・・・と。心の中で思っていた台詞を、たまたま、通りすがりのヒトが言っているのが聞こえてきた、とか、そういうことってありますよね。
こういうのをシンクロと呼ぶんでしょうか。
私の場合は、モルダバイトを身に着けているときは、なにかとこの手のことに遭遇する率が高いです。
まぁ、人生というのは、それぞれに、いろいろあるものなのだろうとは思いますし、自分だって、そうです。
それを心の中で、ふと、反芻するというか「ああでもない、こうでもない」と、考えざるを得ないような時が、誰にでもあるものかと思いますし、「ああでもない、こうでもない」と考えたからといって、なにか事態が好転するわけでもなし・・・ でも、どうしたらいいんだろうか・・・・ と、考える。
今日も、お昼の休憩で、その私なりの「ああでもない、こうでもない」を、答の出ないままに、考えが堂々めぐりをしている時でした。
人生、いろいろあるわな・・・ため息。
そんな風に、コーヒーすすりながら、ぼ~っとしていたのですが、ふと、となりの席のサラリーマン二名の会話が耳に飛び込んできてからは、ず~~~~っとその会話に聞き入っておりました。
とにかく大きな声でお話なさっているので、聞き耳を立てなくとも、話の全容はこんな赤の他人でも口を挟みたくなるくらい、あからさまなものでしたんで。
どうやら定年をそろそろ迎えるおじさまと、30歳の部下・・・という感じだったんですが、
はじめは、会社の中の人間関係という、退屈な話題(私にとって)でしたので、「耳障りだなぁ、正直。」と、席を移りたいくらいだったのですが、途中からなぜかその30歳男子の結婚生活の話に、話題が移っていき、そこからは、私は無言ながらもまるでそこに参加しているかの気分というか^^、というか、ひとことふたこと、ちょっと言ってやりたい気分になるような、そんな感じでした。無論、そんなことはせずに、黙って聞いてましたが。
30歳、サラリーマン男子。
どうやら、とにかく「ヨメのことが嫌。できればリコンしたい。でも、できない。」というのが話の骨子で、メリーゴーラウンドのように、この骨子がぐるぐると、その話のあいだじゅう回り続けている。
話だけ聞いていると、そこまで嫌ならば、なぜにいっしょにいるのだ?
そこまでのことを言われたりされたりしながらも、なぜに、「金がない」からの理由で?
・・・と、聞いている側の定年間近おじさんも、「よく、そんな我慢をしているな~。まだ30歳。そんな精神的なダメージを与えられ続けて、慰謝料なんて、そんなに大まじめに考える必要あるか?」と、口をはさんだりしていましたが、私もその部分、同感というか^^、「子供じゃあるまいし、そんな女に、まじめにお金払う必要なんかないんじゃ? さっさと、自分がそこから何を言われようと出ていけばいいじゃん。たぶん、法律的にも、給料は全部奥さんが握っていて、で、金がないなら、払いようがないし、なにを怯えているのだ、このオトコ。」なぁんて、思っちゃうくらいに、その30歳リーマン側だけの話を聞いていれば、あまりデリカシーがないヨメかな・・・と、聞いている側は理解させられちゃう、そんな女性で。
3ヶ月エッチをしていない。女ができたはずだ。
そう言って、携帯メールやらなにやら、勝手にチェックされる。
あなたに子供を作る気がないなら、どこかよそで私は子供を作ってくるから、あなたの子として育ててよね、
と言われたとか。
自分宛の郵送物は、すべて勝手に開封されてしまう。
なにか言うと、烈火のごとく怒り出すため、なにやらヨメは血圧が家系的に高い体質のヒトらしく、目の前でぷっつんされても困るしな~、とも思い、自分は何を言われても、いろいろなことが面倒に思えて、何も言い返せない。
結婚当初から、なにかあると、すぐリコン、と言い続け、あんたは金がないから、あんたの両親から金をもらう、と言われ続けている、だとか。
まぁ、いろいろ。
話を聞いていて、ちょっとうんざりするくらい、「ここまで、アイのかけらも、お互いになさそうなのに、どうして別れないのかな?」と、たぶん誰が聞いても思うだろうよ・・・ というくらい、30歳リーマンの、ヨメへの不満てんこ盛りの会話。
だけど。
この男子、これだけの毒をまき散らして、でも結局、その人生をメリーゴーランドのように続けていくんだろうな・・・
という先が読めてくると、ここまで、そのヨメ本人を知らない、しかもダンナの上司に、ダンナみずからが自分の悪口を言いたい放題言われている、その「ヨメ」が、なんとなく不憫に思えてきましてね。
「金がない」「金もらいたい」
それだけのコネクションで、えんえん、ハラの中を堂々と見せることも見せられることもなく、続いていく、結婚生活・・・って、いったいなんだろうな。。。。こんな人たちもいるんだなぁ。。。。
でも、今って、こんなようなヒト、ぜんぜんめずらしくなくて、ふつうのヒトの中に、たっくさんいるんだろうなぁ。。。
まぁ、いろいろ、あるよな。。。
結婚するとかしないとか、続けていくとかいかないとか、に関わらず、「自分ではない相手を、変える、うごかす」って、ものすごく難しいし、そんな難しいことなのに、なんだか人間は、結婚とか、へいきでするもんなぁ。
自分がしてみないと、わからないんだわな、こういうのはね。なんでもそうだけど。。。
と、アタマの中で考えていたら、
サラリーマンふたりが隣の席を立つ時、定年間近の上司のほうが、
「まぁ、人生、いろいろあるな~、ほんとうに。だけど、偉いな~。そんなに我慢する必要あるのか? 俺の半分(年が)だろう。まだまだこの先長いぞ。考えどころだな。」と言いながら、席を離れていきました。
会話の中で、その30歳リーマンくんに、
「そんな嫁さんと、いったいどこで出会ったんだ???」
と、まさに、私が聞きたいタイミングで、定年間近おじさんが、彼に質問をしてくれたのですが、
なんとまぁ、中越地震の時に、被災地に、彼は「ボランティア」として行っていたそうで、その、現地在住の「被災者」だったそうです。
まぁ・・・舞台装置というか、ある意味、かけがえのない「人間の思いやり、無償のやさしさ」なんかが、状況的に発揮される、そういうステージでの出会い、そして、結婚なわけで。
「お互いのいいところしか、見えてなかった」ってわけですよね、と、30歳リーマンくんは、自分で言ってました。
ボランティアという、いいことをしにいっている、被災者に無償の愛をささげる立場で、被災者という心弱い弱者だった、当時のヨメ。
結婚し、夫は外で働き、妻は家に・・・ という、現在は一見すると穏やかで幸福なはずのステージなのに、物理的なダメージを受けた「被災地」よりも、地獄になろうとは。そんな風に、語っていました。
この方たちは、もしかすると、
この世がカタストロフを迎えるときが来れば、また、「愛のようなもの」を取り戻せるのかもしれないな、、、
そう感じましたが。
というか、人間、「経験だけが財産」とはいえ、どんな境遇に遭遇し、そこを切り抜けてきても、平和な日々が当たり前になると、ころり、と、忘れてしまうものなんですね。
「助かった~。救われた~。」の感謝の気持ちも、喉もと過ぎれば・・・の世界。
そう。
別に、この30歳リーマンくん夫婦に限らず、
人間とは愚かなもので、自然の猛威と呼ばれる、人間にとっての大ピンチのような局面を迎えたときに、きっと、思い出すのだろうと。
ホントウに必要なことは何であったか。
なるべくなら、いろいろある人生ですが、「ふつうの日常の中で」それをわかって、感謝して生きていきたいもんです。
そういう意味で、なんというか、反面教師的にいい話が聞けたかも~・・・と、モルダバイトと、「ちょい、わけあり、お試しブレスレット」を見つめながら、思いました。
こういうのをシンクロと呼ぶんでしょうか。
私の場合は、モルダバイトを身に着けているときは、なにかとこの手のことに遭遇する率が高いです。
まぁ、人生というのは、それぞれに、いろいろあるものなのだろうとは思いますし、自分だって、そうです。
それを心の中で、ふと、反芻するというか「ああでもない、こうでもない」と、考えざるを得ないような時が、誰にでもあるものかと思いますし、「ああでもない、こうでもない」と考えたからといって、なにか事態が好転するわけでもなし・・・ でも、どうしたらいいんだろうか・・・・ と、考える。
今日も、お昼の休憩で、その私なりの「ああでもない、こうでもない」を、答の出ないままに、考えが堂々めぐりをしている時でした。
人生、いろいろあるわな・・・ため息。
そんな風に、コーヒーすすりながら、ぼ~っとしていたのですが、ふと、となりの席のサラリーマン二名の会話が耳に飛び込んできてからは、ず~~~~っとその会話に聞き入っておりました。
とにかく大きな声でお話なさっているので、聞き耳を立てなくとも、話の全容はこんな赤の他人でも口を挟みたくなるくらい、あからさまなものでしたんで。
どうやら定年をそろそろ迎えるおじさまと、30歳の部下・・・という感じだったんですが、
はじめは、会社の中の人間関係という、退屈な話題(私にとって)でしたので、「耳障りだなぁ、正直。」と、席を移りたいくらいだったのですが、途中からなぜかその30歳男子の結婚生活の話に、話題が移っていき、そこからは、私は無言ながらもまるでそこに参加しているかの気分というか^^、というか、ひとことふたこと、ちょっと言ってやりたい気分になるような、そんな感じでした。無論、そんなことはせずに、黙って聞いてましたが。
30歳、サラリーマン男子。
どうやら、とにかく「ヨメのことが嫌。できればリコンしたい。でも、できない。」というのが話の骨子で、メリーゴーラウンドのように、この骨子がぐるぐると、その話のあいだじゅう回り続けている。
話だけ聞いていると、そこまで嫌ならば、なぜにいっしょにいるのだ?
そこまでのことを言われたりされたりしながらも、なぜに、「金がない」からの理由で?
・・・と、聞いている側の定年間近おじさんも、「よく、そんな我慢をしているな~。まだ30歳。そんな精神的なダメージを与えられ続けて、慰謝料なんて、そんなに大まじめに考える必要あるか?」と、口をはさんだりしていましたが、私もその部分、同感というか^^、「子供じゃあるまいし、そんな女に、まじめにお金払う必要なんかないんじゃ? さっさと、自分がそこから何を言われようと出ていけばいいじゃん。たぶん、法律的にも、給料は全部奥さんが握っていて、で、金がないなら、払いようがないし、なにを怯えているのだ、このオトコ。」なぁんて、思っちゃうくらいに、その30歳リーマン側だけの話を聞いていれば、あまりデリカシーがないヨメかな・・・と、聞いている側は理解させられちゃう、そんな女性で。
3ヶ月エッチをしていない。女ができたはずだ。
そう言って、携帯メールやらなにやら、勝手にチェックされる。
あなたに子供を作る気がないなら、どこかよそで私は子供を作ってくるから、あなたの子として育ててよね、
と言われたとか。
自分宛の郵送物は、すべて勝手に開封されてしまう。
なにか言うと、烈火のごとく怒り出すため、なにやらヨメは血圧が家系的に高い体質のヒトらしく、目の前でぷっつんされても困るしな~、とも思い、自分は何を言われても、いろいろなことが面倒に思えて、何も言い返せない。
結婚当初から、なにかあると、すぐリコン、と言い続け、あんたは金がないから、あんたの両親から金をもらう、と言われ続けている、だとか。
まぁ、いろいろ。
話を聞いていて、ちょっとうんざりするくらい、「ここまで、アイのかけらも、お互いになさそうなのに、どうして別れないのかな?」と、たぶん誰が聞いても思うだろうよ・・・ というくらい、30歳リーマンの、ヨメへの不満てんこ盛りの会話。
だけど。
この男子、これだけの毒をまき散らして、でも結局、その人生をメリーゴーランドのように続けていくんだろうな・・・
という先が読めてくると、ここまで、そのヨメ本人を知らない、しかもダンナの上司に、ダンナみずからが自分の悪口を言いたい放題言われている、その「ヨメ」が、なんとなく不憫に思えてきましてね。
「金がない」「金もらいたい」
それだけのコネクションで、えんえん、ハラの中を堂々と見せることも見せられることもなく、続いていく、結婚生活・・・って、いったいなんだろうな。。。。こんな人たちもいるんだなぁ。。。。
でも、今って、こんなようなヒト、ぜんぜんめずらしくなくて、ふつうのヒトの中に、たっくさんいるんだろうなぁ。。。
まぁ、いろいろ、あるよな。。。
結婚するとかしないとか、続けていくとかいかないとか、に関わらず、「自分ではない相手を、変える、うごかす」って、ものすごく難しいし、そんな難しいことなのに、なんだか人間は、結婚とか、へいきでするもんなぁ。
自分がしてみないと、わからないんだわな、こういうのはね。なんでもそうだけど。。。
と、アタマの中で考えていたら、
サラリーマンふたりが隣の席を立つ時、定年間近の上司のほうが、
「まぁ、人生、いろいろあるな~、ほんとうに。だけど、偉いな~。そんなに我慢する必要あるのか? 俺の半分(年が)だろう。まだまだこの先長いぞ。考えどころだな。」と言いながら、席を離れていきました。
会話の中で、その30歳リーマンくんに、
「そんな嫁さんと、いったいどこで出会ったんだ???」
と、まさに、私が聞きたいタイミングで、定年間近おじさんが、彼に質問をしてくれたのですが、
なんとまぁ、中越地震の時に、被災地に、彼は「ボランティア」として行っていたそうで、その、現地在住の「被災者」だったそうです。
まぁ・・・舞台装置というか、ある意味、かけがえのない「人間の思いやり、無償のやさしさ」なんかが、状況的に発揮される、そういうステージでの出会い、そして、結婚なわけで。
「お互いのいいところしか、見えてなかった」ってわけですよね、と、30歳リーマンくんは、自分で言ってました。
ボランティアという、いいことをしにいっている、被災者に無償の愛をささげる立場で、被災者という心弱い弱者だった、当時のヨメ。
結婚し、夫は外で働き、妻は家に・・・ という、現在は一見すると穏やかで幸福なはずのステージなのに、物理的なダメージを受けた「被災地」よりも、地獄になろうとは。そんな風に、語っていました。
この方たちは、もしかすると、
この世がカタストロフを迎えるときが来れば、また、「愛のようなもの」を取り戻せるのかもしれないな、、、
そう感じましたが。
というか、人間、「経験だけが財産」とはいえ、どんな境遇に遭遇し、そこを切り抜けてきても、平和な日々が当たり前になると、ころり、と、忘れてしまうものなんですね。
「助かった~。救われた~。」の感謝の気持ちも、喉もと過ぎれば・・・の世界。
そう。
別に、この30歳リーマンくん夫婦に限らず、
人間とは愚かなもので、自然の猛威と呼ばれる、人間にとっての大ピンチのような局面を迎えたときに、きっと、思い出すのだろうと。
ホントウに必要なことは何であったか。
なるべくなら、いろいろある人生ですが、「ふつうの日常の中で」それをわかって、感謝して生きていきたいもんです。
そういう意味で、なんというか、反面教師的にいい話が聞けたかも~・・・と、モルダバイトと、「ちょい、わけあり、お試しブレスレット」を見つめながら、思いました。

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カテゴリ : ちょっとスピリチュアルな話
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