、必ず出会いますし、それは生きている限り、その繰り返しなのかもしれないです。
でも人間て、楽しいことのために出会う苦労や壁は苦にならないものだと思います。
苦になってしまう人も、もちろんいるとは思うけれど。
昔の自分は、そうでしたから。好きなことをやっているはずなのに、出会う壁や障害ゆえに、幸福になれないんだと思っていたし、そもそも、苦労している自分が嫌いでしたし。
しかし、実はそれぞれの人が出会っているそれぞれの「道」において、出会う壁とか試練というのは、人は必ず越えていくことができるものなのかもしれないです。
ま、神様は「その人に背負うことができない荷物は持たせない」という、絶妙な技をお持ちですのでね。
そこをまず信頼するしかないですね。
自分の人生、生きる道、歩いている道。
これは、やはり、自分で選んでいくしかないし、誰も代わりに歩いてはくれない。
もちろん、たくさんの霊的存在が、「気づき」というサポートをしてくれている、そこに「石」という媒介がいる、とも言えるのだけど、それでも、感じとり、選び取って行動するのは、結局、ひとりひとりの人間ですから。
まちがわない人間は、いないんです。
まちがわない魂であれば、この地上世界には存在せず、だれかの「指導霊」とか、そういうことをやっています^^。
守護霊さんだって、時々(いや年中)迷うし、悩むみたいですよ。どうしたものか、と。
だって、気付け~、気付け~、と、手をひっぱっていきたくても、たいてい、守護しているその対象の人間は、あらぬ方向へ行ってしまうみたいですからね^^。
でも、「見放せない」んですよ。そこが、この地上世界と違う。
そういう任務を引き受けた守護霊さんは、「一生」なんであろうと、守護する人間の魂の面倒を見る。
たぶん、「なんでこの人引き受けちゃったんだろう・・・」なくらいに感じることも、あるのかもね^^。
私たちも、日々、いろいろなことに「しまった~」とか「困った~」とか言ってるけれど、その種巻いてることに、早め早めに気付かせるために、その「しまった~」「困った~」は、起こっていたりするんですよね。
つらいこと、いやなこと、苦しいこと、ソンすること、うまくいかないこと、・・・などなどというのは、実はご指導いただく、複数のスピリットの、粋なはからいなんです。
私たちは、ありとあらゆる「感謝のネタ」に尽きない世界に、存在している、ってわけです。どなたも。
・・・というわけで、
今年も、大変お世話になりました!!!
来年も、さらにさらに、精進して、みなさまと石を繋ぐお役目であり続けていきたい。
そんな風に、静かに、決意を胸に、ひとり勝手に抱いております。
早かったな~。一年。
こんな感じの速さで、また来たる2009年も過ぎ去るんでしょうかね。
今日の自分は、アクセサリの梱包^^と、それから、例のごとく毎年恒例なんですが、新宿高島屋に年越しそば用の天ぷらを買いに行き、蕎麦を買い、それから、お年賀を調達。。。。。
と、本当に、毎年ほとんど変わらずの行動パターンですね、大晦日。
毎年変わらず、年の暮れには、年越し蕎麦をいただける・・・・。
なんて、幸福なのかと思います。
東京から人が消え、新宿界隈から人が消える、この年末年始。
私が一年の中で、都心に住んでいて良かった・・・ としみじみ、その静寂を味わえるのが、この大晦日。
車や人が少なくなった、この寂しげな、空気の澄んだ街が、とってもいいんですよ。。。
3が日は、日本一の参拝者の数を誇るといわれる明治神宮も、大晦日の日中は、参道も人は少なく。
(北参道のほうですけれどね。原宿側からは、いつだって人多し)
もうすでに、今年最終のお参りは日曜日に済ませておりましたが、ちろっと、顔出して来ました。
今年の自分は、本当に、誰に御礼を言えばいいのやら・・・ というくらい、みなさまに、石アクセサリのお引き合いをいただいて、も~う、めまぐるしく「これしかしてこなかったかも」なくらいに、たくさんの石アクセサリを作ってきました。
2008年に、10点以上、買ってくださった方に!!
なんて、ブログ発表しながらも、実は、今日昼間、せっせと、カウントさせていただいていたのですが、
途中から、なんだかね・・・ こみあげてくるものがありましたわ。
こんな得たいの知れない、どこの馬の骨ともわからない無名の石使いで、なんの資格があるわけでもなく、なにかのカミサマや天使と繋がっているわけでも、エネルギー・アチューンメントやら、チャネリングやら、そういった気の利いたスピ的小技があるわけでもなく、そして、なによりも、「石なんて、本当に、なにかしてるのか?」を証明できる根拠があるわけでもない。
そんな自分が作る、これまた「ほんとかよ?」みたいな、石のアクセサリを、こんなにたくさんの人に、たくさん買ってもらってるんだ・・・・・・と。
あらためて、感謝を申し上げます。
10点、なんて、自分は軽く言うけれど、みなさまにとって、それはそれは、大切な、時として「命と天秤にかけられる」お金をちょうだいして、私がお届けしている石のアクセサリたちに、それだけの価値が、本当にあったのか? と自問自答しても、その答は、私は持っていない。
それは、石を手にした、おひとり、おひとりの中に、眠っているものだから。
ご縁をいただいて、こうして、3年も、石の話を、ここでさせてもらってきて、今自分はすごく幸福です。
やっぱり、「石の上にも3年」は、本当かもね^^。
本当のところ、性格的には、非常に飽きっぽいというか骨がない^^というか、モノゴトがうまく運ばないと、すぐに途中で投げ出す、やめてしまうタイプの人間なのに、こんなに地味だけど「楽しく」何かが続いている自分、なんて、ありえないですよ。
これも、石が私の悪癖を変容させてくれてるんですね^^^^おそらく。
今年最後に、「道楽」は、やっぱり本当だったかもしれないな~~~、って思います。
ひつくの神様のいう、「道は、楽し。易し。」
楽しくないのは、道じゃないぞ、と。
ただ、ここでいう「楽」っていうのは、懐手して楽チンにやっていける、って意味じゃないです。
楽しいことのための、苦しさ、っていうものには、どんな道を歩いていようと、必ず出会いますし、それは生きている限り、その繰り返しなのかもしれないです。
でも人間て、楽しいことのために出会う苦労や壁は苦にならないものだと思います。
苦になってしまう人も、もちろんいるとは思うけれど。
昔の自分は、そうでしたから。好きなことをやっているはずなのに、出会う壁や障害ゆえに、幸福になれないんだと思っていたし、そもそも、苦労している自分が嫌いでしたし。
しかし、実はそれぞれの人が出会っているそれぞれの「道」において、出会う壁とか試練というのは、人は必ず越えていくことができるものなのかもしれないです。
ま、神様は「その人に背負うことができない荷物は持たせない」という、絶妙な技をお持ちですのでね。
そこをまず信頼するしかないですね。
自分の人生、生きる道、歩いている道。
これは、やはり、自分で選んでいくしかないし、誰も代わりに歩いてはくれない。
もちろん、たくさんの霊的存在が、「気づき」というサポートをしてくれている、そこに「石」という媒介がいる、とも言えるのだけど、それでも、感じとり、選び取って行動するのは、結局、ひとりひとりの人間ですから。
まちがわない人間は、いないんです。
まちがわない魂であれば、この地上世界には存在せず、だれかの「指導霊」とか、そういうことをやっています^^。
守護霊さんだって、時々(いや年中)迷うし、悩むみたいですよ。どうしたものか、と。
だって、気付け~、気付け~、と、手をひっぱっていきたくても、たいてい、守護しているその対象の人間は、あらぬ方向へ行ってしまうみたいですからね^^。
でも、「見放せない」んですよ。そこが、この地上世界と違う。
そういう任務を引き受けた守護霊さんは、「一生」なんであろうと、守護する人間の魂の面倒を見る。
たぶん、「なんでこの人引き受けちゃったんだろう・・・」なくらいに感じることも、あるのかもね^^。
私たちも、日々、いろいろなことに「しまった~」とか「困った~」とか言ってるけれど、その種巻いてることに、早め早めに気付かせるために、その「しまった~」「困った~」は、起こっていたりするんですよね。
つらいこと、いやなこと、苦しいこと、ソンすること、うまくいかないこと、・・・などなどというのは、実はご指導いただく、複数のスピリットの、粋なはからいなんです。
私たちは、ありとあらゆる「感謝のネタ」に尽きない世界に、存在している、ってわけです。どなたも。
・・・というわけで、
今年も、大変お世話になりました!!!
来年も、さらにさらに、精進して、みなさまと石を繋ぐお役目であり続けていきたい。
そんな風に、静かに、決意を胸に、ひとり勝手に抱いております。

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カテゴリ : 私にとっての2012年
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