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2008年09月07日の記事のリスト

ヒトの運命というのは、どこまでが規定路線なんだろうか?

2008年09月07日 (日) 16 : 21
・・・・と、思いますよね?
そりゃまぁ、なんというか、「直感的にわかっている」とかなんとか、「魂が喜ぶ」ことを見つける、やっていこうとする、などなどが、ある程度は、その規定路線の中に含まれてはいるのでしょうし、だから「過去世」調べてみたり、「何のために生まれてきたのか」を探ろうとしてみたり、ってなことを、するヒトはするんでしょうが、なんとな~~~~く、実はそういうのも、ヒトの運命の中には、「折り込み済」のお約束のような気もしないでもないです。


そして、石を手にすることもね。


前回、「使わないカバンをたくさん持つことの風水的弊害をいうものがあるらしい」ってことについて、書きましたが、なんとなくこの「ムダなモノをたくさん所有すること」への罪悪感的な発想は、潜在的に、ここ数年の「エコ」の視点や、精神の豊かさという意味合いからも、刷り込みがあるように思う。
「運を上げるには、いらないものを、ばんばん捨てよう」みたいな、本もあったりしますよね。
お掃除=浄化、みたいなものかと。


私のアクセサリを買ってくださる方に、「ぢぶん、石買いすぎじゃないかしら?」と、言われる方が、時々いらっしゃいます。
私の作るアクセサリは、正直、「どうして?」というくらい、リピーターさんが多いのは事実。
「もしかしたら、総計で、作っている私以上に、私が作ったアクセサリを所有なさっているのでは???」というツワモノさんも、ひとり、ふたりではないです。


この問いに対する答えは、実はもう二年くらい前に、答えが出ておりまして。
昔、千駄ヶ谷にあったお店で、アクセサリの販売を請け負っていただいていた時期に、その店主に相談したことがありまして。
実は、その実店舗でも、「同じお客さまが、いくつも、いくつも、店に来るたびに、購入してくださる」ということがありまして。「ネット上でも、同じなんですよね~~~~。いいんかな~~~。お金、大丈夫かな、って、ちょっと心配にもなったりするんですよね。」と。
そうしたら、お店の店主曰く、「それはね、モノを売る人間が必ず対峙する悩みなのよね。」と。
そして、彼女もどなたかに相談したことがあったそうです。やはり、こんなにこんなに買ってもらっちゃって、いいんだろうか? お客さまに、無駄金を使わせているんじゃないだろうか? 生活に支障はきたさないのかしら? と、不安だったそうです。


結論として、長年の経験から得た答えは、「お客様の買い物の上限金額は、売る側が左右してはならない」だったそうです。
嫌いなものを売りつけているのではなく、お客様が、自分が気に入るものを見つけて、それを手にしている。
それは、強要ではなく、自発的な相手の行為であって、「買いすぎじゃない? お金は大丈夫?」の台詞は、余計なお世話というもので、「それをやめたければ、それは、お客様自身が決めること。必要が満たされれば、自然に、離れていく人は離れていくし、こちらから、お客様の選択の自由を制限する台詞を発するのはナンセンス」ということでした。


私も、店主のおっしゃっていたことプラス、自分自身が、はたから見れば「無用の長物」に見える、天然石なんてものを、そして、そのビーズで作るアクセサリなんてものにのめりこんで、正直、「ばかばかしいくらいにお金を使ってきた」わけですが^^、人間、別に「石じゃなくても、ばかばかしいことに、お金を使う」っていうのは、日常的にないことではないわけです。
相対的に見て、私にとっての観点では、そういうありとあらゆる消費行動の中では、「いちばん、かどうかはわからないけれど、少なくとも、石に使うお金って、死に金になっていない」という感覚を、自分に得ていました。


単なる、「所有の満足感」というだけであれば、そうは感じないと思います。
石というのは不思議なもので、なぜだろう、ホントウにその所有者の魂にとっての、潜在的な必要要素というギフトを連れてくる存在なので、こういってはなんだけれど、「持ちすぎ」って、実のところ、ないんじゃないかしら? なのです。
いずれ、「持ちすぎだと思っていたけれど、もう買いたくても買えない。なぜなら、売ってないから」という日も、やってくるかもしれませんしね。それは、昨今、なんとな~く感じることなのですが。
今、こんなに、天然石ブームの流れで、たくさんのお店が溢れている現実の中では、にわかに信じがたいかもしれないけれど、必ず、そういう日はやってくるように思います。


そして、どうして「持ちすぎ」がないのかというと、確かにお金を出して買う、という行為により、商品として彼らは流通しているので、物理的にはお金があるヒトのところに集まるのですが、大きな観点から言うと、誰も所有の権利を、厳密には持っていないのです。所有しているヒトは、へんな話、「預かっている」ようなものです。つまり、「蔵」の役割も、石にとっては兼ねている。


なので、「自分は、買いすぎじゃないかしら?」と感じ、買うのをやめる、というのは、いいことです。
たぶん、「蔵」のお役目が、もうそこでいっぱいになっているのだろうと思います。
そして、「買いすぎかもしれないけれど、でも、気に入った石は、まだ自分のところに来て欲しい」と感じ、買うのも、いいことです。そういう方は、「蔵」のスペースがまだ空いている、ということだろうと思います。


この「蔵」は、物理的な家の広さ、という問題だけの話ではないです。
そして、実は、広がったりも、狭くなったりも、自分次第で自在だったりもします。
石に縁があるヒトとは、そういうものじゃないかな、と思います。


現実的な話で言えば、石に使うお金は可処分所得の範囲内であれば、まったく問題ない、と思いますね。
しかし、石好きが度を超すと、この可処分所得という「実力」を超えた範囲で、石を手にしようとなさる向きもちらほらです。
自分などは、正直、「可処分所得など、ないに等しい」人間でしたので、ある意味、現実的な経済力という実力を超えたところで、石をゲットしてきたようなところがあります。
上記のような、常識的な「可処分所得の範囲内」で、石を購入していたのは、遠い昔の、O・L時代の、ささやかな「宝石コレクター」だった頃の話。
過去記事をお読みいただくとお分かりになるかもしれませんが^^、こんな人間が、こんなに石ホルダーになっている、というのは、奇跡を見る思いがします。
なので、これは、ケース・バイ・ケースで、「あり」な場合もあれば、「やめといたほうが得策」な場合もあると思います。


「あり」な場合があるとしたら、なんらかのカタチで、「石の使者」となるケース。
つまり、今、私がやっているようなことをする方の場合は、「買いすぎかもリスク」「買う金もないのに買うリスク」は、抱えたほうがいいでしょう。リスクなしで、「石売り」にはなれません。いちばん、懐手のできないシゴトだと思います。
リスクは、「他人様に背負わせて」はいけません。
石を扱う人間の、これは、「業」のようなもの、じゃないかと思います。
偽物、品質のよくないものを掴まされたら、それは、自分が背負う業なのです。



ところで、「石をたくさん持つこと」について。


これは、メリットなのかどうかはわかりませんが、実際にあった話で、私のアクセサリをお持ちの方のお話なのですが、最近、石はね~~~~、という自分の経験が、「ぁあんだよ、結局、なんかイイコトばっかりじゃね?」ということばかり書いているみたいに思えて、世の中のパワスト本に対して「ちょうちん本」なんて言っているわりには、そういう自分自身が、「石のちょうちん記事」みたいになっているよな、なんか、アホっぽいな~~~・・・・・なんて思ってもいたのですが、そんな私の、アタマをがつん!! な、ご報告というか、「うちのパワスト・アクセ事後談」を、いただきまして。


どうしているかな~~~~~、と、思っていましたが。
で、「こういうことになった」というのが、なんというか・・・ いわゆる石アクセサリの意味とは、一見、「真逆の現象」を経験なさっていたわけで。私のアクセサリを手に入れてから、事態は、想像だにしていなかったとんでもない展開となったそうなのです。つまりまぁ、簡単に言えば「幸福になるはず」の持ち主さんの繁栄サポートのはず・・・なのに^^、繁栄どころか、取りようによっては、「底」かもしれません。


けれど、時を経て、つまりその「真逆の現象」に見える、世間一般でいうような「不運状況」をすでに乗り越えていらっしゃって、結局、現在は、当時想い描いていた内容からは想像もしていなかった、より「自分は幸運だったな」というところにたどり着いている・・・という。
私のブログの中の記事でいえば、「ブルートパーズ」の話みたいな、そんな感じ、と、御本人。


その「底」を当事者として経験しているその時点では、相当不運は不運なのだけれど、いくつも「不幸中の幸い」ばかりが重なって、「自分は運が強い人間だな~」と、実感した、そうです。
そして、振り返ってみれば、「あれはあれで、つらかったし、たくさん泣きもしたけれど、今冷静に考えると、今のほうが自分にとって、とても幸福な状況」ということで。


で、この話には、最後に、オチがありまして。
「でも、ぶっちゃけ、ウチには、あのアクセサリだけじゃなくて、たくさん石がありすぎて^^、どの石のシゴトかなんて、わからないです~~~~~。」とのことでした。
でも、なんらかのシゴトを、もし石がしてくれたんだとしたら、「ずいぶん、そんな状況の中にありながらも、私が傷つかないように配慮してくれたんだな。」と、アクシデントの渦中でも「それが、最小限だったんじゃないか」と思える、とおっしゃっていました。「石に感謝、ですね。」と。


私は、この「石がたくさんありすぎて」に、非常にほっと胸をなでおろす気持ちになりましたよ^^。
おそらく、彼女の手元にいらっしゃる「たくさんの石たち」は、彼女の「ピンチでもあり、飛躍でもある、その現実」の渦中に、総動員で、彼女をサポートしたんだろうな・・・ と感じます。
石、たくさん持っていてもらって、よかったです^^。


いやいや、でもねぇ。
その、当時、想像だにしていなかったであろうつらい状態に対面した頃、私のアクセサリに対して、そして、私に対して、文句のひとつもこちらにはいただくことなく、状況が大逆転のように好転してから、「実は、こうなっちゃってました~~~~」とおっしゃる、その精神的強さと高潔さに、あたしは感涙しちゃいましてね・・・。
そういう方だからこそ、ある意味、石の側に「石が総動員する気概」も、生まれようというもの。


石は、「表面に起こる現象と、結果にしか、関心を示そうとしない」ヒトよりも、実際に起こっていることの、真の意味を読みとろうとするセンスのある人を、好きですし、実際にそういう人のためのサポートは、より、「しやすい」のです。
なので、石の効果とか、石のチカラを感じたい、経験したい・・・という場合には、まず、「結果は先に置いておいて」自分に起こることの真意を感じとろうとする、歩み寄りは必要かな、と思います。(たぶん、浄化とかパワーチャージなんかよりも、そっちのほうが、ずっと重要です。)


そして、私がさらに思ったことが、上記の「蔵」論・・・・ですね。
とっかえひっかえ、「石の効果」ばかりを追い求めて、手にしてきた石(まぁ、そうだとしても、手元にくるからには、縁があるから、なんですけれどね)・・・ではなく、できれば、「好きだから、惹かれるから、つい、集めてきた石」。
石をたくさん持つこと、っていうのは、自分の「蔵」と相談してみる・・・というのも、ひとつの方法かもしれませんね。
よく言っていることですが、
その時に必要なイシ、というのもあるけれど、実は、あとになって必要になるケース、ってのもあったりもします。
このへんが、どこまで「運命というものが、既定路線なのか?」とも、深く関わってくる話ですが。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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