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2008年05月01日の記事のリスト

不幸の種類

2008年05月01日 (木) 22 : 07
ついてない、いやだ、なんでこんな目に自分が? などなど、とにかく自分にとって「好ましくないと思われる感じ」の渦中にいる時、ヒトはそれを「自分は不幸」と感じる。

大昔、自分としては「とんでもない不幸」を背負ったと感じていた当時の話なんだけど、まぁ、それでも魔法のようにその状況が一転することはありえない現実だったため、自分としては、甘んじて受け入れた、というか、仕方なく背負うことにした、ということがあった。

どうしてこんなことになってしまったんだろうか?
である。理由はフクザツで、自分ひとりで解決できることではなかっただけに、とにかく、歯切れの悪い受け入れ方だった。

だから、私は、よくその不幸な状況を生んでいる理由めいたものに対して、言い訳、というか、「なんでこんなことになっちゃっているのか」の理由を、自分自身の気持ちとは相反しているんだけど、仕方がないんだ、こんなことを自分はやりたくてやっているわけじゃない、と、ヒトに話したりもしていた。

同情など欲しくはないのに、結局、同情くらいしか、返ってこなかった。
私は、解決の糸口が欲しかったはずなのに。

ところで、その私の不幸の状況の理由を、やはりとあるヒトに話した時に、めずらしく同情ではないものが返ってきた。
それは、「それは、よくあること」「めずらしくもない話」なんだと。
こんなド不幸が、「よくあって」たまるか、と、私は当然、そんな反応に対して不満を持つ。
しかし、それと同時に、気が付いたことがあった。

不幸とか幸福とか、ではなく、私はその「よくそのへんにある程度の、特筆すべくもない、ありふれたヒトの人生ロードのひとつ」かなんかだと、その程度の反応でヒトから済まされてしまう、そのことが不満で、不服だったのだ。
つまり、「不幸のスタイル」でさえ、ある意味、オリジナリティを欲しがっていたというか、「十把一絡げにされること」に耐えられなかったのである。

つまり、「自分は、こんなにスゴイ」ということが、たとえ「自分の不幸な状況」というネタであっても、ヒトから認められたかったのであろう。それが得られているあいだは、なんとか頑張れる、というような。
自分が、不幸から抜け出せない理由がわかった、まではいかないが、多少、目が醒めたのも事実だった。
そして、すごく悔しく情けなかった。


たぶん、
ヒトになにか愚痴をこぼす、ということは、この前進のない自己満足、自己充足でしかない。
きっとイマドキのスピリチュアル風に言えば、「不幸な状態を、自分で選んでいる」ということなのだろう。
そして、愚痴をこぼす人間というのは、自分の「幸福」という問題に対しても、「他力本願」で、誰かに何とかして欲しかったり、何かラッキーにも運命が好転しないものか、と、他からエネルギーをもらおうとすることに必死になる。

そういう意味では、その当時私に、「そんなの、よくある話だよ」と、私の状況を同情するでもなく、まぁとにかく、今必要なことをするために、あなたは何をしなきゃいけないか、ってことを、えんえんと説教たれてくれた、そのヒトに感謝でもあったのだろう。


そんなどえらい昔のことを想いだしたのには、ワケがあり。


今日は、行く先々で、「これは、拷問かい?」と思われるような、嫌な気持ちにさせられることが多かった。
極めつけは、外でお弁当を食べていた時のことだ。
今日は、天気がとっても良く、まるで初夏のようだった。

私は、こういう日は外でごはんもよかろう、と、スーパーで「焼きそばとたこ焼きのセット」と、ジャスミンティーのペットボトルを買った。
が、しかし。埼玉県の東川口という駅なのだが、駅周辺に、お弁当を座って食べることができるような気の利いた場所などあるわけもなく、もしかしたら、公園なんかもどこかにあるのかもしれないんだけど、そういうスペースを探している時間はない。

そういえば、バスターミナルの少し離れたところにベンチがあったわね、確か。
ということを思いだし、私はそこで、買ってきたお弁当を広げた。

食べ始めて、まもなくだった。
どこからか、「うげーっ、げーっ」と、吐き気をもよおしているのか、ヒトが「嘔吐」する声が聞こえてきたのだ。
声の方向へ目をやると、バス停に自転車に乗った男がもたれかかり、しきりに、吐こうとしている姿が目に入る。

うわ、やだな。気持ち悪いな。

そう思いつつ、私は、いやな連想をする。
なぜなら、私が今食べているものは、その吐瀉物チックではないか、と。
ものすごく気分が悪くなった。

が。私は、その「げーっ、げーっ」と、まるで無理に吐き気をわざわざ催しているかのようなその声のする中で、そのまま、食べ続けた。
途中、その自転車の男は、こちらをちらっと見て、にやっと笑っていた。

なんだ、やっぱり嫌がらせなのか。
こんな程度の低い嫌がらせに屈して、私まで気持ち悪くなる必要なんて、ないってことか。

私は、何度か場所を移動しようかと思いながらも、ちっともおいしくなんて感じられないそのお弁当を、その場所で食べきった。
やれやれ、だった。


今日は、電車で座ろうとしてあやうく座ってしまうところだった席に、「フケ」がばらまかれたように落ちていたり、色々な心を暗くしそうになる汚物ネタが満載の日だった。
「うわ、汚ね。」と気が付いて、座らずに済んだ。


石に尋ねてみる。もちろん。アマゾナイト。
ん、まぁ、感謝はできないかもしれないけれど、これでも「小難」だったそうである。
なるほど。
バランスとっているんだそうである。
幸福は幸福を呼び、ってのは、嘘じゃないが、幸福であり続けることも、これまた退屈な不幸なのだそうだ。
どっちが来ても、泰然自若。
なかなかできないことではあるが、石は、それをやってほしいみたいだ。私に。


不幸も、幸福も、ほんとうに、一歩歩けば、さまざまな場所に手控えている。
しかし、「不幸と思われる経験」を、「不幸のまま堆積しないように」手伝ってくれるのが、石、なのだ。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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